16 各務

 俺はびっくりしたんだ、そのとき。


 部屋の明かりがついていたし、今日は金曜日だから、かるながきてくれたのだと悟り、いそいそと玄関を開けた。

 するとテーブルにかるなは座っていた。

「悪いが」

 かるなの顔つきがいつもと違っていた。これは・・・各務様だ。

「今はわたしなのだ」

 そうかるな、いや、各務様は言った。

「わかるであろう?」

 各務様は言った。

「わたしはおまえに何回か会っている。おまえなら判るであろう?わたしが誰か」

「わかります」

「今はわたししかいないのだ」

「どういうことですか」

「わたしにも判らぬ」

「・・・」

「ただわたししかいないことしか判らぬ」

「かるなは・・・」

「判らぬ」


 かるなには二三言しか喋ってないといったけれど、実はかなり喋ったのだった。


「今・・・状況で言うとどういう感じなのですか」

 すると各務様は少し考えた。

「いつもいたわたしの片割れがいないことは判る」

 また少し考えてから

「それ以上は判らぬ」

 と言った。

「もう、もうかるなは戻ってこないのですか」

「かもしれない」

 俺は一気に絶望した。

「だが、わたしはここまでの道は覚えていたし、片割れと同じようにおまえを愛しているぞ」

「え?」

「どういうわけか気持ちは片割れと同じだ。ここに来たいと思ったからきた」

 各務様はまた少し考えた。

「察するに、片割れはまだ強い。じき以前の様に戻るだろう」

「どういうことですか」

「この状態は続かないということだ」

「各務様は、どのようなお気持ちなのですか」

「片割れと同じだ」

「というと」

「おまえを愛している」

「そうではなく、その、片割れがいないことについてです」

「ああ、それも片割れと同じだ。こんなのはごめんである」

 俺は少し安堵した。各務様がかるなの身体を独り占めしたいと思っていたら厄介だと思ったからだ。

「片割れには世話になっている。わたしは己の欲求を何が何でも通したいと思うほど愚かではない」

「欲求?各務様の欲求とは何ですか?」

「おまえをわたしのものにしたいという欲求だ」

「俺を?そのからだではなく?」

「わたしには判るが、片割れも、そしてわたしにも理解者はおまえしかいないのだ。それがどのようなことか判るか?」

「いえ」

「少しは考えよ」

 俺は考えた。

「孤独・・・ですか」

「それもあるがもっと強いのは理解者と『共存したい』という思いだ」

「かるなは俺と共存したがっているのですか」

「恐らくそうであろう」

 各務様は「しかし・・・」と続けた。

「片割れは自分の気持ちを封印する癖があるようだ。だからわたしがいるのであろう。即ちその共存欲に気づいてはいないのではないであろうか。わたしは気づいている。なのでおまえと共にありたいと思う。が、その我を通すほどわたしは愚かではない」

 俺は、各務様もまた、自分の気持ちを封印しようとしているのだ、と思った。

 つまりやはり同じ人間なのだ、かるなと各務様は。

「この会話も片割れは聞こえているかも知れぬ。わたしには判らぬが」

「俺は、かるなと喋りたいです」

「そうであろう。わたしはあたりまえのことしか言わぬからな。詰まらぬであろう。案ずるな。じき戻る」

「つまらないわけではないです」

 すると各務様は優しい目で俺を見た。

「おまえは矢張り、優しい男だな。そして賢い」

「各務様こそ頭がいいのでお判りになるのでは。どうすればいいですか俺は」

「わたしを消せばよい」

「各務様を?」

「片割れが自分を惜しみなく出せるようになれば、わたしは恐らく必要ない。よってわたしは消えるであろう」

「それは・・・」

「苦渋か」

 また各務様は微笑した。

「微塵にはならぬ。概念は人の心から消えることはないぞ。ただこのように強くわたしがあるのはごめんだ。片割れの片割れでいるだけで十分である」

 俺は各務様の言葉を整理した。

 かるなが惜しみなく自分を出せる状況になれば、各務様は消えるけどかるなは消えない。

 しかし各務様は消えてしまう・・・。

「各務様もかるなも残したい場合はどうすればいいのですか」

「多くを望むと凡てを失うぞ」

「でも。・・・各務様?」

 各務様は目を閉じていた。頬杖をついて意識を失いそうだった。

「各務様!」

 そしてその顔からは各務様の鋭さは抜けたのだった。かるなだ、直感的に俺はそう思った。

「かるな?」

 目を開けたのはまさしくかるなだった。



 こうして俺は、各務様からいろいろなことを教わった。

 かるなは意識的にじゃなく、性格的に自分の気持ちに蓋をしていたのだ。

 それを解き放てばいいってことだろ?

 理解者が俺しかいないと思っているのだったら、それは俺に可能なのではないだろうか。

 でもどうやって?

 なんとかなるはずだ。

 二重人格はそれぞれの人格が消えたくないから厄介なのだきっと。各務様はそうではない。

 消せばいいなんて簡単にいうけど、そんなこと俺に出来るかよ!

 俺にどうしろって言うんだ。

 消したくないんだ、かるなも、各務様も。


「多くを望むと凡てを失うぞ」


 各務様の言葉が頭の中で響いた。

 かるなも各務様も俺にとってはすべてだ。


 きっと、どちらかを取らなければならいのだろう。

 それは各務様が言うように、俺にとっては「苦渋」だった。

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