第10話 ひょっとすると

 そのレストランは焼きたてのパンが食べ放題だったので、僕はパンをたくさん食べた。

 料理はコースになっており、僕は恐縮して彼女と同じコースにしてもらった。

 ビーフシチューのコースだった。

 

「お肉とかのコースにすればよかったのに」


 彼女はそう言ったが、正直何を食べても美味しいに決まってる、彼女と一緒なら。

 それに何を食べても満たされるに決まってる、何故なら彼女が一緒だから。


「なんか、逆にごめんね。奢らせちゃって」

 僕はそう言った。


「ううん、だって2時間も待たせちゃったんだもん」

「あれは僕が勝手に待ってただけだよ」

「でも待っててくれたんでしょ?」

「うん」

「それが嬉しいの」


 彼女は嬉しそうにくしゃっと笑った。

 そんな彼女を見て、僕は彼女が愛しくて堪らなくなるのであった。

 手に触れたい。

 髪を撫でたい。

 抱きしめたい。

 僕も男だから、そんなことを考えた。


「ただ待ってただけだよ。紙渡すために」

「ふふ、あんなことされたの、初めてだった」

「そうなの?」


 彼女は大きく頷き


「感動しちゃった」

 と言った。


「ありがとね」

 彼女はどことなくしんみりとそう言った。


「いや、こちらこそだよ、こんなご馳走してもらっちゃって」

「パン、美味しかったでしょ?」

「うまかった」


 彼女はまた、くしゃっと笑った。



 この笑顔、大好きだなぁ・・・。



 僕はそう思うのを禁じ得なかった。

 彼女のその笑顔は、僕にとって特別で、普段の接客では決して見せることのないものだった。

 つまり僕が彼女にとってただの客どまりだったとしたら、この笑顔は見られなかったのだ。

 でも今こうして見られている。

 そのことに、僕は幸せを感じていた。



 頭、撫でたい。



 そう思わせる笑顔だった。

 僕も夢を持っていいとするならば、ひとつくらい持っていいとするならば。

 その笑顔をしたときに、頭をぽんぽんしたい。

 夢というか、希望というか、そんなものも持っていいよな。

 目の前で可愛くデザートのシャーベットを口にする彼女を、いつかみたいに盗み見て、僕はそう思った。

 以前盗み見ていたときの心境とはまるで違っていた。

 今はとてもほっこりと、幸せな気分で見られるのだった。

 盗み見てるのがバレたって別に構わない。

 前は絶対バレてはならなかった。

 好きだという気持ちを伝えてある今は、盗み見だって健全だ。

 そう思っているうちに、僕は盗み見どころか完全に見つめてしまっていたようだった。

 彼女が視線に気づき、こちらを見る。

 目が合う。


「ん?」

 そんな時も、にこりと彼女は微笑んでくれるのだ。

 僕は溢れ出る気持ちに感情を任せていた。

 彼女が好きだ。そんな気持ちだった。



「好きだよ」


 思わず口にしてしまったその言葉に、自分でもびっくりした。

 彼女は驚いた様子で、シャーベットを掬う右手を止めて、こちらを見つめた。

 僕は目を逸らしたい衝動に駆られたけれど、何故か逸らせなかった。

 見つめあう僕と彼女。

 やがて彼女は笑顔になり「じゃあ」と言った。


「じゃあ、またデートしてね」


 そう言って彼女は微笑んだ。

 

「勿論だよ」

 そう言って僕は笑った。


「今度は僕が奢らせてね」

「ふふ、ありがとう」


 そう言うと彼女はシャーベットの最後の一口を食べ終え、ウェットティッシュで口元を拭った。


「おトイレ行ってくるね」

 彼女は荷物を持って席を立った。


「待ってて」

 僕の横を通り過ぎるとき、彼女は僕の肩にさり気なく触れてそう言った。

 僕はドキーンとなった。

 彼女が僕に触れた。

 僕はなんだか正気に戻ったというか、ハッとした。

 彼女は、いつも接客してくれていた、あの彼女だ。

 僕が憧れ、恋焦がれていた彼女だ。

 そこらの女じゃない。

 一緒に食事をした今では、接客中の彼女の方がもう一人の彼女のような気がして、今自分と一緒にいる彼女が、本当の彼女のような気になっていた。

 LINEで話すようになってから、確かに彼女は近い存在になった。

 それは確かだ。

 でも僕には彼女の考えがいまいち判らなかった。

 僕が2時間待っていたのが嬉しいと言って、こんな風に食事に誘ってくれた。

 その真意が判らなかった。


 でももしかしたら・・・。

 ひょっとしたら・・・。


 彼女も僕に気があるのではないだろうか?


 いやいやいやいや。

 それは安直というものだろう。

 じゃあどうして今僕の肩を触った?

 嫌いな奴の肩になんて触らないよな?



 ・・・嫌われては、いないらしい。



 僕はその思考回路に辿り着くだけで精一杯だった。

 なんだか大波にさらわれたような感覚だった。


 それとも。


 彼女は案外ビッチなのかもしれない。

 とも考えてみた。


 いやいやいやいやいやいやいや。

 彼女に限ってそれはないだろう。

 まさかそれが本当だとしたら・・・


 僕は時計を見た。夜の8時半を廻ったところだった。



 ・・・このあとワンチャンあるのか・・・?



 僕は体が熱くなるのを感じた。

 そんなわけない。

 彼女がビッチなわけない。

 でも、男の僕はどこかで彼女がビッチであってもいいと思い始めていた。

 そう思い、そう思った僕を頭の中でひっぱたいた。

 彼女はそんな女じゃない。

 そのとき、あの忘れな草のいい香りと共に「お待たせ」と言って彼女は戻ってきた。

 僕は今考えていたことを悟られないように「僕もトレイ行ってくる」と席を立った。



 何を考えてるんだ、僕は!!



 トイレで僕は頭を冷やした。

 酒を飲んでるわけでもないのに、何を浮かれているんだ。

 やっぱり今日奢ってもらうのも変だ。ちゃんと自分の分は出そう。

 僕はしゃきっとしなおした。

 手を洗い、エアタオルで入念に乾かし、席へと戻った。


「考えたんだけど」

「ん?」


 席に着くなりそう言った僕に、小首をかしげて彼女は微笑む。


「やっぱりここの分は自分の分だけでも出させてもらうよ」

「なんで・・・?」

「待っていたのは僕が勝手にやったことだし、そのことで奢ってもらうのは変だよ」


 彼女の表情が少し悲しそうになった気がした。


「じゃあ、次の次も奢って?次だけじゃなくて」

「えっ」

「その次も、その次の次も奢ってくれる?」

「それは構わないけれど・・・」

「じゃあここの分は出させて?」

「でも」


 彼女は僕の言葉を待たずして


「だってもうお会計済ませちゃったもん」

 と言った。



 えっ、いつの間に・・・!



 僕はその手際よさに驚いた。

 仕方なく僕は頷き「じゃあ次も次もその次も奢らせてね」と言った。

「うんっ」

 彼女は笑顔で頷いた。

 


 ・・・この笑顔には負けてしまうな。



 悪い気はしない、気持ちのよい、完敗の気分だった。

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