『インド神話入門』
『インド神話入門』新潮社とんぼの本 2002年10月30日21刷発行
「……何か、随分と派手な本を読んでるな」
会社の昼休み、ソフトカバーの単行本を開いていた私に、先輩が話しかけてきた。
「何の本だ?」
「『インド神話入門』です」
私は先輩に、この本に辿り着くまでの苦難を力説する。
「インド神話に興味を持って、良く知らずに最初、岩波文庫の『バガヴァッド・ギーター』を買ったんですが。これがまぁ、〝ギリシア神話を読むつもりだったのに、中身はトロイアの木馬のシーンだけだった〟みたいな状況で」
「もう少し一般的にわかる説明をしろ」
「神様の面白エピソードを知りたいのに、買った本は人間同士の大戦争の一場面だったんです」
「面白……まぁ、言いたいことはわかった」
「『バガヴァッド・ギーター』は、ヒンドゥー教の叙事詩『マハーバーラタ』の抜粋だったんですね。
じゃあヒンドゥー教の本を読めばいいのか、と思って、中公新書の『ヒンドゥー教―インドの聖と俗』って本を買ったところ、ヒンドゥー教徒の物の考え方や人生については詳しいんですが、神話は載ってない。
その新書の中で紹介されていたコレを買ったら、三度目の正直、今度こそ大当たりでした」
「……めげないな、お前」
「苦労して手に入れただけのことはありましたよ。有名どころの神様は、一通り紹介してくれてますし」
表紙から、パラパラとページをめくる。
「インドでは、大量印刷で安価な大衆宗教画が売られていて、著者曰く〈神様のブロマイド〉状態なんだとか。この本は、その宗教画をカラーでたくさん収録してくれているので、表紙も中もカラフルです。ほら」
そのとき開いていたページを見せると、先輩が固まった。
「……何で、手足が十本ずつあって、顔も十個」
「女神カーリーですね。こっちもカーリーの絵なんですが、顔は一個だし足は二本でしょ。同じ神様を描く場合でも、統一ルールがないみたいなんですよね、インド。足が十本ある絵はこの本でも珍しいですが、腕や顔の数が多いのは普通です」
「女神……? 生首つないだのを首にかけて、腰回りに人の手をぶら下げてるが」
「戦いの女神ですから。足蹴にされてるのは、旦那のシヴァです」
「何で旦那が」
「彼女の勝利のダンスで大地が壊れそうだったんですが、声をかけても全然聞いてないため、自らクッションになりました」
「……旦那、大変だな……」
「普通シヴァの妻と言えばパールヴァティーですが、他にも大勢妻がいます。各地の女神をシヴァと結婚させることでシヴァ信仰に取り込んだからですが、〝いろんな面を表しているだけで、結局は同じ女神〟的な説明になっているようです。
ちなみにパールヴァティーは、夫の留守中、自分の垢をこねて息子を作ったことがあります」
「日本昔話みたいだな」
「自分が風呂に入っている間、誰も通すな、と息子に言いますが、そこにシヴァが帰宅。お互いを知らない二人は押し問答に」
「まぁそうなるな」
「戦いの末、シヴァは
「ごく自然に垢太郎と呼ぶな」
「奥さんが激怒したので、シヴァは部下に、最初に出会った生物の首を持ち帰るよう命令。息子は、象の頭を持つ神として生き返ります。ガネーシャです」
「あー、インド料理店とかで見る名前だな。象なのか……ていうか、垢なのか……」
「シヴァと、あとブラフマーとヴィシュヌという神様は、
この三神の性格を表す面白エピソードがありまして。ブリグという聖仙が三神を訪ねました」
〈ブラフマーは崇拝者たちに囲まれていたが、ヴェーダと知識の管理者であることにうぬぼれ、ブリグ仙がやってきても、バラモンに対して当然しなければいけない挨拶さえしなかった。ブリグ仙はその尊大な態度に腹を立て、この神を礼拝する者は誰もいなくなるだろうと呪った。〉
〈次にシヴァのところへ行くと、シヴァはちょうど妻のパールヴァティーと性行為の真最中だった。ブリグ仙は外で終わるのを待っていたが、何百年たっても果てしなくやりつづけているのに呆れかえり、この神は暗闇の中で性器の形で礼拝されるようになるだろうと言って立ち去った。〉
〈ヴィシュヌはアナンタ竜の上に横になって眠っていた。しばらく(といってもやっぱり何百年)待っていたが目をさましそうもないので、すっかり気短かになっていたブリグ仙は、乱暴にもヴィシュヌの胸を蹴とばした。ヴィシュヌは眼を開き、起き上がると、ブリグ仙に対して、ていねいに足をけがしなかったかと尋ねた。その態度に感激したブリグ仙が、ヴィシュヌこそ最も礼拝に値する神であると結論したのは言うまでもない。〉
「……聖仙が蹴るなよ呪うなよ! 何ですぐ数百年経つんだよ! つーか紹介するエピソードはそれでいいのかよ!」
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