第52話 【二度目の夏を迎えて -7-】
海鳴と共にキュプラモニウムに辿り着いてから一旦海鳴と離れ離れになる。
手術室に海鳴が運ばれて行くときに同一人物のような影を見た。
八束は彼が陵莞爾の姿であったと確信した。
陵の早急な指示の元で海鳴は一命を取り留める。
緊迫した雰囲気の中で海鳴が手術室から出てくると跡を追うように一緒に病室についていった。
海鳴が目を覚ますのをずっと待ち続けたが、彼は一向に目を覚まさない。
暗がりの中で心音計の明かりだけが不気味に音を立てて光っていた。
スライド式のドアが音を立てずに開く。彼が八束の目の前に姿を現した。
陵莞爾と会ったのはこれで二度目のはずだが、一度目は一声かけられただけで終わっていた。
陵は海鳴のいる病室に入るなり蛍光灯の灯りをつけて八束の顔を睨んだ。
蛍光灯の明かりが二本だけ点いて、薄暗くとも互いに顔をはっきりと見ることができた。
「俺の大切な分身になんてことをしてくれたんだよ全く……君は本当に柊枝燕の息子なのかい?」
「あんたが……」
「君にあんたと呼ばれる筋合いはないよ。口が悪いのは父親譲りなのかな。どうしてこうなったのか、君と海鳴の間になにがあったのか少し興味があるんだけど話してもらえないかな?」
威圧的な口調で八束に言い寄ってくる。これは尋問だろう。
八束は恐る恐る口にする。一言一言に重みが増すかと思いきや、彼はそんな風に話さなかった。
「間違えると思わなかったんだ……日本酒と水」
「君にも伝えてあったはずだろ。彼が水と特殊な栄養剤しか摂取できないことを……どうして守らなかったの?」
「それは……」
ほんの些細な気持ちで大事に至ったことを自覚しなければならない。そんなことはわかっているはずなのに。それなのに、今目の前にいる陵の圧に押し潰されそうになって次にくる言葉を紡ぎ出せずにいた。
八束は海鳴が倒れるのは冗談だと思って行った行動を、どう説明すればいいのか下を向いたまま黙り込んでしまう。陵から視線をわざと逸らした。
陵はイライラしながら海鳴のとった行動の仮説を頭の中で解いていた。
「彼は間違えないと思った。君の言うその通りだよ。彼は死について理解していない部分があるのかもしれない。死がどういうものなのか自分の身で確かめたかったのかもしれないね」
息を吐く暇もなく陵の仮説に耳を傾けた。
――海鳴が死を理解していない? どういう意味か全然わかんねぇ……。
陵の語る言葉の意味が――答えがすぐには理解できなかった。
続けて陵は疑問をぶつけてきた。
「言い方を変えようか。なんで海鳴が日本酒と水を間違えないと思ったのか。君は海鳴をどうしたかったんだい?」
彼の中でもうすでに答えは導かれているというのに八束にあえて答えを投げかけている。
そうこれは誘導尋問だった。八束はそう感じることができた。
釣り上げられるように紡いだ言葉は――。
「俺は……アイツを試そうとした」
陵の前でその言葉を口にしてしまった。言っちゃダメな感情――まずいとか、思慮が足りないとは十分に感じていた。ただし八束には『反省』の色は全くなかった。
「試そうとした……だと? お前如きに海鳴のなにがわかるんだ! わかってたまるものか!!」
陵は八束の前に立ち塞がり憤慨した。八束の胸ぐらを掴み文句を吐いた。
「っ……――」
八束の目に陵のくすみがかったオリーブ色の瞳が映る。海鳴と同じ色の目をしていて見苦しかった。
その瞳に映る感情は相手より優位に立ちたい感情――海鳴にも存在する感情であった。
上から目線で言われて太刀打ちできなかった。見下されてなにも言い返せなかった。
相手が海鳴だったら言い返せるはずなのに、一声も出せなかった。
「俺がなぜお前に海鳴を引き渡したか理由を教えてやろうか? 兄である蔀に頼まれたからなんだよ! お前の病気を治して試したかったのは俺の方なんだよ!!」
陵は腹を立て続けて八束の肩を揺さぶる。彼の目を見据えて怒鳴った。
「は……放せっ……」
八束は陵に掴まれた胸ぐらを無理やり引き剥がした。
「いいか。お前と海鳴との間には愛が存在しないんだよ。お前は海鳴に本当の愛を教えたいと思わないか?」
突然の問いかけに八束は息を呑んだ。なにを言い始めたのか理解が追いつかなかった。
「……」
――本当の愛? 海鳴に教える、だと?
陵には考えがあった。彼の研究対象としているのは海鳴だけではない。海鳴に関わる全ての人が対象であった。クローンと関わる人類の実験対象の相手の一人が海鳴であり、八束もその一人であると。
陵は白衣のポケットに入れていた折りたたみ式のサバイバルナイフを取り出すと、刃先を出さずに八束の首元に突きつけて見せた。
その行為そのものの意味に戸惑いと恐怖が同時に押し寄せてきて訳がわからなかった。八束は混乱していた。
「お前は今にも死にそうな目をしていた。海鳴とこのまま一緒に死にたいと一瞬でも思っただろ」
いつ誰が思ったことなのか、感情の赴くままに海鳴と抱き合って慰めてもらって、今に至る。
自分は一度でも海鳴を愛したことがあったのだろうか。肉欲に溺れた自分を救ってくれるのは海鳴だけだと思っていた。思っていたからこその軽い気持ちで水と酒をすり替え、遊び半分で海鳴を陥れていたことに――今気づいた。
死んでも死に切れない気持ちと重なった。陵にナイフを突きつけられた今、混乱していた感情が合致した。
「俺は……俺は――っ……」
八束は急に涙ぐみ、虫の息で自問自答した。
陵は八束の力のない手を取りサバイバルナイフを無理やり渡した。
「海鳴のために死ねるか? 死ねないだろ? 死を
その言葉は陵自身にも向けられた言葉であった。
陵は八束にサバイバルナイフを渡すとその場を去っていった。
海鳴はまだ目を覚まさない。もうすぐ夜が明けそうな薄明の中で、もう海鳴のそばから離れられない。離れることができずにいた。
八束はナイフを握りしめたまま、海鳴の眠るベッドの掛布にしがみついて顔を埋めた。
「海鳴……どうしよ……俺……。陵にお前のために「死んでくれ」って言われちまった……」
――親父にも会わなきゃいけねェのに……。
――ミネを抱いたとき以来兄貴とも連絡してねェし。
「なぁ……目ェ覚ましてくれよ……海鳴……! 俺、お前がいなきゃダメなんだよ!」
八束は掛布から海鳴の顔を覗き込みながらぐすぐすと啜り泣いていた。
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