ここから番外編スタート!
前編 恋人たちのクリスマス
「だーかーらぁっ!
先輩はそういうところが了見が狭いって言ってるんですっ」
私は口に入った米粒が飛び出しそうな勢いで
「嫁ぎ先(予定)のクリスマスパーティに出席してくれと言っていることのどこが了見が狭いのだ」
鷹能先輩はむっつりとした表情で私から目をそらす。
伏し目がちになると、形の整った切れ長の目に長い睫毛が覆いかぶさり、そのアンニュイな美しさに思わず引き込まれそうになる。
でも今は引き込まれちゃダメだ、知華!
言うべきことはちゃんと言わないと!
二学期の終業式の朝。
朝晩の冷え込みが厳しくなってきて、古い木造の青雲寮には、窓や壁の隙間やビニールシートの床から冷気が静かに入り込んでくる。
足元の小さな電気ストーブだけでは温まらなくて、私は首元にぐるぐる巻にしたマフラーが外せないでいる。
それでも、いつもなら先輩と二人で熱いお茶を飲みながらおにぎりを頬張れば、心はぽかぽかと温まってくるはず…なんだけど。
「だって、明日の
部活のパーティは5時には終わるし、ちょっとカフェに顔出してからそっちへ行ったって間に合うじゃないですか」
「
「あ、ほら、本音出たっ!
やっぱりヤキモチ焼いてるだけじゃないですか」
夏に引退したパーカス3年の
先輩たちとは最近ゆっくり話す機会がなかったから、私だってちょっとでも顔を出したい。
なのに鷹能先輩ときたら、
いくらなんでも了見狭すぎでしょ!?
「知華が俺と暮らしていれば、こんなに口うるさくする必要はないのだ」
「またその話をする!
両家の両親と話し合って、私が紫藤の家に引っ越すのは来年先輩が
「相も変わらずうんりょーでの朝食で知華と会うほかは、平日は知華の部活動でなかなか会えないだろう」
「そりゃ平日は仕方ないけど…。週末は部活の後にいつも会ってるじゃないですか」
「それだけでは知華が足りない」
駄々っ子のように憮然としていた鷹能先輩が、ダージリンティーのように茶色く深く澄んだ瞳で私の目をまっすぐに見つめた。
かと思うと。
「知華が足りないのだ。
俺以上に知華のそばにいる時間が長い奴がいるなど、許せるわけがない」
そう言って。
先輩は、私の頭を大きな手のひらで包むようにして自分の胸に引き寄せた。
「俺はもっと知華と一緒にいる時間が欲しい。知華は違うのか?」
「先輩…」
先輩は、いつもそう。
こんな風にちょっと言い合いになっても、最後には素直な気持ちをド直球で出してくる。
いつもは大人びていて高潔な雰囲気を崩さないくせに、私の前でだけこういう素直さを見せてくるのはほんとにずるい。
「私だって…。
鷹能先輩といつも一緒にいたいですよ?
けど、明日は部活のクリスマスパーティもあるし、各パートでのお茶会もあるし。夜には紫藤のおうちのパーティもあるじゃないですか。
明日はそれぞれのパーティをしっかり楽しむことにして、明後日のイヴにゆっくりデートしましょう?」
こういうときは、どっちが年上かわからなくなるなぁ。
なんだか妙におかしくて、私は先輩の胸にくっついた頬をゆるませながら、先輩の背中に回した手でぽんぽんと叩いた。
私にあやされたような形なったのが気恥ずかしくなったのか、鷹能先輩はコホンと咳ばらいをして私を解放すると、マグカップに入ったお茶をこくりと飲んだ。
「仕方ない。では明日の夕方、カフェまで知華を車で迎えに行くよう武本に頼んでおくことにする」
むっつりとした表情だけれど、朗々とした低い声から不機嫌そうな色は消えている。
よし!ここまできたらあと一息!
「先輩、ありがとう。イヴのデート、楽しみにしてますからね!」
微笑みながら先輩の手をきゅっと握ってまっすぐ見つめると、先輩の機嫌は完全に直ったようで、いつものやわらかい微笑みを返してくれた。
先輩と付き合って約8か月。正式に婚約してからは約半年。
私もだいぶ鷹能先輩の扱いに慣れてきたみたいだ。
と、内心ほくそえんでいたら。
「では、イヴの夜にこそ、いつぞやの貸しを100倍…いや、200倍にして返してくれるのだな?」
といたずらっ子のような笑みを浮かべた先輩が私の瞳をのぞきこんだ。
……忘れてた……
途端にいつぞやのうんりょー合宿の夜を思い出す私。
私を大切にしようと理性と戦っていた先輩にわがままを言って、ぎゅうって、チュッて、してもらったんだった。
その代わりに、って先輩が一方的に出した交換条件が “この貸しは200倍にして返してもらう”ってこと。
私の誕生日もなんとかごまかして乗り切ったし、その理不尽な取引はうやむやにしようと思ってたのに…!
「なっ、なんのことですかね…?」
飛び出てきそうな心臓を飲み込むように声を上ずらせてとぼけたけれど、目の前のギリシャ彫刻は口元に笑みをたたえたまま、射抜くような目で私をとらえて離さない。
「俺はあのとき自分を律して知華の思いに応えたのだ。
そろそろ借りを返してくれてもいい頃だろう」
「うっ…。
で、でもあれは先輩が一方的に出した条件だし…」
頭から湯気が出そうなほどカアッとのぼせる私を見て、先輩がくすりと笑う。
「ではこうしよう。今ここであの時のキスを返してくれたら、200倍を100倍に減らしてやってもいい」
あれ?いつのまにか形勢逆転してる?
なんか言い返したいけど、下手をしたらさらに先輩の手の内にはまりそうな気がしなくもない。
「なんか腑に落ちないですけど…」
そう言いながらも、私はパイプ椅子から腰を浮かせて、隣で嬉しそうに口角を上げてる先輩の唇にそっと自分の唇を重ねた。
離そうとしたときに、先輩の方からもう一度唇を重ねてきて。
それから先輩は、とびっきり芸術的な微笑みで「イヴが楽しみだ」と私を抱き寄せた。
うーん。
やっぱり先輩には敵わない。
ちょっと癪だけど、きっと先輩はそんな風に私が思っていることもお見通しだ。
今度は私が先輩にぽんぽんと背中を叩いてあやされて、それもまた幸せでいいかって思ってしまった。
*****
「うん、だいぶいい感じ!
知華ちゃんはスラップスティックがスカらないように、数ミリだけずらしながら思い切り打つのがポイントだね。
うっちーの鈴はとにかく腕が疲れるだろうけどズレないように頑張れ」
「「はいっ」」
吹奏楽部のクリスマスパーティで毎年行われる、一度限りの合奏会。
今年の曲目である『そりすべり』のパート練習のために、私たちはパーカス部屋を出て2階で楽器練習をしている。
合奏はぶっつけ本番の一度きりと決まっているから、どのパートもパー練に余念がない。
ルロイ・アンダーソンというアメリカの作曲家による『そりすべり』は、クリスマス時期には商店街のBGMなんかでよく耳にするような有名な曲だ。
私も聞いたことのある曲だし、明るくて軽快な雰囲気が好きだったけど、自分が演奏する側になると面白い苦労がいっぱいある。
パーカッションは馬の引くそりが雪の上を軽やかに滑っていく様子を効果音で巧みに表す役割を担っている。
うっちーの鈴は、シャンシャンと鳴らしながら馬が走っている様子を表しているから、終始リズミカルに打ち鳴らす。
けれど、演奏用の鈴はまさに「鈴なり」という言葉がしっくりくるような、小さな鈴がいっぱいついている楽器なのだ。
その鈴を逆さまにして左手で柄を持ち、柄のお尻を右手でトントンと叩いて音を出す。
鈴なりの鈴はけっこう重いから、休みなく打ち鳴らすのはかなりしんどい。
私が担当するスラップスティックは、細長い板をV字に繋ぎ合わせた楽器で、鞭の効果音を出す。
出番は少ないけど音がすごく目立つし、
たまに変に空気をはさんで「ぱふっ」とスカってしまうこともある。
何より大変だったのは、パート練習では、主旋律が聞こえない中で小節を追わなければならないことだった。
うっちーの鈴の音を数えながら、自分の出番まで休符だらけの楽譜をひたすら指でたどる。
これは要所要所でしか出番の来ないパーカッションでは避けられないことなんだけど、うっかり数え間違えると音が目立つだけに大失態をかますことになる。
「知華ちゃん、うんりょーでのクリパの後のお茶、来れることになったの?」
パー練が一段落し、休みの間の小節を数えやすいよう楽譜に数字を書き込んでいた私に、うっちーが疲れた左手をふりふりさせながら話しかけてきた。
「うん!行くよ! ただ、その後で鷹能先輩のおうちのパーティに出るから、途中で抜けることになると思うけど」
「ふーん。紫藤家のパーティねぇ。
名家のクリスマスパーティって、なんか堅苦しそー」
「そう思うでしょ?
ところがどっこい、先輩のご両親ってすごく気さくな人達なんだよ?
だからきっと楽しい集まりになるはずだよ!」
「“ところがどっこい”なんて、素で使う
ドヤ顔で言い返した私が面白くなかったのか、うっちーは手をふりふりと揺らしながら少し口をとがらせた。
(あーあ。学校ある間は俺の方が一緒にいられる時間が長いけど、長い休みに入るとどうしても巻き返されちゃうんだよなぁ…)
うっちーがぼそっとつぶやいた言葉が聞き取れなくて、私が「なんか言った?」って聞き返すと、「なんでもない」って、うっちーの口がますますとんがった。
いつもは爽やかスマイルをたたえたナイスガイなのに、たまに変なところで不機嫌になる。
首を傾げつつナンバリングの続きをしていると、部長になった
1階にいた木管楽器やトロンボーンの人たちがミシミシと古い階段をきしませながら2階のホールに上がってくる。
全員がそろったところで、トラちゃん先輩が「帰りのミーティングを始めます」と、か弱い声をめいっぱい張り上げた声で仕切り始めた。
「今日はこの後、3年生の先輩方をお呼びして、毎年恒例のクリスマスパーティをします。
まず先輩方が来る前に
パーティ後は各パートでそれぞれお茶会があると思うので、片づけ終了次第、自由解散となります」
ふんふん。
2年の先輩から聞いていた通りの流れだな。
と、最後列の打楽器が並ぶ位置で聞いていた私の視界の端に、不意に赤い大きな人影が階段から現れた。
!!?
驚いて視線を向けると、それは背の高い体にサンタクロースの衣装をまとった霧生先輩だった!
「えっ!? 霧生先輩っ!?」
隣にいたうっちーも気づいて驚きの声を上げる。
その声で後列にいた1、2年生がサンタコスの霧生先輩に気づき、ざわざわと波紋が広がる。
けれども、霧生先輩本人は後輩たちの視線にかまうことなく、奥に鎮座しているドラムセットまで進み、椅子に腰かけた。
何?
何が始まるんだろう?
連絡事項をひととおり伝え終えたトラちゃん先輩が、後列のざわつきに気づいて霧生先輩の姿をみとめた時、霧生先輩がハイハットシンバルでロールを始めた。
シャララララ…
♪~♪♪ ♪~
その音に続いて、階段の方からサックスのソロが聞こえてくる。
突然始まった出来事に、2階にいた1、2年生はあっけにとられて階段に視線を集中させている。
この曲知ってる!
確か、マライア・キャリーの…
サックスソロがたっぷりとタメを作った後に、軽快に音を刻むドラムやホルンなど中低音の音。すぐに高音の楽器も加わって、賑やかな前奏となる。
♪♪♪♪ ♪♪ ♪♪~
澄んだトランペットのメロディとともに、階段からサンタコスチュームの3年生たち16人が楽器を吹きながら上ってきた!
皆お揃いのサンタの衣装を着て、『恋人たちのクリスマス』を演奏しながら一列になって登場してくる。
指揮をする
…っっって!!!
鷹能先輩もサンタコスチューム着てるっ!!!
先輩たちの演奏のサプライズもさることながら、個人的にはそっちのサプライズに全部持って行かれてしまった。
こんな格好、鷹能先輩は絶対嫌がると思うんだけど、よく承諾したよなぁ。
と、まじまじと見つめる私に気づいて、トランペットを吹く鷹能先輩が少し照れくさそうに視線をそらす。
深紅の衣装は先輩が着ると高級なベルベットのように滑らかで上品な光沢を放ち、サンタクロースというよりもまるでおとぎ話から出てきた妖精か王子様みたい。
なんていうか…。
カワかっこイイです。
突然の出来事に呆然としていた後輩たちが、笑顔になって手拍子を始めた。
サプライズ成功の雰囲気に気を良くした3年生達はノリノリで演奏を続けている。
そしてなぜか、一人だけトナカイコスチュームの山崎先輩。
かみ過ぎで鼻の頭が赤くなってるから、赤鼻のトナカイにさせられたのかな?
今日も左の脇に器用に箱ティッシュを抱えたままトロンボーンを吹いている。
サビの部分は全楽器で盛り上がり、エンディングは徐々にしっとりと。
最後に霧生先輩が弱めのフィルインで締めると、
「メリークリスマース!!」
3年生達が楽器から口を離して笑顔になった。
後輩達からは大きな拍手や指笛、「メリークリスマス!」の掛け声が沸き起こる。
先輩達からの思わぬプレゼントに、
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