第二話:混乱

  

「あ、あの……助けてくれてありがとう」


 死神を名乗る少女は僕をちらりと横目で見た後、鎌の刃に視線を落とす。


「予定外の死者が出たら余計に仕事が増えちゃうからね。当然よ」


 言葉とは裏腹にだるだるな様子を全く隠そうとしない。本当に仕事が嫌いなんだなこの死神とやらは。


「それで、下らないミスって一体何のことなのさ?」


 先ほど聞いて気になる疑問を尋ねると、死神はぎくりとした様子で僕の方を気まずそうに伺う。


「あ、ああー……うん。あんまりあの世の事を言うなって言われているんだけどさ、君は私の仕事も見ちゃったし別にいいかな」


 独り言をブツブツつぶやいたのちに、彼女は話し始める。


「貴方達の寿命ってね、私達の世界、ざっくり言えばあの世とか彼岸とかよく呼ばれるんだけど、そこのとある場所に置かれている生命の灯火っていうので決まっているのよ。それぞれの人々の灯火のランタンが燃えつきるまでが寿命」


「ふむ」


「で、ここからが問題で、ランタンを管理するあの世の職員が居るんだけども、火が消えたばかりのランタンとこれから火を灯すランタンをごちゃまぜにしちゃった馬鹿が居るのね。そのせいで再び火を灯されちゃって、死んだ人たちは現世に引き戻されるハメになったのよ」


 その話を聞いて、僕は脱力せずにはいられなかった。

 何か大層な力が働いて人々や魂が現世に呼び戻されたのかと思えば、あの世の職員の凡ミスだなんて肩透かしにも程があるだろう。

 少女は続ける。


「でも、火を灯されて現世に戻ったとして、既に肉体が失われた人は戻る場所が無いわけ。だから現世を魂のまま彷徨う事になる。貴方が今遭遇した奴がそれね。生物の魂はそれぞれ命の火を宿しているんだけど、生きている人たちは魂を肉体で守って生命の灯の熱を保っていられる。でも幽霊には肉体が無いからその火は熱を失い、やがては消えてしまう。まあ今戻ってきた死者達は熱を既に失っているんだけどもね」


「……」


「では問題です。熱を失った魂はその後どうなるでしょう?」


「さっきの幽霊みたいに、生きてる奴を見たら襲い掛かるようになるんだろ」


 正解、と死神は言った。


「ということなら、肉体がまだ現世にある人なら魂が戻れば完全に生き返る事が出来るのか?」


 僕の質問に対して、彼女は伏し目がちに答える。


「実はそうでもない。時間制限があるの。24時間以内に肉体に魂が戻ったなら、まだ完全な生者として世の中に黄泉返る事が出来る。まだ肉体そのものも死にきれてないから魂さえ戻ってしばらく安静にしていればいずれは元気になる。でも24時間を過ぎてしまうと不完全な生者になってしまう。貴方達にわかりやすく言えばゾンビ、リビングデッドね」


 じゃあ遥は、彼女はやっぱりあの冷たさは完全には生き返っていないのか。

 僕の喉が急にからからになっていく。


「じゃ、じゃあゾンビになった人々は一体どうなるんだよ?」


「生ける死者になった人々は、肉体があるから魂にわずかに残された命の熾火が守られて、少しの間は自我を保ったまま行動が出来る。でもいずれは熾火も消えちゃうから、自我を失って生者の熱を求めるようになるでしょうね」


「……それは助けられないのか」


「誰かの命の火を奪えば、生者に戻る事は出来るわ。でも所詮他者から奪った熱だもの。生者が自分の命を燃やしながら灯す熱じゃないから普通よりも早く尽きる。そうなるとまた生者の熱を求める。再び生命の灯火が消えるまでそれを繰り返すようになるだけね」


 あらかた説明し終えた、と言わんばかりに彼女は息を吐く。

 遥は死んでから既に二日以上経っている。それに会って彼女の体の冷たさと心臓の鼓動の遅さを僕は確かめている。いずれ彼女も熱を求めて彷徨う亡者になり果てると言うのか。折角現世に戻ってきたと言うのにそれはあんまりな仕打ちじゃないのか。

 

「もしかして君は生ける死者と会ったのか?」


 僕の様子を見て変に思ったのか彼女が尋ねる。

 

「まさか。そんなはずないだろ。実際に僕が出会ったのはこいつが初めてさ」


 はは、と力なく笑ってごまかす。

 すると先ほどまで気だるげだった少女の表情が変わり、僕を真っ直ぐ見据えながらつかつかと歩いて近づいてきた。

 体と体が密着するほどまでの距離で、思わず僕はどぎまぎしてしまうが彼女の表情は真剣そのもので僕の体の何かを見ようとしている。

 そして僕の服にさわり、匂いを嗅いで確信を得たのか、僕の顔を下から見上げて睨み付ける。


「嘘を吐かないでほしいな。君には死の気配が纏わりついている。死者と出会って長い間話でもしなきゃここまで濃厚に君の体に付着しないよ」


「ご、ごめん」


「でも君がまだ生きているという事は、その生ける死者はまだ自我を保っていられたみたいだね。だからこそ忠告するけど、今後そいつから連絡があったとしても、決して会わないように。死から復活を遂げたと言っても生ける死者に遺された命の熾火もけして多い量じゃない。二日三日もすれば熱は失われて幽霊たちと同じように自我を失って彷徨うだけの存在になるからね。いいね」


「あ、ああ……」


 彼女の有無を言わせぬ言葉に、僕はただ頷くしか出来なかった。

 

「じゃあ、私は仕事に戻るから。この世が落ち着くまでは変な所に出入りしないようにね」


 そして彼女は疾風の如く路地から消えた。

 いつの間にか霧は晴れて路地裏から出れるようになり、冷凍室の中の様に冷たかった空気も緩んでいる。幽霊が消えた事によって元に戻ったのだ。

 長居は無用だ。とっとと家に帰ろう。

 足早に道を駆け抜けて僕の家の前まで戻ると、隣の家が騒然としている。何があったのだろう? 周囲にはパトカーが二、三台ありまた救急車に運ばれている人の姿も見える。

 家に帰ると、既に帰ってきている母親が僕を迎えてくれた。


「あ、敬今までどこほっつき歩いてたの!? どこかで襲われたんじゃないかと心配

してたんだから!」


「なっ、ちょっと離れてくれよ、苦しい」


 母は僕を抱き、目には涙を浮かべていた。そんな大げさなと一瞬は思ったが実際襲われて死にかけたのだから母親の心配は当然かもしれない。


「もう大変なことになってるんだから。隣の家の死んだばかりのおじいちゃんが生き返ったと思ったら周りの人に襲い掛かって怪我人が出たりしてるし本当に大変だったのよ。あんたもニュース見なさいよ少しは」


 言って母は僕を離していつもの家事に戻る。リビングに入ると、既に父親が寝間着に着替えて晩酌をしながらテレビを真面目に見ている。いつもなら色々とツッコミやら茶々を入れながら座椅子にどっしりと根を下ろしており、そのまま眠ってしまうと言うのに今日は酒を入れても全く顔が赤くなっていない。


「おう敬、帰って来たか。全く死人が蘇るだとか幽霊が現れるとか冗談みたいな話だと思わんか」


 言いながら父はグラスに入ったビールを呷る。

 僕もリビングのこたつに入りながら報じられているニュースを見る。

 どこのチャンネルに変えても特別報道番組ばかりで、番組表通りの放映がなされている局は無かった。

 アナウンサーや現地の取材陣が慌ただしく動き回り、またコメンテーターが的外れの意見を流している。時折と遭遇した人々の恐怖の色に満ちたインタビューも流れてくる。




『ええ、はい。まさか本当に幽霊がこの世に存在するだなんて思ってもいませんでした。私達はすんでのところで逃げられましたけど、一人憑りつかれてばったり倒れてしまって……』


『道を歩いていたらいきなり冷気が辺りに広がって……そしたら目の前にいきなり半透明の青白い人型の何かが浮かび上がってきたんですよ。怖くて口が半開きになって吸ってた煙草を落としたらそっちに気を取られたらしくしゃがみこんで煙草を大事そうに抱えてましたね。その間に慌てて逃げたわけですが……私は今まで幽霊なんてものを信じてはいませんでしたがこの目で見たら信じないわけにもいかないですね』


『とにかく皆さんはパニックを起こさないように、冷静に、暗い所や人通りの少ない場所は通らないように。逆に幽霊と遭遇してしまったら熱源や光を発するものを幽霊に投げてその間に逃げてください』


『対処方法は現在調査中です。なお、蘇った人々の中でも体が冷たく血色の悪い人には注意してください。先ほど入った情報によりますと、蘇ったばかりの老人が人々に襲い掛かり、怪我人が続出したとのことです。そういった人を見かけたら念のために警察に連絡し、保護を求めてください』




 全く持って気が滅入る。

 こんな混乱をもたらしたのが下らないミスだと言うのだから笑えない。

 これで死者が出たらあの世の連中や神は責任を取ってくれるのだろうか?

 僕だけがこの騒動の原因を知っているけど、だからといって他の人に話した所で信じてもらえる内容ではないし、そもそも死神と出会ったと言って信じてもらえるはずもない。死神だぞ。出会ったら死ぬ存在だぞ。それこそ頭が狂ったと思われるに違いない。

 

 報じられる情報が堂々巡りし始めた辺りで僕は部屋に戻り、スマホを弄ってSNSで友達と情報交換を行った。

 学校でも幽霊騒ぎが起きており、幸いな事に怪我人などはいなかったが学校が暫く休校になったりしていたようだ。

 色々情報を集めた結果わかったのは、どちらかと言えば幽霊の目撃情報が多く、生ける死者の目撃情報は極めて少ない。というのも外見から死者かそうでないかの判別はぱっと見わからないし、まだ自我を持っている死者の方が多いからだろう。これから生ける死者からの被害情報が増えてくるんだろうな。

 ……こうやって情報を集めた所で、一般人の僕に対抗できる術はない。せいぜい塩やマッチ、ライターを携帯しておくくらいしか考え付く方法は無い。あの死神がなんとかしてくれるのを待つしかない。無力さをかみしめて僕はベッドに転がる。

 ごはんよ、という母親の声が下から響き、僕は階下に降りた。

 


 いつもより早い夕食を終えて、再び部屋に戻ってくると僕のスマホに着信があった。


「誰だろう」


 着信名を見て、にわかに僕の体は強張った。

 皆上遥。

 生ける死者となった彼女からの着信。いったい何の用なんだろう。

 ニュースで死者や幽霊の情報が報じられ、騒ぎとなった中、彼女は何を思ったのか。いや、その前にもう自我を保って居られているのかどうか。

 病院に連れていかれたのか、その前に誰かを襲ったのか。

 様々な考えが僕の頭を巡る。


「いきなり電話をするのは危ないよな……」


 なんとなくそう思い、僕はメッセージを投げてみた。が、しばらく待ったが返信は来なかった。

 何分待っても反応が無い事に僕はベッドの上で身悶えしていた。もしかしてスマホの操作もできないくらいに思考能力を失ったのだろうか。

 何時までも待っているのも仕方がないので、僕はクラスメイトから聞いていた宿題の範囲を済ませようと机に向かったその時、スマホに電話着信が鳴り響く。

 遥ではない。皆上家の固定電話からの番号だった。


「もしもし?」


「あ、け、敬君? 遥の母親なんだけど、遥そっちに行ってない?」


「え?」


「まだ帰ってきてないのよ、ウチに。折角生き返ったっていうのに何処をほっつき歩いてるのかしら。病院に連れて行こうとしてたのに。警察にも捜索願いは出したけどこの騒ぎでしょ? 捜してくれるかどうかわからないじゃない。そっちにはいかなかった?」


「え、ええと……こっちでは見てないです。できる範囲で良いなら探してみます」


「よろしくお願いするわね」


 電話はすぐに切れた。よほど慌てていたのだろうか。

 咄嗟に僕は嘘を吐いてしまった。あの時会って話をしていたのを正直に打ち明けたら、なんですぐに連絡しなかったのかと言われそうな気がしたから。それと学校をサポっている事がバレるのが後ろめたかったからか。

 いやそんな事より、遥が帰って居ないってのはどういうことだ。彼女は家に帰るって言っていた筈なのに。


「……探しにいくべきか」


 僕の脳裏には一つの姿が思い起こされる。

 死神を名乗る少女の警告。

 会うべきではないと言われた。もう自我を失っている可能性がある。

 でもまだ、彼女の意識はわずかに残っている可能性もあるんじゃないか?

 夜は死者や見えざるものが蠢く時間帯だ。

 今から外を出歩くのは危ないだろう。

 

「……」

 

 僕は拳を握りしめる。

 どんな状態になっていたとて遥は遥だ。

 会って確かめるだけでもしなければならない。

 時計の時刻を確認するといつの間にか22時を回っている。

 僕はコートを着込み、家の鍵とスマホに少しの小銭、それと念の為にお清め用の塩や線香、オイル式ライターをポケットに忍ばせてそっと廊下に出た。

 一階に降りてリビングの様子を少し伺う。

 父親はいない。珍しく布団に入って眠っているようだ。母親もいない。シャワーの音が聞こえるから風呂に入っているようだ。

 

「よし」


 そっと玄関のドアを開け、外へ出た。

 昼の陽気とはうって変わって冷え込んでいる。頬を撫でる風も痛いほどに冷たく、手はすぐに寒さで痺れる。手袋をしていなければ強張るほどに。

 巡回しているパトカーの音が遠くから聞こえてくる。警戒態勢は続いている。

 

 どこに行くべきか。

 僕は最初から見当をつけていた。


 

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