潰されてしまった人の話
文章は求められている時が花である。
――だとするならば、あの日のあの時が、言葉の絶頂だったに違いない。
人が物のように消費されていき、自ら望んで命を手放すことを強要されていたあの時代、残っていた書き手の大半は伝えるべき真実から目を背け、求められるままに勇ましい言葉を並べていった。
それは自身の役目を果たすためであったり、周りの目を恐れたためであったり、生きるためであった。
故に書き手は、自身の力を――言葉の持つ力を知らないままに偽りを記し、人々を欺いて死地に送った。
そうして何もかもが終わった後、書き手に残されたのは、独りで抱え込むには大きすぎる苦しみだった。
「嗚呼、違う。違う。違う違う違う違うッ」
握り締めた原稿用紙が潰れる。弾みで転がっていった万年筆から散ったインクが拭われることはなく、畳にしっかり染み込んでしまったそれは二度と落ちない。
破れた障子から射し込む夕日の、流されたばかりの血の色をした光線は、屑箱に入れられることなく放置された書き損じの山を虚ろに照らして去っていく。
荒れた部屋。人ではなく獣の住まう場所だと言われた方がしっくりくるだろうその場所で踞り、私は過去に浸る。
あの時、自分が求められていたのは嘘偽りばかりの言葉だが、伝えなければならなかったのは残酷な真実だった。そして隠されし物事を明かにせんと思ってあの世界に飛び込んだ私が選ぶべきは間違いなく後者であった。
しかし、どちらを書くかと迫られた時、私は未来を生きるために前者を選び、根拠の無い自信を華々しく書き記した。
斯くして地獄を天国だと偽り、多くの人間を黄泉へと向かわせた私に与えられたのは、ちっぽけな名誉と遺された者からの恨みだった。
じっと私を睨む暗い瞳。何かを言いたげに震える唇。いっそ殺してくれと思うのに、闇の中に浮かぶ者たちは黙したまま佇むだけ。
結局、自身を裏切ってまで得たものは、自身を傷付ける棘になった。我が身可愛さから偽りで飾り付けてしまった言葉に、重みは戻らない。
選択を突き付けられた時、迷いなく真実を選んだ者もいた。彼らは時に命を奪われかけても、真実を伝えようとしていた。薮の中に追いやられようと、自ら道を切り開いていった彼らの言葉は眩しい。今や、外に溢れる事象は全て、彼らによって紡がれることを望んでいる。
それでは弱い自分は。醜い自分はどう生きたら良い。何を記したら良い。
「もう、いやだ」
恨みも、蔑みも、何もかもを見たくないから目を潰して、聞きたくないから耳を突いて、それから最後に首を括った。
***
2017.2.12 独りワンライ
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