15 恐怖

 耳が悪くなったのかな?

 その所為で色々となにか変だったのかな?

 あれ以来わたしは普通に過ごしていた。何も起こらなかった。

 学校はもう辞めようと思ったので、行ったり行かなかったりしていた。


 わたし、プロポーズされたんだよね・・・?

 あれは確かに、プロポーズだったよね?

 でもわたし思いっきり否定するようなこと口にしてたみたいだし、なんとなく、健太郎には会いづらいな。

 金曜日の夜、健太郎のうちに行こうかどうか迷った。

 でも毎週行ってたし、行かないと流石に変かなと思って、行くことにした。


 道すがら、電車の中で目を瞑ってわたしは考え事をしていた。

 あのプロポーズの返事、どうしたらいいんだろう?

 正直結婚なんてまだ全然考えてなかった。

 急に言われちゃっても困る。

 でもあんな風に言われて悪い気はしない。

 健太郎がそんなに真剣にわたしと付き合っててくれてたなんて、知らなかった。

 正直とても嬉しかった。

 でも凄く戸惑ったのも事実で・・・。

 どうしよう?今日どんな顔して会えばいいかな?

 まだ時間は欲しい。答えはすぐ出せない。せめてわたしの就職が決まってからにしないと・・・。


「かるな?」

 そう呼ばれてわたしはびっくりした。

 こんな時間のこの電車に健太郎がいるわけないのに。

 と思ったら、そこは健太郎のうちだった。

 わたしは健太郎とテーブルを囲んで頬杖を付いていた。

「あれ?」


 どういうこと?


「わたし今、電車に乗ってたんだけど・・・」

 でもわたしは今健太郎のうちにいて、コートも脱いですっかりくつろいでいる。

「なにこれ・・・」

 この前と一緒だ。

 急に知らない場所にいた、あの時と一緒だ。

「電車に・・・乗ってたの?」

 こわごわと、明らかにこわごわと健太郎はそういった。

「ねえ」

 わたしは思い切って聞いてみた。

「わたし今まで何してた?」

 こんなこと聞くの変かもしれない。でもわたしには判らなかった。今まで自分が何をしてたか。

「覚えてないの?」

 健太郎が恐る恐るそう聞いてきたので、わたしは観念して頷いた。

「ねえ何してた?わたし」

 健太郎は明らかに戸惑っていた。でもやがて、健太郎も観念したように、言った。

「各務様、してたよ」

 わたしの顔は蒼白になったに違いない。

「またべらべらしゃべってたの?!」

 わたしは時計を見た。電車に乗ってたときより2時間経って夜の10時になっていた。

「いや」

「え?」

「ずっと黙ってたよ」

 健太郎は思い切ったように言った。

「俺、顔でわかるんだ、かるなの。顔つきで、かるななのか、各務様なのか、わかるんだけど、今までは各務様だった」

「わたしずっと無言だったの?」

「いや、会話は二三言普通にしてたよ」

「でも各務だったの?」

「まあ言葉の端々が各務様ではあったけど」

「てことは何・・・?わたし、各務でいると何も覚えてないの?」

 そんなことってある?

「だって今までそんなことなかったじゃない!」

 健太郎は黙っていた。

「・・・あったの?」

 静かに健太郎は頷いた。

 わたしは息を呑みつつほっぺたを両手で覆った。

「うそでしょ・・・」

「でもほんの一瞬だった、今までは」

 体が震えてくるのが判った。

 激しい耳鳴りもした。

「知らない・・・」

 わたしは呟いた。

「そんなの知らない・・・!」

 今度は大きな声で言った。

「かるな」

「健太郎は知ってたの?わたしが各務でいると覚えてないこと知ってたの?」

「知らないよ、今日知ったよ」

「だって今までもあったっていったじゃない」

「思い返せばそうかもっていう程度だよ」

 わたしは完全にパニックになっていた。呼吸が上手に出来なかった。手はぎゅっとほっぺたに押し付けていた。

「やだよ」

 ぎゅっと目を閉じた。

「そんなのやだよ!」

 閉じた目から涙が溢れた。

「かるな」

「たすけて」

 そっと添えてきた健太郎の腕をわたしは強く掴んだ。

「健太郎、たすけて!!」

 わたしは助けを求めてぼろぼろと泣いた。

 健太郎の前でこんなに泣くのは初めてのことだった。4年間で、初めてだった。

 健太郎はわたしに近づくと、跪き、ぎゅっとわたしを包み込んだ。

「なんとかする」

 この前みたいに入念にわたしの頭を撫でた。

「なんとかしたい」

 わたしは健太郎に抱きついて泣いた。わんわん泣いた。

 怖かった。とてつもなく怖かった。こんな種類の恐怖は味わったことなどなかった。

 各務が、本当に一人歩きし始めてしまったのだと思った。

 本当に、わたしの手に及ばなくなってしまったのだと思った。

 ついに完全にコントロールが出来なくなってしまったのだと思った。

 

 それは本当に、心の底からの恐怖だった。

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