褪せた色彩の書庫で


 箔押しの文字、皮の手触り、焼けた紙の匂い。すべてが褪せた色彩で構成された、この世界は美しい。

 手を伸ばせば届く距離にある物も、螺旋階段の先にある物も。ここに在るどれもは見知らぬ世界の断片をその腹の中に秘めていて、私が触れる一瞬を今か今かと待ち望んでいる。

 綴じられた――いや、閉じられた世界にひとりぼっちの私を他人様は哀れみ、酔狂な奴だと嘲笑するが、私はさほど苦ではない。この場所に存在し得ることは私にとって、何物にも変えがたい幸福であるのだから。


「人恋しさはあるが……それでも離れる気はないな」


 独り言ちて飴色の椅子に腰かける。

 人が電子に浸るようになってから幾星霜。最早「紙」という言葉さえ聞かれなくなった御時世だ。

 目まぐるしく変わる情報の中で生きる彼らは、見えるものとしての記録を残す必要性を失って、常に〝でーた〟とやらの保存と破棄とを繰り返している。

 新しきものはひとまず保存。古くなったものはすぐさま削除が当然の世では、先人たちの知恵よりも機械の弾き出した予測を重んじ、彼らは暗がりの中を電灯すら持たずに進んでいく。

 冒険者なのだと言えば聞こえは良いが、実際は思考を放棄した人形が、むやみやたらと船を進めるようなもの。いつかは暗礁に乗り上げ、まとめて仏になるだろう。


「私は、ああ成りたくないのだ」


 おもむろに手を伸ばし、背後の書架に収められていた『ガーデニング100の知恵』と書かれた本を取る。緑の生きていた時代では役立ったであろう記録も、今となっては空想の材料にしかならない。

 それでも此処を知恵の宝庫と呼ぶのは。閉じられた世界にすがるのは、蔑む彼らと同じものに成りたくないがため。


「外の世界は恐ろしい」


 褪せた色彩の世界は。綴じられたものの集まる古びた小さな世界は美しい。

 そこで独り、慰めを求めて知恵を貪る私は。変わりゆく世界から眼を背け続ける私は、醜い。


「誰も彼もが哀れだな」


 深い息を吐き出して、最後の書庫番は自身を嗤った。



***

2017.1.31 独りワンライ

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