夢の中の女

 ここのところ毎夜毎夜の夢に現れる女は、常に私に背を向ける。

 私から見えるのは、きちんと結われた黒髪と、適度に抜かれた衿から覗く真白のうなじ。それから物差しを入れているかのように伸びた背筋。

 時折、体の端々から僅かに見える赤い化粧箱からは、果たして何が入っているのか軽いようで重い音が聞こえてくる。

 女の顔や、箱の中身が気にかかって、どうにか回り込もうとするのだが、彼女は私の考えを読んでいるかのように動き、決して見せてはくれない。


「彼女は一体、何を隠しているのだろう」


 行きつけの珈琲店で何度か顔を合わせる友人に、会話の種として語ったことがある。

 あまりに他愛ない内容であったので、一笑に付されて終わるかと思ったが、私の話を聞き終わった彼は、しばらく黙考した後にボソリと呟いた。


「顔、ではないかな」

「顔?」


 繰り返した私に頷くと、彼はくわえた煙草に火を灯す。漂った煙が彼と私の間に壁を作り、ゆっくり上へと消えていく。

 仰いで消し去るまでもない、薄い灰色の壁。その向こうに見える彼が、どうしてだか非常に恐ろしく思えて、私は有りもしない用をでっち上げると伝票を掴んで席を立った。

 この私の振る舞いに彼は何も言わなかったが、私が店を出る直前、背後から気だるげな声が追ってきた。


「君は趣味が悪い」

「何だい、唐突に」

「いや。ふと思ってね」


 さようなら。道中、気を付けたまえ。

 それが彼の声を聞いた最後だったと思う。私はその後も何度か店を訪れたが、彼に会うことはなかった。

 それなりに言葉を交わした間柄だとはいえ、連絡先の交換などはしていない。

 久々に思い出して彼の安否が気になったが、それを知る術はなく、彼は元気だろうかと思うにとどめて眠りについた。

 

「また、か」


 見知らぬ屋敷の中に佇む私の目前に、女は背を向けて立っている。

 白無垢、否。死装束を思わせる白の衣装に包まれた背は、常のごとく揺らがず、化粧箱から聞こえる音も昨晩と変わらない。


「君は、何を抱えているのだろうね」


 慣れてしまったが故に恐怖はなく、また夢だと知っているが故の気楽さで訊ねた私に、彼女の肩が小さく動く。

 小刻みに震えるそれを見て、笑っているのだと気付いた直後、くぐもった声が耳に飛び込んだ。


「気ニ、ナリマスカ」


 ひゅうひゅうと風の吹き抜ける音と共に、彼女が徐に振り返る。

 見てはならないのだと脳が警鐘を鳴らすが、閉じることを忘れた私の瞳は、彼女の相貌を、化粧箱の中身を、しかと見つめてしまった。


「顔、デ御座イマス」


 ごっそり削られた彼女の顔。それが化粧箱の中で私を見上げている。

 白磁の肌。杏仁の瞳。深紅の唇。構成する部品の全てが寸分の狂いもなく在るべき位置に収まり、その作りを神の御業とも賞せられる高みにまで押し上げた彼女の顔に、息が漏れる。

 嗚呼、やはり美しい。

 目前に在るのは化け物だというのに、私はそう思った。思ってしまったから逃れられなくなった。

 いや、彼に話をした時には既に捕らわれていたのかもしれない。「顔」と繰り返した私の声に、彼は喜色を感じ取っていたのだろう。だからこそ、別れ際にああ言ったのだ。

 

「ああ」


 熱に浮かされた患者の如く、ゆるゆると伸ばした指先が彼女の頬に触れる。血の気の無い肌に指を添わせると、ぽってりした唇の隙間から風の音に似た笑声が発せられ、黒目ばかりの眼が私を捕らえて歪んだ。


「愛、シテ下サイナ」

「勿論だとも」


 抱いた女の甘い香りが鼻をくすぐる。

 暗がりの中、やはり物好きだったかと笑う彼の声がしたようだが、もう気にもならなかった。

 私は、幸福な夢に溺れて死んだ。




***

2017.3.26 独りワンライ



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