第二話 まだ数話なのにこの絶望

 優弥が絶望の底に叩き落されてから、数日が過ぎた。


「………」


 無言で教室に入る。ちらりと女子グループの方を窺う。当然のごとくスルーされた。同じクラスだというのに、挨拶の一つもない。代わりに突き刺さるのは、冷ややかな視線。女子たちは警戒心を乗せた顔で優弥から離れていく。中には自分の肩をかき抱くようにして、小走りで去っていく女子もいた。最悪すぎる。


「よーっす、優弥」


 そんな優弥に、複数の男子たちが集まってきた。幸い、クラスから孤立しているというわけではない。女子には嫌悪の眼差しで見られているが、逆に、男子からは多くの羨望を集めていた。


 それは一応、嬉しくもある。だが、素直に受け入れられない。


「それとも、マスターって呼んだほうがいいか?」


 受け入れられない理由がこれだ。入学初日、担任の女教師が言い放った言葉。ハーレムマスター。それを縮めて、男子たちは優弥のことを「マスター」と呼ぶ。そこに侮蔑の意味合いはなく、込められているのは尊敬の念だ。どうやら、優弥のハーレム宣言が心に響いたらしい。なんて男らしいんだ、などとクラスメイトの男子たちは絶賛してくる。当人としては複雑な心境だ。


「ふん、そうだな。俺は、いずれハーレムを築く男だ」


 そんな内心とは裏腹、優弥は作った声で風格を醸す。クラスの男子が「おおっ」と沸き立った。


 いや、本当なら弁解したいぞ?


 しかしそうすると、男子からも信用を失ってしまう可能性があった。優弥にはもう、断腸の思いでハーレムマスターを演じるしかない。不本意ながら。


「それで、マスターはいつ動き出すんだ?」


 男子生徒の質問に、しばし考え込む。


 入学式の翌日から〈恋戦〉が解禁されたらしい。しかし新一年生は誰一人としてそれに臨まず、静観を決め込んでいた。かくいう優弥もその内の一人である。


 まず第一に、情報が少なすぎる。


 第二に,、恋愛に寛容な校風とれているが、初っ端から行動を起こすのは歓迎されていない。


 なにせ、入学式からわずか数日しか経っていないのだ。出会って間もない頃から「好きです!」というのは無理がある。


 そんな感情は男子も湧かないだろうし、何よりロザリオがそれを許さない。見せかけの好意では反応しないのだ。


 そうなると女子側のアプローチを期待することになるが……それも難しいだろう。


 いくらなんでも日が浅すぎるし、所属するグループから抜け駆けだと判断されれば、優弥みたいに居場所を失ってしまう。


 今は慎重な行動が求められた。焦って動けば自滅する。


「……しかし」


 だからと言って、いつまでも手をこまねいているわけにはいかない。


 誰かが動かなければ――そう、切っ掛けが必要だ。


 ロザリオを外せないにしろ、恋愛が許容されるような空気を作らなければ。


 男子が動けば、女子だって乗り気になるだろうし。ならば、その役目を担うのは一人しかいない。優弥は結論に達して、軽く咳払いした。集まった男子たちを順繰りに見回すと、重々しい声で告げる。


「現状、一年生は停滞していると言わざるを得ない。女子たちはお互いを警戒している。男子は失敗を恐れ動けずにいる。なら、その空気を変える奴が必要だ」


「そ、その人物とは……!」


「ふふ、言わせるなよ」


「まさか……っ」


 一拍ほど間を置いてから、優弥は告げた。


「俺しか、いないだろう?」


『う、うおおおおおっ! ハーレムマスターきたあああ!』


 男子たちが歓声を上げる。ふふ、もっと俺を褒め称えるがいい。


「さすがマスター! 女子に対して誰もが手を出せない中、率先して行動する! まるで発情期の動物並に性欲がマッハだ!」「女子を狩ろうとするハンター(変態)の目つきだ! ぐお、正視できない!」「馬鹿な、マスターの性欲値がぐんぐん上がっていく!?」


「も、もう良い! てか、さり気なく変態ってルビ振ったやつ誰だ!? 早く出てこい!」


 ともかく、切っ掛けは与えたぞ。優弥はふっと微笑しながら、先を続ける。ここからが重要なのだ。


「ところでお前たち、それで良いのか?」


「それで……とは?」


 クラスメイトの田中くんが聞き返す。


 よし、いいぞ。その言葉を待っていた。


「俺が動き出さないと、何もできない。女子たちの反応に怯えるばかりで、積極性に欠けている。そんなで、良いのか?」


 いくぶん厳し目の指摘をすると、彼らの間に動揺が走る。「た、確かに……」「俺たちは愚かだ……」「変態の言う通りだ……」


 おい最後の! もはや悪口ではないか!?


 ……ま、まあいい。悄然と肩を落としている男子たちへ、優弥は余裕たっぷりに言い聞かせる。


「すでに、動き出す切っ掛けは与えた。女子たちも断片的ながら、この会話を聞いているだろう。つまり、恋戦に参加しても不自然ではない。場が整ったのだ」


「つ、つまり……?」


「まだ分からないのか。少しは頭を使え。つまり……お前たちはいつまで俺を待っている? 賽は投げられた。動き出すのだ、男子共!」


『う、うおおおおおおおっ!』


 なんと寛容なお方だ、自分たちを優先してくれるなんて……っ! とそこかしこで野太い嗚咽が漏れる。


 くくっ、馬鹿共が。


 周りが涙している中、優弥は内心ほくそ笑んでいた。


 ……ぶっちゃけ、自分から動き出すのが怖かったのである。そこで、自分から行動しつつ男子たちを恋戦へと駆り立てる方策を練った。どうやら無事、成功したらしいな。マスターとしての威厳も保て、かつ恋戦でトップバッターを務めなくて良い。何も問題はなかった。


「ところでマスターは、最初、誰を狙うんだ?」


 と、男子の一人が尋ねてきた。


「いい質問だな。俺は……」


 答えるより先に、視線が吸い寄せられる。


 窓際に座る黒宮凛花は、今日も一人で文庫本を広げていた。


 可憐で静かなおもざし、手入れが行き届いている三つ編み混じのロングヘア、文学少女然としたお淑やかな雰囲気……全てが完璧だった。


 優弥の心は、自然と彼女に惹かれていく。


「なるほど、黒宮凛花か。確かにあの子、めっちゃ綺麗だし。大人しくて良いよなあ……こう、深窓の令嬢みたいでさ」


 彼の言葉は的を射ているように思えた。彼女の顔には、お嬢様じみた気品が湛えられている。ただ、大人しい……という部分には違和感を覚えた。物静かというよりも、彼女は自分の周りに壁を作っているような気がする。黒宮が誰かと話している光景を、優弥は一度として見たことがない。


「よし、俺も黒宮に挑戦してみようかな」


「なに!?」


 これには意表を衝かれた。優弥が大きな声を出すと、男子は少し戸惑ったようだ。丸く見開かれた瞳が、躊躇いがちに揺れている。


「駄目、だったか? いやさ、俺も狙うなら一番可愛い女子がいいし。まだこの段階で内面は良く知れないから、ロザリオが取れないにしろ、何かアピールしておこうかなと。それにマスターの言う通り、積極的になってみようかなって……。俺、あんまり女子と話すの苦手だけど。黒宮だったら、真面目に俺の話を聞いてくれそうだし」


「な、なるほど……」


 先に行動してくれるのは有難いが、申し訳なさもある。いや、最初から利用しようとは思っていたのだが。


「……いいだろう。俺に構わず、黒宮にアタックすると良い。その恋、俺は応援するぞ」


「ま、マスター……!」


 男子生徒は目に涙を浮かべ、大きく首肯した。


「分かったよ。俺、頑張ってみる!」


 一人の宣言を皮切りに、男子たちはそれぞれ盛り上がり始めた。優弥の周囲から「じゃあ、俺もやってみようかな」「あ、俺も」といった声が連鎖して集まる。しかし、その中心に居座る優弥は浮かない顔だった。


 場の趨勢からして恋戦へ赴く流れだが、正直に言うと自信がない。


 そして、怖い。


 表面上は傲岸不遜なふうを装っているけれど、本音までは繕えない。結局のところ、自分は臆病者なのだ。お人好しな性格は、少なからず好意的な印象を持たれる。逆に嫌われることは少ない。


 恋戦では、自分の感情をストレートに告げなければならない。当然、自分が傷つく可能性もある。


(……本当はもう少し後に動こうと思っていたが、現状からして甘い考えは捨てるべきだな)


「……はあ」


「? どうしたんだ、マスター」


「……いや、何でもない」


 わいわい盛り上がるクラスメイトに囲まれた優弥の気分は、決して良いものではなかった。


(まさか、こんな早くから黒宮凛花に告白を? この俺が?)


 恋戦が行われる時刻は放課後に限定されている。正直、あまり考えたくなかった。


 しかし優弥がどれだけ憂鬱になろうと、思い悩もうと、意味はない。時間は規則的に進む。


 ふと、二度目の溜息が漏れた。


 今度は周りの声に掻き消され、その嘆きを誰かが拾うことはなかった。

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