第53話 【夏の儚い空と憂い】
―――翌日。
海鳴は学校を欠席していた。二者面談の後から学校をサボる回数が増えたようにも思う。
亜結樹は彼がいない教室がとても寂しいと感じていた。
高校生活があと一年も経たないうちに終わることも、学校生活をただぼんやりとやり過ごすことも物悲しいと感じていた。
亜結樹は海鳴が急病で施設で入院していることを知らない。
知らないのに、彼の存在感がないことに対して衝動的に――なんとなく繋がりを求めて不安に駆られた。
――海鳴どうしたんだろう……。
教室の窓は閉め切っていて夏の青空が眩しいくらいに輝いて見える。室内に完備されていたエアコンと、天井に設置されたサーキュレーターがフル回転していた。
屋内の快適な空間との差が乖離しているのに加えて、今の亜結樹の感情も寒気に敏感である。
「ちょっとエアコンの温度下げたの誰? 寒すぎるんだけど」
小北が教室内で文句を垂れている。彼女は亜結樹とは違ってごく普通の女子高生であり、当たり前のように受験勉強に必死になっていた。再生されたクローンにはない日常。それでも亜結樹はそれを羨ましいとは一度も思ったことがなかった。
「あーこういうときに柊がいてくれたらなぁ〜。アイツならちょっと勝手なことする奴らをぎゃふんと言わせるのになー」
「ぎゃふん……海鳴にぴったりのワードだね」
海鳴ならきっと人助けをするというより言いたい放題の人たちを制する方に向いている、と亜結樹は思った。その行為こそが最初に出会ったときの行動――怪我をさせられたこと。
「相手を言い負かすことも海鳴なら得意なんだろうな」
ふと窓の外をぼんやりと眺めながら呟いた。
今日はその海鳴がいない。一年前、小北が海鳴に告げた言葉を亜結樹は知らない。
海鳴は一年前、「誰の味方だよ」と小北に言われたことを亜結樹は知らない。
亜結樹の中で海鳴の存在が大きく変わろうとしていることに彼女はまだ気づけていない。
海鳴と学校で過ごせるのもあと数ヶ月。彼がいない学校はとてつもなく寂しい。
――海鳴の連絡先……聞いたことあったっけ。
――八束さんの電話番号知るわけないし……。
思い返せばよく顔を合わせていたのに海鳴の連絡先を知らなかった。
亜結樹は落胆してこの後の授業に全く集中できなかった。
自分も卒業を迎えたら誰かのパートナーとして生き続ける。
それがクローンの役目であることくらいは承知の上で、氷峰弓弦と共に生活をしている。
―――夕方・氷峰宅。
亜結樹は氷峰の自宅に帰ってから、すぐに蔀に電話をかけた。
氷峰も日が沈む頃には帰ってくるだろう。蔀に電話していることは、彼に訊かれても困ることはない。
――蔀さん、今の時間出るかな……。
不安になりながら電話に出てくれることを祈っていた。
しばらくして呼び出し音がプツッと止まって亜結樹は小さく声を上げた。
「もしもし、蔀さん? 今時間大丈夫ですか?」
――『大丈夫だ。どうしたんだ?』
「今日も海鳴学校にきていなかったんだけど……なにかあったのかなって思って……」
――『施設にきていなかったぞ。いや……』
蔀は途端に口籠る。亜結樹は続けて――、
「あ、八束さんにも連絡しようと思ったんだけど思い返せば連絡先どっちも訊いてなくて……」
苦笑いしながら馬鹿だったと自分を貶した。
――『そんなに落ち込むな。今度海鳴にあったら連絡先を訊けばいい。遅くはない』
蔀なりの励まし方だったが彼の言い方は堅調だった。
「そうですよね……それで――」
亜結樹がなにか言おうとしているとき、玄関の鍵の開く音がした。氷峰が帰ってきた。一瞬受話器を耳元から離して「ミネ、おかえり」と言ってからふたたび受話器を耳元に近づける。蔀はその一瞬を捉えてから話し出した。
――『海鳴と八束が一緒にいるかどうかもわからない……ということだな。わかった。あとは俺の方で考える。お前は気にしなくていいからな』
「わかりました。それじゃ、また……」
亜結樹は静かに電話を切った。切れたタイミングで氷峰が淡々と呟く。
「蔀か?」
亜結樹が電話を取る相手は蔀くらいしかいないだろう、と氷峰は勘付いた。
お互い誰だと言われなくてもわかっている。亜結樹は海鳴のことが心配なのだと。
「うん……今日も海鳴学校にこなかったから、気になっちゃって……」
「アイツのこと心配なのはわかるけどさ、蔀に任せておこうぜ。特に八束と海鳴の関係性なんて深入りしない方がいいと思うぞ」
「けど……」
亜結樹はしかめっ面になり、口を固く結んで考え込んでしまった。
――けど? 海鳴のことが心配だから……じゃなくて――。
――海鳴のことが……好きだから。
亜結樹のどんよりとした重い空気を感じ取りながら、氷峰はとりあえず優しく声をかける。
「けど? 亜結樹言いたくないなら言わなくてもいいんだぞ。無理すんな……」
「……わかった」
亜結樹は氷峰に励まされて曇らせていた顔を徐々に変えていった。
今日は料理をするぞ、と張り切る氷峰の姿を見ていたら、重たく感じた空気が一掃していくのが肌で感じ取ることができた。亜結樹は彼がなにを作ろうとしているのか気になってキッチンを覗く。
「あ、また炒飯?」
「炒飯だけじゃねぇよ。青椒肉絲も作るぞ」
「中華だね!」
料理を完成させてお皿に盛り付けたあと、氷峰は亜結樹の言いかけたことが頭の中で引っかかり、先程までの亜結樹と同じ顔をしてしまう。「んー」と静かに唸るような声を上げてしまった。
「ミネ……ごめん。炒飯も青椒肉絲も美味しいよ?」
――料理は美味しいけど、隠し事をしてしまったのが原因だよね……。
――やっぱりちゃんとはっきり伝えた方がいいかな。
「ミネ……あのね、あたし……海鳴のことが……す――」
氷峰は炒飯をもぐもぐしながら、亜結樹の口元に人差し指を立てて言いかけた言葉を閉ざす。氷峰は目を瞑って首を横に振っていた。亜結樹は氷峰の不意を突いた仕草にどきりとした。
「……み、ミネ?!」
咀嚼した炒飯を飲み込み終わると、氷峰はわかった風な口調でこう告げた。
「八束ん家に海鳴がいるか確かめに行こうか、一緒に」
「え? 今から?」
氷峰の思いもよらない一言に亜結樹は戸惑った。
彼の提案に亜結樹がどう返してくるのか、彼は信じてみることにしたのだろう。
――それよりさっき、絶対「好き」って言わせようとしなかったな……。
――そんなに海鳴に嫉妬してるのかな……ミネって。
「俺の家からそんな遠くはねぇから、そんなに気になるんなら一緒に確かめに行こうぜ」
「せっかく蔀さんに連絡したのに……さっき任せておけばって言ったくせに……」
そう言いながら亜結樹は食べ終わった食器を台所に持っていく。食器を洗いながらふと「あ」と声を漏らす。亜結樹は氷峰のどっちつかずな感情に振り回されているのは自分自身だったことに気づく。
振り回したきっかけを与えたのも自分だったことに気づく。
氷峰が食器を持ってくるなり話しかけてきた。
「少し休んだら行こ」
「うん、わかった」
亜結樹は洗い物を済ませたあと、食卓で今日の学校で授業に集中できなかったことを話したりした。
そこで氷峰の「高校での授業は楽しかった思い出は全くない」となんともネガティブな思い出話に、彼女は同情しづらかった。だが、そこで允桧の話が少し出てきたことの方が亜結樹にとっては興味が大きかった。
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