第6話 レストラン見学会泥酔事件:こんなに酒に弱いとは知らなかった!

調理師専門学校は1年間なので、3月に卒業する。久恵ちゃんから、そろそろ就職先を決めたいが、専攻はフランス料理だけど、実際のレストラン、特に高級なレストランに行ったことがないので、どこかに連れて行ってもらえないか、お金はかけなくていいからと相談を受けた。


そういえば、久恵ちゃんとレストランで食事したのは、上京した時の案内で銀座のレストランで食事してからずっと行ってない。


僕は外食があまり好きではない。食べたあと、家に帰らなければならないのが面倒だからだ。それに晩酌は必ずする。これがないと緊張が解けない。


缶ビールか缶チューハイを1本かウイスキーの水割り1~2杯飲む。1杯飲みながら食べた後、少し酔いの回ったところで、ごろっと横になって、テレビを見たりや本を読むのが好きだ。


久恵ちゃんが家に来るまでも、外食はほとんどせず、自分で作るか、スーパーがコンビニで総菜を買てくるか、弁当を買ってきて食べるという生活だった。


だから、洒落たレストランやラウンジなどはほとんど知らない。今は手作りのおいしい夕食の毎日で気が付かなかった。もっと外で一緒に食事をするべきだった。依頼は快く引き受けた。


仕事でレストランを使うのは軽い昼食くらいで、夜に使うのは、和食の料亭などが多かったので、恋人たちが使うような洒落たレストランなら選定が難しい。


しかし、有名ホテルのレストランなら簡単なので、今度の金曜日の午後6時に第1回見学会開催を決定した。場所は銀座の一流ホテルのメインダイニングにして、予約も入れた。


当日、ホテルのロビーで待ち合わせなので、会社の帰りにそのまま直行した。久恵ちゃんは一度家に帰って着替えをして来たので6時過ぎに走って到着した。


「ごめんね、服を合わせるのに時間がかかったの」


派手過ぎず地味過ぎず落ち着いたコーディネイトだ。センスが段々良くなっている。髪は上京した時からのショートカットだ。僕は女性が髪を乱雑に伸ばしているのが嫌いなので、髪が少し長くなると、お金を別に渡してヘアサロンに行かせた。いざ、メインダイニングへと向かう。


受付で予約を告げると年配のウェーターが席に案内してくれる。少し緊張している二人をどう見ているのか興味深々だ。席に着くと椅子を引いてくれる。着席して、渡されたメニューを見る。フランス料理だからフランス語も書かれている。久恵ちゃんはメニューをじっと見続けている。


事前に打ち合わせたとおり、今日はアラカルトでと告げると、ウェーターは少し残念そうに、お飲み物はと聞く。ビールとジンジャエールを注文した。それぞれサラダとスープをチョイスし、メインはフィレステーキとした。デザートはセットメニューを注文し、メインの時に、二人に赤のグラスワインを頼んだ。


「シャーベットは、本当はソルベットというのを知っている? 英語で発音するとソルベット」


「知っている。習ったから」


「ハンバーガーは注文するときにはサンドイッチ、ハンバーガーだけほしいときはジャスト・サンドイッチ」


「知らない。へー、パパ英語できるの」


「2年半ニューヨーク勤務をしたことがある。赴任した時は、毎日夕食はその辺のレストランで食べていたけど、注文は、いつもビール、シーザースサラダ、ステーキ、ソルベット、コーヒーだった。でも毎日これが続くと、さすがに日本食が食べたくなって、日本食の食材屋でお米と冷凍のウナギのかば焼きとたれ、それにパック入りの豆腐、即席みそ汁、醤油を買って、自分でうな重をつくって食べた。もう最高にうまかった。日本人に生まれてよかったと、しみじみ思った。それからは自分で食事を作ることにしたんだ」


久恵ちゃんが目を輝かせて聞いている。


「聞き上手だね」


「パパの話、おもしろいし、聞くのは好きよ」


そこへ料理が運ばれてきた。久恵ちゃんは海外での生活や、今の会社の仕事など、いろいろなことを聞いてきて、話がはずんだ。食事ってこんなに楽しいものだったんだ。


いままで、相手が喜ぶので、自分のことを話すのは控えて、聞き手にまわることがほとんどだった。いや、相手のことを大切にする余り、控えすぎて言うべきことまで話さなかった。それが意思疎通の原因となっていたのかもしれない。


でも、こんなに自分に質問して、話を聞いてくれたのは、久恵ちゃんが初めてのような気がする。うれしいし、楽しいものだ。


人は誰でも自分のことを知ってもらいたい、聞いてもらいたいと思っているものだ。だから、話を聞いてあげるととても喜ぶし、話を聞いてくれるととても嬉しい。今日の見学会は楽しくて大成功だ。


メインの時にと頼んだグラスワインを久恵ちゃんが空けた。


「お酒強いの? 大丈夫?」


「弱いけど、知らないうちに飲んじゃった。大丈夫かな?」


「パパがいるから安心していいよ」


「ママもお酒はだめで、飲んでいるのを見たことなかったけど、私もダメみたい。成人式の後にビールをコップ一杯飲んだけどひどく酔いが回ったのを覚えているから」


「ワインは度数が高く口当たりが良いからパパも注意している。以前、送別会で飲み過ぎてひどい二日酔いで死ぬ思いをしたことがある。その時は2本位飲んだと思う。止めない幹事が悪い」


「飲んだ本人が一番悪いと思うけど」


「レストランではグラスワインを頼むのが一番、1本では多すぎるから。レストランが厳選しているので値段の割においしい。ただし、ワインは後から回るから飲み過ぎは禁物だ」


デザートの後、コーヒーを飲み終えて退席した。レジでカードで支払いを済ませる。


「ご馳走様、ありがとう、ゴールドカード、かっこいい」


「就職したらカードを作ったらいい」


「私は、いつもニコニコ現金払い、無駄使いするからカードなんか作らない」


久恵ちゃんは堅実だ!


ゆっくり有楽町駅まで歩いた。2月の初めは薄めコートでは少し寒い。久恵ちゃんが自然に腕を組んで身体を寄せてくる。足取りはしっかりしている。週末で、回りは腕を組んだカップルが多いので目立たない。


五反田駅でエスカレーターを昇って、池上線に乗り換え。1本電車を待って二人座って帰った。


出発前後に久恵ちゃんが肩に持たれて眠った。こちらは眠るわけにはいかない。以前、目が覚めたら終点蒲田駅、次に目が覚めたら五反田駅のことがあった。雪谷大塚駅までは絶対に我慢しなければいけない。


駅に着いたので、久恵ちゃんを揺り起こすが、酔いがすっかり回っている。腕を抱えて、エスカレーターへ、おんぶもできず、体を抱えて、帰宅した。


久恵ちゃんは小柄で軽いので助かった。部屋に布団を引いて、コートと上着を脱がせて、横たえる。


酔った久恵ちゃんは「ごめんなさい」といいながら、首に手をまわしてくるし、ふとんからはいい匂いがプンプンするし、おかしくなりそう。


あわてて布団を被せて電気を消して、部屋を出た。疲れたー! でも心地よい疲労。おやすみ!


◆ ◆ ◆

翌朝、土曜日なので朝寝していると、久恵ちゃんがドアをノックする。ドアを開けると、すっかり着替えている。


「パパ、ありがとう、ごめんなさい」


昨晩は五反田で電車に座ってから記憶がなく、朝、目が覚めて、パジャマを着ていないのに気が付いて、飛び起きたという。


「パパと一緒だからよかった。ほかの人とだったらどうなっていたことかと考えるとゾッとする。もう、絶対にお酒は飲まないから」


「二日酔いはどう?」


「ぐっすり眠れて気分爽快、あとで一緒に散歩に行こう」


そう言うと部屋に戻って行った。やれやれ。


それから、2回、渋谷と新宿でホテルのレストランの見学会を週末に催した。もちろん、久恵ちゃんはお酒なしだった。


久恵ちゃんは、卒業後、広尾の通りから少し入ったところにある中堅のホテルにコックとして就職した。

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