第4話『引いて駄目なら押して見る』

 いつもの朝日が昇る時間帯。

 あいつ、リナが来ないだけで、俺はそわそわしていた。

 これだと俺が、あいつを待っているみたいじゃないか。

 実際そうだろうって言われたらそうだけど。

 だって仕方ないだろ?

 いきなり寝ているところに来られても困るし、俺にだって都合がある。

 うん、あるんだよ、都合が、いろいろと、な。

 

「どうもー今日も来ました」

 

 当たり前のように、相手はやって来た。


「どうもじゃないだろ」


 嘆息混じりに、俺はそう言う。


「え? 何かありましたか?」


「何かって、この前の」


「この前ってどの前です?」


「だから! ……大丈夫、なのかよ」


 俺の真剣さが伝わったのか、リナは一息置いてから答えた。


「あー、はい。心配いりません。体調は万全です」


「お前病気なのか?」


「健康です」


「本当か?」


「こればかりは本当です。健康でないと派遣されませんので」


 つまり、社会の歯車として、こいつも俺なんかのところにやって来たわけだ。

 来たくて来たわけじゃないし、選んでやって来たわけでもない。

 

「あ、今、自分は特別じゃないとか思ったでしょ?」


「い、いや、思ってねーよ。俺は、自分のことぐらい客観視できてる」


「働き盛りなのに、労働嫌いのクズ。若さを逃避行為で費やして、自虐全開の30代、抜け毛も気になってて今、鏡を見るたびに自信が失われ、そんな自分を唯一慰めてくれるのは、とある違法サイトで見れる人気アニメの同人で」


「どわぁ! ままま待て!! 何だそれは! どういうことだ!?」


「何ってこれがあなたの資料です」


「資料だぁ? そんな、俺のパーソナルなデータが詰まった資料が何でお前の元に」


「もちろん、選定した人間のデータを、つぶさに観察して得られた情報です」


「お、お前、お前が集めたのか」


「リナ、です」


「は? どうでもいいだろ名前なんて」


「リナって言ってください」


 名前を呼ばないと先に進ませない気らしい。

 どうも俺は、昔からこういう、押しの強い女の子が苦手なんだよな。


「……リナ。お前が俺の情報を集めたのか?」


「いいえ。別の人です。単なる参考資料ですしね」


「そうか、そうなのか」


 とりあえずほっとした。

 すべて見られたら、気まずいことだってある。


「聞いてもいいですか?」


「何だ」


「このドージンというのはどういったものですか?」


 よりにもよってそこが気になるのかよ。

 

 十代で知るべきではない世界だ。

 本当に純真な心で聞いてるなら、道を外れることになる。

 考えた末、俺は、先人としてあるべき言動を心がけた。


「腐るぞ」


「腐る? そんな、まさか」


「いいや間違いなく腐る。だからやめておけ」


「わ、分かりました」


 嘘は言っていない。


 しかし、何熱心に対応してるんだろうな、俺は。

 こいつが本物の異世界人だと、認めているわけじゃない。

 なのに、いつの間にか、こいつの持つ世界観に、飲み込まれつつある。

 非常に危険な傾向だ。

 もし仮にこれが俺の妄想なら、空気と対話してニヤニヤしている、頭狂ったおじさん、てことになる。

 既に、最低な人間だと思っていたが、まだ更に落ちぶれることができるとは、発見したな、て、何冷静に分析してるんだ。

 つまり俺は、いったいどうしたいんだ?

 自分でもよく分からなくなってきている。

 考えることが増えてしまって頭が痛くなってきた。

 

「リナ、悪いんだが帰ってくれるか?」


「嫌ですよ! イエスを聞くまで帰れません」


「俺にだって、考えたい時間ぐらいあるんだよ」


「何を迷う必要性があるんですか? 異世界に行けるチャンスで迷う人なんて初めて見ました」


「俺も異世界に行けるチャンスのめぐり合わせなんて初めてだっての。

 ともかく、俺に考える時間をくれ。そこで答えを出すから」


「そういうわけにはいかないんですよ」


「どうして?」


「わたしはこのままだと死にしますから」


「さっきは健康だって」


「健康ですよ。ただ交信には生命エネルギーを使うんです」


 何を言い出すんだよ、こいつは。


「最初に言わなかったのは何でだ?」


「すぐに来てくれると、高をくくっていたんです。

 でも、予想外に、時間を使ってしまいました」


 それはあまりに卑怯な設定だ。

 このまま断り続けて、本当に二度と来なくなったら、残るだろ、俺の心に罪悪感が。

 もちろんリナの言葉を信じてるわけじゃない。

 大部分では嘘だと思ってる。

 それでも僅かに考えてしまう。

 俺のつまらない意地で、相手を死なせてしまったのだとしたら、と。

 

 たった一言じゃないか。

 それだけで、何もかも解決できるのに、俺は、拘りのようなものを捨てられない。

 つまらないプライドにしがみついてる。

 俺は、何て小さい人間なんだろう。


「ごめんなさい、お伝えするつもりは無かったんです。

 気にしないでください、あなたに責任はありませんから」


 狙って言ってるなら、相当ズルいし、実際俺に対してかなり効果的な追い込みだ。

 言葉が出てこない。

 重たすぎるだろ、いきなり。

 ノリツッコミで軽口叩ける相手とか思ってた俺が馬鹿だった。

 早目に、決然とした態度で居れば良かったのに、俺ってやつは、ダラダラと、決断を先延ばしにして、結果、いつも悪いことになる。


「ごほっごほっ。すみませんお願いがあって」


 あからさまに具合が悪そうだ。

 演技だと言うのは簡単だが、それでいいのか?

 とりあえず返事をした。


「なんだ」


「写真を返してもらってなかったので」


 写真? この前渡してもらったやつか。

 確かどっかに放っておいたはずだ。

 どこだったか見当たらない。

 重なっている服をどかして、漫画と本の上に写真はあった。

 

 元気な少女、笑顔のリナの姿がある。

 この子が、具合悪そうにしていると思うと、凄い罪悪感が募る。

 俺なんかのために命を削っているなんて考えてしまうと、こみ上げてしまう感情があった。

 とにかくこれは大事なものだろうし、返そう。


「おい、あった、ぞ?」


 写真を目の前に持ってきたとき、初めて裏側を見た。

 その裏に、黒い染みが見える。

 絵の具のようなものだろうか、着色料? そうでもなさそうだ。

 この色……まさかな。

 心臓の動悸が止まらない。

 マジでヤバイのか?


 さっきからリナの返事がない。


 がたっとベッドから立ち上がり、ドアに近づいた。


「リナ? おい!」


 返答が無い。


 血の気が引いてきた。

 たまったものじゃないぞ、この状況。

 誰かに責められているみたいだ。

 言えばいいじゃないか、て。

 分かってる。

 分かりきってるんだ。

 

 でも、でも、その言葉だけが出てこない。

 俺の中で何かが栓となって塞がっている。


「くそぉ!!」


 ドンっと強くドアを拳で叩いた。

 

「うひゃぁ!?」


 驚きの反応にこっちが驚いた。

 リナがどうしてこんな反応をしたのか。

 あれか、つまりこいつ、ドアに耳を当ててこっちの様子を伺って。


「びっくりしたぁ、びっくり」


「おい」


「…………ごほ!ごほ!」


「いやいや、おせーよ!!」


「っ」


 え? 今舌打ちした?

 凄い困惑。

 別の意味で歯がガタガタ震えちゃってるよ、さっきから。


「あのー」


「は、はい」


 あれ、何か、凄く刺々しいな。


「今日は帰りますけど。

 いい加減決めてください、こっちも忙しーんで」


「あ、はいわかりました」


 思わず敬語になってしまった。

 だって、怖いんだもん、マジで。


 リナは消えてしまった。

 俺はこれから本当にどうしたらいいんだよ。

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