美容室の担当からの聞き込み
お待たせして申し訳ありません。常連の方が少し話しこまれていきまして。お忙しいところ恐れ入ります。
わたしはスズキと申します。この美容室では5年目になります。前のところには7年いましたので、美容師としては12年目ですね。いよいよ中堅、といったところです。オーナーにも期待してもらっているので、頑張らなくちゃって思っています。
この方ですか。すごいケガですね。大丈夫なんですか。先週の木曜に来たはず、ですか。ちょっと待って下さいね。予約表を見て来ます。
わかりました。シモザトツバキさんですね。カットとメイクでのご予約で、初めてのご来店でした。
13時半からの予約で、全部終わったのは16時頃だったと思います。パーマを掛けたり染めたりするのも提案したんですけど、約束があるから遅くなれないとのことで諦めました。うちはしっかりカウンセリングをしてるんですよ。お客様に満足していただけるように細心の注意を払って施術しています。
なんて、わたしもこの歳になって立派なことを言うようになってしまいました。本当は楽しみたいだけなんです。お客様がきれいになっていくのを。
初めてだったので店や担当の私に対して緊張していたのかもしれません。入り口から入ってきたツバキさんの印象はお葬式の会葬者のようでした。それに身だしなみもちょっと、この店のお客様としてはあまりいらっしゃらないような感じでした。かなり肌荒れしていましたし、もともと無頓着な人かもしれません、髪の引っかかりも多かったです。キューティクルが剥げてしまっていて、馬の尻尾のように固くなってしまっていました。
ただ、とっても素敵な服装でした。ご来店の前に◯◯◯で一通り揃えたと言っていましたよ。すごいですよね。あのブランドで全部揃えたら10万じゃきかないと思います。会社員だと言ってましたが、きっと良いところへお勤めなんでしょう。でもこう言っちゃなんですけど、服に着られているなーと思っちゃいました。まるで新入の大学生が無理して高価な服を買ってしまったような印象すら受けましたね。
ツバキさんの基本のご注文はあの日着ていらっしゃった服装に合うようなシックな雰囲気に仕上げて欲しいとのことでした。また、ヘアセットの他にメイクのご注文もありました。正直なところ最初はツバキさんの肌の状態を見てどうしようかなぁと困っちゃったんです。だけど、よく見ると目がぱっちりしていて小顔だってことに気がつきました。本来はとってもかわいらしい人なんですよ、きっと。この写真じゃ目をつむっているので伝わりにくいですね。残念です。
良い服を着て、良い素材を持っているお客様でしたから、わたしも自分の技術を存分に発揮しようと気を引き締めたことを覚えています。
約束のことですか。渋谷で人と会うんだと言っていましたよ。何のためって、それは聞きましたけど。言って良いんですかね。でも、あの様子じゃきっと成功したでしょうから、いいですよね。
告白するんだって言っていましたよ。しばらく前からイイ感じになってた男性に。雑誌の編集者らしいのですが。いやぁ、ツバキさんとわたしって、あまり年齢が違わないと思うんですよね。30代前半に見えました。わたしなんて恋愛にスれちゃって、男友達は多いけど、みんなから「恋人としてはナシだなぁ」なんて言われてるような女です。だからツバキさんの初々しい感じにクラクラしちゃいました。羨ましくないといったら嘘になります。あんなド平日の昼間に美容室に来れる生活で、ハイブランドの服で揃えられる財力があって、素敵な人と出会っていて。もう雲泥の差っていうですか、こういうの。この表参道の店に来てから何度も「住んでいる世界が違うなぁ」と思うお客様と出会いましたけど、ここ最近ではツバキさんがピカイチですね。
羨ましがる気持ちはあっても、お仕事はしっかりさせていただきました。ツバキさんの髪は肩を超えるくらいの長さがあったので、アレンジはしやすかったです。まず軽めのシャンプーをして、それからトリートメントをして整えた後に、量を減らしました。もともと髪の量が多い人のようですが、きっと美容室行くのをサボってたんでしょう。けっこうすごいことになっていたので丁寧にすきました。あと枝毛も多かったので、全体的に毛先も切らせてもらいましたね。あとはコテを使って動きを出して前髪を整えて……ごめんなさい、詳しすぎましたね。メイクもそんな感じで、肌荒れをケアしつつ、派手すぎず地味すぎずを狙っていきました。告白のことで緊張している感じはあったんですけど、一方でとっても楽しみにしているようでした。女の人って、ああいうときが本当にかわいいですよね。シックというご注文でしたが、基本はピンク、そしてオレンジを加えつつ、押さえるところは黒を使いました。
印象に残っているのは、うーん、笑顔で楽しそうな感じが思い浮かびます。ご来店いただいた直後は暗い雰囲気だったんですけど、好きな人の話や好みの髪型の話をしているうちに変わりましたね。まるで少女漫画に出てきそうな屈託のない笑顔で、内側から光って見えました。あのときの様子を漫画にしたら、きっと小さい花やレース模様を背景にいっぱい書き込むことになるでしょうね。舞踏会へ行く準備をしているような場面で、さしずめわたしはお付きのメイドというところでしょうか。「お嬢様、よくお似合いです」と言ったりして。すみません、妄想が過ぎましたね。でもそのくらいかわいらしくて、しかも、大人としての魅力も見えるような仕上がりになりました。おそらくツバキさんがもう少し若くても、逆に歳をとっていても同じ仕上がりにはできなかったでしょうね。ちょうどよいところで出会うことが出来てラッキーでした。
強いて言えば、アシスタントの子がシャンプーの後に肩と頭皮のマッサージをしたんですけど、「信じられないくらいガチガチでした」と言っていたことでしょうか。いつもの3倍は強く揉まないと柔らかくなる気がしなかったとまで言ってましたから。もしかしてツバキさんも編集者なんでしょうか。デスクワークの人って肩こりがものすごいんですよ。パソコンの画面を見るときの姿勢が悪いんでしょうね。ま、本当のことは分からないですけど。
約束している相手のことはちゃんと聞きました。お洋服に合わせるのが基本でしたけれど、告白を成功させたいなら相手の好みにも沿ったほうがいいはずとこちらから切り出したんです。野次馬的な気持ちが無かったと言えば嘘になりますが。
さっき言った通り仕事は雑誌の編集者で、でもチャラチャラしてなくて真面目だと。雑誌と言っても週刊誌じゃなくて、家具とか、文房具とか、そういう雑誌の編集者だそうです。外見は眼鏡を掛けていて、ふんわり系のショートカット。私服でも襟シャツにチノパンを履いちゃうような。みんなでワイワイ騒ぐよりも、少ない人数でのんびりするのが好きそうな人……いまどきいるんですかね、そんな条件の良さそうな35歳の未婚男性。ツバキさんの前では言いませんでしたけど、もし告白が失敗したら、わたしに紹介してほしいくらいです。成功していたら、お相手のお友達に良い人いないか聞いてもらおうかな。
ツバキさん、また来てくれるんでしょうか。この写真のケガ、ただごとじゃないですよね。一体何があったんです?
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