第78話 焔に嗤う 二


 朝の港町は活気に溢れる。舶来の船が訪れる港ではないが、国内のあちこちと航路が結ばれているらしい。近衛たちは人波に紛れて朝市に立ち寄って腹を満たした。

「変な感じです」

 焼き魚を食べながら榊が言う。

「見た目は間違いなく志麻さんで、声も志麻さんなのにも、それでも志麻さんじゃないと分かるの、不思議です」

「そうか、榊には分かるのか。オレは背景を知っているから目の前に居るのが志麻とは別物だと認識出来てはいるが、何も知らねぇ状態だったらこいつが志麻だと思うだろうな」

「何と言うか……入れ物が合っていない?」

 榊は首を傾げながら言う。近衛も首を傾げたが、志麻に化けた晴嵐は横目で榊を見ながら言った。

「それは無意識のうちに魂を捉えているからだろう。俺たちのような変化というものは、見た目を自由自在に操ることが出来ても、魂の本質は変えられないからな」

「魂の本質?」

「その存在が何であるかを決めるのは外側ではなく内側のほうだ。赤子は成長してやがては年老いるけれど、見た目が変わったからといって別の人間になるわけじゃないだろ? 入れ物が合っていないというのは、自然の摂理に反しているというようなことだろ。そうなるはずが無いという結果を生み出すのが俺たちの特性とも言える」

 晴嵐の言葉は榊には少し難しかったようで、榊はさらに首を傾げた。晴嵐は言葉を変える。

「魚は葱にならないし、蜜柑の皮の内側に牛の肉は入っていない。けれども、変化というのは、そういった矛盾を超えたものだ。変化にも色々とあるが、たとえば幻術は別の絵を上に重ねたようなものだな。俺たちの変化は術というよりも性質に近い。鳥が飛ぶように、馬が駆けるように、俺たちは姿形を変えられる」

 少し考えてから榊は尋ねる。

「榊にも化けられますか?」

「当然。一度でもこの目で見たならば、俺たちに化けられないものは無い。もしくは化けられないものを知らないと言ったほうが正確か。その姿さえ知っていれば俺たちは神の姿も写せる」

「声も志麻さんです」

「そりゃ声を出す部位も真似れば声と身体を合わせることも出来るさ。まぁ、これはあまり得意ではないな。人間や鳥の声は模写しやすいけれど、獣は少し難しい」

「それじゃ、志麻さんの射撃の腕は?」

「無理だな」

 晴嵐は即答した。

「たとえば鳥の翼は生まれつき備わっているものだし、妖術や呪術は俺自身に心得がある。そういうものはコツを掴めば簡単に模倣出来る。だが、経験によって培われた能力、射撃や剣術の腕なんかは真似出来ない。所詮はよく似たまがい物だ、本物に取って代わることなんて無いんだ」

 三人は朝市を抜けて埠頭を目指した。目抜き通りを馬や荷車が行き交う。往来の中に軍服姿は見当たらないが、どこかに潜んでこちらの様子を窺っているだろう。

「近衛さん」

 不意に榊が近衛を呼んだ。近衛が振り向くと、榊は足を止めて薄暗い路地裏を見ている。

「変なものがあります」

 榊の視線の先を辿ってみると、路地裏の奥の暗がりで何かが動いていた。最初は酔っ払いかと近衛は思ったが、暫く様子を見ていると、どうも違うらしい。

「何だ、あれ」

 晴嵐も怪訝な顔をする。蠢くものはゆっくりと姿を現した。随分と体格の良い若い男だった。動きこそ緩慢で怪しげな様子だったが、それ以外には平凡な青年に見えた。だが、近衛の隣で榊は明らかに動揺し、晴嵐も愕然としている。近衛には感じ取ることの出来ない何かをふたりは捉えているようだ。

「何が見える」

 近衛が尋ねると、榊は首を振った。

「わ、分かんない、でも、いっぱい……いっぱい入っています」

 チッと晴嵐が舌打ちしてから言った。

「鬼の力に耐える器」

 晴嵐の言葉に、近衛は青年を見た。確かに、他の部分は服に隠れて見えないが、よく見ると顔と首の肌の色が違う。瞳も左右で若干異なるように見える。

「あれがお前の言っていた、呪術の重ね掛けか」

「どうやらそのようだ。ひとつの器に、幾つもの魂を封じ込めた結果だ。実物を目にしてみると、おぞましいことこの上無いな」

 心底嫌そうに晴嵐は言った。

「で、どうする?」

「初対面のあいつがオレたちを狙っているんだ、近くに指示を出している奴が居るはずだ」

 近衛の言葉に晴嵐は周囲を見渡した。軍服姿は勿論のこと、自分たちを注視している人間も見当たらない。

「何も気付かなかったふりをして様子を窺うか? まだ距離はある」

 晴嵐がそう言った次の瞬間、路地裏から木箱が飛んできた。通行人などお構いなしだ。放り投げられた木箱を榊が受け止める。

「大丈夫か、榊」

「はい」

 榊は木箱を地面に下ろした。榊は軽々と受け止めていたが、木箱はずっしりとしている。路地裏の青年がこちらを見ている。通行人が悲鳴を上げた。路地裏から次の木箱が投げられた。榊がまた受け止める。次から次へと手当たり次第に投げられた木箱が飛んでくる。

「完全に捕捉されているか」

 近衛はサッと周囲を確認した。賑わっている往来が今は叫び声に飲まれている。

「榊、この場を頼めるか。オレたちはこの混乱に乗じて埠頭へ向かう。あれは人間とは呼べねぇ。必要ならば迷わず殺せ」

「分かりました」

 逃げ惑う通行人たちに紛れて近衛と晴嵐は埠頭の方向へと走った。その場に留まった榊は青年と対峙する。ゆったりとした動作で青年が路地裏から出てきた。幻術を掛けられたように虚ろな瞳をしている。榊は静かに呼吸した。青年の動きだけがゆっくりと見えた。

 青年の脚が地面を蹴った。振り上げられた拳が榊に向かって下ろされる。その拳を榊は捌き、腕を捻り上げる。関節に力を入れて無理矢理にねじ曲げる。嫌な音が響く。

 折った、と思った。榊は青年の脚を払った。青年は地面に膝を突く。しかし、すぐさま掌底が打たれた。榊は咄嗟に後ろへ飛んで青年と距離を取る。

 間違いなく折ったはずの青年の腕が元に戻っていた。榊は驚いた。

 青年が振るった腕を榊は躱して、その懐に入り込む。腹部に強烈な一撃を叩き込む。吹き飛んだ青年が木箱の山を薙ぎ倒した。

 ダメだ。

 榊は拳を構えたまま青年が起き上がるのを待った。小回りが利くのは榊の利点だが、それだけでは不十分だった。案の定、青年は土煙の中からゆらりと立ち上がった。

 青年が突進してきた。榊は近くに落ちていた木箱の破片を拾い、腕に尖った破片を突き刺した。血は出る。だが、青年は痛みに反応していないようだった。怯むことが無い。木片が刺さったままの腕で青年は榊の頬を殴りつけた。榊は地面に倒れそうになったが、すぐさま体勢を立て直した。五津海との特訓の成果だ。

 たぶん、と榊は考えた。力と再生、それは自分と似た特徴だ。腕を切り落とさなければ、すぐに回復されてしまうだろう。埒が明かない。

 榊は通りに面して出ている屋台に手を当てた。少し力を込めると榊の腕力に屋台がバラバラと崩れた。榊はその木片の中から柱だった長い木材を引っ張り出して、青年に向かって槍のように構えた。槍術や棒術なら近衛と渡会から学んだ。

 青年の腕の木片は刺さったままで抜かれていない。痛みを感じていないために、木片が刺さっていることにも気が付いていないのだろう。

 榊は掴み掛かろうとする青年をあしらい、その心臓を目掛けて木材を突き立てた。青年自身の勢いと、榊の動きが合わさって、木材は青年の胸を貫いた。赤い血が飛び散る。榊はそのまま力を緩めずに、青年の脚を払って倒すと、木材の先を地面に押し込んだ。

 これで、どうだ。榊は木材から手を離し、後ろに飛び退いて青年の手の届かないところまで下がった。榊は青年の様子を観察する。まだ息がある。意識もある。瞳は榊を見ている。心臓を貫いても死なないということは、どれほど急所を狙っても無意味だろう。けれど、首を刎ねられる刀が無い。必要ならば迷わず殺せと近衛は言ったが、再生するのは榊と同じだ。有効な手立てが思い付かなかった。

「やれやれ、参ったな」

 不意に聞こえた声は、榊も知っている声だった。

「近衛あたりなら良いと思っていたけれど、まさか榊を相手にするとはねぇ」

 義足の片脚を少し引き摺る特徴的な足音も榊は知っていた。

「まあ、性能を試すには榊が丁度良いか」

 人々が逃げてガランとした往来に現れたのは、紛れもなく灰谷だった。

「万里さん……」

 不敵な笑みを浮かべた灰谷は青年の隣に立つと、胸に刺さった木材を引き抜いて地面に放り投げた。

「やぁ、榊。折角の機会だから紹介するよ。これの名前は、歓那」

 歓那と呼ばれた青年はゆっくりと立ち上がった。ぽっかりと胸に開いた穴が塞がり始めていた。

「それは、何なのですか」

「人間だよ、少し手を加えてはいるけれどね。よく出来ているだろう?」

 灰谷は自画自賛するように笑った。歓那は虚ろな瞳で灰谷の隣に立っている。命令を待っているように見えた。

「人間? 何人もの人間が入っています」

「そりゃあ、そうだよ。人間の命は儚く短いものだから。強く長くするためには、幾人もの人間が必要だろ」

「そんなの、人間じゃないです……まるで」

「まるで、何だい? 怪物とでも? あっはっは」

 声高らかに灰谷は笑った。榊は戸惑っていた。

「そっくりそのままお返しするよ、榊。これが怪物なら、お前だって怪物だろう? 身体に見合わない力を持ち、老化せず、首を落としても死なず、そう言うお前こそ化け物じゃないか」

「さ、榊は……」

 榊は言葉に詰まった。何をどうすれば良いのか分からない。近衛と晴嵐は埠頭に辿り着いただろうか。足止めは出来たから、ふたりを追い掛けても良かった。晴嵐ならば何か手立てを知っているかもしれない。だが、このまま灰谷と歓那を野放しには出来なかった。ここで戦うしかない。

 しかし、自分の殺し方を榊は知らなかった。

「なぁ、榊」

 ねっとりとした視線で灰谷が榊を見る。

「人間はどこまで神に近付けるんだろうねぇ」

 灰谷は酔いしれるように言った。

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