第9話 ピアノゾンビ

「わたしの車で行きましょ」


 そう言うと彼女は自分の車に向かいながら手招きした。


「バイクは12時までならここに置いておけるから」


 僕は言われるがままに彼女についていった。

 彼女の車に乗れる。

 あの、ドラえもんの日よけネットがついた青い車に。

 彼女はキーを押し、遠隔操作でドアのロックを開けると、運転席に廻り、車に乗り込んだ。

 僕は自動的に助手席へ近づき、ドアを開けた。


「おじゃまします」


 そう言って車の中の乗り込むと、彼女は「シーベルしてね」と僕に言った。

 車の中は少し暑かった。

 忘れな草の匂いがいつもより密度が濃く鼻に香った。

 しかし香りの程度はうっすらとしていた。ただ、他の余計な空気が混じっていない、そんな感じだった。

 僕は彼女と密室に居ることに気づいた。

 そして心臓がドキドキいいだした。

 その音は聞こえてしまうのではないかと思われた。


「美味しいパンを出してくれるレストランがあるの」


 エンジンをかけながら彼女は言った。

 彼女は丁寧に車を発信させるとウィンカーを出し道路へと車を出した。

 車内では邦楽ロックが流れていたが、聞き覚えのない曲だった。


「これ、曲、誰?」


 僕は気になって訊いてみた。


「これはね、ピアノゾンビっていうバンド」

「ピアノゾンビ」

「うん。知らないでしょ?」


 そう言って彼女は笑った。

 確かに聞いた事ないバンドだった。


「インディーズ?」

「ううん、メジャーデビューはしてるよ」

「ふうん」


 こんな風に彼女と直接喋るのは初めてだ。いつも一言二言で今までは済んでいたのだった。

 彼女は運転がうまかった。

 ブレーキもかけたかどうか判らないようにかけるほどだった。

 運転が下手な人はブレーキがあからさまだ。

 それは内臓が前後に揺り動かされ、非常に不快だが、彼女の運転にはそれが一切なかった。


「運転うまいね」

「ほんと?ありがとう」


 彼女はちらりと僕の方を見て笑った。

 運転するとき、彼女は眼鏡をかけていた。

 その眼鏡姿がとても可愛く僕には映った。短い前髪と、とても合っていた。


「達樹くんって、いくつなの?」


 初めて彼女が僕の名前を呼んだ。

 僕はそのことに動揺しつつ「二十歳だよ」と答えた。


「あれ、じゃあ同い年?」

「いや、僕がひとつ下」


 僕がそういうと、彼女は訝しげな顔になり


「ん?なんで判るの?」


 と言った。


「成人式もうやったでしょ。僕まだやってないから」

「やったけど・・・なんで知ってるの?」

「着物で店に来たろ。そのとき僕店に居たんだよ」

「なるほどー!」


 彼女は納得したように大きく頷いて、そしてはにかんだ。「見られてたのか」。


「綺麗だったよ」

「ありがとう。あのお着物、とても評判よかったの」

「すごくよく似合ってた」


 彼女はまたちらりとこちらを見てからうふふと笑い、「ありがとう」ともう一度言った。


「もうすぐ着くよ。おなかは?空いてる?」

「うん」

「じゃあよかった」


 彼女は丁寧に減速すると、ウィンカーを出し、レストランの駐車場へと車を進ませた。

 そして実に正確ににバックで駐車させると、「着いたよ」と言ってシートベルトを外した。

 そこはファミレスのようだがどこか高級感のあるレストランだった。

 車を降りると、外にまでパンの焼けるいいにおいがしてきていた。

 店内に入るとそれなりに賑わっていて、待っている人も居た。

 彼女が店員に「予約している小畑です」と伝えると、僕たちはすぐに席へと通された。


「予約しておいてよかった」

「抜かりないね」


 彼女は大きく頷くと


「だって、折角のデートだもん」

 と笑顔で言った。



 デ、デート?!?!?!?

 僕だけならともかく、彼女もそういう認識でいるのか?!



 僕はものすごく驚き、そしてものすごく嬉しかった。

 メーデー、メーデー、これはデートだ。繰り返す、これはデートだ。

 僕は用意されていたウェットティッシュを袋から出すと、それで手を拭きながら頭の中でそう言った。


「あれ?デートじゃなかった?」


 彼女が心配そうに窺ってきたので


「いや、デートだよ」


 と僕は慌てて、少し笑いながら言った。

 そして改めて、これはデートなんだ、と思い、心をほころばせた。

 僕は一気に楽しくなってきた。

 ずっと好きだった女の子と、初めてのデートだ。今回は奢られる方だけど、次は僕が奢る。そのときもデートだ。

 これからもしかしたらどんどんデートを重ねていけるかもしれない。

 そうしたら僕たちはひょっとしたら付き合えるのではないだろうか?

 そこはかとない期待が僕の心を支配した。

 そんなの素敵過ぎる。

 まるで夢みたいじゃないか。

 僕はメニューを眺めながら、そんなことを考えていた。


「お給料出たばっかりだから好きなの頼んでね」


 メニューの向こう側で彼女が微笑む。

 

 いや、僕にとっては、もうこれだけで、今のこの現状だけで夢みたいだ。

 これから僕たちは、一緒に食事をするのだ。

 僕はそう思い、にやにやする顔をメニューで隠した。

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