何時か、友と


 彼は人間という種族にしては、少々――いや、かなり異色な存在だった。

 我ら竜から見た人間とは、己の繁栄の為に自然を壊すことを正義とする悪であり、憎むべき敵である。故に我らも人間を食い殺し、慈しむべき自然を守ってきた。

 自ずと世界は二分され、人間は徒党を組んで我らを屠るようになり、我らも同胞を失った憎しみや悲しみを人間に向けた。

 人間が竜を殺し、竜は人間を殺す。

 互いに敵だと認識し、憎み合う。そんな対立の日々が日常となり、世界を構成する部品の一つとなっていった。

 誰もがこの対立を当然のもののように思い、初めから我らと人間は対立していたのだと思うようになった頃、私は彼と出会った。


 人間にしては可笑しな、不思議な考えを持つ彼との出会いは森の中で起きた。

 数日前、人間と一戦交えた時に負った傷を癒そうと、私は森の奥深くにある泉の脇で眠っていた。そこに落ちてきたのが彼だ。

 静寂の中に叫び声を響かせ、盛大な水柱を起こして水面に落下してきた彼は、泉から這い上がるや否や、私を見るなり目を輝かせて叫んだ。

「うお、すっげぇ爪……おお、なんだ竜か! お前は初めて見る奴だなぁ!」

 髪や衣服から水滴を滴らせ、へぇー、ふぅーん、ほぉーと物珍しげな声をあげて周りを駆け巡る様はまさに子供のよう。

 後にある国軍の指揮官だと聞いたが、そのようには見えないほど子供の動きだった。

 否、子供だったのだ。

 その大きな図体は何だと。本当に指揮官などやっているのかと。そう疑いたくなるほど、無邪気で何も出来ない男だった。

「お前は……」

「も? ふぉふひた? 食ふぇふか?」

「人の食べ物など要らぬ」

「ふぉっかー、ふまいのになぁ」

「すまない……ではなく!! 何故ぼろぼろとこぼすのだ! 食べきれる分だけ口に運べ! 大量に突っ込むな! ……ええい、餓鬼か貴様は!」

「あー」

 爪の先で引っかけるようにして〝さんどいっち〟とやらを奪い取り、尻尾で布巾を奴の顔に押し付けてやる。それが苦しかったのか、おぶおぶと喚いていたが、口元が綺麗になると静かになった。

「はー、すっきり!」

「良かったな」

 出会ってから数日。何が気に入ったのか、彼は頻繁に私のもとへ来るようになった。

 今日も唐突にやって来たかと思えば昼を共に食べようと騒ぐし、珍しく軍の制服を着ているかと思えばネクタイは曲がったまま。シャツはよれてしまっているし、ボタンも掛け違えている。

 そんな訳で、飯よりもまずは衣服を整えろと小言を申し、うだうだと駄々を捏ねるものを尻尾で黙らせ、ようやくマシになったかと思えば先程の騒ぎ。

「ああ、疲れた……」

「そうか?じゃあ、寝るか!」

「寝る!?」

 「待て」とか「何故」といった私の声も聞かず、彼は草原の上にごろりと転がり、すぐに眠りに落ちていく……かと思えば、かっと目を見開いて跳ね起き「忘れてた!」と叫んで駆け出した。

 とにかく落ち着かない奴だな、お前は。

 呆れ顔で見ている此方に構うことなく、泉の脇まで駆けていって振り返り、バッと両の腕を広げた彼は、楽しげに爆弾を落とした。

「なぁ!こんな世界、出ていこうぜ!」

「……はぁ?」

 何を言い出すんだお前は。阿呆か。ついにおかしくなったか。いや、可笑しいのは元々か。

「馬鹿らしい。お前にも立場があるだろう」

「うん、あるよ。俺には指揮官として部隊に指示を出すというすーこーな……すーこう?」

「無理して難しい言葉を使おうとするな阿呆。しかし、何にせよ、その立場があるのなら……」

 そこに甘んじて居れば良い。

 続けようとした言葉は、彼の突飛な言葉に遮られた。

「でも、もう要らないや」

「要らない!?」

「うん。だってさ――」

 友達を友達と呼べない世界は窮屈だ。


 そう言い放った彼は、我らが同胞に食われて死んだ。

 共に此の世界を抜け出そう。そして、大きな声で叫ぶんだ。此処にいる、この立派な竜は俺の友達だって胸を張って。

 そう言った子供のような男は、私の返事を待つ間にいなくなってしまった。

「……さて、傷も癒えた」

 時間がかかってしまったが、行くとするか。

 お前と共に、この窮屈な世界を抜け出してしまおう。私の爪で厄介な柵を断ち切り、お前の望んだ自由の足跡を追いながら。

 なぁ、お前は許してくれるか。

 お前を失うまで気付かなかった私を。

 この世界の理に疑いを抱かず、ただ漫然と生きていた私を。

「――お前は問うたな。私の翼で何処まで行けるのかと」

 竜の翼は丈夫なんだろ? 凄いなぁ! 飛べるって良いな。あ、今度俺を乗せて飛んでくれよ!

 なぁ、何処まで行ける?ずっと、ずーっと遠くまで飛んでいけるのか?

「――何処まででも行けるさ。私が望むのなら、何処までも」

 さぁ行こう。彼の望んだ世界まで。

 人間と竜が共に生きられる世界まで飛んで行こう。そうして何時か、その世界に辿り着いたなら。

 私もお前を友と呼びたい。


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