第四話 覚醒するのです

「女の子に走り寄ってくるなんて、変態ね。あなたが全力で走っている顔、とても醜かったし、ぶっちゃけて言うとキモイ」


「え?」 


 と、それだけしか言えなかった。覚悟を持って突貫した優弥は、何か見えない力によって弾き飛ばされ、臀部を強かに打ち付けた。


 超常的な力によって、吹っ飛ばされた――その驚きとは別に、優弥は驚愕していた。黒宮は今、なんと言った? 


「聞こえなかったの」


 薄く艶やかな花唇が開かれる。


「キモイ」


 とんでもない罵倒語が飛び出した。あの、黒宮の口から。お淑やかな令嬢のイメージがクモの巣状にひび割れる。


「――ぐおっ!?」


 精神的ショックに打ちのめされると同時、優弥の身体があらぬ方へ引っ張られた。顔面から床に叩きつけられる。鼻から嫌な音が響いた。


「そ、そんな……」


 黒宮が、ドSだったなんて……。こんな、性格の悪い奴だったなんて。


「なにその顔。ぽかんと口を開けて、とても間抜けよ。不細工面した鯉みたい」


「ぬおっ!?」


 床に突っ伏していた顔が持ち上がり、後ろへ引き倒される。ガツン、と鈍い痛みが走った。のた打ち回るように悶絶する。


「い、一体なにが……っ」


「知能も魚並なの? まったく、あなたのような価値のない存在がどうして生きているのよ。恋愛対象の埒外どころかクラスメイトにすらなりたくないし。目障り耳障りだから早く消えるか土に還って。簡潔に言うと死んで」


「……っっ!」


 寒風が吹き荒んだ。自分の存在すら否定され、一瞬、視界が暗く染まる。生まれ変わったら、貝になりたい……。思考の隙間を衝くように、優弥の身体は後方へ弾き飛ばされ、床を何度もバウンドしながら転がった。


 誰がどう見ても疑いようのない。完全な敗北。起き上がる力はあるが、精神的に打ちのめされた優弥の身体は、それ以上の行動を拒んでいた。


 肉体よりも、精神的ダメージの割合が高い。優弥は亡者のような呻きを漏らす。重苦しい虚脱に襲われて指先一つ動かせない。思考にも濃い霧が垂れ込めてきた。


 あの、力……。見えない何かに突き飛ばされたというよりは、自分の身体が勝手に動いたような。


 それ以上は、考える気力もなかった。しばらく床と同化していると、黒宮の足音が遠くへ運ばれて消えた。静まり返った空間に、やがて、困惑と落胆を含んだ声が染み渡る。


「おい、見たかよ……」「ハーレムマスターが、負けた?」「黒宮に手も足も出ず、あっさりと」「そんな……」「ハーレムを作るどころか、一人の女子にぼろ糞言われて、一言も言い返せずに……」「所詮、口だけだったのか……」


 嘆きの声は怒りを帯びて、床に倒れ伏す優弥へ突き刺さる。まるで死体蹴りだ。


 男子生徒はめいめい身体を起こすと、ふらふら覚束ない足取りで去っていった。


 その際、失望を乗せた眼差しが優弥を掠めていく。中にはまだ、期待を残したような目もあった。優弥は口を噤んだまま、侘しく項垂れるしかない。彼らの期待に応えられなかったのだ。正直、黒宮に罵倒されるより傷ついた。脳裏に蘇るのは、彼らの期待と称賛を湛えた声。今となってもう、惨めな過去だ。


「敗戦でしたね……」


 その声に視線を上げると、透子の悲しそうな顔が映った。


「……ああ」


「何もかも、失いましたね」


「……そうだな」


 悲嘆に暮れる優弥へ、透子は容赦のない言葉を吐く。もう、何とでも言ってくれ。変わろうと奮起していた心は萎れて枯れた。土に還ったのだ。何も残されちゃいない。あるのはぐずぐずに腐った抜け殻だけ。


「……決して責めているわけではありません。わたしは、あなたを立ち直らせようとしているのです」


「いや、無理だろ……」


 即答する。現状は芳しくない。一言でいうなら最悪だ。マスターとしての地位を失い、女子からも目の敵にされている優弥が、この先どう振る舞えばいい。栄光を取り戻し、ハーレムを築く。それこそ、『奇跡』でも起きない限りは不可能だ。


「起こしましょう、『奇跡』を」


「そんなの、どうやって……」


「わたしには、その力があります」


 言われて思い出す。透子は、特殊な能力を持っているらしい。その内容は聞いていないが、少なくとも現状を変えられるだけの力はありそうだ。甘言に心が疼く。


「だが……」


 薄れかけていた警戒心が蘇る。もし、罠だったら。


 ……いや。たとえ罠だったとして、何なのだ。それで自分は、どうなる。もう失うものなんてない。


「俺は、変われるのか……?」


「はいです」


「黒宮も、落とせるか」


「はいです」


「そうか……この、俺が……」


 空虚だった心に希望が灯る。萎れた身体に活力が湧いてくる。と、いくぶんか冷静になった思考を、ある疑念が揺るがす。


「たとえば、仮定の話だが。俺がその能力を授かったとして、黒宮もヘンな力を持っていたぞ。あれじゃ落とすどころか近づけない」


 まさか、あの能力を与えたのはお前か? そう尋ねようとして、止める。透子は、心底不思議そうに首を傾げていた。優弥を見返す瞳に、疑問の光が揺れている。


「何を言ってるですか。あれは別に、能力でも何でもないのです」


「いや、しかし……」


「もしかして優弥さん、先生の話を聞いていなかったですね。駄目ですよ、ちゃんと人の話を聞かないと。これから話すわたしの説明はきちんと聞いてください」


 それは人外ジョークだろうか。透子は上げた肩を窄め、息を吐く。


「あれは、〈アイテム〉の力です」


「アイテム?」


「知らないですか。首輪とロザリオを総称してそう呼ぶのです」


「はあ……」


 初耳だった。


「恋戦では多くの女子生徒が狙われます。その相手が興味のない対象だった場合、とても迷惑です。その対抗手段として〈言霊〉があるのです」


 また知らない単語が出てきた。苦手な授業を受けている時の気分だ。


「ロザリオには自分の声紋と名前が登録されています。女子生徒が発した言葉は同じく登録された男子生徒の首輪に認識され、それが精神的ショックに繋がると、対象の身体が勝手に動くのです。ロザリオは自分と相手の認識、言霊の送信。首輪は感情の測定、言霊の受信を可能にします。理解できましたか?」


「……お、おう。って、いやいや!」


 納得できるはずがない。何なのだその技術は! 


「今の説明に不明瞭な点が?」


「説明自体は分かる。ただ、理屈が不明だ」


「それを聞いたところで何の意味があるのです?」


「意味はないが……モヤモヤするというか……」


「はあ。優弥さんは、不随意運動という言葉を知っていますか?」


「え、いや……知らないな」


「本人の意思とは関係なしに現れる異常な運動を指します。例えば、電気刺激を動物に与えると手足が勝手に動きます。カエルを使ったアレです。それと同じで、ロザリオによって変換された電気信号――言霊は首輪に受信され、それが錐体外路へ伝達、狂いが生じます。つまり、先ほど優弥さんが吹っ飛んでいたのは不随意運動によるものです。理解したですか?」


 えらく科学的な話が返ってきた。困惑する。


「な、なんとなく。というか、なんでそんな技術を……」


「まだ分からないですか? ここ、蓮城学園はある実験をしています。それは人の感情を読み取ること。表向きはコミュニケーション能力の向上を謳いながらも、裏では生徒を扱った実験をしているのです」


 話のスケールが大きくなってきた。透子の言葉が正しいとすれば、ここは、とんでもない学園だ。しかし、疑問が生まれる。


「なぜ、わざわざ学園でする? 別の施設でやればいいだろう」


「世間から秘匿する目的もありますが、一番の理由は、学園という環境が実験に適しているからです」


「なぜだ」


「分からないですか?」


 ふっと、透子の唇が眉月を描く。あどけなさの残る顔立ちに、自嘲的な笑みが浮かんでは消える。


「なにせ、ここには恋に多感な十代の子供が集まります。そして、恋は複雑怪奇な感情を生み落とします。感情を読み取るには、打って付けの場だと思いますが?」


 言われてみればその通りだった。つまり自分たちは、学園側に利用されていると?


「ただまあ、この話は別にどうでもいいのです。被害がないどころか、むしろ得すらしているのです」


「まあ、そうだな。……うむ、話は分かったぞ。ただ、女子生徒にとって有利すぎやしないか? 何か対抗手段とかは?」


「ありますよ。男子の言霊は、女子生徒をドキッとさせます。あなたは美しいとか、相手が喜ぶようなことを言えばいいのです。むろん、それが心に刺さらなければ効果はないですが」


「なるほど……」


 恋戦については理解できた。そろそろ、本題に移りたい。ちなみに「なぜそこまで詳しいのか?」と尋ねたところ「精霊ですから」という答えが返ってきた。もはや何でもアリだな、精霊。今後、細かなところはスルーしよう。


「それで、先ほど言っていた力だが……。俺に、与えて欲しい」


「ついに決断したですかっ」


 言葉のイントネーションが微妙に持ち上がった。嬉しかったらしい。


「ああ。ただ、その前にどんな能力かを教えてくれ」


 そう言うと、透子は首を振った。規則に反するらしい。どうせまた精霊特有の事情だろう。優弥は諦めて、話を進めた。


「さっそく、その能力とやらを授けてくれ。……最後に確認するが、それで俺は、この現状から抜け出せるんだな。変われるんだな」


 しつこく問うと、精霊――小鳥居透子は明るい笑みで頷いた。お互いに、目と目で合図を交わす。透子は、朗々とした声で切り出した。


「では、これより契約の儀を執り行います」


「よもや、古典的にキスをしたり?」


 緊張を紛らわすため、そう訊いた。すると、透子の首が縦に振られる。


「冗談……だろう? って、なんで服を脱ごうと!?」


 よもや、キスとは精霊語で……。これ、なんてエロゲー?


「なに馬鹿な妄想をしているのです? 顔がエッチですよ。……まったく。キスをするのは、ここなのです」


 そう言って、透子の目線が下がる。


 大胆に捲り上げられた制服。白磁のような肌にちょこんと窪む、可愛らしいおへそ。


 ……え? まさかここに?


「そうなのです。おへそには気が宿るとされています。そこに、唇を」


「お、おう……」


 若干の戸惑いを覚えつつ、言われた通り、露わになったおへそに口付けする。


 ――ちゅっ。


「んっ、ふぁ……」


 透子が微かに身じろぎした。花唇から艶っぽい吐息が漏れる。


 その瞬間――電流が走った。


 身体の奥に芽生える、巨大な力。


 あたかも最初からそこにあったような、一体感。


 冗談で「闇の波動があああああっ!」と叫べる状況ではなかった。


 何か――能力とは別の、大きな感情が流れ込んでくる。


 これは、一体……?


 胸の奥で暴れ回る、怒り。そして……これは。


「え……」


 気付けば、優弥のまなじりから一筋、涙が伝い落ちていた。


 なぜ、俺は泣いている? この、胸を占める感情――心の奥に澱んだ悲哀が、一瞬、抑えようもなく湧き上がった。


 自分は、そこまで……?


 そう考えていると、契約の義が終わったのか、芽生えた感情はすぅっと溶け込むように消えていった。あとに残されたのは、不思議な高揚感。


 おお、これが能力者の感覚! 何というか、修行を積んでパワーアップした気分だ。


「……お気に、召しましたか?」


 羞恥に瞳を濡らした透子が、そっと問いかけてくる。優弥は意味もなく手のひらを開閉し、大きく頷いた。


「ああ、しっくり来る。良い感じだ。……てか、どうした。少し顔が赤いぞ」


「な、何でもないのですっ」


 ぷい、と顔を背ける。制服はすでに戻された後で、しかし、なぜだかおへその辺りを手で覆っていた。


「……おへそ、弱いのか?」


「弱くないのです!」


 涙目で否定してきた。たぶん、弱いのだろうな。


「まあ、それはいい。重要なのは能力の効果だ」


「それは、教えられないのです」


「えっ」


 唖然とする。


 ……購入したゲームに説明書がついていない。まさしく、優弥はそのような気分を味わっていた。中古ゲーじゃないのだから、説明書くらいあってもいいだろう。


 透子は目を伏せて弁解する。


「すいません、規則なのです。でも、自分で気づいたことについては、こちらから説明することが出来ます」


「……つまりは、何事も挑戦してみろと?」


「はいです」


 なるほど、理解した。言われた通り、色々と試してみよう。今日はもう遅いから、明日からだな。


 明日、か。


 ……ふふ、くくくっ。後悔するがいい黒宮凛花。


 この正体不明の力を掌握した俺は、たぶん無敵だ! 必ずやお前を落としてやる! くくっ、ふははははははははッ! は、はは……。


 と意気込む一方で、優弥はある不安をも感じ始めていた。


 明日、学校行きたくない……。

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