第3話 撃退そして撤退

「……ん?」


明朝、というよりも未明。

ユリウスはふと何かを感じて目を覚ました。

ユリウスはこれまでの経験からこういうときは必ず近くで大なり小なり小競り合いが起こるものだと確信している。

ユリウスは宿舎の窓から集落を見回しそれらしいものがないか探す。

すると集落の外れに大木があり、その方向から少なくない頭数のゴブリンが集落へ向かって進んでいるのが見えた。


「この集落の自警団……は気付いていない……?」


集落の外側で定点監視している自警団のちょうど死角になる方向にゴブリンたちがいるのだ。

あのぐらいなら自分一人でどうにかなる。

ユリウスは着替えて出ていこうとするが、ふと思った。

もし自分が退治しようとして王国兵の者に止められたら?

もし姉がそのまま集落を見捨てて自分達だけ逃げると言い出したら?

戦力的には王国兵だけでも充分撃退は可能だが、戦力の消耗を嫌って姉は退去の指示を出すかもしれない。

今の王家は平気でそういうこともしそうな雰囲気はある。

なにせ自分の国を守るため、性別を偽ることも是とする国だ。


「……まだ距離はあるな。少し準備しよう」


ユリウスは普段の服装の準備に加えて1枚の防護ベストと護身用の片手剣を身に付けた。

あとは集落から敵の地点へ移動するだけだ。


「これなら……バレないはず」


ユリウスは掌を向かい合わせて魔力を練り、床へ放つ。

練った魔法は転移魔法で床から壁へ広がった魔方陣はやがて光って消えたあと、ユリウスを転移させた。

ユリウスは集落の外、ゴブリンたちの進行方向と集落の間へ一瞬で移動する。

肌寒い風と共にゴブリンの鳴き声がユリウスへ届く。

ユリウスは迫り来るゴブリンを見据えた。


「10ないぐらい、か。一気に消し飛ばそう」


ユリウスは先程の転移のように掌を向かい合わせて魔力を練った。

転移の時は白い光だったが、今は緑色の光がユリウスの掌に集まっている。

ユリウスは掌の魔力を、ゴブリンたちがいる方向へ放つように向けた。


「風魔法『ウィンディール』!引き裂け!」


ユリウスの掌から鋭利な風が射出され、少し離れたゴブリンの群れへ拡散されながら飛んでいく。

ユリウスの魔法を防ぐ手段を持っていないゴブリンの群れは、あるものは胴体から、あるものは首から、そのどれもが体を両断するように引き裂かれる。


「ギィ!」

「ウゴッ!」


ゴブリンの断末魔が短く響く。

ユリウスの魔法がゴブリンたちに与えた傷は全て致命傷となるものだった。


「……はぁぁ……」


ユリウスは大きく息を吐く。

ユリウスは一応剣術も魔法も使える。

王家の人間として、将来の王として習得すべきものは全て習得するよう学んできたため、入隊したての新兵とならば例え成人相手でも余裕で勝てるぐらいの戦闘能力は有しているのだ。

この数のゴブリンぐらいなら訓練でもやっているレベルの相手である。

だが一度魔法を行使してから時間を置かずに別の魔法を行使するのはまだあまり慣れていないユリウスにとっては問題ないとはいえ体に負担になっているようだ。

ユリウスは少し気だるい体を少しでも休ませるために、もう帰ろうとしたその足を止める。

振り返ったそこに武装した少年と、軽装だが武具を身に付けた少女がいたからだ。


「なっ……」


思わずいつの間に、という声が漏れそうになる。

ユリウスの心臓の鼓動が一気に加速する。

いつの間にか相手の人相まで視認できる距離まで接近されていた。

その雰囲気で分かるが二人とも並の兵士のレベルではない。

ユリウス一人では切り抜けられる確証はない相手だ。

それにユリウスは対人相手に殺生の経験はない。


「……くっ」


ユリウスの頬を冷や汗が通り抜ける。

こうなるぐらいなら誰か王国兵の一人ぐらい説得して連れてこれば良かったと後悔した。

転移魔法で逃げるためにはそれだけの魔力を練る時間が必要になる。

魔力を練っている間、それを眺めているだけのような間抜けな相手ではないだろう。

全力で距離を詰めればユリウスが魔法を行使するより相手の剣が届く方が速い。


「……仕方ない、か」


後悔することで事態は好転することはない。

ユリウスが覚悟を決めて腰の片手剣に手をかけたその時だった。


「ストップ!ストップ!俺たち敵じゃないから!」


少年の方が両手を広げ、前に出しながら無抵抗のアピールをして声をあげる。

少年の声を聞いてユリウスは片手剣から手を離した。

ユリウスは少年を観察する。

少年から敵意は感じられず、ヒラヒラさせている手にも恐らく何も仕込まれていない。

どうやら少年は本当に敵対していないという意思表示をしているようだ。

しかし少女の方は短剣を抜いて少年の前へ出て、ユリウスへ短剣を向け構える。


「リック、まだ敵性が無いとは言い切れない」

「でもほら、ゴブリン倒してるし……」

「敵の敵は味方とは限らない。まず私はこいつが誰なのか知らないから」

「そりゃあ、俺だって知らないけど……」


戦場での意見なら少女が言っている言葉が最もだが、ユリウスはいちいち訂正している余裕はない。

自分にとって敵か味方か分からない相手二人と相対している状況はよろしくない。

何よりユリウスは一国の王子だ。

ここで自分の身に何か起こると困る人間は計り知れない。

ユリウスは何か言い争っている二人から離れるように一歩飛び退く。

そして気付かれないよう背中で練っていた魔力を地面に放った。


「あっ待て!」

「さよなら!」


少女がユリウスを止めようとしたが、離れたユリウスの魔法は防ぐことが出来ずそのまま地面に一瞬魔方陣が浮かぶとユリウスは魔方陣と一緒に消える。

そこには少年と少女、そしてゴブリンの死骸だけが残された。


「ああもう!リックが下らないことをするから逃げられた!」

「だって敵には見えなかったんだって!」

「でもいきなり降伏みたいにすることないだろ!」


それから暫くそこには二人の言い争う声が響き渡った。






「……っ!……はぁ、はぁ」


なんとか転移で集落の中まで戻ってきたユリウスは辺りを見回す。

自分の宿舎までそれほど遠くない位置へ飛べたようなので宿舎まで戻ろうと足を進める。

これまで如何に威力を高めるかだけを考えて魔法の鍛練をしてきたがこれからは連発することも考えて鍛練する必要があることをユリウスは痛感していた。

全身からはジョギングの後のように汗がにじみ、体も運動した後のように重い。

魔法の負担は自分の想像以上だった。


「お、王子!?どうかされましたか?」


集落内を巡察していたのであろう王国兵が心配そうに駆け寄ってくる。

今のユリウスを見ればそうするだろう。

明朝なのに汗だくで若干ふらつきながら歩いているのだ。

何も知らなければ体調不良にも見える。


「どうした?僕は……はぁ……元気だぞ」


ユリウスは可能な限り普通を装って対応した。

外で王子が一悶着あったことが集落の誰かにでも知られたら、絶対に姉の耳に入るし、そうなれば自分への行動の抑制も今まで以上に強くなるかもしれない。

ここまで散々縛られてきたユリウスにとってそれは致命的なことだった。


「そ、そうですか?」

「ああ、そうだ。……もしかして王国兵は朝稽古をやらないのか?」


ユリウスはふと、王宮に居るときは毎日やっている朝稽古を思い出し、それをやっていたことにしようと考えた。


「朝稽古、やってないですね」

「そうか……まあそれで強ければ問題ないな」

「は、はい!」

「これからも王国のために訓練頑張れよ」


王国兵は敬礼でユリウスを見送る。

誤魔化しは上手くいったようでそれ以上追求されることなく、心配という名の捕縛から解放されたユリウスは自分に貸し与えられた宿舎へ向かった。

宿舎へ入ったユリウスはその場で力なく座り込む。


「少し……休もう」


周囲の目から守られた宿舎に入ると今までの疲れが一気に押し寄せ、動く気力もなくなった。

ユリウスは気力を振り絞って手短にシャワーを浴びてベッドに横になる。

帰るとき日は登りかけていたがどうせそんなに早い日程で動くはずもない。

そう思い気が緩んだユリウスは起きる前までの本眠よりも深い眠りについた。

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