11
「今度のお休み、ゴールデンウィークにさ」
そう陽一が言ったのは3月のことだった。
「旅行でも・・・行かない?」
海外は無理だけど、と陽一は続けた。あたしは誰かと旅行なんて行ったことが無かったし、誘われたことも無かったので、とても新鮮な気持ちになった。
「うん、行く」
あたしは出来るだけ、嬉しく思っているのを悟られないように答えた。旅行くらい、美人なら何度でも誘われたことがあるに違いなかった。
「どこに?」
あたしたちは真っ赤なベッドに腰掛けながら話していた。情事のあとだった。
「那須高原に、アルパカ見にいかないかな・・・と思って」
いつものようにもじっとして俯きながら陽一は言った。そして傍らにあった自分の鞄を膝に置くと、その中から那須高原の旅行パンフレットを数枚出した。
「なんでアルパカなの?」
あたしは不思議に思って訊ねて見た。
「触ってみたくて・・・」
とても気持ちいいらしんだ、と陽一は笑顔になった。不思議な人だ。アルパカに触りたいなんて、少年のような人だ、あたしはそう思った。そして「いいよ」と答えた。
「えっ、じゃあ、これ、申し込むね」
どれにしようかな・・・、と、陽一は嬉しそうにそういってパンフレットを見比べ始めた。「見せて」あたしは半ば奪うようにパンフレットの一部を陽一から取った。その中にアルパカの写真もあった。なるほど、アルパカは触ったら気持ちよさそうな動物に見えた。
「ここ行きたい」
あたしは「チーズガーデン五峰館」というところのチーズケーキに目が行き、そこを指差した。「御用邸チーズケーキ」と書いてある。
「勿論勿論、そこは行くよ」
那須旅行に興味を示したあたしを嬉しく思ったのか、陽一は興奮気味にそう言った。「ここのこのチーズケーキは美味しいらしいよ」陽一は那須について色々と調べていたようだった。
いったいどれくらい前から那須に行きたいと考え始めたのだろう。そして今日そのことをあたしに伝えるのに、どれくらいの時間を要したのだろうか。「人を好きになるということは、その人にどれくらい時間を割けるか、ということだ」という言葉を思い出した。陽一は確かにあたしに時間を割いてくれているようだった。
「今日、泊まっていきなよ」
明日は土曜日で休みだったので、あたしは何の気なしにそう言った。そういえば陽一はこの部屋に泊まったことはまだなかった。いつもきちんと家に帰るのだった。
「えっ、いいの?」
陽一は心底びっくりしたみたいにそう言った。あたしはそんな陽一が可愛くなって、「いいよ?もう遅いし」と笑顔で言った。その顔は最高のものの筈だった。仕事で繕っている笑顔とは違う、本当の笑顔だった。陽一はそれを見て、嬉しそうに、「じゃあ、そうする」と頷いた。
コンビニに髭剃りなどを買いに行き、帰ってきて旅行の計画を立てた。
夜更けまでそうしたあと、真っ赤なベッドであたしたちはくっついて眠った。
あたしは陽一との付き合いを周りには隠していた。
あたしのような顔のいい女と陽一は、あまりにも不釣り合いだった。それがあたしは恥ずかしかったのだ。しかしあたしは陽一が好きだった。でもあたしの変なプライドが、同僚などに決してバラしてはいけない秘密に、それをしていた。
旅行のことも勿論内緒だった。幸い旅行に行く時期は会社は休みなので、嘘の理由を考える必要はない。平日だったら大変だった。もう付き合いのない親族の誰かを殺す羽目になっていただろう。それくらい陽一とのことは秘密だったのだ。
あたしたちは主にあたしの部屋で過ごし、デートをすることもあまりなかった。街中を歩きたくなかったのだ。あたしは人に見られるほどには美人だった。何せ整形したのだ。そうあるべきだった。そんなあたしの隣に並んで歩く陽一を、人は見るだろう。そして「こんな男と?」と思うのだろう。それが嫌だった。
それでもあたしは陽一が好きだった。
陽一が、あたしのことを大事にしてくれるところが好きだった。しっかりとした中身が好きだった。あたしにはないものを持っている、陽一が好きだった。
でもあたしは整形するくらいだ。みてくれを気にする。陽一も整形してくれればいいのに、とすら思った。相変わらずあたしにはこのように、中身がなかった。
陽一との旅行の前日、陽一はあたしの部屋に泊まり、次の朝一緒に新宿まで行った。
そこで参加するバスツアーの一団に加わり、バスに乗り込んだ。
那須高原は栃木にある。そこまでバスは高速をひた走った。
車中での陽一はご機嫌に見えた。
バスはかなり北の方まで来た。
「すごいね、山がこんなに近い。東京じゃ考えられないね」
窓の外を指差し陽一は言った。
確かに山が近かった。大きく思えた。それはとても懐かしかった。
あたしは長野の出身だ。
しかしもう実家や親族とは縁を切っている。あたしが東京に出ていくのを猛烈に反対されて、それっきりだった。
お蔭で整形も出来たし、縁は切れてよかったと思っている。
長野なんて山だらけだった。山は高いけれど建物は低く、空が広かった。あたしはそれをぼんやりと思いだしていた。
「あれ・・・なんか僕、言っちゃった?」
陽一が心配そうにあたしの顔を覗き込んだので、あたしは我に返った。
「違うの。ちょっと思い出していたの」
「何を?」
「実家のこと」
あたしは家族のことは誰とでも話題にはしなかった。これまで陽一にもそんな話はしたことがなかった。
「実家ってどこなの?」
「長野なの」
正直にあたしは答えた。陽一になら何でも話せる気がした。
「へえ。今度連れて行ってね」
陽一はそう言ったが、あたしは黙った。
「栃木に入ったよ」
あたしは代わりにそう言って、窓の外の「栃木県」という看板を指差した。
やがてバスは高速を降り、市街地へと入って行った。
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