第5話 前進

 この日も先週と同様に、遅めの時間、午後6時くらいに僕はDVDを返却しに行った。

 そしてその日は早々と店を後にして、駐車場で彼女が従業員のドアから出てくるのを待った。

 6時20分。

 この前と同じ時間になった。

 そのときドアが開いた。

 でも出てきたのは彼女の同僚だけだった。

 


 ・・・おかしいな?

 


 彼女の車はまだある。

 まだ店の中に居るのだ。

 6時半になっても彼女は出てこなかった。

 ひょっとして、何かあったのだろうか?

 僕は心配になったが、6時20分に出てきたことを確認したのはただ一度きりだ。

 もしかしたらこれがいつもどおりなのかもしれない。

 僕はただじっとドアを見つめてそのときを待った。

 とても緊張していた。

 彼女に駆け寄り、この紙を渡すだけ。

 いつものように、DVDを返却するだけと思えばいい。

 ともあれそんなにうまくいかないのが心情というものである。

 僕はドキドキ動悸が止まらなかった。

 しかし。

 7時前になっても彼女は出てこなかった。

 見落としたのだろうか?

 まさか。僕はずっと見ていた。

 その証拠にまだ車はあるんだ。

 僕は車をちらりとみて、その存在を確認した。

 7時。

 まだ出てこない。

 僕はこの一瞬一瞬が、永遠に感じられた。

 今日は遅い日なのだろうか?

 店の中に行ってまだ勤務しているか確かめた方がいいだろうか?

 でもその瞬間に彼女が出て来てしまったら、すぐに車に乗り込み去ってしまう。

 僕は待つことにした。

 7時10分。

 まだ出てこない。

 7時20分。

 ドアに動きは見られなかった。

 あそこに青い、ドラえもんの日よけネットがついている車がある以上は、彼女は店の中から出てくるはずだ。

 僕は店の看板に目をやった。

 営業時間を確認する。

 深夜0時までとあった。

 最悪そのときまで待とう。そう思った。

 だがそのあと7時半になっても7時40分になっても、彼女は出てこなかった。

 8時を過ぎて、待ち始めてから2時間経った。

 中でお喋りしているには長すぎる。

 何か仕事をしているに違いない。

 そう思ったときだった。

 ついに、ドアが開き、彼女が出てきた。

 僕の心臓は口から出て5m先まで飛び出そうになった。

 ひとりだ。

 今しかない。

 そう思ったが僕は動けなかった。

 依然心臓は高鳴っている。

 ポケットに手をやり、紙があるかどうか確かめた。

 それは確かにあった。

 その紙をポケットから取り出す。

 これを渡すだけでいい。

 それだけでいい。

 僕は自然に胸を押さえていた。

 ドクンドクンという確かな心臓の鼓動が感じられた。

 緊張はMAXにまで達していたと思う。

 僕は地面を蹴って、一歩踏み出した。

 そして車に向かう彼女の元まで一気に駆け寄った。


「あのっ」


 僕の声は裏返っていたかもしれない。

 これが彼女と話す、2回目だ。


「?!」


 彼女は相当びっくりしているようだった。

 大きな目が怯えていた。

 構わず畳み掛けるように僕は紙を差し出し「これ」と言った。

 一瞬紙に目をやり、「え?」と驚く彼女。

 そして反射的にそれを受け取った。



 やった!!!!!!

 やったぞ!!!!

 受け取ってもらえた!!!!!!



 僕は驚いたままの彼女を置き去りにしてその場を走り去った。

 心臓はさっきよりもドクンドクンいっていて、体は熱くなっていた。

 ギクシャクと走ってバイクまで辿り着き、振り向くと彼女は立ち止まって紙を見ていた。

 僕はその先を見るのが怖くて、急いでバイクにまたがり、走らせた。

 多少スピードを上げて家まで戻ると、僕は一目散に自分の部屋にいって、そして息をついた。



 取り敢えず、受け取ってもらえた・・・・・。



 そう思い、受け取ってもらえないという事態は免れたという事実に安堵した。

 あとは連絡があるかどうかだ。

 僕はスマホを取り出し、何か履歴がないかチェックした。

 何もなかった。

 僕は少しがっかりし、どこかほっとした。

 僕はそのあと夕飯を食べ、風呂に入り、床に就くまでの間、風呂にまでスマホを持ち込んで監視していたが、スマホの反応はなかった。

 ベッドに入ってからも寝付けず、スマホの画面ばかりを見ていた。

 彼女も家に帰って夕飯を食べるだろうし、風呂にも入るだろう。

 彼女が寝る間際、連絡は来るのではないかと考えた。

 いやまてよ。

 もしかしたらあの紙を、彼女はすぐに捨てたかもしれない。

 僕はそこまで確認しなかった。



 車に乗り込むところまで見ておけばよかった・・・!



 僕は後悔した。

 あのあと彼女はどんな風に思ったのだろう?

 あの紙に書かれた言葉のことは確かに見ていた。

 そのあとどうしたのだろう?

 僕が彼女だったら、どう思うだろうか?

 とても可愛い彼女になった気で考えてみた。

 それなりにモテてきただろう。こういう経験は初めてじゃないかもしれない。

 でもいきなり見知らぬ、平々凡々な極普通の男から、紙切れ一枚を渡されたら・・・?

 そこに書いてある連絡先に果たして連絡などしてくるだろうか?

 彼女が意外に冷たい女性だったとしたら、捨ててしまうかもしれない。

 何しろ喋ったのが今回で2回目である。

 彼女の中身なんて、仕事ぶりからしか判らない。

 でもその仕事ぶりから判断するに、彼女は温かい心を持った人であると察せられる。

 じゃあ彼女はどう行動するだろう?

 全く判らなかった。



 今日はとても疲れた。



 そう思い、今日は諦めて眠りにつこうと思ったときだった。

 LINEが鳴った。

 僕は飛び起き、スマホを確認した。

 すると見知らぬIDからのメッセージだった。

 恐る恐るそれを開いてみる。

 そこには


 忘れな草です


 とだけあった。

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