NO.02「策謀の三つ巴」


―――???


 毎日、毎日、幼い時はいつも夜になると母上に英雄譚をせがんでいた。


 女の子なのだから、もう少しお姫様の話に興味を持ってもらいたかったわ、とは母上の談だ。


 桃色の部屋。


 父上が私の為に行商人にワザワザ仕入れてもらったのだと自慢する愛らしい動物達が描かれた壁紙。


 小さな机と優しい匂いのする夜の洋光ランプ

 ほんわり影絵となる母上が一枚一枚捲る本の中には全てがあった。

 清廉潔白なる騎士殿が王に言われて隣国を滅ぼした魔王を討つ話。

 出てくるのは魔術を使う賢者に笛を吹く旅人に身分を偽って戦うお姫様。

 幾多の冒険を駆け抜けて、彼らは魔を断つ剣を執る。


 何度傷付いても立ち上がる彼らに神々は力を与えて、ついには強大な魔王すら討ち果たす。


 凱旋する誰にも歓声が上がり、仲間達が見つめる中でお姫様と騎士様が結婚して、めでたしめでたし。


 そう、そんな騎士様に小さい頃は成りたかった。


 母上は父上が剣術の稽古を私にさせ始めるのを酷く反対したけれど、最後には怪我をしないでねと言って承諾してくれた。


 仮にも領主の娘。

 誰もが気を付けて手加減してくれたが、それでも構いはしなかった。

 女は子を育て、家を護るのが仕事。


 それが嫌なわけではなかったが、こんな辺鄙な場所に婿へ来てくれる立派な人がいるとも限らない。


 そう思ったからこそ、私は自分で強くなる事に拘った。


 今になって考えてみれば、家柄さえ考えなければ、邦の中から婿を取っても良かったのだろう。


 だが、物語りの騎士様は遠くの異国から来ると信じていた私にとって、それは考えられない事だった。


 英雄譚のように旅に出て、悪の魔王をやっつけて、そうしてから結婚する。

 それが私の剣を始めた切っ掛けだったのだから。

 今になってみれば、他愛無い話。

 でも、形は違えど。

 そういうものを今、自分で体験しているからこそ、思う。

 悪の魔王はいなかったけれど、野心を抱く国と奇蹟を齎す神様はいたのだな、と。

 眠る前。

 素直にエイゼルに付いてアージャが話したのは信じられないような話だった。

 何故か。

 実りも何も無い小さな小さな力無き邦であるアンクトを彼の国が欲しがったのだと言う。

 理由は定かではない。


 が、比較的食料が取れる地域を全てヴァスファートに与えてもいいから、攻め滅ぼして欲しい。


 その為の力は貸そう。

 そんな契約になっていたというのはまったく理解出来ない。

 だが、今更になって考えてもみれば、あの襲撃はおかしな事だらけだった。


 いつも単調に攻めてくるしか脳が無かったヴァスファートが砦を攻めた時には手際が良過ぎた。


 伏兵を忍ばせ、退路を断ち、不意打ちを仕掛けてきたのだ。

 今までとは明らかに違う規律立った行動。

 裏から糸を引いている者がいると考えるのが自然だろう。

 もうすぐ、ヴァスファートの後続としてエイゼルの正規軍が押し寄せてくる。

 そんな事になれば、例え神剣があったとて、抗し切れるかどうか分かったものではない。

 地下に隠れているという街の人々もきっと危ないだろう。

 だから、どうにかする案をヴァーチェス様から授かった時、これだと思った。


―――マルティテュードを使って、軍を組織すればいい。


 その為の兵隊なら、今街に屯している、と。

 そうして、自分が刃を相手に向かって振るい続けたなら、敵の兵は味方となっていく。

 これに掛けるしかないと思ったのは間違っていないはずだ。

 剣の腕は並み。

 戦術や戦略に明るいわけでもない。

 ただ、奇蹟を受け取っただけの自分に出来る事はそのくらいだった。


「ん……」


 ゆっくりと目を開ける。

 朝焼けが薄らと周囲に張られた幕を透かして入り込んでいた。

 周囲を見渡せば、黒布を巻かれた樹木の間に大きな蓑虫のようなものが下がっている。

 自分もまたそういう姿なのだと思えば、少しだけ笑みが零れた。

 峠を超えた先にある森林地帯を数時間歩いた後。

 夕方になってから野営したのだ。


 食事は木の実を集めて食べ、寝床は木の洞でいいと思っていたのだが、ヴァーチェス様が三つの樹木の間に黒い幕を張り、その中に眠るようにと蓑虫のような寝台まで用意してくれた。


 内部は夜の寒さとは無縁で暖かく。


 また体の節々を痛めない樹木から吊られた寝台は最初こそ不安定で眠れるものだろうかと首を傾げていたが、すぐに慣れてグッスリだったらしい。


 寝台の中央を分けて前に足から這い出し、モソモソと目を擦る。


 周囲を蔽う幕を中央から開けると涼やかな朝の陽射しが直接目に入って、思わず手で遮った。


 靴も脱いでよいと言われていた為、素足で森の土を踏み締めるとフワフワしていて。

 心地良さが地面から沁み込んでくる。


「熾きたか」

「あ、ヴァーチェス様!! おはようございます」

「おは?」


「『挨拶と呼ばれる定型分の一種。日照時間の始まりに告げる習慣有り。詳しくは総合ストレージを参照』」


「……おはよう」

「はい!!」


 私は思わず笑みが零れるのを感じた。

 ヴァーチェス様は昨日と変わらず。

 白い硬質な椅子に座って、眠そうな瞳で体を弛緩させている。


「ヴァーチェス様。昨日採った木の実の残りがありますので、一緒にどうでしょうか?」

「今は必要ない」

「そうですか。分かりました。では、あの子アージャと共に食べようかと思います」

「……敵対する故郷の相手に食べさせても問題ないのか?」


「はい。餓えた者は何をするか分からない。そして、根本的にアンクトが襲撃されたのはそれを放置した為だと思いますから」


「そうか。そうしたいなら、そうすればいい」

「はい!! あ、その……それで大丈夫でしょうか? 地下にいる街の者達は」

「昨日から観測しているが今のところ命の危険な者はいない」

「良かった……それだけ分かれば、十分です。ありがとうございました」


 頭を下げて、私は布の中に戻った私は布で包まれた一角の隅に置いていた果実を三つ取って……少しくらいいいだろうと悪戯する事と決める。


 そっとまだモゾモゾしている黒い大きな蓑虫の中にコロコロと流し入れた。


「ひゃ?! な、何、コレ?! あぅ!?」


 ポンと足元から滑るように出てきたヴァスファートの少女アージャの頬へ一緒に転がり出て来た果実を押し付ける。


「食べろ。足手まといに為られても困る」

「……ぅ、トトサマ達を戦わせようとする奴なんかの施しは受けな―――」

「食べろ」

「はーい!! うわ~美味しそうだね。オネーチャン♪―――!?!!? そ、それは止めろ!!」


 素直になってから、思わず我に返った様子のアージャが後ろに下がって、しょうがなく果実を手に取った。


 その姿を見て、苦笑してしまう。

 もし、自分に本当の妹が出来たら、こんな素直な子がいいと。


「食べ終ったら、出発だ」


 そう、言い置いて。

 私は果実を齧る。


「………」


 見られている。

 それに視線を返すと慌てた様子で逸らされた。


「何だ?」

「コレ……森に生えてる?」

「ああ、多くはないが、恵みの一つだ」

「……これを一つでも持って帰ったら、きっとみんな喜ぶ」

「―――そうか」

「アンクトはユタカだ。アタシ達ヴァスファートは木のネだって齧ってるのに……」

「言いたい事はそれだけか?」


「ッ、アクマが憑いていたって、アタシはヴァスファートの族長の娘だ!! みんなを食べさせて、喋れなくなったり、お腹を膨らませて死んだり、何も考えられなくなったりする子を減らすのがアタシのし、シメイなんだ!!」


「……その使命で死んだ人間にも家族はいる。明日の食事には困らずとも、大切な人が誰もいない毎日を暮す事になる。それを決して許すわけにはいかない」


「知っている子が死んでウメに行く気持ちが分からないオンナなんかに負けない!!」

「お前達の策謀で父上を生首にされた。この気持ちが分からない子供に何を言う資格もない!!」


 睨み合う。

 命令したならば、少女アージャは何もかもに従うだろう。

 だが、それではダメなのだと分かっている。

 今日、男を一人追い返しても、明日にその息子が攻めてこないとも限らない。

 戦いを治めたければ、相手を根絶やしにするか。

 あるいは二度とそうする必要が無いように……どうにかするしかない。

 ならば、こんな子供一人に言い負かされていて良いわけもなかった。

 それは示された道。

 確かにこれしかないのだろうと思えるものだ。


「アザヤ」

「あ、ヴァーチェス様。何か?」


 後ろから声を掛けられて振り向くと浮いた椅子に座ったまま、腕が黒布を分けて、顔が覗いていた。


「城砦の方から近付いてくる。あちらは全部探し終えたんだろう」

「分かりました。では、出発しましょう。もし、出会ったら神剣で味方とし、そのまま街に」


 頷かれて。

 私は急いで果実を頬張る。

 それを見ていて自分も急がなければと思ったのか。

 アージャもまた頬張っていた。


「「………」」

「………」


 ヴァーチェス様の何処か呆れた視線を感じる。

 しかし、負けられないのだ。

 それが子供であったとて。

 私は国を背負える程に強くなければならないのだから。


 *


 森の中を往く三人が敵とほぼ出会わなかったのは一重に運が良いという事ではなく。


 ヴァスファートの大半が完全に戦勝気分に浮かれて、哨戒任務を疎かにしていたからだった。


 朝、出発してから三時間程でアンクトに一つしかない街が見渡せる森の終点に到達した時、彼らを出迎えたのは焦げ臭い白煙と煮炊きの湯気。


 何度か衛星軌道上からの映像で状況を確認していた少年は相手の警戒心の無さに呆れ、アザヤは街の食料を貪っているのだろう相手の行動に唇を噛んだ。


 まだ日は高い。

 さすがにそのまま突撃するのは無謀。

 僅かな街の残滓。


 瓦礫と消し炭となった柱の山の周囲には数人の見張りが立っており、彼らはさっそく男達をどにかする必要に迫られた。


 背後からはヴァスファートの騎馬が今もやってくる途中。

 見付からないとしても、合流されてからでは何かと遣り難い。


 事前に仲間達へ何も喋れず、戻る事も出来ないようにしておいたアージャは不満そうに何度も声を出そうとしていたが、杞憂。


 アザヤは更に遠くまでマルティテュードの影響を及ぼす為に使い方を少年に教授されていた。


「これは基本的に斬る必要が無い。何故なら、コレを中心にした周囲の領域、場所が重要だからだ」


「場所?」


 森の最中。

 アザヤが剣を寝かせて両手に乗せ見つめる。


「そうだ。剣の力は広範囲に発生し、その内であれば、大抵の人間を基礎状態にまで持っていける。同時に剣の能力が利き難い相手がいても、剣に近付く程にその抵抗は抑える事が出来る。こいつのような者でも従わせられるのは剣が近くにあるからだ」


「なるほど」


 今も悔しそうな顔をして大人しくしているアージャを見てアザヤが頷く。


「剣の効果範囲は基本的に半球状。つまり、こうだ」


 地面に効果使用時の全体図が簡略化デフォルメされて浮かび上がり、人型が持つ剣を蔽うようにして御椀を被せたような線が描かれる。


「だが、これは通常の状態だ。これを伸ばす事も出来る。この領域内部の力を一部、切り離して投げるような想像をすればいい」


「そう出来れば、遠くの者達も影響下に置く事が?」

「ただ、時間制限がある」

「制限、ですか?」


「マルティテュードの管理範囲を離れた力は一定時間しか空気中で効果を発揮しない。人に当らなければ、霧散して使い物にならなくなる」


「つまり、狙いを付けて精確に飛ばさなければならないのですか?」


「その通りだ。だが、当れば、今までと同じように個体を管理下に置く事が出来る。そして、その管理下の人間はこの剣の効果範囲の倍の距離までは念じるだけで今までと同じように命令が下せる。だが、その範囲の外に出ると予め命令していた事以外は全て自由になる」


「分かりました。ええと、家十軒くらいが剣の効果範囲。家二十軒くらいが操作出来る範囲。効果を飛ばせるのが家五軒くらいの範囲ですね」


 その大雑把さに正式な距離を表わす記号くらい無いのだろうかと思ったものの。

 少年は黙って頷いた。


「効果が消えるのは約20数えるまでだ」

「了解しました。必ずや今の教えを役立てて見せます」

「どうやら、もう来たらしい」

「……これは、馬の……」


 アザヤが自分の耳に微かに聞こえてくる馬の疾走する蹄の音にそっと樹木の間から街へ向かう道を見やると、槍を背負って疾走してきた騎馬が速度を緩めるところだった。


「では、さっそく試してみましょう」


 マルティテュードをそっと騎馬の方へと向けられ、彼女が念じる。

 常時生成されているナノマシン群体の一部が即座に反応。


 空気中で待機状態から稼動状態へと移行して、カルノーサイクル推進、熱量と運動エネルギーの交換によって周囲の空気を冷やしつつ機動し、速度を落とした複数の騎馬に直撃した。


「捉えました!!」

「次はどうしたいか念じればいい」

「は、はい。態度や身体の状態はそのまま。でも、こちらの命令には即座に反応するように命令!!」


 一瞬だけビクリと震えた男達だったが、首を傾げただけでそのまま街の瓦礫の内部へと入っていく。


「後はその繰り返しで相手を制圧していけばいい」

「はい!! では、次はあちらの見張りに」


 それから間も無く。

 見張り全員が命令可能の状態となった。


「これで見張りは全て押さえました。後は中心部で酒盛りをしている連中を」


 ヴァーチェスが頷いたのを見て。

 アザヤがそのまま堂々と街に向けて歩き出す。


 それに付いていく二人が付いていくも、見張り達はまるで何も見えていないかのように素通りする彼らを見逃した。


「どういう命令を下したんだ?」

「私達の事は何も見えず聞こえなくなるようにしました」

「基礎状態にして固めておかなくていいのか?」


「動けないまま固まっていては別の人間に見られた時、不自然だと気付かれる可能性があると思いましたので」


「そうか」


 さっそく剣を使いこなし始めたアザヤの適応に椅子の上で頬杖を付いて、脳裏で少年は愛機に訊ねる。


「(【群括マルティテュード】の稼動状況は?)」


「『正常。現在、管理項目を五つ使用中。動作、視覚、聴覚、命令待機、遠隔情報収集』」


「(情報を収集しているのか?)」


「『先程の四足動物に乗っていた個体の視覚、聴覚情報を収集中』」


「………」


 そのまま沈黙を保ちながら、少年は今も迷わず進んでいく背中を見つめる。

 原始的ではるが、思っていたよりも、実は少女の知能は高いのではなかろうかと。

 焦げ臭い瓦礫の合間を抜けて男達が集まっている街の中央。


 広場の方に向かった三人が見たのは毛皮を着た男達の三分の一程が酔い潰れ、また三分の一程が食料を貪り、残りが武器の蛮刀や槍を石で研いでいるところだった。


「!!?」


 目を見張ったアージャが顔を歪めているのを見て、アザヤが呟く。

 お前の父親はあの中の誰だ、と。

 それを僅かに呟こうとした口が途中で震えながらも引き結ばれる。


「どうやら、その子にとって重要な情報らしい」


 少年の言葉にアザヤが僅かに瞳を伏せた。


「ならば、全員をこの剣で影響下に置くまでです」


 マルティテュードが物陰が大きく振り被られようとした時だった。


 革製の膜を振動させたような音と共に男達のいる一角から少し離れた地面に光の円環が浮かび上がる。


「あれは?!」


 思わず再び隠れたアザヤがそちらを凝視する。

 その間にも少年の耳には現在の状況が入ってきていた。


「『光波を発する紋様に空間の歪曲を確認。何かが跳躍してきます』」


「(もう驚く気力も失せたが……この原始文明世界に転移だと? 方式は?)」


「『歪曲による距離のショートカットと推測。別領域への突入を伴う超光速航行ではありません』」


「(これを引起しているのは……魔術か?)」


「『現在、解析中。最低でも転移実行には原始的な核融合炉級の動力が必要ですが、観測中の事象“魔術”については想定されるエネルギーの内在を感知出来ません。法則干渉が行われている可能性があります』」


「(法則干渉……何かの間違いという可能性は?)」


「『現在の観測能力で集められる情報では推測の域を出ません。文明全体での技術レベルに関する情報が不足しています』」


「(引き続き、解析と観測を続行しろ。それと魔術に付いて可能な限り、Bユニット単体で再現可能か検証しろ)」


「『了解』」


 少年がクェーサーとやり取りをしている間にも事態は進んでいた。


 光の円環の中から次々に全身を鈍色の甲冑で鎧った兵らしき者達が出てきて、颯爽と整列していったからだ。


 顔すら見えない相手。

 しかし、男達の大半はそれに驚きはしても、剣を執ろうとはしなかった。


「ヴァーチェス様。たぶん、あれはエイゼルの者達です」


 アザヤが剣を握り締めて表情を引き締める。


「どうして、そう分かる? 行った事はないのではなかったか?」


「はい。行った事はありません。ですが、彼らの甲冑の肩を見てください。描かれているのは蛇が取り巻く剣。あれはエイゼルの紋章です」


 確かに少年の目にも甲冑達の肩にその紋章が見えた。


「自分の故郷を表わすものだと?」


「はい。間違いありません。そもそも魔術で移動するなど、普通の小国には無理です。大魔術師がしっかりと準備をしていなければ、あれほどの人数を送り込む事は……それに全身鎧フルプレートは高価過ぎて、普通は数を揃えられません。私の肘や肩や膝を鎧うものも、かなり高価なのですが、全身を蔽うモノはその数十倍するのです。あれほどの人数に配備するとすれば、それはこの近辺でエイゼルだけが可能なはずです」


「なるほど」

「ん~~~♪」


 叫びを上げられないものの。

 何やら喜んだ様子でアージャが体を揺すっていた。

 きっと、強い味方が来たと思っているに違いなく。

 アザヤはジロリと一度睨んだものの。

 すぐに相手の方へ集中した。


『これはこれはエイゼルの皆様方』


 獣の頭部を被った体格の良い男が並んだ鎧達の中央。

 小柄な相手に向かって進み出た。

 その中央の鎧だけは特別なのか。

 色が白く染料で塗られていた。

 ゆっくりと顔面を防護するマスクが上げられる。

 すると、その中から出てきたのはまだ十代前半程だろう。

 亜麻色の長髪に薄い黄昏色の瞳をした少女の顔だった。

 左右の目元から頬に白い肌を染めるように赤い剣の形をした紋様が化粧されている。


『アンクト討伐。ご苦労だった。望み通り。お前達には食料が取れる肥沃な土地を与えよう。我々は周囲の山々が欲しい。良いか?』


『勿論です。我々は自らの民さえ、餓えなければ他は何も構いはしない』

『ならば、これからは―――お前達もまたその肥沃な土地に身を埋めるといい』

『無論、そのつもりで―――』


「「?!!?」」


 男の背中から二つの剣が迫り出していた。

 思わずアザヤとアージャが目を剥いた。


『がッ、う、裏ぎ―――』

『土人が我等より良いものを得られる思うな。無礼なり』


 少女の左右から一瞬で剣を抜き出した鎧達の早業に男は成す術もなく崩れ落ち。

 そのまま呆然としていたヴァスファートの男達が猛然と武器を持って立ち上がって。

 酔い潰れていた者達を起こし始めた。

 混沌と怒号が飛び交う広場。

 其処に大きく声が響く。


「トトサマぁああああああああああああああ!!!!」

「「?!」」


 そのアージャの叫びに一番驚いたのはアザヤと少年だった。

 ヴァスファートとエイゼル双方が同時に彼らを発見する。


「これは!? ヴァーチェス様!!」

「焦るな。今なら全員やれるはずだ」

「はい!!」


 広場の端に飛び出したアザヤが剣を掲げ、一息で大きく横薙ぎにした。


「神剣マルティテュードよ!!! 我らが土地を穢す者達をその力でッッ!!!」


 吹き荒れる風。

 その全てが生成された見えない力。

 ナノマシン群体。

 一瞬で双方が動きを固められて、制止した―――かに見えた。


「どういう事だ……」


 思わず少年が顔を険しくする。

 それもそのはず。

 ヴァスファートは震えてはいるが、動けずにいた。


 が、エイゼルの鎧達はゆっくりとだが、腰の剣を引き抜き、持っている巨大な円錐状の槍をヴァスファートと彼ら三人に向け始めていた。


「『解析中。ナノマシン群体の効果は有効。脳中枢及び運動野の掌握は完了しています。ですが、こちらの命令コマンドとは別の命令プログラムが優先されています。解析中……脳の一部に高活性の領域を確認。この惑星における特異技術、魔術による掌握が行なわれているのではないかと推測。命令ではなく。脳機能の破壊ならば、現行の状態でも可能ですが』」


「(ノン。現地の原住民に対しては個体の保全を優先とする)」


「『了解。対策の推論を開始………現在掌握中の脳機能や肉体機能に対して命令が完全に届かないのは現状、ナノマシン群体のユニット数に問題があると推測。出力を上げる為に体内へ更にユニットを送り込む事を推奨。また活性化状態の脳の部位を機能凍結する事で一時的に命令を止められる可能性有り』」


「アザヤ!!」

「は、はい!! 何でしょうか!? ヴァーチェス様!!」

「鎧の頭部を剣で斬れ。それと鎧に対して効果を何回か飛ばせ。これで止められる」

「わ、分かりました!!」


 鎧達の動きは鈍い。

 相反する支配の衝突コンフリクトで本来の力を出せないのは明らかだった。


「はぁあああああああああああああああああ!!!!」


 アザヤが片手に剣を持ち、もう片方の手を相手に翳し、突撃する。

 翳された手から見えないナノマシン群体が風を伴って鎧達に直撃し、更にその行動速度を落としていく。

 その間にマルティテュードの刃先が鎧を撫で斬りにして頭部を素通りした。

 中央の少女だけが、その様子に驚いた様子で後ろへと跳躍し、難を逃れる。


 その間にも二十人近くの頭部を走り抜け様に斬り終えたアザヤだったが、さすがに剣や槍を構え終った相手が出てきて、止まらざるを得なくなった。


「な、何をしている!! お前達!! その女を斬れッ!!!」


 少女の声に剣を振り上げ、槍で突撃しようと構える男達が数人。


 しかし、アザヤが手を翳して動きを更に固定化し、動物のような俊敏さで横を駆け抜けるとその胴体部の鎧を切り裂かれて、バタバタとポーズを取る銅像のような姿で倒れていく。


「な、な、な?!」


 数十人もいた全身鎧の兵が全員やられたと知って、赤い化粧の少女が絶句していた。

 その隙を逃さず。


 アザヤが駆け出し、転移の魔術が描き出す方陣に逃げ込もうとした少女を背後から唐竹割りにした。


 無論、傷付けていない。


 しかし、鎧が左右に割れ、両手両足と肩以外の全ての鋼がガランガランと音を立てて周囲に散乱する。


 ドッと少女が膝を付いた時には誰も動ける者はいなくなっていた。


「これで、終り、ですか?」

「ああ」


「『警告。共同体ヴァスファートの構成員が所持する球形の物体に異常な熱量を感知』」


「何?」


 ようやく事態が収拾されたと思っていたヴァーチェスが固まっていたヴァスファートの男達の方を見ると、その一部が何やら腰の辺りから煙を上げ、一瞬で炎の柱を発生させて、その肉体を燃え散らせた。


「な?!」


 驚くアザヤが咄嗟に背後へと下がった途端。


 連続して、炎の柱が幾本も上がり、ヴァスファートの男達を跡形も無くさせていく。


「み、みんな!!?」


 アージャの悲鳴が上がった。


「危険だ。全員を退避させろ」

「わ、分かりました。全員、散り散りにこの場から退避しろ!!」


 纏まっていては炎の柱に巻き込まれ兼ねないとアザヤが命令する。

 すると、その場で膝を付いていた少女以外全員が街の外へと走り出した。


 しかし、ヴァスファートの男達の動きは俊敏だったが、鎧姿のエイゼルの兵達は鎧の重量と命令の衝突による遅さが致命的な時間のロスを生んだ。


 ヴァスファートの男の一人が鎧達の間に紛れ込んで倒れ、その場で横に炸裂する。


「ッ!?」


 一人呆然としていたエイゼルの少女を庇って火柱の一部が肩を掠めたアザヤが歯を食い縛った。


 一瞬で鎧達がその業火に飲まれ、内部の人体共々燃え散り、後には融けた金属と地面、燃え滓らしきものだけが散乱する。


「トトサマ!!?」


 最後まで残っていたアージャの父親。

 ヴァスファートの族長らしき男の方へ小さな体が駆け出し。

 しかし、途中ヴァーチェスの手で後ろに引き戻された。

 途端、やはり巨大な炎の柱が上がり、その中で男が燃え散っていく。


「トトサマぁあああああああああああああああああああああ!!!?」


 それから数秒後。

 再び、街の中央に静けさが戻ってきた時。

 其処にはヴァスファートもエイゼルもなく。

 ただ、高温で歪に焼結して焦げた地面、溶けた金属と人体の燃えた跡だけが残っていた。

 アザヤとアージャ。

 エイゼルの少女。

 三人の少女がその出来事に半ば呆然としている。


「(クェーサー)」


「『………』」


「(Bユニット・ボーンの修復を一時凍結。全動力を周辺観測と現状の解析に使え)」


「『了解。これより観測と解析に注力します』」


 彼ら四人がとりあえず話の出来る場所に移動したのはそれから数分後。

 唯独り。

 泣き暮れるヴァスファートの少女だけは、それを嫌がったが、アザヤは命令する事なく。

 その体を無理矢理に抱いて、引っ掛かれようと噛み付かれようと構わず。

 運んだのだった。


 *


 言葉にしてしまえば、軽くなってしまう気がした。

 だから、慰めはしない。

 父の亡骸を目の前で見る。

 それも無念だろう姿を。

 それは例え、相手が敵の娘だろうと味わっていい感情では無い。

 まだ、数日も経っていない。

 ヴァスファートとアンクトは共に長と男達を何人も失った。

 それを主導していたらしきエイゼルもまた数十人が犠牲となった。

 一体、この地で何が起きているのか。

 私は知らねばならないと思う。

 こんな思いをもう誰かにして欲しくはない。

 それが敵であれ、味方であれ。


「さぁ、話してもらうぞ。一体、エイゼルが何の為にアンクトをヴァスファートを使って滅ぼそうとしたのか。あのヴァスファートの男達に何をしたのか」


 唯一、半分程が焼け残っていた通りにある家のリビング。

 風が吹き、外が見える場所で。

 テーブルを囲み。

 私は黙り込んでいるエイゼルの少女を睨んだ。


「な、何の為に……?……わたくしは一体、何の為に……ぅ……っ」


 頭に手を当てて、ブツブツと呟きながら、瞳を閉じる相手に更に質問しようとして。

 ヴァーチェス様の手に留められた。


「質問はこちらでする」

「どういう事ですか?」

「何故、あの鎧達にマルティテュードの効果が薄かったのか分かるか?」

「それは……どうしてでしょうか?」


「たぶん、お前の見せてくれた魔術というものが関係している。最初からエイゼルの者には命令が行われていた形跡も確認出来た」


「魔術による支配、ですか?」

「その可能性が高い。それとこっちの子はアージャと同じ。特異な体質だ」

「え……」


 思わずアージャを見るも、椅子の上で膝を抱え顔を埋めてしまっている。

 今はそっとしておく以外無いのがよく分かった。

 自分とて、ヴァーチェス様がいなければ、ずっとそうする以外に無かったはずで。

 言葉にこそ出来ないが、その想いは理解出来た。

 いや、死に様を見たという点では自分よりも辛いかもしれない。


「……名前は何と言う?」


「わ、わたくしはエイゼルの王。バラフスカ・アシト・エイゼルの長女。アイシャリア・アシト・エイゼルと申します」


 何とか顔を上げて、顔色の優れない様子で応えた少女。

 彼女の素性を聞いて驚く。


 こんな辺境に手を出し、あまつさえ自分の娘を遣わすという時点でエイゼルの行動は意味不明だった。


「どうしてエイゼルはこのアンクトを欲しがった?」


「欲しがる? 欲しがった……いえ、わたくしはただ、父がこの地に向かえと言ったので、それで……それで、お役に立ちたくて、いつもしている剣のお稽古でどれくらいの腕前になったかも試したくて、それで……」


 ブツブツと要領を得ない言葉。

 やはり、魔術による支配のせいか。


 それがどのようなものか知りようも無かったが、アイシャリアと名乗った少女はボソボソと話し始める。


「お前はどうしてヴァスファートの長を殺すように命令した?」

「!?」


 思わず顔を上げたアージャの顔には怒りと哀しみと憎しみがあった。


「え? 殺す? わ、わたくしはただ言われたから、言われて、誰に? 父はそんな事、でも、誰かにそうしろって、わたくしはそうするべきだって、土人を殺すのは上流階級の嗜みだとあの人が……」


「あの人とは?」

「あの人? ひ、人……人、人と、とと、ととととと?!!?!?」


 様子と言動が更におかしくなるのを見て、アージャを抱いて後ろに下がる。

 ヴァーチェス様が何やら難しい顔をして、アイシャリアの瞳を覗き込んでいた。


「『脳波に異常。一部の領域に物理量の上昇を確認。このままでは脳の破損が懸念されます』」


「(ただちにその領域の活動を低減させろ。それと解析は終ったのか?)」


「『脳の一部領域が特定の脳波で別領域との交信を行なっている事が実際に確認されました。空間の一部に僅かな歪を確認。その先との通信状態が維持されている事により、活性は引起されているようです』」


「(それを遮断出来るか?)」


「『遮断可能。また、脳機能の掌握後、残留する技術の痕跡を解析し、魔術の具体的な理論を逆算します』」


「(ただちに行なえ)」


「『了解』」


 いきなり、カクンとアイシャリアの頭が前に倒れた。


「(これで交信は途絶えたな。クェーサー)」


「『脳機能の状態が正常に復帰したのを確認。これより掌握を進める為、インプラントを推奨』」


「アザヤ。この子にアージャに付けたのと同じ印を」

「は、はい!!」


 言われるまま。

 私は後ろに回ってマルティテュードの剣先をそっと首の後ろに付けた。

 するとアージャの印と同じものが浮かび上がる。


「これでいい。下がっていろ」

「は、はい」


 私が再びアージャの横に付くとヴァーチェス様がパチンと指を弾いた。

 その途端、パッと何かが切り替わったかのようにエイゼルの少女が首を起こして、目を瞬かせた。


「あら? 此処は……? え? ええ? な、何ですの!? お部屋が半分無い?!」


 何やら驚いた様子で彼女が周囲を見回して困惑した様子になる。

 それを見て、私は何となく。

 相手がもう自分のした事もまともに覚えていないのだろうと感じた。


「あなた方は一体どなたですの?」

「今まで自分がやった事も覚えて無いのか?」


「やった事? わたくしはええと、確か……家庭教師の方を紹介されて……んん? ちなみにわたくしが何をしたと言うんですの?」


「―――お前はアタシのトトサマを殺した!!?」


「へ? え? あ、あの!? な、何を!? わたくし、こう見えても剣の腕はまだまだ普通というか。そもそも、どうして貴女みたいな小汚い子のお父上を殺さなきゃならないんですの? まったく、とりえあえず寝言は寝てから言って欲しいものですわ。あ、それと出来れば、父に連絡を。此処が何処だか知りませんけれど、わたくしはやんごとなき家の血筋。お稽古やお勉強があるので早めに帰れるよう取り計らってくださいまし」


「お前ぇえええええええええ!!!?」


 飛び掛かろうとしたアージャを私が何とか後ろから抑える。

 その形相にどうやら腰を抜かしたらしく。

 アイシャリアがビクリとしてから、背中を仰け反らせて、椅子ごと引っくり返った。


「あいたたた。な、何なんですの!? わ、わたくし、何も貴女にしたりしてな―――」

「してる。これを」


 ヴァーチェス様が空中に小さな窓のようなものを生み出し、起き上がろうとしている彼女にまだ一刻も経っていないだろう過去の光景を映し出した。


 それを見ていた顔が真っ青になっていく。


「な、な、こ、これ、これ!? わ、わたくし、わたくしがこれを?! いや、そんなはず!!? これはまやかしですわ!! まやかし!! そうでなければ、おかしいですもの!! わたくしは確かにやんごとなき家の血筋ですが、土人だからって殺して回るような悪趣味で醜悪な性格じゃありませんもの?!!」


「悪いが、これは事実だ。其処の広場を見てみろ」

「え―――?!!」


 今しがた終った映像の最後。

 角度こそ違えど。

 同じ風景が周囲には広がっている。

 ヴァスファートの男達とエイゼルの兵。

 どちらも燃え散った痕。

 それは今も生々しく焦げ痕を晒していた。


「ほ、本当にわ、わたくしが? そ、そんな……」


 今更無かった事には出来ない。

 命の残渣。

 私はどう言えばいいのか。

 ただ、哀しかった。

 敵ならば、憎みようもある。

 殺されたなら、憎みようもある。

 しかし、覚えていないと言われたら、どうすればいいのか。

 操られていたからと納得出来るものではない。

 それなのに相手は何も知らず。

 死んだ者の顔さえ分からない。

 心のやり場がない、という事なのかもしれない。

 アージャすら、怒りよりも哀しみの方が勝っているように震えていた。

 父は何に殺された。

 どうして死ななければならなかった。

 それを決めたのは誰か。

 ただ、目の前のアイシャリアを殺せば、気が済むという話でもないのだ。

 もう、その背後に誰かがいた事を知っている以上。


「わ、わ、わたくしは……」

「誰に操られていたか。分からないのか?」


「操られて……わたくしの最近の記憶……わたくしは家庭教師の方を紹介されて……そこから、あまり覚えていませんわ……」


「カテイキョウシ?」

「専属で物事を教えてくれる職業の方です」


 私が説明すると。

 僅かに考え込んだ様子でヴァーチェス様が頷く。


「エイゼルの兵が同じような魔術の影響下にあったと推測すると。共同体自体が乗っ取られている可能性が高いのか……」


「ま、待ってくださいませ!? わ、わたくしの故郷がの、乗っ取られているとはどういう事ですの!?」


「お前のようにされている可能性が極めて高い。正規の兵力がそのまま言いなりになっていたと考えれば、少なくとも意思決定者……エイゼルの最も高い地位にある者も同様の状態と考えるべきだ」


「そ、そんな……」

「ヴァーチェス様」

「?」


 私は今までのやり取りから、今しなければならない事を見定め、決意を持って話し掛ける。


「一体、誰が何の為にこんな事をしたのか。私は知りたい……エイゼルへ共に向かってくださいませんか?」

「この地を離れると?」


「はい。ヴァスファートはもう既に散り散り、族長が倒れ、多数の死人を出した以上、まともに反攻する力も残ってはいないでしょう。逃げる際にはもうアンクトの民に危害を加えられないように命令しておきました。問題はエイゼルです。エイゼルの民は我々よりもずっと数が多い。正規の兵もかなりの数になる。もし、あの転移で再び攻め込まれれば、我等アンクトがどうなるかは明らかです」


「だから、相手の本拠地に乗り込む、と?」


「はい。ヴァスファートをけしかけ、アンクトを屠り、エイゼルを操る何者か。もし、そんな者がいるとすれば、放っておく事など出来ません。どうか……お力をお貸し下さい。ヴァーチェス様」


 頭を下げる。


「分かった」


「それで、なのですが、アンクトの民をお力で守って下さいませんか? 此処を離れれば、もう何かあっても、私の手が届かないかもしれない。ですから、どうか」


 頭を下げる。

 本来なら自分で考え、しなければならない事だ。

 しかし、今の自分にあるのは借り物の力に非力な体。

 ヴァーチェス様に縋るしか道は無かった。


「(DIYキットで地下防衛用の装置を作れるか?)」


「『可能ですが、現地特例に抵触しないものとなれば、原始的な防衛機能しか持たせられません』」


「(十分だ。地下の共同体構成員の生体維持と外部からの攻撃に対する防衛。この二つさえ行なえればいい。総合ストレージ内から適当に見繕え)」


「『了解しました』」


 僅かに沈黙していたヴァーチェス様が顔を上げて頷いて下さる。

 それを見て、胸に凝るものが少し軽くなった気がした。


「わ、わたくしも連れて行ってくださいまし!! わ、わたくしの祖国に何かあったら、わ、わたくしは、わたくしはッ!!」


「連れて行け。アタシは……本当の事が知りたい」


 アイシャリア。

 アージャ。


 二人ともがその瞳に必死な輝きを湛えていた。

 それは自分とて同じ。

 故郷が傷付き、人が死んだ。

 それだけで動くには十分だった。


「分かった。ヴァーチェス様もそれでよろしいですか?」

「ああ」

「では、馬を調達してきましょう。此処から徒歩で十日以上掛かるはずですから」


 私が家から出ようとした時。

 ヴァーチェス様が首を横に振った。


「それでは遅過ぎる。こちらで用意しよう」

「え?」


 私が馬よりも早いもの。

 大きな鳥や竜を思い浮かべた。

 大国には数こそ少ないものの。

 竜騎兵や鳥騎兵がいると言われている。

 目で見た事こそ無いが、商人達や吟遊詩人達はよくそれらの勇壮さを語っていた。

 それらのような大きな乗り物になりそうな生物。

 あるいはいつもお座りになっている椅子を出して下さるのだろうかと首を傾げる。


「(DIYキットを作動。防衛用装置の生成と同時に適当な移動手段を造れ。反重力ユニット式で取り回しが良ければ、幼年個体の玩具程度でも構わない)」


「『DIYキット作動。総合ストレージ検索。本用件に該当する防衛装置10003件。現地特例抵触を避け、再検索。1件。これより作成開始。反重力ユニット式移動用手段検索323023件。現地特例抵触を避け、再検索。2件。装着式と搭乗式。どちらにしますか?』」


「(装着式だ)」


「『了解。装着式を選択。これより作成開始』」


 ヴァーチェス様がいつものように少しだけ虚空を見つめて、椅子に乗ったまま、外の道へと向かう。

 それに付いていき、私は目を疑った。

 焦げ痕が未だに残り、無数の瓦礫と焦げた柱が散乱する街がまるで砂のように崩れ。

 そして、白銀の光を伴って地面を渡り、私達の目の前で一つの塊となっていく。


 奇蹟。


 その光景をそう呼ばずに何と呼ぼう。

 私達の街は潰えた。

 しかし、それが新たな形となって輝きを取り戻していく。


「焼け壊れた住居と街の跡を使わせてもらうが、構わないか?」

「は、はい!!」

「こ、こんな、あ、貴方まさか大魔術師ですの!?」

「ア、アクマを取り憑かせてたのは、ア、アンタだったの!!? 眠そうなの!!」


 私の前でソレがゆっくりと姿を現した。

 表面が薄らと透けて、神剣と同じ色合いとなっていく。

 巨大な鐘楼のようにも見える塔。

 どんな御伽噺にも出て来なかった継ぎ目一つ無い荘厳な色彩。


 掘り込まれている無数の溝から水銀のような液体が小川のように流れ出し、まだ残る街の焼け跡を飲み込んで水平な白銀の大地へと塗り替えていく。


 やがて、小川が途切れ。

 今度は本物の水が大地に刻まれた溝を伝って、周囲の森へと向かい流れ始めた。


「これは……」


「もし、この地域にアンクトの者以外が入り込めば、この環きょ―――塔の中から流れ出た水が相手を襲い、押し流して地域の外へと押しやる。そして、此処から湧き出る水は人を癒し、傷を負い疲れた体を正常な状態に戻す効果がある」


「あ、ありがとうございます。ヴァーチェス様!! やはり、ヴァーチェス様はアンクトに降り立った守り神です!!」


「後、これを」


 私達の前に差し出された手には三つの小さな蒼い宝玉があった。

 やはり、神剣と同じ色合い。

 しかし、内部に銀色の揺らぐ液体らしいものが注ぎ込まれている。


「これは?」

「直接額に付けてみろ」

「は、はい」


 言われた通り、手にとって、そっとおでこに付けた途端。

 キュッと音がして額に埋まったように取れなくなった。


「そのまま、空に向かって跳んでみろ」

「跳ぶ?」

「それで分かる」


 その場から走り出して跳躍した途端。


「え?」


 私は空に飛び上がっていた。


「わ、私、飛んでます!! つ、翼が、鋼の翼が生えて飛んでいます!? ヴァーチェス様!!」


 何時の間にか。


 私の背中や腰、踝に服の上から鋼の翼が、大きな大きなはしばみのような翼が、三対もくっ付いていた。


 広げられた鋼細工は壮麗にして優美。

 しかし、滑らかで違和感もなく、手足のように動かせる。


「それがあれば、エイゼルまで行くのに苦労はないはずだ」

「は、はい!! 神の御翼……まるで、教会の言う天使のようですね!! 私」


 自分で言ってしまってから、赤面した。

 天使なんて、そんな綺麗で聖なるモノと比べるのもおこがましいのは自明。

 それどころか。

 これも全て与えてもらった力なのだ。

 昂揚で思わず口にした事を恥じる。


「お前達の分だ」

「え?」

「く、くれるの? ま、また、アクマに乗っ取られるんじゃ……」

「お前達だけ、徒歩でもいいなら構わないが」


 アイシャリアとアージャがそのお言葉におずおずと宝玉を手にとって額に付けた。


「え、えい!!」


 バサリとやはり服の上から翼が生え、アイシャリアが飛び上がって、目を白黒させる。


「こ、こんな?! だ、大魔術師って凄いんですのね!?」

「ア、アタシだって!!」


 額に宝玉を付けて、アージャも跳んだ。


「う、うぁあああぁあ?!! と、飛んでる?!! アタシ飛んでる!?」


 全員が上空に舞い上がったのを確認して。

 ヴァーチェス様の椅子がふよふよと少し遅めに空高くまで昇ってくる。


「これでエイゼルに向かう。いいか?」

「は、はい」


 頷くとヴァーチェス様が未だに少し慣れない様子でこちらに近付いてきた二人に視線を向けた。


「アイシャリア・アシト・エイゼル」

「な、なんですの? い、今更、返せとか言われても返しませんわよ!?」


「……お前は自分の故郷がどうなっているのかを確かめる為にエイゼルに向かう。相違ないか?」


「え、ええ!! わ、わたくしを操り、あ、あんな事をさせるなんて、絶対に許せませんもの。それに父や民達がもしも同じような事をさせられていたら、止めるのは王家の人間の務め。わたくしは帰らなければなりませんの!!」


「分かった」


 次に視線がアージャに向けられる。


「アージャ・エル・ヴァスファート」

「な、何?」

「お前は自分の故郷を騙したエイゼルを操る者を探したい。そういう事でいいか?」


「ア、アタシはエイゼルを許さないッ!! でも、エイゼルにそんな事をさせて、後ろから笑ってるヤツはもっと許せない!! だからッ、だからッッ、アタシは付いていってトトサマのカタキを取る!!!」


「分かった」


 二人に確認を取ったのがどうしてか。

 私に向かい合うヴァーチェス様を見て、ようやく理解する。


「この二人を連れていく。そして、アザヤ。お前は故郷を守り、自らの父を殺す原因となった者を見つける為にエイゼルへ向かう。そうだな?」


「はい。私はアンクトの末。例え、小さな邦でも、誇りと命を穢されて、黙って過ごす事は出来ない。エイゼルの侵略を阻止し、このアンクトの地に再び平和を齎す為、父の仇たる何者かを討つ為、往きます」


「なら、いい。では、向かおう」


 そこで私はふと気になった事を訊ねる。


「あの、ヴァーチェス様」

「何だ?」


「ちなみにこの神の御翼は何という名前なのでしょう? それとこの宝玉ですが、額に埋まったままなのですか?」


「……ちょっと待て」


 そう言って、ヴァーチェス様の視線がまた虚空に向かう。


「『対象反重力ユニットの名称は【絶宇の海中~ディレクターズカットスペシャルエディション版量子宇宙干渉躯体セラフィック・ライド最終進化形態バージョン1】です』」


「(何?)」


「『267465642時間前に第四銀河の一星系で好評を博した映像コンテンツ内に登場する我々【全能器イデアライザー】の一形態を想像した仮想マシンです。当時、僅かに我々を観測した事から文明が発展した為、共同体加盟時に記念して創られた時には多くの―――』」


「(黙れ。つまり、低位文明の映像媒体の中に出てくるモノ、なのか?)」


「『大ヒット御礼記念に造られた仮想マシンの最高品質、超少量生産の模型モデリング・マテリアとデータにあります』」


「(………外せるのか?)」


「『脳神経系と複雑に融合する為、取り扱いには細心の注意を払ってください、とあります』」


 ふと目の焦点が結ばれると私達に向かってポツリと呟きが零された。


「外せない。それと名前はセラフィック・ライドだ」

「あ、はい。分かりました。神の御翼セラフィック・ライド!! 素晴らしいお名前です!!」


「外せないのですか?!! あ、貴女も何でそんなに嬉しそうなんですの!? これ、じ、人生の一大事ですわよ?!」


 どうしてか。

 アイシャリアが私の方を見て、口角泡を飛ばし。

 それに何を焦っているのか良く分からず。

 私は翼を撫でながら、彼女に向かい合った。


「そもそも大魔術師でも無い我等のような者が空を自在に飛べるというだけでも素晴らしい事のはず。額の宝玉は神に選ばれた証。何か問題があるとは思えない」


「ぅ……あ、貴女はどうなの? ヴァスファートのええと。何でしたかしら?」


「アージャ!! 人の名前覚えないなんて?! ツバサは別にいい。額はきっと、これ見せたら、みんな羨ましがる」


「こ、此処には普通の感覚が分かる人間はいませんの?! それに!! さっきから御翼とか神とか!! あの椅子に乗った眠そうな大魔術師に随分な熱の入れ込みようです事!! 恥しいとは思わない? 教会の神への侮辱ですわよ?!」


「な!? アイシャリアと言ったな。お前は今までの光景を見ても、まだこのお方が大魔術師等と思っているのか?」


 私は思わず反論していた。


「え……じゃ、じゃあ、本当に神様だとでも言うつもり?!!」


「そうだ!! 此処に御座すのは天空の神々の一柱!! ええと、確か……七つの天河を守護せし、第六天の将。四億八千万の星々を束ねたる大いなる理の一つにして、第二十八【全能器イデアライザー】アルゴノード・クェーサーの操者たる方。ヴァーチェス神様だ!!!」


「な、何だか凄そうですわね。まさか、教会以外の神々がこの呪われた地に降臨するなんて。一応、奇蹟は本物のようですし……ぅ……今までの非礼はお詫び申し上げますわ。ヴァーチェス神様」


「まさか、眠そうなのが、カ、カミサマだったなんて?! アクマじゃなくて取り憑いていたのはテンシ?! わ、悪い子にならないから、夜のオネショは止めて!!」


「はぁ……」


 溜息をお吐きになったヴァーチェス様が二人に視線を向ける。


「神と呼ばなくていい。後は好きにしろ」

「……何だか投げやりな感じですのね。やはり、教会の大いなるお方が一番ですわ」


 ボソッと呟いたのを見逃さず。

 私が睨むとアイシャリアがそっぽを向いた。


「ね、眠いの!? ア、アタシにオネショのノロイ掛けたりしない?」

「しない」

「ほ、本当?」

「本当だ。ちなみにオネショとは何だ?」


「オネショって言うのは夜に水を飲んだら朝に―――するものなんだよ。オニーチャン?!!? ぜ、絶対にい、言わないから!!?」


 アージャが勝手に喋ろうとする口を思わず手で死守して重要なところは何とか言わず。

 安堵した様子で大人しくなる。


「では、そろそろ行きましょう。こうして喋っていてもしょうがありません」

「分かった」

「う、うん!!」

「早く帰りたいですわ……」


 四人でそのまま出発しようとして、私ははたと気付く。

 どちらに行けばいいのかと。

 他の三人を見ても、やはり難しい顔をして固まっている。


「その、ヴァーチェス様」

「分かってる。クェーサー」


 視界に何やら槍のような進む方角を示しているのだろう紋様が浮き上がった。


「ありがとうございます。では、今度こそ出発しましょう」


 そうして、私達は山岳すら真下に見下ろす大空の上、日が沈まぬ内にエイゼルの最も大きな街。


 アルワクトに辿り付いたのだった。


 思っていたより、翼は……少しだけ遅かった。

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