004 ライン

 玄関のチャイムがうつろな音をたてた。愛をやたら口にする、彼だか彼女だかがきっと暇をつぶしに来たんだろう。ワタシは口に煙草かリップを一瞬当てて、それからやめた。チャイムの音は数回続いたけど、あきらめたようにぴったりと鳴りやんで消えた。


 今日はとてもよく晴れた日。ずっと病んだように眠っていたけど、窓の薄いカーテンを破って飛び込む明るい色で目が覚めた。晴れた日は目が覚めるから好きだ。胸にカタマリを残して目覚めた夢の、鬱々とした気持ち良さがその色で余計素敵なもののように錯覚できる。今日も薄いカーテンには歪んだ十字が描かれている。毎朝誰が描いているのか知らないけど、薄い灰色で、でかいワタシの窓の桟をなぞって、今日もワタシを誘って来る。


 灰色のラインは今日も泣きたいくらい魅力的だ。


 明るい光に満ちたラインの向こう、キラキラと輝いている。ラインを見る度、ワタシの目はにじんで「どうしようもない切なさが胸に溢れる」。


 超えたいような、超えないライン。


 それは、それを見る度頭で動くいくつかの影かもしれない。


 友達がある日突然言った。ワタシの知らない友達の親戚の友達が友達の親戚と約束した日に発作を起こしたらしい。遠い話はまるで小説やドラマのようだとワタシは思ったけど、友達は言った。


「立ち直れないよね」


 皆、ヤワじゃない、けど、同じくらい、ずっとコワれる。


 ぼんやり考える。イメージ、妄想する。


 たとえば、小さな子供。


 うっかり凄惨な現実を見た。たとえば、窓のラインを超えてしまった大人の残骸。


 ラインのある部屋はきっと誰も近づきたくない。隣近所の繊細な人たちも大家もとってもノイローゼ。大人を知る人はしばらく話題には困らないけど、想う心のある人たちはきっとやっぱりとっても心が疲れた。


 子供は、自分の中でラインの残骸を強く焼き付けたまま、大きくなるかもしれない。


 知らない所で迷惑はとっても肥大肥大肥大………………。


 ずっと、ワタシはワタシ以外に迷惑を撒き散らした自信がある。


 何もないと思っても、やっぱり、コンビニで釣り銭ゴマ化したり、スーパーの魚に付いて来た発泡スチロール製の皿を分別して出さなかったり、今も気付いてないつまらない一言、譲らなかった電車の席、潰した虫。


 夢だとかやりたいことだとかは脳味噌に甘い色としてへばりついている。色は色で形もスタイルもないからどうしようもない。ただ、甘いだけ。忘れれば、きっと楽だけど、忘れたくない甘えが許さない、甘い色。


 どうしようもない所でカケてしまっているワタシ。


 だから、せめて終わりは誰にも迷惑をかけない。キレイに終わる。自分を自分だと思うなら、他人だと思うなら、まして、悲しいとか正しいと思うならそれくらいはしなくては。それくらい決めないと。


 いっそのこと、誰もが自分を忘れてくれないだろうか。


 そして妄想する。


 誰もかれもとズレた世界で見えない知らない相手に最後の挨拶をする、ワタシ。


 結局、ラインを超える、それが勇気なのかワタシは知らない。超えられない、ワタシが勇気なのかも知らない。でも、とりあえず、わかることは、今のままで超えても意味ないってこと。


 手を動かして、履き放しのジーンズの埃を払った。


 一度やめたそれを口に運んで、ムシャムシャ食べた。


 あれは毎日誰が描いているのか。


 アンデルセンとグリムの違いなんてワタシはわからないけど、奴らの話によれば、今日みたいなラインを超えたら一直線に落ちちゃうらしい。向こうに用意されてるのが、焼けた鉄のハイヒールなのか、目玉をつつくカラスなのかは知らない。だけど、ずっと年配の奴らの話は聞いとくべきでしょう。


 そんなわけで、ワタシはラインに背を向けて、暗い部屋の隅に向かった。


 そこには、確か、昨日の残りがまだあるはず。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る