第一話 ハーレムマスター爆誕

 中学生の優弥に付けられたあだ名は〈パン屋〉だった。ちなみに彼の両親は共働きで、父がサラリーマン、母は近所の飲食店でパートを営んでいる。


 優弥は、昔からお人好しな性格をしていた。


 困っている人は必ず助けようとし、たとえ自分が損をするようなことでも一生懸命に助力する――周りからの評は良い人だ。優弥自身も満足していたし、彼をそう教育した両親も「名前の通りに育ってくれた」と喜びを露わにしていた。


 そんな優弥が自分の性格を悔いたのは、中学校に上がった頃。切っ掛けはほんの些細な会話だった。


 昼休み、ワイシャツの第二ボタンまでを開放した女子二人組が「やべえ、弁当忘れたわー」などと駄弁っていた。


 優弥の通う中学校では給食がなく、昼食は各自自由とされていた。


 四時間目が体育だったこともあり、さぞ空腹だろうな、と思った。


 優弥は彼女たちの許へ歩み寄り「パン、買ってこようか」と提案した。彼女たちは大いに喜んでいた。


 その反応に嬉しくなり「あ、お金はいいよ。俺の奢りで」と購買で買ってきたパンを手渡した。


 今思えば、それが間違いだったのだ。あの時、彼女たちの瞳に過った狡猾な光を、優弥は見逃していた。

 

 それ以来、優弥は彼女たちの買い出し係となった。周りの空気がそうさせた。


 優弥くんは良い人だから。優弥はいつでも助けてくれるよな。周りからそう言われ、優弥は不思議と、悔しい気持ちになっていた。


 優弥が拒まないのをいいことに、クラスメイトの数人からもパンを買って来るよう頼まれた。代金こそ支払ってくれたが、昼休みの時間、両手にパンをいっぱい抱えて歩くと、虚しさがこみ上げてきた。いつの間にか優弥は「パン屋」と呼ばれ、嘲笑されていたらしい。ある時、自分の評が「良い人」から「都合の良い人」にクラスチェンジしていると気付き、優弥は思う。

 

 自分は何も変わっていない。変わったのは、周りの目だ。

 

 そう思い至った瞬間、優弥はこの世の真理を垣間見た気がした。

 

 ……結局、得をするのは自分本位な奴だ。他人ばかりを気遣っているようでは、幸せになれない。

 

 ……悪い男になろう、優弥はそう誓った。しかも、複数の女を侍らせるような、とびきり欲の強い男に――。

 

 と、上記のようなエピソードを高校の面接時に長々と語り、終いには「ハーレムを作ってやります!」と宣言した。面接官の女性は腹を抱えて笑っていた。

 

 ……確実に落ちたな。優弥はがっくり肩を落として会議室から出た。

 

 私立蓮城学園。

 

 とにかく自由度が高いと評判の高校で、カリキュラムは選択制かつ部活動への所属も強制じゃない。加えて大学並みの広大な土地を有し、学食やコンビニまで出店している有様だ。

 

 数年前までは難易度の高い試験が関門としてあるも、しかし近年ではこの体制が変わったらしい。なんと、面接をパスすれば入学できるという安易な条件に。

 

 ……加えて恋愛にも寛容で、とある男子生徒が在学中に複数人の彼女を作ったらしい、との噂もネット上で飛び交っていたりして……優弥は「これだ!」と思った。面接さえ突破すれば恵まれた施設+美少女との酒池肉林が待っている(かもしれない)。優弥は根拠のない自信を抱きながら有頂天になっていた。

 

 俺はここで、暗黒の中学時代を返上してやる。そんな野望を胸に面接会場へ趣き、内心で燻る想いをぶち撒けた。結果は火を見るよりも明らかだ。試験日程のせいであとは滑り止めの底辺高しかないし……こりゃ完全に死んだな。優弥はこの世の終わりを見た顔でドアを閉め、幽鬼のような足取りで元来た道を辿った。


「大丈夫なのです」


 その途中で、柔らかな声が聞こえた。


 ……幻聴か?


 人気のない廊下で足を止め、振り返る。


 さっきまでは誰もいなかった。


 そこに、小柄な女子生徒が一人、ぽつねんと立ち尽くしている。


 ショートカットの髪に、あどけなさの残る顔立ち。黒目がちの瞳はくりくりと丸く、純粋そうな印象を受けた。年下に見えるが、上級生なのだろう。蓮城学園の制服は、線の細い彼女の身体をすっぽり包んで余りある。


「ええと、大丈夫というのは……」


「あなたが、面接に合格するという意味です」


 よもや、聞こえていたのだろうか。それとも、暗い表情から察したのか。

 真偽は分からなかったが、優弥は曖昧に頷いた。おそらく、落ち込んでいる自分を励ましてくれたのだろう。そう思えば有難いことだった。

 

 一応礼を述べ、優弥が正面に向き直ると、背後で女子生徒の声が言った。


「先ほどの気持ちを忘れないでいてください。そうすれば、あなたの願いはきっと叶うのです」


 その言葉はあまりに唐突で、意味が分からなかった。疑問に思って振り返ると、しかしそこには、誰の姿も見当たらなかった。


「……は?」


 背筋にゾッと冷たいものが走る。……まさかとは思うが、幽霊じゃないよな。


 俺の不景気な顔につられて、出てきたとか? お盆には早いし真っ昼間だぞ?


「……って、そんなわけないか」


 きっと、ただの幻覚だ。喋ってもいたから幻聴付きか。


 面接で失態を犯した直後である。誰かから励まされたかったのだろう。


 ひとまずはそう思い込んで、優弥は学園をあとにした。


 まあ、ここに来ることは二度とないだろうし。別に、何でもいいか。


 ……と、思っていたのだがな。




 入学式をそつなく終えた優弥は、配属されたばかりの教室でしばしフリーズしていた。


 どうにも実感が湧かない。


 なぜ、自分はこの場にいるのだろうか? 


 結論から言えば、優弥は蓮城学園の試験に合格していた。いくつかの注意事項に同意したのち、晴れてご入学となったわけだが……やはり釈然としない。


 まさか、あの受け答えで通るとは予想だにしていなかった。


 何かの手違いで自分が合格し、後になって「やっぱりキミは不合格だったよ」と言われるシミュレートを何度したか。まあ、この段階になってお声が掛からないないということは、杞憂だったらしいが……。


「……ふむ」


 悩んでいても仕方がない。


 むしろ、この状況は自分にとって都合が良いはずである。


 絶望視していた入学が叶ったのだから、手放しに喜んでもいいだろう。


 なにせ、優弥・ハーレム計画の実現に一歩近づいたのだから。


 心に残るモヤモヤとした不安を振り払った優弥は、少なくとも一年間は共に過ごすであろうクラスメイトの顔を眺め渡した。


 ハーレム要員になる女子は……おお、意外と高レベルではないか。


 友達と仲睦まじ気に話している女子、ニコニコと笑顔を絶やさない女子……うむ、素晴らしい! 柄の悪そうな奴は一人としていない。中学時代の劣悪極まりない環境に比べれば天と地だ。


「……ん?」


 けれど、中にはおかしな奴も混じっていたりする。入学初日だというのに、一人だけ机に突っ伏している女子がいた。組んだ両腕に癖っ毛の明るい髪を埋めるようにして、じっと黙り込んでいる。微かに漏れ聞こえてくるのは、規則正しい呼吸音。


 おいおい……寝ているのか。


 優弥は呆れた気分になりながら、その女子から目線を外す。それよりもインパクト抜群の光景が、ちょうど隣にあったから。


「なっ」


 思わず声が漏れる。それほどの、美貌。


 窓際の席に座りながら文庫本のページを手繰る女子。……清楚かつ可憐であった。

 

 大和撫子を象徴するかのような漆黒のロングヘア。艶やかな髪の一部が丁寧に編み込まれ、日の光に透ける肌は仄かな薔薇色を宿す。あまりにも造作が完璧すぎて、ぱっと見、精緻なドールのようだと思った。しかし柔肌の奥に透ける血色や、瑞々しい唇、小さな胸の動きが、彼女は自分と同じ人間であると物語っている。

 

 す、素晴らしい……!

 

 優弥は感嘆の息を吐きながら、内心で燃え上がっていた。

 

 この女子だ。まずはこいつから、俺のハーレムに加えてやろう。

 

 今までの人生で、これほど胸が高鳴った女子はいない。畏怖すら覚えるほどの美貌、これを自分のモノにできたなら。きっと、優弥の中で何かが変わるだろう。

 

 そう、自分は変わらなくてはならない。いつまでもお人好しのままじゃ、遠くない未来に身を滅ぼす。それは暗黒の中学校生活で嫌というほど実感した。

 

 ――ハーレムを作る。今度は、俺が成り上がる番だ!


「はいおはよー。私語は止めてねーうっさいから」


 ……なんて、優弥が一人盛り上がっている最中、投げやりな口調と共にスーツ姿の女教師が入って来た。腰まである黒髪を波打たせながら教壇に向かう。その顔に、どこか既視感を覚えた。


 この女性……どこかで? ふと生じた疑問は、しかし教師の話が始まると最初から思い浮かばなかったかのように霧散した。


 話に集中する。

 

 どうやらこの学園は、何というか、かなり特殊な部類に入っているらしい。一人ずつ丁重に配られたのは、銀の首輪に繋がれた十字架。窓からの日を浴びてギラリと鈍い輝きを放っている。手に取ってみると、予想よりも重みを感じた。首輪も簡素なデザインながら、どことなく重厚な趣きがある。どちらも、ただのアクセサリーではないな。優弥はそう直感した。

 

 その直感を裏付けるように、女教師が続ける。


「この首輪は、学園生活を送る上で非常に重要なものだ。これがないと成績評価にも影響するし〈恋人〉だって出来ない。よって首輪を四六時中嵌めたくない者はこの場から去るように。退学にしといてやる」


 ずいぶんと横暴な物言いだった。どうやら、この首輪は私立蓮城学園で過ごすためには必要不可欠なものらしい。いまいちピンとこない話だった。他の生徒も同じなのか、首輪と十字架を見比べながら軽く唸っている。優弥も含め、それぞれの頭上には疑問符が浮かんでいるようだった。


 それを見越したのか、先生が注目を集めるように黒板を叩く。トン、と小気味いい音が響いて、生徒たちの顔を上向けた。十分に注目を集めてから、女教師は話し出す。


「まず、十字架――この学園ではロザリオと呼んでいる――に自分の名前を発声してくれ。これは一見してアクセサリーのようなものだが、最新の科学技術で作られたウェアラブル端末だ。あらかじめ登録したデータを基に、音声認識する」


 その単語は良く分からなかったが、要するに精密機械という意味だろう。優弥はそう解釈して、言われた通り自分の名前を発声した。教室のいたる所でぼそぼそと声が漏れる。


 先生は大雑把にその場を見回した後、


「ちゃんと言ったな。次に、首輪を嵌めてもらう。簡単だ。首元に持っていけば自動で締まる。ちなみに、この首輪に関する同意はもう済ませてあるぞ。入学に関する注意事項を読んだだろう?」


 そう言えば意味の良く分からない書類があったな……と思い返しながら、優弥は首輪を嵌めた。首元に持っていくと本当に自動で締まり、軽く驚いた。ひんやりと肌に馴染むような感覚があり、不思議と息苦しさは感じない。


「さて。この首輪を嵌める意味だが……それを説明する前に、この学園について話す必要があるな」


 面倒くさそうに頭を掻いて、先生は続けた。


「知っている奴もいるとは思うが、この学園は生徒同士の恋愛に寛容だ。というよりも、むしろ推奨している。ただ、あまりにも関係が拗れたら面倒だから、あるルールを設けている。まず、この学園の規則に従って出来た関係は、恋人であって恋人ではない。蓮城学園での恋人は『お互いに親しい感情を共有した者たち』という意味であり、決して男女の仲ではない。例えば異性の親友は何人作っても浮気にはならないだろう? それと同じでここでは何人〈恋人〉を作っても浮気にはならない。正当なことだ」


 いや、ただの屁理屈ではないか! 字面が同じで意味は異なるとか、何とも厭らしい。心の中でツッコミを入れる優弥だったが、実のところ、その内容には満足していた。


 要するに、この学園ではハーレム推奨ということだ。加えて浮気にならない。なんと素晴らしいルールだろうか。


「次に規則――恋人関係に至るためのルール――〈恋戦〉について説明する」


 聞き慣れない単語が飛び出した。おそらくは造語だろう。先生は黒板に大きく〈恋戦〉と書き殴り、教卓を叩く。先ほどよりも大きな音が響いた。普通に話せないのか、と優弥は顔を歪める。まったく、うるさい教師だ。


「恋戦……それは文字通り、恋人を得るための戦いだ。具体的には、男子が女子のロザリオを取るためアプローチする。女子は男子にロザリオを取られるようアピールする。ただ、それだけの話だ。このロザリオは好感度によって外れる仕組みになっているからな」


 好感度によって、ロザリオが外れる? それは一体、どんな仕組みだ?


「禁則事項だ」


 元ネタよりもドスの利いた声で言われる。いや、逆に元ネタのトーンで言われたら

「うわキツ……」と仰け反っていただろう。


「皆、大いに恋戦したまえ。この学園ではコミュニケーション能力が重要視され、より多くの関係を持つことで『魅力ある人物/優秀な生徒』として評される。社会ではより対人関係が肝要になってくるからな。出世やコネにも影響してくるだろう。当学園ではコミュ力のある人物を輩出することを売りとしている」


 それから、先生はロザリオに関する細かな説明を付け加えた。一つ、恋人関係を解消するためには相手のロザリオを奪い返すこと。それまであった関係をスムーズに断ち切るのもコミュ力が問われる。一つ、自分や他人のロザリオまたは首輪を不用意に外すことは出来ない。必要以上の負荷が加われば学園側にその旨が伝わり、該当する者は退学処分となる。……ちなみに、その仕組みを尋ねたが禁則事項の一言で片付けられてしまった。まったく、秘密の多い学園だな。


「何度も言うが、積極的に恋戦すること。いくら勉強が得意でも、人付き合いが出来なければ意味はない。社会は人によって形作られている。それを忘れるな。コミュ力の低い奴は風紀委員による指導の対象となるからな。成績的、将来的にも損をするのは自分自身だ。なお風紀委員に関しては後日話す。クラスから男女合わせて二名は出さなくちゃいけないからな……面倒だけど」


 そう言って、溜息を吐く。こんな態度でよく教師が務まるな。


「おい、そこのお前」


 どうやら顔に出ていたらしい。ビシッ、と指を差される。


「皆瀬優弥。お前は、恋戦に関しては大丈夫だな」


「え、何でですか」


「いやいや、あれだけ自信満々だったじゃないか……くく」


 何がおかしい。てか俺、そんな顔をしていたか?


 不思議に思って先生の顔を見つめ返す。


 ……ん?


 おぼろげだった既視感が、その形を露わにしていく。


 ま、まさかこの女……! 


「なにせこいつ――皆瀬優弥は、面接の時に『俺はハーレムを作ってやります!』と豪語していたからな」


「う、うわあああああああああああっ!」


 止める間もなかった。


 先生の言葉を聞いたクラスメイトたちが、ひそひそ囁き合う。音量が絞られているのでその内容は窺い知れないが、少なくとも良い話じゃない。


「い、いや違うぞ! 粉バナナ――じゃない、これは罠だ! 俺はこの教師によって謀られたに過ぎない!」


 動揺しすぎて新世界の神になってしまった。先生は厭らしさ満載の笑みを浮かべる。


「んー? そんなに謙遜しなくても良いじゃないか、ハーレムマスター」


「誰がマスターだ!?」


 ……ざわざわ、ざわざわ。


 先生はその賑々しい声を打ち消そうともせず、腰に手を当て「はっはっは!」と笑っている。これでは収拾がつかない。


「そんな……馬鹿な」


 愕然として、机の上に突っ伏した。


 意識が朦朧としてくる。

 

 まさか、入学初日からこのような洗礼を受けるとは。


 おかしい。確かに第一印象としては、中学の頃に比べて大きく変わったと思う。


 しかしあんまりだ! これでは、ハーレムを作る以前の問題である。


 クラスから、浮いてしまう……。優弥は内心、血の涙を流した。思い描いていた学園生活(酒池肉林)に亀裂が走る。


「おっと、一つ言い忘れていたな。恋戦においては の行使が可能となり――」


 それ以上の説明は頭に入ってこなかった。


 理解できるのは、俺の学園生活が初日から終了したってことだ。

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