第51話 【二度目の夏を迎えて -6-】

 ***


 氷峰が帰った後のふたりの部屋はエアコンの静音に包まれていた。

 ふたりは向かい合わせになって食卓に腰をかける。外の蒸し暑さにやられて汗ばんだ海鳴にそよ風が当たる。


「なんでお前、ミネと一緒にここまで来たんだよ。あいつすぐ帰って助かったけど」

「単なる送迎。俺、身体は成熟してますが心はお子ちゃまなんでね」

「はぁ? ぜってー嘘。オメェがそんなわかりやすい嘘つくなんてぜってー信じねぇ」

「嘘っていうか、不良の八束には通じねぇよ。そんなことわかってるっての。それより蔀だと思ったんだね、さっきのピンポン。ほんと、態度にすぐ出るからわかりやすいねぇ」

「……っうるせーな」


 海鳴は相変わらずの上から目線だった。一を言えば二を返す海鳴の言い草に八束はたじろいだ。なんだか夜道を氷峰と一緒だった理由を聞くのも疲れそうだ。この際、退屈しのぎに面白いことを教えてやろうか。八束はさっきまで不機嫌だった態度を改めて顔をくしゃりと崩した。


「なぁ海鳴、オールって知ってる?」

「え? そんな随分古いネタ持ってくんなよ。不良じゃねーし」


 やはり海鳴はその言葉の意味を知っていた。どこでいつ誰に学んだことなのか、彼にとってそんなことはどうでもよかった。今は海鳴とふたりだけ――パートナー同士で仲良くやり過ごす時間だ。


「それ、今でも楽しいとか思ってんの?」

「好きな人同士なら楽しいもんだろ? 俺も酒は得意じゃねぇけど、実は海鳴といつか楽しもうと思っててさァ……」


 八束は冷蔵庫から冷えたカップ酒を取り出すと蓋を開けながら――、

「お前は水だけ……だけどな」

 寂しそうな声でグラスにお酒を注いだ。


「酒飲めないことわかってて言ってんの、それ? なんか八束らしくないね」

「三年前から知ってたっての。あのお前専用の大量の栄養剤の入ってた箱の一番下のマニュアルに書いてあったし」

「へぇー、そうなの。俺の分もついでに入れてくれる?」

「あぁ……」


 オールというものを華木たちと一度だけしたことがあった。高校生の分際で少し背伸びしたくてノンアルコールに混じった本物の酒を飲んだとき、美味しいと感じなかった自分がつまらなかった。華木に笑われてビール以外のアルコールの度数が高い酒を持ってこられて、無理に飲んだらものすごく美味しかった記憶がある。華木の目の前で呑めた自分が嬉しくてたまらなかった。呑まれそうになる寸前であとはなにも覚えていない。

 八束はもう一つ同じ形のグラスを手に取り水を注いだ。

 両手に持っていたグラスを海鳴の目の前に置いた。


「乾杯しよーぜ」

「ん……」


 海鳴は一口飲む。それは水だった。

 ふたりはグラスをカチャンと鳴らした。乾杯する前に一口飲んだ海鳴は、透明度の高い水のような酒を持つ八束のグラスを眺めていた。


「それ、おいしいの?」

「ああ、うめーよ」


 八束はそう言いながら酒を一口飲んだ。


 ――なんだ? 飲みてぇのか?


「……ふーん。水でオールしたって楽しいの八束だけだろ。俺ちょっとトイレ行ってくる」

「……俺だけ? あーお前がよく言う優越感ってやつ?」


 八束の独り言を無視して海鳴はリビングから離れる。退屈してるのは自分だけじゃない。クローンである海鳴も同じだった。

 海鳴がこの場に戻ってくるあいだに八束は自分だけが楽しめることを思いついてしまう。

 二、三口飲んで水より減ったグラスに酒を継ぎ足して、水と同じ量になった二つのグラスを並べる。

 八束はほんのちょっとした遊び心で、グラスを左右入れ替えた。


 ――どっち手にすっかなぁ……。


 海鳴がリビングから戻ってくると、八束は嗤っていた。


「なに一人でヘラヘラしてんだよ。あ、もしかしてもう酔ってんの?」

「そーかも、へへっ」


 海鳴なら匂いですぐ気づくはずだ。それなのに彼は酒の入った方を手に取って一気に喉に流し込んだ。

 八束は海鳴のとった行動に唖然とした。


 ――うわっ……嘘だろ……――っ!?


 海鳴は八束に微笑んだと思ったら急に全身の力が抜け落ちてその場に倒れ込んだ。

 彼はクローンだから一般の病院じゃ受け入れてもらえない。施設に連絡しなければならなかった。

 八束は急いでキュプラモニウムに緊急通知を入れる。スマートフォンから目を離して意識のない海鳴をじっと見つめ、涙目になる。海鳴の肌の色が普段よりも青白く見えた。

 昔の自分にはなかった感情が沸々と込み上げてくる。悲しい、切ない、辛い。

 救急車と同じ形をした施設専用の車両に海鳴が運ばれて行く。

 パートナーである八束も同乗した。彼をこんな目に遭わせた責任は重いだろう。

 八束は車に揺られながら頭を抱え込んだ。


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