第14話 想い
残りあと1ヶ月もない。
どうしたらいいのか明確な答えも見つからない、そんな中、僕たちは出来るだけ会った。
彼女の仕事終わり、僕の仕事終わり、どちらかに合わせて僕たちはガストに行った。
そしてなんでもないように他愛のない会話をして、11時ごろまでずっとそうしていた。
帰り際には外や車の中でこっそりとキスをした。
僕たちはそれまでの関係だった。
あと1ヶ月もないのだ。
一緒に居られる期間が、僕たちには限られているんだ。しかもうんと短い。
彼女からは、付き合おうとも付き合えないとも言われていなかった。
でもこの状態は、もう付き合っているようなものだった。2日と間を空けず会っていたのである。
僕たちは焦っていた。
お互いが、相手や自分の隙間を埋めるのに必死だった。
離れてしまう、相手が目の前から消えてしまうまでに、充足しておかないと、という思いだった。と、思う。少なくとも僕はそうだった。
僕はあの花火の日、彼女が僕のことを好きだと言ってくれた、その実感がいまいち湧かなかった。
同時にショッキングなことが起きたから、入ってこなかったのだと思う。
僕はもっと実感したかった。
そう思うたびに、僕はあの時の彼女の言葉を思い出していた。
「でもね、どうしよう」
「わたしもね、好きなの。達樹くん」
愛しい。
僕は心からそう思った。
この感情は愛しいというものなのだろう。
僕はまだ弱冠二十歳だけれど、でもこれはそうなんだきっと。
彼女に会うたび、あの忘れな草のいい香りがして、その香りを嗅ぐと僕はとても落ち着くのだった。
この香り。
この香りだけでも手元におきたい。
僕は彼女が初めて僕に連絡して着てくれたときのことを思い出していた。
「ディオールの、リメンバー・ミーというものです」
そう彼女はLINEでくれたのだった。
限定ものなのだとも言っていた。
僕は会社で昼休み、インターネットで検索をかけてみた。
そうしたらまだ売っているネットショップがあった。
クリスチャン・ディオール。リメンバー・ミー。2000年限定盤。
これだ、と思い、僕は迷わず決済した。
数日後、彼女に会ってから帰宅したら、その香水が自宅へ届いていた。
急いで封をあけると、薄い水色の四角くて丸っこいガラスの容器が梱包材から出てきた。
僕は急いでそれを取り出すと、部屋にそれを一吹きしてみた。
いつもの彼女の香りより、すこしきつめの香りだったが、それは確かに彼女の香りだった。
僕の部屋が彼女の香りに包まれた。
さっきキスしたときも嗅いだ、この香り。
僕は唇に彼女の感覚を思い出しつつ、深呼吸をして、深くその香りを吸い込んだ。
途端に泣けてきた。
この香りには主が居る。僕にとっては主が居る。
その主が僕の前から居なくなってしまうのだ。
それが悲しくないわけがない。
僕はでもその感情を抑え込んできていた。
感じないように感じないようにと意識的にしてきた。
でも自分の部屋でこの香りを嗅いでしまったら、彼女が居なくなってしまった時のことが想像できて、泣けてきてしまった。
僕は涙を我慢することなく流した。声は殺した。
いやだ。
そんなのいやだ。
それはどうしようも出来ない感情だった。
ただいやだと思うだけしか出来ない。
僕には彼女を止めることなんて出来ないし、そんな資格もない。
どうすることも出来ないのだ。
ただ彼女が目の前から去ってゆくのを、見守るしかないのだ。
僕はあまりに無力だった。
向こうへ行ってしまえば、彼女の新しい生活が待っている。
僕のことなど忘れてしまうだろう。
一方僕は彼女を忘れられずに過ごすのだろう。
僕にはそんな生活が待っている。
泣いてもそれ待ってはくれない。
心の準備をしなければ。泣いてなどいられない。
僕は鼻をすすって、涙を止めた。
微かに彼女の香りが鼻腔を刺激した。
切なかった。
その時LINEが鳴った。
彼女が家に着いたのだ。
僕は気を取り直した。彼女はまだ居る。僕の前にまた現れる。
「おうち着いた。今日もありがとう。おやすみなさい」
LINEにはいつものようにそう書いてあった。
僕は「うん、おやすみ」と返して、やっとスーツから部屋着に着替えた。
僕たちは会わない日も、こうしてお互いおやすみを言い合っていた。
会えなかった日は、明日は絶対会いたい、と、そう思った。
僕はその日、風呂は翌朝入ることにして、もう床に就いた。
彼女の香りが微かに残る部屋で、布団の中、僕は考えた。
・・・一度でいい。
僕は切に思った。
一度でいいから、彼女の体が欲しい。
僕も男だから、当然そういう欲求はあった。
でも二人のことだから、彼女の同意なしでは出来ないことだった。
ヤりたいとかそういう気持ちではなく、抱きたい、と思った。
叶わぬ願いなのだろうか。
彼女が欲しい。
僕は寝返りを打ってその思いを打ち消そうとした。
時刻は0時を廻っていた。
僕は朝が早い。もう寝なければ。
そう思い、文字通り悶々としつつ僕は無理矢理眠った。
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