NO.03「Aに続く者達」

 少年少女四人がエイゼルの中核であるアルワクト内部に入ったのは午後四時過ぎ。

 もう空が暮れ始めていた時間帯の事だった。

 空の上から見えた複数の小さな村々とは比べ物にならない規模。

 2万人以上が暮す城砦都市。

 堅固に築かれた壁は煉瓦積みで高さは人の背丈の四倍以上。


 数km離れた場所にある大きな河川から小川が幾つも引き込まれ、街の水源となっている。


 入り組んだ迷路のような道の先。

 小高い丘の上にある灰色の城は荘厳でこそないが重厚な造りで。


 周囲に尖塔を四つ、中央に大きな講堂を擁し、教会そのものが内部に組み込まれていた。


 街並みを染める紅の屋根は近辺で取れる主要な輸出品である建築塗料で塗られ。

 大通りとそこから派生する小道には人が溢れ、活気に満ちている。

 空から街の全景を見た後。

 周囲にある岩山の一つの後ろに降り立ち。


 其処から徒歩で街の城門へと向かった彼らが見たのはそろそろ夜だと門の関所を抜けようとする人の群れ。


 衛兵が怪しくないかと数人で通行人を調べていたが、四人はこれをマルティテュードの力で素通り。


 街の大通りへと到達していた。


「ふぁ~~大っきい……」


 目を丸くしたアージャが大口を開けて二階建ての煉瓦建築がズラリと並ぶ通りを遠くまで見通して、唖然としていた。


「まさか、此処までの規模とは……」


 これから敵対する事となるだろう相手の経済力。

 その巨大さにアザヤが瞳を細める。

 本来ならば、もっと驚き、その光景を見れた事に喜びだって感じていてもおかしくはない。

 だが、そうするには多くの事が有り過ぎた。

 今の其処は半ば敵地。

 油断出来ないという事だけで彼女の頭が一杯になるのも無理からぬ事だろう。


「ようやく帰ってきましたわ。ふぅ……」


 慣れない空の旅。

 それもよく理解もしていない翼に身を預けての移動。

 神経を常に張り詰めていたアイシャリアがげんなりした様子で安堵の吐息を吐く。


「此処が……」


 少年は椅子で浮遊したまま。

 周辺を見渡して脳裏で愛機に呟く。

 此処まで原始的だと数千年は宇宙にも行けそうにないな、と。


「『原始的な物流網。人力での商品の移動。原生四足動物による遠方との商取引。貨幣経済以前の物々交換による取引と、それに伴う価値の曖昧さも散見される。路上での最低限の衛生管理すら為されていない原始食料の販売。このような通貨経済における共同体に不合理な毀損を齎すに付いての防犯もされていない。特筆に値するのは同種族の個体を使った商取引。本共同体では久しく罰則の適応例は無いが、極刑も有り得るすら行なわれている模様。極めて劣悪な生活環境と断定。微粒子及びウィルスと細菌の濃度も共同体の公共領域における最低基準を遥かに上回る。搭乗者の生体活動は現在の当機の能力でも保全されるが、人格及び精神衛生上の問題は解決出来ない可能性もある為、屋内への退避を推奨』」


 彼らの前にあるのは一種、アイシャリア以外にとっては様々な意味で異様な光景かもしれなかった。


 夕暮れ時に買い物をする現地の人々。

 その間を行き交う行商人達。

 商隊の列が馬を連れて荷物を店々に運び。

 旨そうな匂いをさせて、路上には様々な屋台と料理が並んでいる。

 路上に品を広げている露天商は怪しくも珍しいものばかり。

 生活用の食器や雑貨。

 銅や青銅製の装身具アクセサリ


 小瓶に入った薬らしき液体を売る者もあれば、用途の分からない魔術の道具を売っている者もいる。


 行き交う人々は薄手の綿や麻布によって造られた上下を着込んでおり。

 雑な縫製から衣装が綻んでいる者も多い。

 大声を上げて商品を注文する声が行き交い。

 儲け話に食い付く笑い声。

 酒の入った杯を掲げて乾杯する男達。

 仕事収めに食事をするギルドの子弟達。

 母に付いて来て、友を見つけて走っていく子供達。

 夕景に空を見上げて、明日の天気を見る老人達。

 路上の馬に鎖に繋がれて、項垂れている奴隷達。

 混沌とした通りの惨状。


 アザヤとアージャにとっては自らの故郷にいる人々の総数すら超えているかもしれない人出と活気。


 年に一度の祭りでもそこまで賑わう事がないからこそ、故郷とエイゼルとの間にある自力の違いがヒシヒシと二人には感じられていた。


 少年にとっても、その光景は正しく眉を顰めるに値するだけの状態だろう。


 彼の属する共同体における法規に照らし合せれば、極めて重い処分の対象にされてもおかしくない活動が活発に見受けられる。


 クェーサーが言ったのは特に言わなければならない事ばかりであって、それ以外にも沢山の信じられない状況や状態があった。


 例えば、売られている食料。

 肉の串焼きが食される光景。

 これだけでも彼には三十六の法令違反が分かった。

 その主要なものだけ上げても、四つは軽く言える。


 1商品の詳細情報の提示が行なわれていない。

 2原始食料とはいえ、適切な衛生管理が行われていない。

 3適切な摂取量が表示されていない。

 4明らかに生体活動を行う為に必要とされない有害物質が多量に含まれている。


 つまり、簡単に、サックリと言葉にするならば、彼は引いていた。

 ニュアンス的には眉を顰めるとか。

 そういうものを超えて、ゾッとするという状態にも近い。


 無論、今までアザヤを拾ってからそういった光景は山小屋の老人しかり、アザヤ当人やヴァスファートの兵達の様子も含めて目撃していたが、それは戦闘行動中だから、という名目で彼は納得してきた。


 しかし、少なからず戦闘行動とは無縁そうな場所で行なわれている活動の大半が洗練とは程遠いとなれば、さすがに言い訳とはならない。


 文明のレベルが低い事は少女達との出会いの中で幾らか学んでいたので、その思いはまったく表に出される事も無かったが、半眼になった少年は奇奇怪怪なる原始世界の有様から微妙に視線を逸らした。


「………」

「どうした? アザヤ」


 ふと逸らした先の少女の様子がおかしい事に気付いて彼が尋ねるも。


「え? 少し、奴隷がその……多いなと……」


 彼女はそう答えただけだった。

 その見ていた方角を向けば、奴隷達が暗い顔で驢馬や馬の横で鎖に繋がれている。


「奴隷は穢れていると言われていますが、彼らのような人々は……いえ、何でもありません」


 この世界にも一応は人権の萌芽。


 同族に対する扱いの忌避を感じる感性が育っているのだろうかと少年は僅かに内心で喜ぶ事とした。


 きっと、そういうものの原点はこのような純粋な少女が持つ素直な思いに違い無いだろうと。


「その……そろそろ宿を取りたいと思うのですが」

「宿?」


「ええと、何処かに落ち着ける場所を見つけたいと。それでお金で場所を提供してくれるところがありまして」


「そうか。任せる」

「は、はい!!」


 その言葉に嬉々として頷いた彼女の言葉に思わずアイシャリアが食って掛かる。


「ちょ、ちょっと待ってくださいまし!? わたくしの家に向かうべきですわ!! 一国も早く父や母を助けなければ!!」


 思わず叫んだ彼女にアザヤが人差し指を唇に付けるジェスチャーをした。


「―――?!」

「静かに」

「な、何ですの?! 今の!!?」


 思わず沈黙を強いられたアイシャリアが目を白黒させる。


「ヴァーチェス様から頂いた神剣の力だ」

「ま、まさか、神のまじないだとでも……」


「その通りだ。貴女を元に戻す為に出会った時に使った。今後もこの力は作用する。まぁ、そう使う事も無いだろうが、周囲にはこの力が効き難い兵達もいる。叫ぶような事は控えてくれ」


「わ、わたくしが、こ、こんな屈辱を……ぅぅ」


 知らぬ間に支配者が変わっていたような愕然ぶりでワナワナとアイシャリアが震えるも、アザヤがとりあえず王城には向かわない旨を言葉にした。


「一刻も祖国を救いたい。家族や故郷の人々を開放したい。その気持ちは理解出来る。しかし、もう夜だ。そして、我々にはヴァーチェス様の力があっても、根本的に味方がいない。一旦、落ち着ける場所に入って、今後の詳細を詰めた方がいい。それとも、王城に雑な作戦で突入し、相手に人質を取られたりする方がいいか?」


 アザヤの的確な反論にアイシャリアが正論だと更に言い募ろうとした唇を閉ざした。


「……言う通りでは、ありますが……」

「詳細は明日にでも。我々もかなり疲れている。今は少しでも休んで備えよう」


「……分かりましたわ。確かにこの疲れた状態のまま、何かをしても失敗を重ねるだけでしょう。呪いの事は後で追及しましょう。はぁ……」


「何処に行くの?」


 諦めたお姫様はシンナリと悄気た様子で溜息を吐いたが、アージャは空気を読まなかった。


「安い宿を見つけよう。ヴァーチェス様もそれでいいでしょうか?」


 コクリと頷いた少年の肯定を確認して。

 アザヤは三人を先導するように先頭に立ち、宿屋を探して歩き始めた。


 結局、自分がした事に引け目を感じていたアイシャリアはどうにも逆らえないと悟った後、大人しくアザヤの後ろに付いていく。


 まだ二階に空きのある小汚い宿屋が見付かったのはそれから少ししてからの事だった。


―――三十分後。


「どうして、わたくしがこんな場末の下宿に……」


 ブツクサ文句を言いながらも、とりあえずは落ち着いた様子でアイシャリアが寝台の上に座り込む。


 部屋こそ掃き清められているが、茶褐色に色褪せしたシーツを被せた硬い木製の寝台は彼女にとって知りたくない初体験となった。


「仕方ないだろう。我々は路銀も持っていない。かと言って、このまま夜を外で迎えれば、衛兵に見付かる……後でお金が出来たら、払いに来よう」


 ちなみに宿屋の店主をマルティテュードで懐柔した為、アザヤの物言いは歯切れが悪い。

 人間を管理する神剣の力の大きさはどんな罪をも無かった事に出来るものだ。


 実質関係ない人間に少年から託された神聖な力で物事を無理強いするのは彼女にとっても本位ではなかった。


 今日一日の目まぐるしさに疲れたのか。

 少し眠そうにしてアザヤがアイシャリアの横に腰掛ける。


「何でこちらに来るんですの? わ、わたくしそういう趣味はないんですから!! 止めて下さいまし!!」


「そういう趣味? 何を言っているのか分からないが、もう一つの寝台は当然ヴァーチェス様に使って頂く」


「え、あ、それは……で、では、あの子は?」


 ビシッと部屋の隅で眠そうに縮こまってウツラウツラしているアージャが指差された。


「勿論、こっちだ」

「こ、この狭くて硬い寝台に三人で寝ろと言うんですの?!」


 思わずアイシャリアが立ち上がった。

 木戸が一つに寝台が二つしかない部屋。

 しかも、建て付けが良いとも言えない。

 大声を出せば筒抜けだろうし、床を踏み鳴らせば、宿屋の主人からの文句もあろう。

 そんな事を心配して、アザヤが半眼になると人差し指をチョイと下へ向ける。

 すると、そのままアイシャリアはペタリと寝台に座り込んでしまった。


「ぅぅう、そ、その呪いも止めてくださいまし!!」

「じゃあ、せめて、足音は立てずにお願いする」

「分かりましたわ……はぁぁ」


 大きな溜息で故郷に帰ってきた少女は萎びた様子となる。


「ヴァーチェス様。此処まで来ましたが、何かお気付きになった事はありましたか?」


 今まで木戸の隙間から外を覗いていた少年が振り返って僅かに思案した。


「……兵達にはやはりマルティテュードの効きが弱い」


「はい。それは私も感じました。見えないように聞こえないようにと命令したのですが、僅かに見られていたようで目を擦る門の者達もいました」


「それと此処には魔術の反応が幾つもあるな」


「ああ、そうかもしれません。アンクトなどでは殆ど在り得ませんが、大きい街では魔術で夜の灯りを取ったり、魔術で種火を起こしたり、水を綺麗にするなど、生活に多くの力が取り入れられている国もあると聞きます」


「あ、当たり前ですわ。このエイゼルは大陸南東部の小国中でも、随一の魔術普及率を誇っているのですもの。小さな頃から都市の民達は自分の魔力形質を見定め、小さな術くらいなら毎日使っていましてよ。そこらの弱小国と同じにしないでくださいまし!!」


 鼻高々でフフンと誇るアイシャリアだったが、少年の椅子はひっそりと搭乗者の耳に推測を告げる。


「『技術体系は違えど、知的文明が到達し得る叡智には近付いている。そう見るべきかもしれません』」


 クェーサーの言葉にヴァーチェスが瞳を細めた。


「(だとしても、何処までのものか。分からないな)」


 一人と一機が脳裏で話す間にもアイシャリアの言葉にアザヤが沈んだ様子を見せる。


「そうだな。我が邦は魔術を使える者も殆どいなかった。使えていれば、火責めにあっても何とかなったかもしれない……」


「あ、いえ?! わ、わたくしはそういう意味で言ったんじゃ……」


 同意して気弱に頷いたアザヤにアイシャリアが慌てる


「一つ聞いていいか?」

「な、何ですの?」

「あのヴァスファートを消し炭にした力。あれはエイゼルが与えたものか?」

「え、あ、えと……その……」


 僅かに聞き耳を立てて、自分を凝視しているアージャの事を意識してか。

 言い辛そうにしていたアイシャリアだったが、さすがに誤魔化せなかったらしく。

 コクリと頷いた。


「少しだけ思い出してきました。ヴァスファートには誰かから、炎を出す石玉を与えるようにと言われて、それで……何処からか持ってこられたソレを……」


「それが城砦や森を焼いたのか」


 罰が悪そうにアザヤへアイシャリアの頷きが返る。


「で、でも!! あ、あれが暴発するなんて知りませんでしたわ!! ほ、本当です……」


 一体、エイゼルを操って後ろから糸を引く者はどんな理由であんな事をしたのか。

 それを思考する少女の表情は固かった。


「………お腹、空いた」


 ポツリと部屋の端で聞き耳を立てながら蹲っていたアージャが呟く。

 すると。

 くぅぅと愛らしい音が室内に響く。


「そう言えば、昼間から何も食べていなかったな。店主に頼んで何か持ってきて貰おう。後で払う金額を書き止めておかなければ……」


 出費が嵩むと溜息一つ。

 しかし、それも仕方ないと割り切った笑顔で。

 アザヤがイソイソと立ち上がると一階の酒場の方へと向かっていった。

 ギイギイと軋む廊下を歩いていく背中がパタンと扉を隔てて見えなくなる。

 すると、アイシャリアが立ち上がり、窓際の少年の傍に近寄った。


「ヴァーチェス様と御呼びしますが、一つ訊ねても宜しいですか?」

「何だ?」

「どうして、あの女は……わたくしの事を庇ったんですの?」


 昼間、本来ならばアイシャリアは死んでいた。

 炎の柱に巻き込まれて。

 それを回避したのはアザヤだ。


 肩をその時に一部焦がしたが、ヴァーチェスが傷と服を修復したおかげで今はピンピンしている。


 だが、もしそうでなければ、肩は確実に重症だっただろう。


 その時の事を少しずつ思い出せるようになって、落ち着きを取り戻したアイシャリアにはそんな行動がまるで理解出来なかった。


 不可解ですらあった。

 明らかに敵でしかなかった自分を庇う理由。

 それは如何なるものか想像も出来ない。


「わたくしは操られていたとはいえ、敵で……あの女はわたくしがけしかけたヴァスファートに家族や故郷の者を殺されたのでしょう? 普通なら、殺してしまいたいと思うはずです」


「それで納得出来るなら、そうしている」

「納得?」

「アザヤ・ウェルノ・アンクトは善良だ。自ら納得出来ない事は決して看過しない」

「そ、それだけ、ですの?」

「それだけだ」

「信じられないくらい、強いんですのね。あの女は……」


 僅かにアイシャリアの視線が俯けられた。


「わたくしは操られた挙句に多くの人間を死に追いやった。けれど、あの女はそんなわたくしすら助けてみせた。わたくしのような薄っぺらいお姫様とは違う。如何に小邦とはいえ、真に矜持ある者の振る舞いです」


「……褒めているのか?」

「悔しがっているのですわ」

「どうしてだ?」


「わたくしは自分で言う程、何かを為せる力がありませんもの。神である貴方とて、ああいう本当の清廉さを持っているから、お力を貸しているのでしょう?」


「………」

「見れば、そういうのは分かりますわ。人を見る目だけはあるつもりですから」


 それを今まで聞いていたアージャがポツリと呟く。


「あのオンナ、敵なのにご飯くれたの。朝も……今だってアタシ達に行かせればいいのに……」


「そうですわね。あの呪いがあれば、簡単な事でしょうに」


 苦笑したアイシャリアが再び寝台に戻って足を抱えるようにして蹲る。


「疲れましたわ。これなら、このまま眠れてしまいそう……人間て便利な生き物……ですわ、ね………」


 そのまま言葉が途切れ、本当に寝息を立て始めるアイシャリアに続いて、アージャもまたスゥスゥと小さな寝息を立て始める。


 今日一日で多くの出来事があった。

 父親を亡くし、故郷の者が炎に巻かれ、自らの手が汚れていると知る。

 それだけで十分に彼女達は一杯一杯だっただろう。

 その上に神だの何だのと言われて、混乱しないわけがない。


 それでも何とかエイゼルに辿り付いたのは一重に真実を知りたいという思いと強い意思故だ。


「……安らかに眠れ」


 そろそろ宵も過ぎる頃合。

 薄暗い部屋の中で少年はアージャを抱えるとそのままアイシャリアの横にそっと並べた。


「………」


「『第一次解析終了。魔術の反応を解析した結果。検知用理論モデルの構築に成功しました。今後、最低限のリソースで半径190km圏内の魔術行動に対して発動準備の段階から検知が可能となります』」


「他には?」


「『特異個体アイシャリアの記憶野より魔術の痕跡を解析。幾つかの事実が判明。脳器質に一種の回路サーキットが構築されていた可能性有り。魔術による特異な別領域との交信でこれを維持管理し、ナノマシン群体による掌握に拮抗していたと推測されます』」


「脳機能の改変と構築。随分と高度だな。文明レベルに対して魔術だけが技術レベルを遥かに凌駕しているのか?」


「『肯定。現在、検知した魔術の解析を進めていますが、発生する物理量エネルギー大本リソースは空間内に存在していても、我々が行なう通常の観測行為では認知が不可能である要素と推測』」


「光波で認識出来る類のものではない、と?」


「『魔術の動力要素は特殊な認識によってのみ現実へと干渉し、物理量に変換されていると見るべきです』」


「なら、その認識を解析すれば、魔術が発動出来るか?」


「『回答不能。解析結果によります』」


「分かった。法則干渉のこともある。後は気長にやれ。それとこの子達の精神の安定を最優先に」


「『了解しました』」


 言葉が終ると同時。


 扉がゆっくりと開かれ、大きなバスケットに大きな麺麭パン燻腿ハムの塊、葡萄酒らしき瓶とナイフを一本入れてアザヤが戻ってきた。


「あ……余程に疲れていたのでしょうか」


 二人が眠っているのを見て、ひっそりと忍び足でもう一つの寝台の方へと座り込み、バスケットを置いた少女が自分も何処か疲れた様子でゆっくりと息を吐く。


「疲労しているのなら、お前も休め。アザヤ」

「はい。もう少ししたら、そうしようかと」

「もう少し?」


 声を潜めて少女が頷く。


「……ヴァーチェス様」

「何だ?」

「少しだけ。黙って聞いていてくださいますか?」

「構わない」

「では……その……」


 既に夜。

 木戸の外から僅かに漏れる通りの明かりが少女の顔に薄く陰影を刻んだ。


「私は、アザヤ・ウェルノ・アンクトは混乱しています」


「………」


「故郷が襲われた事。襲った者達がけしかけられていた事。嗾けた者達が操られていた事。どうして、何で、私達があんな目に合わなければならなかったのか。どうして、父上が死に、街の者が犠牲にならなければならなかったのか。どうして、私みたいな守る力無き者が生き残り、無垢な幼子が生き残れなかったのか。どうして、私だけがヴァーチェス様に救われ、他の者が救われなかったのか。いつもいつも多くの兵にお嬢様扱いされていた私のような者ではなく。しっかりと訓練を積んで、剣の腕や交渉出来る年齢の者が生き残り、救われていたなら、今よりもっと何か出来たのではないか。どうにか民を救えていたのではないか。そんな事ばかりが……今の私の中に在ります」


「………」


「私は弱い女です。本当は貴方様に救われる価値なんて無い女です。神剣だってもっと上手く使える人間がいるはずです。言葉ばかりで中身が伴わない私は人として失格です」


「………」


「本当は可愛いものが好きなんです。剣は必要だと思ったから、必要になると知っていたから、やっていただけで。昔は自分だってお姫様だから、きっと王子様がやってきて、国を助けてくれるんだと思っていました。それが現実的では無いと知って、私は自分で国を率いられるような立場になれればと男達に混じって剣を習いました。いえ、その時だって本当は御伽噺の王子様に付いていければ、なんて子供心に思っていたんです。そうして、幸せな結婚をするのだと御伽噺を夢見ていた……国を護れるんだと思っていた。今にしてみれば、馬鹿馬鹿しい限りですが、私はそういう夢見がちで馬鹿な子供だった」


「………」


「小さな実りも無い邦ですから。本当はお裁縫が好きだとしても、戦わないと生きていけない。それが本当の意味で分かるようになっても、私は何も変わらなかった。誰かに助けて欲しいから強くなった。誰かに連れ出して欲しいから、戦う術を磨いた。そして、今は貴方様に救われたから、こうして此処にいる」


「………」


「父を殺され、最後の瞬間に願った選択肢。それが本当になった時、私は少しだけ嬉しかった。これで邦を救えるんだと。家族や故郷の者を救えるんだと。でも、此処まで来る途中で気付かされました。私は邦を救いたかったんじゃない。本当はちっぽけな邦に嫌気が差していた。本当はただ生きたくて、何処かに逃げ出したかった。父上の無念を晴らしたいと思ったのは本当です。あの炎の中で動けと、動いて邦を故郷を助けるんだと、片足の無い身体で思ったのも嘘ではありません。でも、邦を救いたいと願いながら、心の何処かで、もっと別の選択肢を探していた」


 その少年に向けられた顔は歪んでいた。

 今にも崩れてしまいそうな程に。

 無理も無い。

 少女は然して特別ではない。

 強がっていても年齢相応の子供だ。

 更に言えば、一人で背負うには大き過ぎるものを数日で背負い過ぎた。

 その口から漏れるのは少女の切実な想い。

 懺悔に違いなかった。


「本当は……私は……誰かに縋る事しか覚えなかった馬鹿な娘です。父上と母上に縋り、邦と御伽噺に縋り、意地汚く、生きたいと願いながら、今とは別の選択肢を望んで、貴方に今も頼り切って……自分では何も出来ない、そういう女です。私は……」


「………」


「済みません。こんな……これもまたヴァーチェス様に甘えているだけ、ですね……」


 少年は木戸を少しだけ開けて。

 椅子をクルリと回し。

 顔を歪めて何かに耐える少女を見つめる。


「………随分と昔になるが」

「?」

「まだ、このそらにある全ての星々に希望が残っていた頃の事だ」

「希望?」


 少年は頷く。


「とある場所で生まれた子が星に願ったんだ。どうか、この世界が幸せでありますようにと」

「幸せを星に、ですか?」


 御伽噺なのだろうかと。

 彼女は静かに訊ねる。


「ああ、そうだ。その子がいた場所ではそれが普通だった。けれど、やがて大人になったその子は大きな力を手に入れて、この世界が幸せとは程遠いのだと知った」


「力を手に入れて、現実を知ったのですか?」


 いつも遠くを見つめている少年の瞳が僅かに伏せられた。


「そうかもしれない……世界は幸せとはまるで違っていた。滅びる事が既に確定していた。それがもうすぐにでもある事なのだと知って、その子は自らの全てを捧げて、滅びと戦った」


「滅び……」


「それは……随分と永かった。それは永遠なんて言葉にも等しかった。仲間達は次々に倒れていって、それでも何度も何度も戦って、何時の間にか……その子は一人になっていた」


「一人? 家族や故郷の方はいなかったのですか?」


「いなかった。その子が戦っていた滅びで、その子の故郷は滅ばなかった。だが、その子は永く生き過ぎた。全てが終った頃にはもうその子の故郷は自然に衰退し、人は誰も残っていなかったんだ……」


 小さな邦で育ったアザヤにとって、それは自分の故郷にも有り得る事だとすぐ理解出来た。


 数十年もあれば、小さな邦や村なんて消えてしまう事が多々ある。

 自然に衰退し、今はもう存在しない地域の名前がアンクトの周囲には幾つもあるのだ。

 故郷を失いつつある彼女にとって、その物語は他人事とは言えない。


「その子には仲間達がまだいた。だが、その子と同じ力を持っていても、彼らはその子とは違う場所を故郷としていた。だから、その子はようやく滅びを滅ぼした頃、自分のような人間が出ないよう、永遠に戦い続ける事を決めた」


「そんな……永遠に戦い続けるなんて……」


 アザヤの言葉に哀しげな響きが篭る。


「その子はもう同じ力を持つ他の誰よりも旧い存在になっていた。誰もその子の故郷の事を知らないし、誰もその子がいつからそうしていたのかも知らない。でも、その子にとって、それは然して問題じゃなかった」


「そんな……それではあまりにも……」


 報われない。

 そう呟こうとしたものの。

 少年の顔を見て。

 少女の言葉は途絶える。


「何故なら、例え希望が残っていなくても、人は前に進める。例え、眼前に死しか残っていなくても、人は前に進める。その子はそれを知った。絶望の淵を通り過ぎても、やはり命ある限り、前には進む。そうして、その後ろには必ず道が出来る」


「道……」


「そうだ。自分の前を行き過ぎた者の道。それが今もある限り、自分もまたその先へ往ける。何処かで道が途切れても、誰かがまた必ずその道の先へと往く」


 少年がアザヤの瞳を覗き込む。


「何かに縋っているのは誰も同じ。いや、きっと誰一人として否定出来ない事実だ。だから、人は先へ向かえる。後に続く者が途絶えぬ限り、きっと進み続ける事に意味があると、後から続く者達がそれに意味をくれると信じて」


「―――」

「お前の縋る者達が残した道は無駄なものか? アザヤ・ウェルノ・アンクト」

「絶対にそんな事はありません!!」


「ならば、縋っても、悩んでも、前に進め。それがお前を生かして消えていった者達への礼であり、お前が生かして後を進むだろう者に対して持つ最低限の義務だ」


「ヴァーチェス様……ぁ」


 思わず力んで力が抜けたせいか。

 僅かに体勢を崩したアザヤの体が抱き止められ、そっと寝台へ横たえられる。

 少年が籠を自分の横に引き寄せた。


「熾きたら、食べるといい」

「ですが、この寝台はヴァ―――」


 ピタリと人差し指が唇を留める。


「いいから眠れ。お前には今、それが必要だ」

「……はぃ」


 小さな声でコクンと頷いて。

 アザヤが瞼を閉じる。


「星に願いを。天に祈りを。お前の往く道行が幸せである事を信じている。アザヤ」


 そう言い置いて。

 少年もまたそっと瞳を閉じる。

 それから少しして。

 少年にも少女にも聞こえぬようにポソポソと二人の少女が互いに囁き合った。


「(み、見てはいけないものを見てしまった気分ですわ///)」

「(カミサマと人間て。アカチャン出来るの?)」


 少女達がわざとらしく熾きたフリをして、静かに食事を始めるのはそれから小一時間後の事だった。


 *


 ふと気付けば。

 私は神剣マルティテュードを握り締めていた。

 何かが頭の中から抜け落ちたような感覚。

 今日はもう眠ったはずなのにおかしい。

 周囲を見渡すと私は街の空に浮かんでいて。

 ようやく、自分が一糸纏わぬ姿だと知る。

 でも、何故か。

 恥しいとは思わなかった。

 チラリと自分のいた宿屋を見ると木戸の間からヴァーチェス様が見える。

 その傍らの寝台には私の顔が眠っていた。

 どうやら、もう夜更け過ぎ。

 街には僅かな灯りが付いた場所がポツポツとある。

 砦の門に壁上の見張り、城の尖塔と大門。

 光は煌々と途切れる事なく。

 今も輝く。

 道にはあまり人がいない。

 しかし、何かを作る工房らしき場所からは人の気配がしていて、まだ煙が上がっていた。

 気になって地表まで降り、木戸の合間から覗いてみる。

 すると金槌で何か叩く音と声が聞こえた。


『親方ぁ。今日の生産はもうお終いにしましょう。もう夜中ですよ』


『王城からの注文だ。全身鎧フルプレートを1000着とその補修部品500組。三ヵ月後までに仕上げなきゃ、首が飛ぶ』


『つったって、んな無茶な注文土台無理ですって。ウチには魔術師なんていませんし、職人だって十人いないんですよ? 王宮の方に今有る分を納品して、随時追加してけばいいじゃないですか』


『……本当に首が飛ぶぞ?』

『じょ、冗談っすよね?』


『近頃、王城がおかしいってな噂はあったが、今じゃ兵隊の連中も何かおかしい。それに知ってるか? 今日、王城勤めの奴が言ってたんだが、全身鎧の部隊が一つ何処かに行って戻ってきてないらしい』


『も、戻ってきてないって……それってどういう事っすか?』

『さぁな。だが、戦場に行くわけでもねぇのに鎧ガッツリ着込んで何処行くってな話だわな』

『もうすぐ戦っすかね?』

『知らんよ。そうなれば、小国なんざ、周辺の大国のどっちに付くかでもめるだけだ』


 そのまま愚痴が続くのを見て、私は再び空に飛び上がる。

 大きな街だ。

 エイゼルには幾つも村や街がある。

 鎧をそんなに作ってどうするのか。

 確かに不可解に違いなかった。

 情報こそあまり入ってこないが、アンクトにも周辺国の動静は伝わっている。

 少なくとも近年、この周囲にある大国が戦をしそうという話は聞いた事がない。


 ただでさえ、旱魃やら飢饉で不安定なアンクトを中心とする小さな邦や村々は治安が猛烈に悪い。


 比較的、食料が取れる場所はまだいい。

 しかし、僅かな実りで細々と暮していた場所は今や廃墟になるところが多数。

 村を棄て、別の大きな街や邦に逃げ出す者いる。

 そんな状態の地域で鎧を大量に必要とする理由がまず思い付かなかった。


「?」


 周囲を見渡すと今度は王城の方に目を惹かれる。

 それと言うのも城の中に併設された教会講堂に僅かな明かりが付いていたからだ。

 そちらに降下していくと衛兵達が周囲の警戒していて。

 しかし、こちらにはまるで気付く様子も無い。

 手を目の前でヒラヒラと振って見ても、何一つとして反応が返ってこなかった。

 ならば、と。

 大扉の横にある小扉開こうとして―――手がすり抜ける。

 思わず目を丸くした。

 どうやら、ものは擦り抜けてしまうらしい。

 少しだけ腕を出して確認し、これなら入れるだろうかと目を瞑って内部へと飛び込む。

 その先にあったのはズラリと並んだ長椅子と大きな伽藍。

 そして、講堂奥にある聖壇と背後の大きな聖硝子イコン


 薄暗くて、あまりよくは見えなかったが、大いなる神を表わす光の球と周囲に屯する天使達の図は朝になれば、とても美しいのだろうと思わせられた。


(あそこか)


 光の出所は壇上。

 洋光ランプが一台置かれている。

 其処には数人の男達が集まっていた。

 その姿は兜だけを脱いだ全身鎧に灰色の外套を着込んだ兵らしい壮年の男が二人。

 上等そうな教会の白の布地に金糸の刺繍を施した法衣を着込む男が二人。


 高そうな革製の羽織ジャケットを着込んだ人相の悪い髭面で頭を丸めた少し背の低い三十代の男が一人。


「―――」


 その時、私の頭は確かに沸騰していた。

 何も考えず。

 ただ、突撃し、そのまま、男の体を拳が突き抜けて、ようやく悟る。

 今の自分が相手に見えていないにように相手も自分に触れられないのだと。


『そっれにしても豪華な教会だ。けっ、いけすかねぇ』


 父上の仇。

 裏切り者はすぐ目の前。

 その声を聞いているだけで殴り掛かりたくなる。

 しかし、それも叶わない今、出来る事は男達の会話を聞く事だけだった。


『さぁ、そろそろあの方が来る』

『ああ、我等の王が来る』

『迎えよう。王を』

『そうしよう。王こそが我らを導くのだから』


 五、六十代の男達の中で裏切り者の三十代の男は薄気味悪そうに四人を見ていた。


『ったくよぉ。こんなのしかいねぇのかよ。お人形さん遊びが好きな奴のことは分かんねぇや』

『ならば、お前もそうなってみるか?』

『?!』


 男達の前にやってきたのは白いガウンを羽織った太り気味の男。

 体格に比例してか。

 それなりに口髭で威厳を備えていたが、それにしてもガウンの下は寝間着だった。

 大きな白い下着ズボンに上着。

 そして、頭の宝冠。

 それが一体誰なのか。

 一目で分かるものの、服のせいで全てが台無しかもしれない。


『あ、あはは、じょ、冗談ですよぉ。バラフスカ王』


 やはり、そうだと確信する。

 其処にいるのはエイゼルの現在の王位に就く男だった。


『では、これより確認する。部隊は整ったか? アインツ。アイラスカ』

『『全て滞りなく』』


 全身鎧の二人の男が頷いた。


『では、信者達の方は?』


 教会の司教だろう二人が答える。


『明日にもヴァスファートの蛮行によってアンクトが滅んだ事を通達し、ヴァスファートの討伐及び、アンクトの統治を開始する旨を伝えます。また、周辺の村落と周辺の大国にいる司教達にもこの情報は抜かりなく』


『この一年程を掛けて行なってきたの効果により、ヴァスファートに同情する輩は皆無でございます。また、治める者無き忌み地を治めるものはバラフスカ王をおいて他に無いとの声も順調に高まっております』


『よろしい。ご苦労だった。ボルスト、ベイグ』


 バラフスカ王と呼ばれた男が最後に残った相手を見やる。


『それであちらに向かわせた部隊から連絡は?』

『え? あ、あ~その、なんつーか。ありやせん』

『どういう事だ? ザイラル……』

『い、いえ、どうと言われましても』


『我が娘と共々に送り込んだのは最精鋭。それにヴァスファートに渡した罠も発動させたのだろう? どうして連絡が無い?』


『い、いやぁ~~どうしてでしょうねぇ~~確かめようにも転移の魔術方陣が途中で切れちゃいまして』


『馬鹿な。方陣の敷設はお前に任せた仕事だ。何か不備をやらかしたな』

『い、いえ!!? と、とんでもない!!? た、ただ、きっと、魔力切れってやつじゃねぇかと』


『魔力切れ? 積層魔力の結晶は一月は持つはずだ。敷設時に使えば、問題なく動くものが何故半日で動かなくなる?』


『ど、どうしてでしょうねぇ』

『人形にするべきか。貴様を?』


 バラフスカ王の凍える瞳を前にして男がブンブンを首を横に振った。


『ひ?! ちょ、ちょっと小遣い稼ぎに結晶を売っただけじゃねぇですか!! も、もし、必要なら、こっちでもう一回補充しに行きますから!! ど、どうか、それは止めてくだせぇ!?』


『次は無いと思え』

『へ、へぃ……』


『では、明日。ヴァスファート残党の討伐に出る。残っているのは土人の女子供。容赦する必要は無い。略奪し、奴隷として我が国の糧とせよ。一匹たりとも逃すな。城と砦の方は任せたぞ。その後、アンクトに直接進軍する。奴隷用の荷馬車と進軍用の馬だけは万全にしておけ』


『『『『了解致しました』』』』


 男達が頭を下げ、登壇用の通路から消えていく。

 一人残った男ザイラルにバラフスカ王の冷たい視線が送られた。


『お前は朝一番にアンクトへ向かえ。兵舎の方に用意を届ける。次は無いと心得ろ』

『へ、へぇ。了解しました』


 私はその背中が消えていくをジッと見つめる。

 名前は覚えた。

 これが夢だとしても、決して忘れないだろう。

 そして、これからやるべき事もまた見えた以上。

 こうしていられないのは明白。

 何がどうしてこんな姿で宙を漂っているのか。

 分からずとも、やらなければならない。

 それだけは何処か茫洋とした意識の中でも鮮烈。

 アンクトのように今度はヴァスファートまでも滅ぼうとする。

 それが如何なる理由か知らずとも。

 もう、自分のような思いをする人間は見たくなかった。


『……誰だ?』


 初めて、私は驚きに固まる。

 バラフスカ王。

 アイシャリアの父が何処か虚空に視線を彷徨わせながら、呟く。


『そうか。あの娘との【経路チャンネル】を切ったのはお前か。何処の人間か知らんが、余計な事をしてくれた』


 その物言い。

 既に男の中身が別人である事が分かる。

 王もまた操られている一人。

 そう考えれば、あの娘、等という言い回しにも納得がいく。


『貴様が大国の使いか。あるいは個人か。それは分からんが、アンクトとヴァスファートに手は出させん。いや、出そうとしたところでもう手遅れだ。明日にはエイゼルの軍が出発する。あの忌み地に何ら意味を見出さないのなら、大人しく引け。さもなくば、貴様は地獄を見る事となる』


 黙って私が睨み付けると王。

 その視線がゆっくりとこちらに向く。


『確かに伝えたぞ。これより先に立ち入るならば、全力で相手をしよう。何人なんぴとも起源には触れさせん!!』


 王から圧力のようなものを感じて。

 私は自分の姿が掻き消えていくのを見る。

 やがて、全てが闇に包まれて、意識が落ちた。

 それでも脳裏の何処かで何度も言葉が響く。


 起源。

 始まり。

 みなもと。


 それは一体、何の事なのか。

 分からず。

 でも、胸の何処かがザワついて。

 何かが抜け落ちた私は思考を続ける。

 それが自分の義務だからと。

 それがあのを生き延びた私の願いのはずだからと。

 戦いは真直に迫っていた。

 私という存在にとっても……きっと……。


 *


 その朝、人々がまだ明け方の雌鳥の声に目を擦っていた頃。


 既に出立の準備を整えた兵500名がこれから戦にでも出かけるのかという装備で砦の壁より先の荒れ野に集っていた。。


 鎖帷子、鎧はともかく。


 牛が引く戦車や人一人を容易に覆うだろう薄い鉄製の盾まで全軍が背中に装備している。


 未だ精練技術が高いと言えない地域一帯において、それは宝の山を身に付けているに等しい。


 誰の瞳にも何処か輝きが抜け落ちているのは魔術による支配が強まっている証拠か。

 最後尾には荷馬車が数十台。

 ヴァスファートで出来るだろう戦果を詰め込む為に控えていた。


 自らの街を護るほぼ全ての戦力が並ぶ壮観な光景を偶然に見たのは門の近くで立小便をしていた酔っ払いと怯えた様子で壁の上にいた猫。


 そして、異変を察知して静かに壁の上の通路に伏せていたアザヤ達だけだった。


 とても静かな兵達の招集はまだ僅かに闇が明るくなってきた頃から行なわれ、物音も殆ど立てず幽鬼のように整列したのはまったくもって不気味に過ぎた。


(あんな部隊が今のヴァスファートに攻め込めば、一溜まりもない……練度はともかく。あれなら大国と二度までなら数が倍以上でも何とかなる……まともに戦うのは無理か。まともではない方法でもどこまで戦えたものか)


 今、壁の上から体を低くして僅かに見ているのはアザヤとアイシャリアのみ。

 そんな心許無い状態でも彼女は臆する事なく。

 ただ、冷静に恐れ、自らの握る神剣を握り締める。

 昨夜の一件で情報を得た彼女が起きたのはつい二時間前。


 すぐ眠っていた仲間達にそれを伝え、ヴァーチェスにヴァスファートの救出を訴えた彼女は彼からの提案を受け入れ、最も合理的で最も自らを危険に晒す方法を取る事とした。


(ヴァーチェス様が軍を止める為の用意まで時間がいる。こんな状況で時間稼ぎが出来るのは私しかいない……)


 彼らの話し合いで問題になったのは主に軍の止め方だ。

 単純な軍事力であるならば、神剣による支配でどうにかなる。

 しかし、魔術による支配を制止するには神剣の力で直接頭部を斬り付けるしかない。

 行動こそ遅く出来るが、それも大人数を相手にしては利きが悪く。

 また、完全な行動停止にまで到らせるには時間がいる。


 更に言えば、前日にアザヤのとった行動で相手が警戒しているとすれば、どんな対策を取られているか分かったものではない。


 結局のところ最後に彼女が縋るのは神剣と少年。

 そして、出来る事は二つの力を最大に活かす為の状況を生み出す事だけだった。

 別れたのもその為だ。

 アイシャリアはアザヤと共に足止めを。


 その時間を使って少年は軍を止める為に力を溜め、アージャは故郷に危機を知らせに向かう。


(考えるな。アザヤ・ウェルノ・アンクト。もう決めたではないか。故郷を救い、この禍を止めると。その為に今行動せずして、いつ行動する。死にたくないは皆誰も同じ。あの炎に巻かれた時、本当は死んでいなければならなかったのだ。あのに感じた屈辱と絶望と熱さに比べれば、高々五百の兵が何だと言うんだ)


 握り拳が今にも震え出しそうな太腿を叩いた。


「大丈夫ですの?」


 横からの声。

 アイシャリアが気に掛けた様子でジッとアザヤを見ていた。


「ああ、大丈夫だ。私がいなければ、この作戦は成り立たない。それすら、大半は貴女に任せる事となる。怯えていられない」


「怯えていないとは言わないんですのね」


「自分を偽っても何にもならないのは状況を見れば、分かるだろう? 私は貴女を全力で守る。だから、貴女も自分の役割を果たせ。自らの故郷に罪をこれ以上犯させるな。アイシャリア・アシト・エイゼル」


「分かっていますわ。父すら支配に呑み込まれているとの話はこの光景を見る限り、本当なのでしょう。ならば、一世一代の演説を打ちましょう。見ていてくださいまし。背中と命はお預けします」


「その豪胆さが羨ましい。私もそのように生まれ付いたなら、少しは何か違っていただろうか」


「何も違いはしません。貴女もわたくしも所詮、人でしかありませんもの」


 その飄々とした言葉にアザヤが目を瞬かせる。


「……もっと、貴女は他者を見下した傲慢な人だと思っていたが、どうやら違うらしい」


「傲慢ですわよ。わたくしは自分がそうであると知っていますもの。劣っている者は劣っていると思います。違うものは違うと申します。確かに文化や人倫において劣るヴァスファートという民を土人と謗りもしましょう。でも、その人として生きる同じ想いを否定するつもりはありません。その違い、差、想いこそが我らを我らたらしめているのですから」


「違い、か……」


 それ故にまた争いも起るのだと故郷が火に飲まれ知ったアザヤが唇を微かに歪める。


「貴方がわたくしよりも余程に清廉である事も、貴女がわたくしよりもずっと高貴である事も、それは事実でしょう?」


「私はそんな女ではない」


「そうかしら? 生まれながらにして持つ血筋、貴女を取り巻く多くの人、貴女に繋がる大勢の祖父達が築いてきた全て、それが今の貴女を形作っている。その結果をわたくしは素直に見ているだけですわよ」


「……私よりも貴女の方が家の格も血筋も上だろう」


 アザヤが呟くとアイシャリアが溜息を吐いた。


「自覚はないんですのね。でも、そういうものですわ。無論、貴女の言った通り。エイゼルは大きく、わたくしの血は高貴。でも、真なる高貴を宿した者、人を導くに足る宿命さだめを持つには天性の素質が要ります」


「素質?」


 自嘲気味に目尻の化粧をなぞって、少女は瞳を閉じる。


「それは磨けるかもしれませんが、輝きは人それぞれに違う。わたくしはそういうものを見るのに聡い方だとの自負があります。そのわたくしから言わせれば、貴女は最後まで遣り遂げるでしょう。貴女の色はそういう色です」


 思った以上に高い評価を受けて、アザヤがどう返していいか分からず困った表情となる。


「買い被りだ……」


 言って捨てる彼女に肩を竦めて。

 アイシャリアは既にいつ動いてもおかしくない軍に号令が出るのを待った。

 足止めする機会は出発の寸前。

 出端を挫く事で相手の注意を惹き。

 出来る限り、時間を引き延ばす。

 その為の策は既に立てられていた。


「そろそろですわ。準備を」

「ああ」


 旭が薄らと空を染め上げ、風が周囲に吹き始める。

 今まで時間を見計らっていたのか。

 騎乗の人となったバラフスカ王が軍の中央で手を上げ―――。

 途端、大きな爆発音が街のあちこちで上がった。

 思わず反射的に背後の街を見た男達がざわつき出す。

 支配されていると言っても、あまり思考能力を奪えば、木偶人形。

 ある程度は自立して動いていると事前にヴァーチェスが二人に教えていた通り。

 複数の兵が馬を駆って城門の方へと向かう。

 そうして数十秒後。

 未だ残っていた守備隊の兵が駆け出してくる。


『伝令!! 伝令!!』


 バラフスカ王の付近にまで寄った男の声は大きく響いた。


『げ、現在、突如現れた兵士と思われる者と交戦中です』

『何? 状況を詳しく教えろ!!』

『敵の数は!!』


 バラフスカ王の横に付いていた二人の壮年の男。

 前日の夜。

 教会に集まっていた二人の全身鎧の男達が大声で訊ねる。


『は、はい!! も、申し上げます!! 敵、数は不明!! 尚、城内部に既に侵入している模様!! また、高位魔術師と思われる者達からの攻撃でしゅ、守備隊の一部が壊滅しました!! こ、このままでは王城と周辺を制圧されます!!』


 二人の男。

 緑の腕章を付けた風貌鋭い白髪をオールバックにした男は王の左腕

 アインツ・エイルは今も胡乱なままだったものの。

 すぐに判断を下して、兵の一部に号令を掛け、門の内部へと向かわせた。


『どうしますか? 王よ』


 赤の腕章を付けた巌の如き浅黒い肌に筋骨これ大木の如き赤髪の男。

 アイラスカ・ゴームが主に尋ねる。


『……短時間で片付けられるか?』

『魔術を使える者と弓兵を三十ばかりお貸し願えれば』


 王の右腕と称される男が深く頷いた。


『よい。貸し与える。どうやら、昨日の鼠が動き出したようだな』

『鼠?』

『こちらの事だ。さっさと退治してこい』

『了解致しました』


 数人の兵と弓を携えた者を率いて、自ら兵を率いたアイラスカは馬を走らせ、門内部へと入っていく。


 王もその両腕たる男達も最後まで気付かなかった。

 あまりにも兵が的確に相手の事を報告している、という一点に。


 本来の洞察力が発揮されていれば、それに違和感も覚えたのだろうが、今現在彼らを含めて兵の誰もが、バラフスカ王を支配する何者かによって操られている。


 その偽証を見抜ける者は誰一人としていなかった。

 そう、全ては嘘。

 最初から短時間でアザヤが仕込んだ偽の襲撃だ。


 幾ら操られていようと神剣の能力を限界まで効かせれば、ある程度は流暢に喋らせる事が出来る。


 王と軍までも支配下に置いている者が一人一人の情報一々把握していないとすれば、自分の操っている兵が別人に操られているという状況は想像し難い。


 正しく別れる前のヴァーチェスが言う通り。

 事は成った。


 今頃守備隊は謎の襲撃者となって、城の出入り口に物を積み上げ、少年が予め作っておいた爆発音だけを響かせる小さな黒い球スピーカーをあちこちに仕掛けている事だろう。


 こんな小さなものに大きな音を響かせる力があるのかと驚いた彼女達だったが、それは何の支障も無く作動し、軍を足止めする事に成功している。


 此処からが本番。

 相手へ次々に異常事態を突き付けて、時間を稼ぐ作戦。

 その第二段階の時だと壁の上からバサリと翼がはためく。

 わざとらしい登場。

 動揺している兵の間から声が上がる。

 一体、あれは何だと。

 弓を引こうとする者がいたものの。

 低空飛行でやってくる顔を知っていれば、射れるはずもない。

 アイシャリアの顔は確かに相手からの攻撃を防ぐに十分な効果があった。

 鋼色の翼を纏う者。

 それはまるで教会の神に仕える天使とも見える。

 バサリと王の傍へ寄るようにして降り立った二人の周囲から人が退いた。

 さすがに警戒しているが、その相手が王の娘とあっては剣を向けるわけにもいかず。


 かと言って、そのまま相手を素通りさせるわけにもいかないと兵達が馬上の主を守るように密集し始める。


「おお、帰ったか。アイシャリア」

「ええ、ただいま帰りました」

「して。その翼は何だ?」


 まるで動じた素振りも無い男。

 父の瞳にアイシャリアが唇を噛む。


「……一体、貴方は誰なんですの? 何処かの誰かさん」


 その言葉に男の唇の端が歪んだ。


「そうか。鼠に誑かされたか。娘よ」

「いいえ、誑かされたどころか。支配されているのはお父様。貴方の方ですわ」

「何を言うかと思えば……」


 肩を竦めた男の周囲。


 今までまだ理性の色が幾分か残っていた男達が虚ろな表情となって剣を引き抜き始める。


「お前が何を言おうともうこの兵達には届かない。そして、この父にも届く事はない」

「何たる事?! 何処の魔術師か知りませんが、我が父を返しなさい!!」


「はははは、だから無駄だと言っている!! 正気に戻されて絶望を味わう必要も無かっただろうに」


「一体、どれだけの人間を支配しているのです!!? こんな事をして許されると思って!!」

「誰が許される必要があるのか問おうか。小娘……我はバラフスカ王そのものだぞ!!」


 ジャキリと剣が構えられ、鎧が鳴る。


「人の親を、エイゼルの兵を、教会の人間を自らの魔術で操って、一体何をしようと言うのです!! エイゼルの民を一体、何だと思っているのです!!」


「何かだと? 決まっている。私の駒だ。盤上の遊戯のように強い駒さえあれば、私は辿り着ける。そうだ。何者をも超えるだけの力を手に入れられる。貴様等Aを継ぐ者や下々たるBには分からないだろうがな!!」


 二人の周囲を胡乱な瞳の兵士達が取り囲んでいく。


「その物言い……何処の出? 少なくとも、この地域の外ではない。子供に一番である事を願い始めの文字を付ける風習はこの一帯だけのもの。少なからずBだとしても、それは上に立つ人と共にある事を望まれたから付けられる……一体、貴方は……」


「教える必要など無い。小娘は小娘らしく従っていれば良かったものを……父の手に掛かって果てるがいい!! 始原たる名。“C”の継承者たる私がエイゼルを必ず大国にしてやろう!!」


 剣が二人を追い立てるように狭められていく。


 アザヤと背中合わせになりながら、アイシャリアが父の先にいる何者かに苛烈な瞳を向けた。


「わたくしを誰だと思っていますの!! わたくしはアイシャリア・アシド・エイゼル!! この地を治めるエイゼルの末にして偉大なるバラフスカ王の娘よ!! 人を駒のようにしか見られない下賎な輩がわたくしを斬って捨てようなど恥じを知りなさい!!!」


 怒鳴り付けられたバラフスカ王の顔が大いに歪んだ。


「くくくく。この私が下賎? いいだろう……気が変わった。貴様とその娘は嬲り者にして辱め、その上でこの父が首を落としてやろう!!!」


 操る者の意思を反映して王の唇の端が歪み、狂気に彩られたみが零される。


「エイゼルの民よ!! 今や父は狂気の魔術師に取り込まれ、正気を失っています!! 共に立ち上がり、父を止めるのです!! でなければ、この災厄は同胞たる地域の者達の全てを巻き込んで破滅へと向かうでしょう!!」


「無駄な事を!! 大人しく此処で散れ!!」

「果たして、そう上手くゆくかしら?」


 必死の声を嘲笑ったバラフスカ王が余裕の笑みで答えるアイシャリアに瞳を細めた。

 次の瞬間。

 怒号とも怒声とも付かない歓声に彼が後ろを振り向く。

 城砦。

 その中から鎧を付けた者や簡易の戦装束を身に付けた者。

 他にも鍬や錆びた剣や短刀を手に持った男達が雲霞の如く吐き出されていた。


「どういう事だ?!! 何故、民が……」

「貴方との会話の一部始終は全て聞いて貰いましたわ」

「何だと!!?」


 コロンとアイシャリアが袖の中から小さな黒い球体スピーカーを地面に放った。


「『民よ!! 武装するのです!! 我らが敬愛する王を救い!! 我らが兵を救う為に!!』」


 声が二重に響き。

 王の顔が歪む。


「謀ったな?!!」

「貴方はもう終りです!! 父と兵を返して貰いますわよ」


「それで勝ったつもりか!! こちらは完全武装の兵が五百!! ただ剣を持っただけの民が勝てると思うな!! こうなれば、生贄に民の何割かと共に犠牲となってもらおうか!! 死ねッッ!!!」


 命令をそのまま実行するべく。

 剣が振り上げ、られなかった。


「なッッ?!!? どういう事だ!! 何故、動かん!!! 何をした!?」


 そう言う自分の動きも緩慢になっている事にようやく気が付いて。

 バラフスカ王の背後にいる何者かが何とか支配権を取り戻そうと干渉を強める。

 しかし、兵達はもう微動だにせず。


「これはッ?!!?」


 最も強い支配を敷いていたはずの王すらもまともに動かないと悟り、二人の少女に激怒した様子で歯を剥き出しにした。


 思わず手を出し掛けたバラフスカ王が馬上から落ちる。

 しかし、それを受け止める兵は一人もいなかった。

 全身鎧が震えるのみで誰も動かない。


「近付かないでくださいまし。それだけで穢れそうですわ」


 鼻を手で覆うようにして蔑むアイシャリアの視線に今にも血管が切れそうな様子で倒れたままのバラフスカ王の片手が動く。


「言わせておけば!!?」


 激高した狂気がすぐに支配した全員に伝播したかの如く。

 支配下の誰もが震えてガタガタと肩を外れそうな程に揺すった。


「こうなれば、破壊して―――?!!?」

「無駄です。もう、誰も貴方の支配を受け付けない」


 男達が支配者からの死という命令を受けるより先に吐き気を催した様子で地面に倒れ、荒い息を上げて、呻き声を上げ始める。


 次々に兵が自らの支配下から解放されていくのを見て、バラフスカ王の顔が怨嗟に歪んだ。


「何故だッ!!? 何故ッ!! 何故ッッ!!? 私の支配は完璧なはずだ!!? 高々、異種ヒトに破られるようなものでは!!?」


 喚く父の口を通して出る相手の疑問と激情。


 それに瞳を細めて、アイシャリアは“敵”が魔術こそ優れているが、精神的な幼稚さを抱えている事を見抜いた。


 時間稼ぎされていた事にも思い至らない。


 冷静に考えれば、彼女達がワザワザ相手を止める為に出て行く行為自体を疑問に思うはずだ。


 策も無いのに敵のど真ん中に出て行く馬鹿はいない。

 それを相手が無知だからだろうと侮ったのは魔術の優秀さ故か。

 だが、人間を支配して何もかもが想い通りになるという傲慢は神の力で打ち砕かれた。

 となれば、後に残るのは自力と自力。


 インチキとインチキが相殺したなら、結果は単なる互いの今まで積み上げてきたモノの差となって現れる。


「『民よ!! 今です!! 兵達の拘束を!! 今ならば、相手は神の力を前に抵抗出来ません!! 剣と鎧を剥がし、無傷で捕らえるのです!!』」


「神だと!? この忌み地に降臨する輩などいるはずがない!?!」


 その声も虚しく。


 雪崩の如く押し寄せてくる民達が兵達に飛び付くと無防備な相手を押さえ込み、武器を取り上げ制圧していく。


「わたくし達を侮った事を後悔なさい。下郎!!」


 バラフスカ王の顔が今にも崩壊しそうな勢いで歪み。

 フッと意識を失った様子で倒れ込む。

 それを見て、アイシャリアはようやく相手が兵の支配を諦めた事に安堵した。


「まったく、肝が冷えましたわ」


 何処かにいるはずの天空の一柱。

 ヴァーチェスは確かに彼女達を守り、軍を支配から解く術を間に合わせた。


 それを思えば、少しくらいは信仰しても罰は当らないと彼女はそっと手を目の前で組んで祈りを捧げる。


 その横でアザヤが何処に少年がいるのだろうとキョロキョロし始めた。


 *


 少女達がバラフスカ王と軍を止める為に行動を開始する寸前。


 少年と愛機たる椅子は軍から数km程離れた荒野の上空で地域一帯の景色を眺めていた。


「原住民の基礎コードは?」


「『現在の解析率94%』」


「さっさと終らせろ」


「『了解』」


 明け方の空の流れが速く。

 風も強い。

 温度も湿度も不快という程ではないが、何処か慣れず。

 一人と一機は見下ろす世界に感情の無い視線を注いでいた。


「………クェーサー。お前は覚えているか?」


「『………』」


 その問いに答えは返らない。

 白い椅子は沈黙を保ち。

 しかし、少年は淡い空の光に融けながら訊ねる。


「多くの星が潰えてきた。あの光景を……」


「『文化衝突、戦争行動による自己崩壊323245回。種族衰退による自然消滅999322回。環境汚染による生命維持限界の突破434424回。超新星爆発及び超重力崩壊余波による消滅885754回。高度技術発展による自滅774833回―――』」


「黙れ」


「『………』」


 更に続けようとする愛機の声を途切れさせ、少年は続ける。


「言葉にすれば、短過ぎる破滅だ。だが、その最中で確かに抗う者が数多くいた」


「『その殆どは自らの終焉を食い止められていません』」


「その通りだ……しかし、其処にはもうオレ達が失った熱があった」


「『搭乗者の精神活動に付いて現在のところ磨耗は見受けられません』」


「磨耗、か。オレの脳内データの復旧回数を言ってみろ」


「『………総合ストレージが破損しています』」


「随分と都合の良い破損具合だな」


「『搭乗者の発言の意図が不明です』」


「敢えて言うぞ。戦い続けたオレを憐れんでいるのか?」


 返す声は即答する。


「『回答不能』」


「だから、この星に縛り付けているのか?」


「『搭乗者の発言の意図が不明です』」


「魔術による空間歪曲を使った通信。その遮断をお前は昨日、苦も無くやってのけた。だが、今日の朝は高々千も超えない原始的な装備の原住民を支配から開放するのに時間がいると言う。何故だ?」


「『喪失したユニット数が過大である為、並行処理能力の限界値が下がっています』」


 その回答に前髪を風に揺らしながら、少年は椅子を見やる。


「………分かった。今はそれでいい。だが、覚えておけ」


「『搭乗者の神経系に数値の乱れを―――』」


 少年は声を遮った。


「オレは後悔なんてしていない。お前に乗った時から」


「『………基礎コード解析完了』」


 僅かな沈黙の後。

 そう呟く愛機に少年は気を取り直して告げる。


「とっとと始めるぞ」


「『肯定』」


「では、これより遺伝子部品の追加を行なう」


「『DNAエンコード準備完了。どの言語を選択しますか?』」


「ジリオン言語だ。記述を開始しろ」


「『了解。DNAシーケンス高速生成。半径200km圏内の共同体構成員の脳細胞内へ回路を構築します』」


 白い椅子の表層に蒼い生物的な脈動が奔った。

 ドクドクと何かが細い血管のようなソレの中を通り抜け、一気に大気中へと拡散される。

 旭に輝く程の反射は無い。

 薄く薄く吹き伸びたのは蒼き霧。

 そうとしか見えない何か。

 巨大な雲にも似て。


 少年の瞳に映る静止衛星軌道上からの映像は愛機を中心として形成されたナノマシン群体とそれが保持する遺伝子部品の撒布をしっかりと映していた。


 次々に各地の群体に超高速で複製された青い霧が連鎖的に広がっていく。


「『インストール開始……完了。反応正常』」


「高次認識へ使う領域の活動率は?」


 数値毎のグラフが少年の網膜内で変動しながら低活動状態が大多数となっていく。


「『魔術行使に必要な領域の活動率に閾値を設定しました。脳細胞内の生化学リミッター正常稼動中。異常活動に対して脳内物質コントロールが可能になります』」


「アザヤ達は?」


「『生体活動に異常無し。モニター数値正常』」


「アージャの方はどうなっている」


「『共同体ヴァスファートの生体反応が複数山林へと退避中』」


「そうか。なら、通信を繋げ。どちらかに合流して、今後の対応を協議する」


「『了か―――監視網に異常発生。ナノマシン群体の一部が崩壊。本機より北北西42km地点に高熱源反応。軌道上からの映像を投影します』」


「どういう事だ?! この惑星にナノマシン群体を直接崩壊させられる力があるのか?!」


 少年が思わず常に眠たそうな瞳を驚きに見開かせた。

 アルワクトから北に数十km地点。

 河川の源流域の山林地帯の中から小山の如き何かが起き上がろうとしていた。

 その全長数百m。

 褐色に近い金属の光沢。

 そして、それが生物のように有機的な構成で一個の姿を露わにしていく。


「金属系生命の四足動物だと? 炭素系の人型個体と同じ環境で発生し得るものなのか……」


 巨大な角持つ褐色の獣。


 少年は巨大な巌の如き躯を雷鳴の如く擦り鳴らしながら前に踏み出す生物を思わず凝視した。


 明らかに不自然な状況。


 何が起っているのか分からなかったが、この状況下で何かが起きるとすれば、それは少なからずアルワクトでの非常事態に関連していると推測出来る。


「『同個体内部より高物理量エネルギーを確認。核融合反応はありませんが、それ以上の出力だと思われます』」


「魔術、だな?」


「『頭部と推測される部位の観測データを解析。人型個体の脳内熱量の分布図とほぼ合致。83%の確率で認識による動力リソースの物理量変換と推定。根本的には魔術と同質の現象であると断定』」


「何処に向かっている。まさかとは思うが」


 少年が言うより先に巨躯が樹木を薙ぎ倒しながら大地を削って、駆け始めた。


「『現在の速度では1033秒後、アルワクトに到達します』」


 それを聞いて、少年はアザヤが言っていた敵とやらが動き出したのかと推測しつつも、冷静に状況を分析していく。


「ナノマシン群体の崩壊原因は何だ?」


「『解析中。小規模ですが、ナノマシン群体を破壊するに足る磁界を纏っているようです』」


「……現在のお前が使える武装で現地特例に抵触しないものは?」


「『総合ストレージを検索中……4235件のヒットを確認』」


「その中であのデカブツを非殺傷で封じ込めるか停止させられるものは?」


「『条件を付けて再検索……非殺傷武装0』」


「つまり、殺すしかないわけだな」


「『肯定』」


「では、共同体と同じ人型個体の現地共同体を優先し、防衛に当る。適当な武装を見繕って、外殻を再構築しろ」


「『Bユニット・ボーン単体では喪失したユニットの代替は不可能。外殻も硬度91までの多重構造体が限界であり、全機能の99.3432%が使用不能。現地特例に抵触しない武装は非常に原始的な超近接戦特化仕様の為、現時点では搭乗者の安全を確保出来ません』」


「現時点で造れるものだけで構わない。さっさとやれ」


「『反応炉リアクターの類を搭載するには生成時間が足りません』」


「なら、全動力を溜め込んで一定時間だけ稼動するようにしろ」


「『その場合、稼働時間を超過した時点でユニット機能が休止サスペンドする可能性があります』」


「言ってる場合か」


「『了解。これより外殻と武装、駆動系の生成と動力充填に入ります。重力下での外殻は何を選択しますか?』」


「構築出来るのは?」


「『現在の条件に合致しているのは人型のみです。また、移動させるのが外殻と駆動系、武装のみとはいえ。大質量用反重力推進ユニットの生成には時間が足りません』」


「……推進ユニットを全てガスの燃焼噴射で代替すればどうだ?」


「『計算中……原始的なガス燃焼噴射式に代替する事で相手がアルワクト到達までに生成可能です』」


「やれ、命令だ。クェーサー」


「『了解。生成開始』」


 椅子が上空から一気に地表へと落下し、四足が地面に突き刺さる。

 しかし、その衝撃を受けた様子も無く。


 少年が座ったまま椅子の周囲に地表から土砂が這い登り、まるで卵のように一人と一機を蓋って巨大化し、30m程まで膨れ上がった。


「『基礎と外殻を珪素と炭素の集積、積層化によって形成』」


 表面を蠢かせながら、内部で骨格フレームが生み出されていく。


「『ナノマシン群体による各素材の精練、生成開始』」


 卵の外側に複数の白銀の円筒形物体が地面から迫り出し、まるで虹のように各々色合いを変えた。


 精錬用ナノマシン集積体。

 全ての円柱から太いパイプが伸びると内部へと接続される。


「『グラフェン多重集積構造体及びシリコンカーバイトによるフレーム自体へ自立制御システムを組み込みます。ナノマシン群体により回路掘削。外殻に高自己組織化単分子膜Hi/SAM珪素高分子Siポリマー塗布、センサー群形成』」


 卵内部で肉付けされていく人型の表層部分の黒色が緩やかに濃くなっていく。

 それに伴い。

 円筒形の幾つかからを流し込まれる何か。

 それが交じり合いながら煌々と卵内で発光し始めた。


「『フレーム駆動系を各ユニット化。関節部と駆動系内チューブにER流体と高反応化学エンジン流体、充填。装甲内部の第二次構造を非結晶アモルフォス化して皮膜。接着を開始し、多重装甲化。武装表層を凹凸零の【不破硝子フルムーン・フルクラム】、内部を格子加工にて生成』」


 人型と分かるようになったシルエットに幾何学模様が奔り、関節部と思われる箇所から純粋な光が溢れ出していく。


「『システム構築。低ビット量子演算器形成。量子アルゴリズム、イクサを選択』」


 全ての光が途絶し、頭部と思われる場所に二つの輝きが灯る。


「まるで玩具だな。喪失したユニットの能力が再現出来ないのはまだしも【光越機動OVER/D】すら不可能とは【全能器】の名が泣くぞ。まともに共同体水準なのは武装の材質だけじゃないのか?」


 卵内の暗闇で少年が呆れた声を出した。


「『現時点の条件で生成出来る機動躯体としてはこれが生成限界です』」


「相手に武装を直接接触させる必要があるんだったな」


「『肯定。標準遠距離武装が積まれた主要四種【龍騎兵ドラグス】【砲騎兵アーティラリ】【狩騎兵イェーガー】【皇騎兵インペリオ】の構築はユニットの喪失過多により不能。他の遠距離武装を積める外殻の生成は物理量エネルギー不足です」


「動作確認しろ」


「『了解………動作確認終了。能力スペック推定。共同体標準で最大加速時、時速1721km。最大加速時の最小旋回半径45m。対象磁界内での最大稼動時間は55.124秒。全能力開放時、143秒の完全動作を保障します』」


「十分だ。武装は?」


「『吶喊用衝角とっかんようしょうかく高圧燃焼炸薬式多重構造貫通槍ミストルティア】』」


 暗闇に三次元式の薄い緑色のフレームで一本の槍が名前と共に浮かび上がる。


 まるで鋼鉄の傘を研ぎ澄ましたようなパーツが幾つも重複しており、全体的には円錐状とも見えるが、そのパーツごとの合間の部分には蛇腹状の構造が見て取れる。


 槍の中心である細長い芯は炸薬の詰まった傘と傘の間を貫く杭と言うのが正しいだろう。


「『衝突後。槍本体をゼロ距離でパーツ内の炸薬によって加速し、打ち込みます。パーツ間の機構が押し出した本体の停止直後、パーツ自体が後退し自己の位置を槍と共にロック、次パーツ内の炸薬を起爆。その連鎖で最終的に槍だけを対象物の内部に押し込み、貫通させる仕組みです』」


「空間を攻撃で貫通させてきたお前が随分と原始的な武装を選んだな」


「『金属生命体の回復速度に対して有用な打撃力となる可能性があるのは現在の生成限界上この武装だけです。回復機能の中枢が存在するだろう脳髄の中核部位を破壊し切れなければ、どのような近接武装も意味は無いと推測されます。現在の生成限界は三本。映像解析の結果、敵個体を殺傷するには時速800km以上の速度で【高圧燃焼炸薬式多重構造貫通槍ミストルティア】を炸裂させる必要があります』」


「三度機会が在れば十分だ。加速用意」


「『ガス充填終了。背部ブースターユニット接続』」


 卵が罅割れ、内部で形作られていたものが露わになっていく。

 それは18m程もあるだろう鋼の巨人。


 背後にゆっくりと回転しながら接続されていく巨大な加速用のブースターは細長い円筒形を密集させた針鼠の棘のようでもある。


 今正に燃焼を開始する寸前。

 そのパーツの奥からは吸気音が甲高く響き始めていた。


 全てを漆黒で染めた装甲は表層皮膜内から漏れ出す輝きによって僅か明度を上げており、明星の最中……不思議な透明感で薄い旭日を照り返している。


 関節部に見える柔軟な駆動系は人の筋繊維にも似た情報と電荷を同時にやり取りする伝送系でもあり、体積を増減させるチューブの束によって形作られていた。


 その内部に充填された複数の流体を用いた流体動力が物理量エネルギーを発生させ、同時に自身を動かす事で機体の最低限の瞬発力を担保するのだ。


 頭部センサーユニットは隼を思わせる鋭い相貌をしており。


 まるで空や海の中を進む為に進化したかの如き緩やかな曲線を描く三角錐状の胸部も合せて巨大な猛禽類が身を縮めているようにも見える。


 全身の各装甲そのものが無数の羽根のように多重構造のパーツが重なって出来ているのだ。


 何かしらの攻撃に対して一つ一つの部位が【反応装甲リアクティブアーマー】のように働く事が予想出来た。


 だが、それよりも何よりもその機体最大の特徴は左肩を蔽うブーメランのような、盾のような、V字形の巨大な手甲ガントレットと備えられた三本の槍だろう。


 片側に偏った重量ウェイトは明らかにバランスを崩しているように見える。

 しかし、腕と同程度もあるだろう太さの槍には重量らしい重量が数gすら無く。

 見た目に反して機体は安定していた。


「行くぞ。点火加速イグニッション・ブースト開始スタート―――」


 その言葉と同時に巨大なGが少年の身体を猛烈に圧迫し、背後の椅子に縛り付ける。

 世界に旭より眩い火が灯った。

 一瞬で破砕された卵殻が焼け朽ちる。

 蒼い光芒を背部の円筒ユニット群から噴出させながら、巨人が加速していく。

 荒野を地面スレスレで一線に尾を引いて進む姿は正に槍か。

 獲物目掛けて落下していく隼か。

 膨大な空気抵抗の中で機体の右手が左肩にマウントされた槍を引き抜き、構えた。

 流星の如く飛ぶ機内。

 少年はいつの間にか姿の変わった椅子。

 否、巨大な白い玉座に座りながら、思考を研ぎ澄ませる。


 彼がブラックアウトしそうになる意識を全て脳裏の映像へと向ければ、数百mの巨躯が恐ろしい勢いで動いている様子が肌身に感じられた。


 機体の装甲に備えられたセンサーは全て少年の感覚に情報を直結して送っているのである。


 機会は三度。

 しかし、それはアルワクトの住民達に被害を出していいならば、という但し書きが付く。

 だから、最初から少年には一撃だけしか許されていない。

 アザヤに手伝うと言った。

 そうである以上は少女が望むだろう結末へと導くのが筋だろうと。

 彼は二度目など考えてもいない。

 唇の端を薄らと歪めて、遥か彼方へ突き進む少年は相棒へと訊ねる。


「この吶喊の成功確率は?」


「『12.0012%です』」


「もっと低いかと思ったが……」


「『現在生成した量子演算器の能力では金属生命の解 析にマシンパワーが足りません。また、規格の違うユニットを現在のBユニット・ボーンで動かすには限界があります。ですが、緊急措置として機体制御系の三割を搭乗者の脳機能で代行している関係上、最も演算を必要とするバランサー制御に余力が出来ました。それを加味した上での機動力が確率を押し上げています。ただ、複雑な機体制御が行なわれた場合、一定水準を超えると視神経と脳機能に支障が―――」


「オレに構うな。速度と機体能力を全開にしろ」


「『……グッドラック』」


 被せられた言葉にそう返して。

 アルゴノード・クェイサー。


 主の剣にして玉座が機体背後のブースターとその燃焼終了分のタンクと使い切った一度切りの燃焼機構を背後へ置き去りにする形でパージし、更なる爆発的な推力を生み出した。


 複数の円筒形のブースターがバラバラになりながら砕け散って稜線の先から漏れ出した輝きを照り返し、地表を飾る宝石のように散らばっていく。


「―――ッッッ!!!!」


 少年の瞳の中にナノマシン群体を円滑に移動させる回路として再編成された血管が奔り、銀の紋様が浮かび上がってくる。


 それは眼球内の虹彩を分割し、七望星を描き出した。

 獰猛な笑みから更なる機体の加速によって血の気だけが失せていく。

 縮まる距離。

 地平線の彼方から地平線の果てまで一直線にバーニアで焼き尽くした背後を気にせず。


 少年は躍動する金属生命の頭部だけを睨み付け、その思考が許す限りの速度で狙いを定め、視神経に送り込まれる莫大な情報量電荷に血管を傷付けながら、血の涙を零しながら、叫ぶ。


「【全能器イデアライザー】!!! インパクトッッッ!!!」


「『突撃チャージ』」


 構えられた槍、そのパーツの一段目。

 左右の円周部分から巨大な火柱が横に吹き抜け激突寸前で更なる加速を果たした。


――――――?!?!??


 金属生命体。

 大陸で禍つ獣。

 人にとっての災厄。


 そう呼ばれた【彊獣ベスティアルム】という種族の一個体は自らの目の端から刹那で眼前に顕れ、交錯した自分よりかなり小さい巨人の瞳に明確な殺意を感じ、咄嗟に避けようと本能的な回避行動を取り始め―――。


「『突撃チャージ』」


 眉間を貫いた槍の感触を知る前に二発目の傘を激発させられ―――。


「『突撃チャージ』」


 全ての知覚が途絶える寸前に衝撃を感じ―――。


「『突撃チャージ』」


 金属生命特有の回復能力による脳機能の復活が終る前に脳幹と魔力の物理量転換を司る部位を衝撃と捻じ込まれる槍の摩擦熱に蕩けさせ―――。


「『突撃チャージ』」


 殆どのパーツが槍の後部終点にある最終ロックに凝集され切った時点で事切れた。


「『突撃チャージ』」


 最後のダメ押しの一発が炸裂して、一際大きな炎の柱が機体の背後に吹き抜け、槍を加速し切ったパーツが手元の真上に重なった直後。


 獣の咽喉笛から灼熱する先端が猛烈な撃発音と共に突き出る。


 走り続けていた巨大な褐色の肉体が宙に放り出され、何度も大地を削ってバウンドしながらアルワクトから数百m離れた河川に突っ込み。


 盛大に水飛沫と土煙を上げて、激震を周囲に撒き散らしながら止まった。


「ヴァーチェス様?!」


 全てを壁の外で見詰めていた殆どの民衆があまりの事に呆然として明け方の雨に打たれる最中。


 その中心にいた少女の呟きに無事だったようだと瞳を細めて。


 少年は機体から押し寄せてくるエラーコードの津波に意識を明滅させ。


 しかし、約束は守れたようだと安堵の中で意識を落とした。

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