第三話:そして死者は還る

 僕は遥と出会った公園に向かっていた。

 向かう途中でもパトカーが赤色灯と点けサイレンを鳴らしながら街中を走り回って警戒にあたっている。後部座席をよく見るとお坊さんやキリスト教の司祭、神道の宮司さんなどが乗っている事があり、彼らのお祓いによって幽霊は再びあの世へ帰されるのだろうかなどと走りながら考えていた。

 

 ほどなくして公園に着いた。

 公園に入ろうとすると、入口に若いサラリーマンが倒れているのを見た。顔色を見ると青ざめ、唇が紫色に変色している。

 意識は既に無い。体温が低下していると思う。かろうじて呼吸はしていたみたいだから生きては居る筈。119に掛けて僕は救急車を呼んだ。が、この混乱の中で果たして何時来てくれるだろうか。命に関わらなければいいんだけど。


 公園のベンチには遥が座っていた。

 昼間と全く変わらない姿。

 僕がベンチに向かって歩き出すと僕の事に気づいて、彼女はぱっと表情を明るくして立ち上がり、少し頬を膨らませながら声をかけてきた。


「連絡したのにどうして電話に出てくれなかったの?」


 言いながらつかつかと僕の近くまで歩を進める。


「ああ……いや、たまたまその時トイレにいてスマホ持ってなかったからね。それより僕もメッセージ投げたはずなんだけど気づかなかった?」


「あれ? そうだっけ? ごめん確認してなかった」


 僕の近くまで駆け寄ってきた遥の顔色は、昼と違って血色がよかった。生きている人々とまるで遜色がない。

 

「遥なんだか顔色良くなったね」


「そう?」


「それより、家族が心配しているよ。帰らなくちゃって遥も言ってなかったっけ?」


「ああ……そうね。確かにそうだわ。帰らなくちゃいけないの、忘れてた」


 忘れていた……? 自分から発した言葉だと言うのに?

 

「その前にさ、ちょっと一緒に何処かに行こうよ。お腹空いたしファミレスにでも行かない?」


 そう言って遥は僕の手を握った。暖かい人の温度を感じる。

 僕の疑念は確信に変わる。

 僕は遥の手を振り払い、後ずさる。ポケットに手を忍ばせ、効果があるかわからない清めの塩を握りしめる。

 それをきょとんとした目で見つめる遥。


「ねえどうしたの? さっきから敬、おかしいよ」


「おかしいのは遥の方だろ。一体君は何をしでかしたんだ?」


「何をって?」


 首を傾げる遥。


「公園の入り口に倒れていた人がいた。体温が低下して今にも死にそうな人だ」


「ああ……」


 遥の無邪気な笑顔が消え、一転して冷徹な笑みに変わる。

 

「私ね、寒かったの。暖めてくれる人が欲しかった。そしたらちょうど、私を買いたいとかいう人が現れたの。暖めてくれるなら誰でも良かったからその人の体に触れた。そうしたら熱を貰える事に気づいたの。多分死にはしないだろうから何も問題は無いわ」


「熱を奪ったんだな」


「そうよ。おかげで私、やっと生き返ったような気がするの」


 僕は思わず歯ぎしりをし、叫ぶ。


「それは生き返ったなんて言わない。君は化け物になったんだよ! 人の生命を奪って生きる化け物に!」


 僕の言葉を聞いて、遥は体を硬直させてこわばり俯く。

 化け物という単語が余程効いたのだろうか。

 しかし遥は、自嘲気味に笑いながら僕の方を睨みつけながら言う。


「仕方がないじゃない。私だって人から奪わなくても生きられるならそうしたかったけど、ずっと寒いままなんだもの。それ以外に何か、まともになれる方法があるなら教えてよ!」


 ぐっ、と言葉に詰まる。

 確かに僕も遥と同じ状況に置かれたら同じことをするかもしれない。

 彼女たちはただ現世に誤って呼び戻されただけの哀れな存在なのだから。


「そんなの、僕だって知らないよ……」


 僕はただ遥と同じ時を歩んで生きたかっただけなのに、どうしてこうなってしまったんだろう。恨みがましく僕は空を見上げる。未だ知らない神の存在とやらを睨みつけて。

 お互いに言葉を無くし、僕たちは俯いて地面を眺めていた。

 何分経過しただろうか。せわしなく移動するパトカーのサイレンの音が遠くで響き渡り、時折半透明の青白い人魂がゆらりと視界を過ぎる。

 僕は空を見上げ、今しか言うべき時が無いと唐突に決意して言葉を紡ぐ。


「遥、僕はね、君のことが好きだったんだよ」


 遥は僕の言葉を聞いて、ぷっと噴き出して僕の方を見て笑った。


「知ってた。何時言うのかなって思ってたけど、結局生きてる間には全然言おうとしなかったよね」


「……悪かったと思ってるよ」


「本当にさ、ケイはなんでも遅かったよね。走るのも遅かった。食べるのも遅い。中々物事を決断するまでにも時間が掛かる。じっくり考えすぎるから。でも、今回ばかりは本当に遅すぎるよ」


 遥の僕を見つめる視線には非難の色が見て取れる。今更過ぎると言わんばかりに。

 

「こんな私になってもケイは本当に好きでいてくれる?」


 手を差し伸べて、震える笑顔で遥は僕に問いかける。


「今更だけど、それでも僕は遥が好きだよ」


 僕は遥の手を握った。まだ暖かい手は生きていた頃の遥を思い起こさせる。

 遥は安堵したのかほうと息を吐き、涙を流してくしゃくしゃになった顔で僕の事を見つめる。


「私も好きだよ、ケイ」


 その言葉を告げた後、急に辺りの温度が下がった。

 元々夜という事もあって気温は低かったが、それよりも更に下がって手足が凍てつく所ではない。冷凍室、いやそれ以上に冷やされていく感覚。

 暖かった遥の手もいつの間にか氷を握っているかの様に冷えている。僕は慌てて握った手を離そうとしたが、凍り付いた金属に触れてしまった時の様に張り付いて離れない。

 

「遥、何をするつもりなんだよ!」


「ケイの意思が確認できて良かった。お互いに好きで良かった。一緒になろう」


「一緒にって……まさか」


「わたしとケイが一つになれば、きっと幸せだと思う」


「馬鹿な考えはよせ!」


「どうして拒否するの。どうして一緒になろうとしないの。どうして。どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてどうして!!」


 だだをこねる子供のように何度もどうしてと繰り返す遥。好きという感情が転じて憎悪に変わるにつれ、握られている僕の手から体温が奪われていく。体温の低下とともに僕の意識は薄れていく。ポケットの中の塩を投げる事も、オイルライターを着火して投げつける事もかなわない。


「でもいいわ。このままケイをすべて私の物にすれば、私とケイはずっと一緒に居られる。私は幸せに生きられる!」


 遥は僕の熱を奪いに掛かり、更にその勢いを強めようとする。

 もう、遥はやはり人である事を完全に止めてしまったのか。一縷の望みに掛けて僕は来たけど、所詮それも無駄だったのか。

 諦めが僕の胸の中を支配しようとした瞬間、それは起こった。


「……何、なんなの」


 僕の熱をすべて奪いつくそうとした遥の腕が、赤熱し煌々と輝いている。

 

「あ、あああああああああ、熱い! 一体どうしたっていうの!」


 遥と僕の凍り付いて癒着した手は熱によって融解して離れ、加えて遥の腕は熱に耐えられずにボロボロと煙草の灰の様にこぼれ落ちていく。

 同時に僕の胸のあたりから炎の噴流が噴き出し、周囲の冷気をすべて払う。

 氷点下何十度にまで落ち込んだ気温は元に戻った。気温の落差が激しかった為に温度が一桁であっても暖かいと感じる。

 何だ、いったい何が起こっている。

 

「やれやれ。会うなって言ったのにやっぱり会いに行くのよね。これだから人間は全く世話が焼ける」


 僕が困惑していると、音も無く僕と遥の間に彼女は現れる。

 灰色のコートとマントに身を包み、身の丈ほどの青白い輝きを放つ鎌を持っている死神を名乗る少女。

 死神は僕の方を振り向いて言う。

 

「遅かれ早かれ死人はこうなる運命なのよ。君の事が本当に好きだったのかもしれないけど、奪う事でしか彼女らは生きていけない」


「……」


「ま、おかげで一人探す手間が省けたわ」


「……僕を囮にしたのか」


 死神はにこりと微笑む。その笑顔がまた憎らしい。


「正解。どうせ君は行くだろうって思ったから、君に熱を戻した時に一緒に火を仕込んでおいたのよ。彼岸の火をね」


「彼岸の……火?」


「そう。あの世の世界に存在する火よ。生者には何の害ももたらさないただの熱源に過ぎないけど、あの世の世界にひとたび足を踏み入れた存在にとっては全てを焼き尽くす火になる。私が持ってる火はとびきり効果があるわ。なんたって地獄から持ち出してきた火だもの」


「ああああああああ! ああああああああああああああ!」


 彼岸の火によって腕を失い、さらに体までもが灼熱の炎に苛まれる遥。

 ……見て居られなかった。例え化け物に堕ちたとは言え、姿形はかつて見慣れた遥そのままだったから。

 僕は死神に懇願する。

 

「なあ、彼女を……遥を楽にしてくれないか」


「元からそのつもりよ」


 彼女は大鎌を構え、軽々と振り上げて、降ろす。

 しゃりん、という金属音と共に青白い半透明の刃は軌跡を描き、遥の肉体を通りすぎた。熱に、火に包まれた遥の肉体はびくりと一瞬震えたと思ったら、糸の切れた人形みたいに地面にうつ伏せに倒れ伏す。

 すると、遥の体から半透明の魂がするりと抜け現れる。彼女は自分の肉体が倒れているのを見、次に僕らを見て、最後に自分の手を、体を見て、大きく息を吐いた。


「やっと、逝ける」


 光の柱が遥の足元から発され、ふわりと彼女の魂は宙に浮かぶ。


「ケイにさんざん迷惑かけてごめん。……ありがとう。でもやっぱり、何もかもが遅すぎたよ」


「……ごめんよ、遥」


「もういいの。全部終わった事だし。さようなら、敬ちゃん」


 遥はにっこりと太陽の様に笑い、星々が煌めく空へと還っていった。


「……さようなら。遥」


 僕はずっと、遥が消えた方角の空を見上げていた。

 傍らで死神が伸びをして、大きく安堵の息を吐く。


「あぁ、ようやく一つ片が付いて良かったわ」


「ありがとう死神さん。なんだかんだで助かったよ」


 礼を言うと、死神は手をひらひらと振って笑う。


「仕事だから頭下げなくていいよ。元はと言えばこちらのミスが発端なんだから。それに、まだまだ復活しちゃった魂はいっぱいあるから、ね」


「これからどうするんだ?」


「どうするも何も、次の魂を狩りに行くだけよ」


「そっか。……流石にもう会う事もないよね」


「さあ、どうかしら」


 死神は僕に背を向けて音も無く歩き出す。

 今更になって気づいたが、彼女が全く物音を出さないのはやはりこの世の存在ではないからか。彼女の持つ大鎌の金属部が触れ合う音だけがしゃりん、しゃりんと周囲に鳴り響く。

 

「もしかしたらまた会うかも知れないけどね」


「え?」


 そして彼女は夜の闇に溶けて消えた。

 

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