吸血鬼のマッサージ

万年床の煎餅布団

第1話

 仕事で疲れていた私は帰るなりベッドに倒れこんですやすやと寝てしまった。



「おやおや、今夜の獲物は随分ととろそうな奴じゃのう」

 草木も眠る丑三つ時、私の枕元に何者かが立っていた。仰向けに寝ていた私は声のほうへ顔を向け瞼を開いた。

「ん?起きたか。ちと面倒じゃな」

 窓からの月明かりに侵入者の金髪がキラキラと光る。その白い肌もまた夜の闇と月の光のコントラストで幽玄さを醸し出す。

「ほれ、体を動かすな。疲れているのだろう。」

 耳元で囁かれると体に力が入らなくなってしまった。どんなに力を込めようとしてもピクリとも動かない。次第に力を込めようという意志さえも消えてしまった。

 ささやかれ時に気付いたが、侵入者は背が低い。中学生か小学校高学年ほどの身長しかないようだ。侵入者は少女であるらしい。

「そうじゃ、それでいい。そのままゆっくり身を休めておれ」

 耳元で少女は囁き続ける。


「突然こんな金髪ロリの美少女が現れてさぞ驚いたことじゃろう。私はな、吸血鬼じゃ。お前の血を吸いに来たのじゃ」

 半分寝ぼけた私の頭は少女の言うことがいまいち理解できない。

「血を吸われるからといって恐れることはない。死んでしまうほどにまでは取らんよ。安心して差し出すがよい」

 私は何かを言おうと口を動かすがうめき声が漏れるだけだった。


「ふむ?目がかなりとろんとしておるな。クマもある。随分疲れておるようじゃのう。まさか肩こりがひどいとは言わんよな?」

 そう言いながら少女は私の上衣を脱がしていく。

「これは……牙が突き立てられぬほどではないにしても随分とこっておるなぁ。それにぬしよ、今日は風呂に入っておらんな?」

 少女は私の肩を軽く触りながら、頬を舐めた。

「せっかくの食事なんじゃから味わって食べたいのにのう、これではな。仕方ない。ちょっとタオルを借りるぞ」

 そう言いながら少女は部屋のクローゼットからハンドタオルを何枚か取り出す。それを持って台所のほうへ向かったようだ。


 しばらくして少女は戻ってきた。蒸したタオルを盆に乗せて持っている。

「よし、まずは体を拭いてやろう。なに気にするな。後でその分血を多めに頂くからな」

 少女は私の顔にふわりと蒸しタオルをかけた。

「熱くないか?ちょうどいいか?ならばよい」

 タオル越しに指で撫でるように少女が私の顔に触れているのが分かる。額の中心から左右のこめかみへ。鼻筋に沿ってなぞるように。目は掌で軽く押すように。ごしごしと拭かずにやさしく撫でていく。そのまま頬、顎と下へ降りていく。顎先から耳たぶに向かって拭いていき、耳の後ろへ到達する。

「耳の後ろは汚れがたまりやすいぞ。気を付けるんじゃな」

 少女は耳をタオルで包み込み指先を動かして汚れをふき取っていく。耳の後ろを拭き終えた後、タオルを折りたたんだ彼女は首を拭き始めた。首の後ろから前へ、上から下へ半分のらせんを描くように左右から。


「さてと、タオルがよごれたから交換じゃ」

 二枚目のタオルを広げた少女は私の胸を拭き始める。上から下へ向かって、胸から腹、胸から腹と繰り返し拭いていく。

「体はもうちょっと鍛えたほうがよいぞ。ぬしは普段の生活で体力を必要としておるようじゃしの」

 次に少女は私の右腕を手に取り拭き始めた。肩の先端部から二の腕を通って肘までの道を数回往復する。

「脇は後で拭く。先に腕を済ませてからの」

 前腕部の周囲を輪を描くように拭き終えた後、手を拭き始めた。少女の両手で私の右手を挟み込み表と裏を同時に拭いていく。指の間も一つずつ丁寧に拭いていく。

「ふむふむ。右はこんなもんかの。次は左腕じゃ。」

 右腕をベッドに横たえた後、少女は私の体を跨ぎ反対側へ座った。そして私の左腕を手に取り肩先から肘へ、肘から手へ。右腕の時と同じように拭いた。


「よしよし、腕は終わり。次は脇じゃ」

 少女は私の左腕を上にどかし、私の脇を広げて畳んだタオルを当てる。

「脇は汚れておるからのう。ここを拭いた後で他の部分を拭かれるのは嫌じゃろ?」

 少女は脇に当てたタオルを動かし洗っていく。

「くすぐったかったらすまんの」

 少しこしょばゆいが辛いほどではない。むしろちょっとした刺激が心地よい。

「これでよし。次は逆じゃ」

 少女は再び私を跨ぎ右側へと移る。跨ぐたびに少女のカソックコートの裾が私の上半身をさすっていく。

「右腕をどけて、と。こちらもくすぐったいのは大丈夫か?」

 少女は脇を拭きながら再び問う。返答をしたいが、私の口は開かない。うめき声のような、あるいは寝言のようなものが漏れるだけだ。

 それを見て少女は顔に軽く笑みを浮かべる。いたずらっぽい笑みだ。すこしくすぐったさが増した。


「脇は終わり。このタオルもおしまい。さて次が最後のタオルじゃ。ぬしよ、ひっくり返すぞ」

 そう言いながら少女は両脇から私の体の下に手を入れ、抱きかかえるように持ち帰るとうつ伏せの状態へと持っていった。見た目よりも力がある。

「最後は背中じゃ。自分ではなかなか拭きにくいところじゃろ。それ、いくぞ」

 介の字を描きながら少女は体を拭いていく。滞った血液が温かい蒸しタオルの動きに合わせて流れ出すような感覚を感じる。肩、肩甲骨、背骨をなぞるように体が拭かれる。

 腰まで拭き終えた彼女は使い終わったタオルを盆に戻した。

「上半身だけじゃがぜいたくを言うなよ。下半身まで拭いてやる義理はないからの。」



「さて、それでは次じゃ。凝り固まった肩からは美味い血は吸えぬ。食事の前に肉を柔らかくせねばならん。そこで肩のマッサージじゃ」

 うつ伏せになったままの私の背中に少女は跨る。掌を肩に当ててさすり始めた。少女の手は冷たい陶磁器のようでありながら柔らかだ。

「肩をいきなり揉むのはあまりよくないんじゃぞ。まずは暖めるのじゃ。先ほど蒸しタオルで拭いたが、念のためさすっておくぞ」

 肩、肩甲骨、背骨周辺。僧帽筋を全体的に暖められていく。さするとき体の表面の肉も一緒に動き、血の巡りがよくなるのを感じる。

「私の体はどれだけ温めても体温が上がらん。じゃが、こうやって人間の体温に触れるのは嫌いじゃないぞ」


 最後にささっと首から肩へかけて小刻みにさする。肩をもむ準備ができたようだ。

「肩を揉むときはツボを意識して、と」

 少女の両の手の指が肩のツボに当てられていく。そのままゆっくりと力を込めて、ツボを刺激しながら筋肉を揉んでいく。ピンと引き伸ばされたような肩の筋肉がゆっくりとほぐされていく。

 押されたツボの部分がこそばゆいような、痺れるような心地よい痛みに包まれる。揉み押されるたびに筋肉の中心からほぐれていく。カニカマやロープがバラバラになってゆるむように。


「こういうのも気持ちよいよな?」

 少女の指が首と肩の境目にぐっと押し込まれる。首を支え続けていた筋肉がぐにぐにと押され緩んでいく。気づかないうちにここまで力を込めていたのかと驚くほどに首と肩の筋肉が脱力していく。

「どれだけ体を酷使しておったのだ。あまり肩こりがひどいと生活にも支障をきたすじゃろうに。ほれ、もっと強く押してやろう」

 さらにぐっと力を込める。体の内側の筋肉にまで届きそうだ。首の左右から体の中心に向けて指が押し込まれる。マッサージ特有の痛みの感触が、体が癒されていることを知らせる。


「肩が柔らかくなってきておるぞ。よいぞよいぞ。次は……そうじゃなここは知っておるか?」

 少女の指が肩甲骨の内側をなぞる。

「このあたりはの自分では揉めん。ゆえに誰かにマッサージしてもらうと非常に気持ち良いのじゃ。肋骨の上じゃからあまり強くしてはいかんがの」

 少女はなぞるのをやめ、私の体をうつ伏せから右向きの姿勢に変えると右の肩甲骨を持ち上げるように揉み始めた。感じたことのない快感が走る。肩甲骨の下に隠された筋が揉み解されていく。自分で肩を揉むだけではどうにもならなかった肩の痛みが消えていく。

「気持ちよかったようで何よりじゃ。それじゃ次は逆の肩甲骨をやるぞ」

 私の向きを左へ変えた後、同じように肩甲骨を持ち上げるようなマッサージを少女は始めた。肩甲骨の間に指を入れるようにしていくマッサージは年季の入った肩こりを確実に治していく。

「これでだいぶと良くなったはずじゃぞ。しかしこれは何年物の肩こりなんじゃ。たまにはマッサージ店に行くのがよかろう」


 少女は再び私をうつ伏せにすると、猫を持つように私の首をつまみ始めた。

「私の好みは柔らかい肩じゃ。だというのに最近の奴はどいつもこいつも……ぬしもこれを機に気を付けるのじゃな。さすれば私も食事に困らずに済むからの」

 頭と首の境目から下へ向かって片手でつまむように揉んでいく。頸椎に沿って頭を支える筋肉がじんわりと気持ちいい。

 三回ほど往復した後彼女は首から手を離した。私の首からは彼女の手の感触の余韻がしばらく抜けなかった。


「さて、肉を柔らかくする方法といえばやはり叩くのを忘れてはいかんな。仕上げの肩たたきじゃ」

 少女は自身の片手の甲ともう片手の手のひらを合わせ、重ね合わせた手の甲側で肩をたたき始めた。床屋式のマッサージといえばいいのだろうか。

「この叩き方はなんと言うのじゃろうな。なかなか不思議なたたき方じゃが」

 トントントンと両肩打っていく。緩んだ筋肉が震え、血の流れを助けていく。軽く数回往復したところで少女は、

「最後はこれで〆じゃな」

と言い、両手をチョップの形にして肩を叩いた。左右の首元から肩先へ走らせること一度ずつ。これで彼女のマッサージは終了した。



「さて、と。随分と気持ちよさそうじゃのう。さきほどよりずっと目がトロンとしておる。もはや眠ってしまう寸前じゃの」

 少女の言う通り、私はほとんど意識を手放しかけていた。仰向けになった私はすでに現実と夢の区別もあいまいになってきている。

「そこまで気持ちよさそうじゃとマッサージしてやった甲斐があったというものじゃが。ぬしよ、何か忘れとらんか?」

 少女の問いかけの意味すら理解できなくなっていた。今まで感じたことのない解放感が容赦なく瞼を引きずり落としていく。

「いや、まあわからんのならわからんで構わぬ。勝手にいただいていくだけじゃからの」

 そうつぶやくと彼女は私に覆いかぶさった。


 彼女の眼が、鼻が、口が、私の顔から指一本挟める程度の先にある。口元からのぞく長い八重歯も。

「ぬしは初めてじゃからの。痛くはせぬが、私も久しぶりの食事なのだ。ちょっと加減が効かぬかもしれぬ」

 彼女が言葉を発するたびに吐息が私の顔にかかる。

「手塩にかけて調理したのじゃ。やめろといってももうやめぬ」

 彼女の顔が私の顔の正面から首元へ移る。

 彼女は私の首に軽く口づけをした。

「仕上がっておる。それではいただくとしようかの」

 彼女は口を開き、唇で私の首にやさしく触れる。

 眠りかけた私にはまるで心に直接触れられたような感覚だった。

 その口づけの感触に紛れ、首元に何かが刺さるような感覚がした。

 そのまま、意識を直接吸われたように私は眠りに落ちた。




「吸われながら寝てしもうたか。やはりトロい奴じゃのう」

「しかしまあ味は悪くはなかった。このまま育てれば良いものになりそうじゃ」

「なあ、ぬしよ。今日はこれで帰るが、いずれまた来てやろう」

「それまで、しっかりと自分の肩と血を大事にするのじゃぞ。私がせっかく世話してやったのじゃから」

「大事にしていれば褒美にまた……」

「……そろそろ朝が近づいてくる頃じゃ。またな、人の子よ」



 朝目が覚めると、後には何も残っていなかった。月の夜に映える金髪も陶磁器のような肌も。

 しかし全身を縛る鎖から解放されたような私の体が、昨日のことは夢ではないと告げていた。 

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