第8話 信じられないぜ

 その日はとても暑い日だった。

 僕はTシャツにジーンズという格好で6時ごろ店に赴いた。

 今日は彼女と食事をする日である。

 一旦店に入りDVDを返却することにした。

 店に入るとクーラーが利いていて涼しかった。

 DVDは彼女ではなく、他の従業員に返却した。中身をチェックされて、ありがとうございましたと言われる。笑顔もなく、ただそれだけだった。

 レジカウンターの中には彼女が居て、こちらをみて笑っていた。

 目が合うと彼女は口だけで「あとでね」と言った。

 僕はにやにやをかみ殺した。



 可愛い。この子とこのあと食事だなんて・・・!



 そんな風に思うと、果たしてにやにやはかみ殺しきれているかどうか不安なほど、顔は緩んだ。

 僕はスキップでもしたいような気持ちで店内を歩き回り、今日借りる映画を吟味しだした。

 DVDを手に取り、内容を確認する。

 今日は恋愛映画の気分だ。

 恋愛映画のコーナーで立ち止まり、タイトルを眺めていた。


「えっちなやつは借りないの?」


 不意に後ろで声がして、あの忘れな草の香りが鼻に入った。

 振り返るとたくさんのDVDを抱えて彼女が笑顔で立っていた。

 僕はドキッとした。

 短めに切りそろえた前髪。それとは対照的に長い黒髪。大きな目。白い肌。血色のよい唇。

 僕は彼女の顔をこんな風にまともに見たのは本当に数回だったので、見とれてしまった。

 見とれながら、「借りないよ」と少し笑いながら言った。

 彼女はくしゃっと笑って


「夜だったら男の人がレジやってるよ」


 と言って去っていった。



 夜来たって意味がないんだよ。君は居ないじゃないか。



 僕は心の中でそう思い、彼女のうっすらと残った残り香を吸い込んだ。

 いい香りだ。

 さっきの彼女の笑顔、とても可愛かった。

 あんな風には接客では笑わないから、初めて見る笑顔だった。

 出来ることなら独り占めしたい。

 僕にそんな欲が生まれた。

 いやいや。

 僕は心の中で頭を振り、そんなことは出来ない、と思った。

 それよりも、今のこの状況を楽しもう。

 なんてったってこのあと食事だ。

 どんな店だっていい。ファミレスだって、ラーメン屋だっていい。

 彼女と話しながら食事が出来るだなんて、本当に本当に夢のようだった。

 僕は適当な恋愛映画を1本だけ手に取ると、レジへと向かった。

 そろそろ6時だ。

 レジを眺めると彼女は居なかった。

 そうだ、さっきDVDを元に戻す作業をしていた。

 と、そのとき彼女が戻ってきたので、僕はレジへと進んだ。

 会員証も一緒に出した。

 

「いらっしゃいませ」


 彼女はいつもどおりそういうと、レジに会員証を読み取らせ、DVDを手に取り、それをスキャンした。


「300円になります」


 そういいながら慣れた手つきでDVDを袋に入れる。

 僕が出した300円を「ちょうどお預かりします」とレジにしまうと、レシートを2枚出し、1枚を僕に渡した。


「もうあがるから待っててね」


 そういうと彼女はにこっと笑いもう1枚のレシートを袋のポケットへとしまった。


「ご返却日は1週間後の8月1日になります」


 彼女は笑顔でDVDの袋を僕に渡した。


「ありがとうございます」


 彼女はいつもどおり、丁寧に接客をした。

 僕は袋を受け取り、彼女に微笑み返すと、レジの前から移動した。

 いつもどおりの接客の中「もうあがるから待っててね」という二人だけの会話が挟まれたことに、胸がくすぐったかった。 僕は鞄にDVDをしまいながら本屋を通り抜け、駐車場に出た。

 バイクに少し腰掛けて、彼女が出てくるであろうドアを眺め始めた。

 以前こうしてあのドアを眺めていたときは、緊張で胸が張り裂けそうだった。

 それがどうだ、今のこの感情。

 あのとき勇気を振り絞って、本当によかった。

 僕はあの時とはまるで違う心持ちでドアをじっと見つめていた。

 これから彼女と食事なのだ。

 嘘みたいだが本当の話なのだ。 



 本当に、嘘みたいだ・・・。



 あのドアから出てくる彼女は、以前のように僕に気づかず車に向かうのではなく、きっと僕を探すのだろう。

 そして今度は彼女が僕に駆け寄るのかもしれない。



 信じられないぜ・・・。



 そんな状況を想像してみたけれど、それが現実になるかもしれないなんて、本当に信じられなかった。

 やがてドアが開き、彼女が出てきた。

 彼女は今僕が想像したみたいに、きょろきょろとすると、僕を見つけ、笑顔になった。

 黒いポロシャツにパンツスタイル。

 矢張り足は少し長いようだ。

 そんな彼女が、僕の元へとやってくる。

 ちょっと小走りに駆け寄ってくる彼女を、僕は愛しいと思った。

 長い髪がさらさらと靡いている。

 僕のところまで辿り着くと、彼女は大輪の花を咲かせたように笑い


「おまたせ」


 と言った。

 その笑顔は本当に可愛くて、あでやかだった。

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