5

 あたしは新しい仕事に「受付嬢」を選んだ。美しい顔を手に入れたあたしにならできると思った。でも世の中そんなに甘くない、きっと職探しは難航すると思っていた。あたしはこのところ笑うことに抵抗がなくなっていた。あたしは美しくなったのだ。そんな思いがあたしを笑顔にさせた。ダウンタイム中は人には会わなかったけれど、あたしはテレビを見る際など、大きく笑顔を作った。そして鏡をよく見た。あたしは本当に美しくなっていた。

 数社面接を受けた。どこもそこそこ大きな会社だった。受付嬢を雇うほどである。自社ビルで、1階はロビー、そんな会社ばかりだった。あたしは、こんなところに勤められたらいいな、と思った。その思いはすんなりと現実となった。すぐに採用の連絡が来た。3社受けたが、3社とも採用だった。あたしは半ば呆れた。矢張り顔なのか。だとすれば美しくなったあたしにとって、これほどちょろい世の中はなかった。あたしは一番大手の会社を選んだ。痩せた甲斐あって、制服も問題なく入り、あたしは自分が生まれ変わった実感をここでも得ることが出来た。あたしは痩せて、美人になって、本当に生まれ変われたんだ。こつこつと街を歩くその背筋も、しゃんと伸びていた。

 受付嬢の仕事は楽しかった。人と接することがこんなにも楽しいのか、と思うほどあたしは気持ちよく仕事が出来た。人に見られることが、こんなにも快感なのか。あたしの心は満たされていた。生きる喜びを味わっていた。

 声をかけてくる男の人も多数居た。何度も食事に誘われた。あたしはちやほやされていた。あたしはその中で、一番顔がいい人と、お付き合いを始める事にした。あたしは誰からも選ばれない人間から、選ぶ側の人間に変わっていた。

 人生初の彼氏である。あたしはでも美人だから、斜に構えていないといけないと思っていた。相手は杉崎さんという男の人で、あたしより3つ上だった。取引先の営業マンで、成績はいいようだった。羽振りがよかったのでそう思っていた。

 その日も杉崎さんに誘われて、ホテルのレストランでディナーを食べていた。

「みゆきちゃん」

 杉崎さんは食べながらあたしに呼びかけた。

「なんです?」

 口元をナプキンで拭いながらあたしは言う。

「今度、俺の友達に会ってくれないかな?紹介したいんだ」

 それを聞いてあたしは嬉しかった。紹介してくれるんだ!お友達に!あたしはそんなことされる人種なんだ!

「友達の誕生日パーティーが今度あるから、それに一緒に行こう」

 杉崎さんは魚料理を口に運びながら笑顔でそう言った。

「はい!」

 あたしも笑顔で応対した。あたしの笑顔はとびっきりのものに違いなかった。仕事で浮かべる愛想笑いとは違う。

 それを見て杉崎さんは微笑み、食事を続けた。

 杉崎さんは焼けた肌をしていた。長めの髪の毛。サーフィンをやっているとのことだったが、いかにも、という感じだった。そしてイケメンだった。

 あたしは杉崎さんに満足していた。優しいし、イケメンだし、お金持ちだし。言うことなかった。

「で、このあとだけど・・・」

 杉崎さんは食事を終えると、テーブルにルームキーのカードをひらり、と置いた。

「部屋、とってあるんだ」

 あたしはまだ杉崎さんに体を許してはいなかった。杉崎さんどころじゃない、誰にも許してなど居なかった。あたしはルームキーを見つめた。あたしは美人だ。美人が処女なわけないじゃないか。ここはうまく演じなければ。

「・・・いいですよ」

 俯き加減で少し笑いながらあたしはそう言った。慣れている振りをした。初めてこんな誘いうけたくせに。処女な癖に。

「じゃ、デザート食べたら行こうか」

 杉崎さんは満足げにそう言った。こくり、とあたしは頷いた。

 あたしの心臓は飛び出そうだった。ばっくばっくいって、押さえていないと、5m先まで飛んで行きそうだった。緊張していた。初めては痛いと聞く。怖かった。でもあたしは処女を捨てたかった。美人がいつまでも処女ではおかしい。あたしの貞操観念はそんなもんだった。

 正直杉崎さんのことはそこまで好きではなかった。ただ顔がいいから付き合ってるだけ。ちやほやしてくれるから、それが気持ちいいから付き合ってるだけ、そんな感じだった。

「じゃ、いこうか」

 デザートを食べ終えて、テーブルでお会計を済ますと杉崎さんはそう言って、テーブルの上のルームキーを手にし、立ち上がった。あたしも続けて椅子を立った。足ががくがくしていた。それを悟られまいと必死だった。杉崎さんはあたしの肩を抱いた。そして二人でエレベーターへと向かった。

 セックスはおろか、キスだってしたことない。でもそんなことバレてはまずい。だってあたしは美人なのだから。男性経験はそれなりになければおかしい。説明がつかない。あたしはエレベーターが昇り行く中、手を見つめた。この手に見合った女になるのだ。この手はなんでも知ってなければならないのだ。あたしはぎゅっと手を握った。

 19階に着くと、杉崎さんはあたしを慣れたようにエスコートして部屋へと入った。

 手にしていたスプリングコートをソファに置くと、杉崎さんは「シャワー、浴びるでしょ?」と言ったので、あたしはぶんっと大きく頷いた。

「先どうぞ」杉崎さんはそういってソファに腰掛けた。あたしもコートとバッグをベッドに置いた。

「じゃ、お先に」そういって浴室へ入っていった。浴室のドアを閉めると、あたしは呼吸が途端に速くなり、胸を押さえた。どうしようどうしよう、初めて男の人とセックスしようとしてるあたし。美人はこんなときどうするの?あ、美人はこんなときなんてないんだ、もう10代の頃済ませてるんだもんね。あたしは平常心を取り戻そうと努めた。シャワーを浴びている間も心臓の鼓動が収まらなかった。すごく、緊張していた。なにをどうするかくらいは知っている。でもその感覚を全く知らないのだ。裸を見られるのも恥ずかしかった。勿論男の人に見せるのは初めてだ。痩せこけた胸は小さなふくらみしかなかった。

 シャワーを浴び終えるとあたしは服を着直して、部屋へ戻った。「おまたせ」と言うと、杉崎さんは「バスローブ着ればよかったのに」と笑った。あたしは恥ずかしくなった。そういうものなのか。

「じゃ、俺も入るね」そう言って杉崎さんは浴室へ行った。あたしは今からでもバスローブに着替えた方がいいのか悩んだが、服のままで居た。だって男の人には「脱がす喜び」っていうのがあるって、雑誌で読んだんだもの・・・。あたしの性の知識のすべては雑誌だった。来たくべき日のためにあたしは勉強しておいたのだった。

 杉崎さんはシャワーを浴び終えるとバスローブ姿で現れた。ベッドに腰掛けていたあたしの隣に座るとあたしの肩を抱いた。ゆっくりとあたしを自分の方に向かせると、キスをしてきた。あたしはされるがままになっていた。杉崎さんが一旦唇を離したので、あたしは堪らず言った。「あの・・・慣れて、なくて・・・」声は震えていた。

「そうなの?!」杉崎さんは心底びっくりしたようだったが、すぐに嬉しそうに「そうなんだ」と言った。そしてゆっくりとあたしを押し倒した。




 そこからの記憶はあまり植わらなかった。思い出すことは痛い痛い痛い痛いだけで、杉崎さんが動くたびにあたしは痛さで声が出た。明らかな異物感。あるはずのないものがそこにある、それだけ感じた。早く終わって欲しかった。いろんな格好をさせられて、最後杉崎さんがものすごい速さで動くと、やっとそれは終わった。あたしは安堵した。

服を着てるとき、「まさか、初めてじゃないよね?」杉崎さんがそう言ったのであたしは慌てて首を振った。「そうだよね」と杉崎さんは安心したようだった。初めての女なんて、重荷なのだろう。一方で、あたしは嬉しかった。もう処女じゃないことが嬉しかった。これから幾度となく体を求められるであろう。だがその時のあたしはもう処女ではないのだ。男を覚えたと思った。本来男を覚えたなんて、セックスで快感を得てから使うような言葉なんだろうけど、あたしはその時そう思って疑わなかった。この先も今日のような目にあうのは少しいやだったが、これでまた美人に一歩近づいた、と思えた。この手も新しいことを覚えた。大人の手になった。23歳になったばかりの、春のことだった。

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