第29話 【言いたいことも言えずに -2-】

 ―――同時刻・柊八束宅。


「ヘックシュン! あーさみぃ」

 

 ソファで横になっていた男の突然のくしゃみに、海鳴はどきっとした。


「あ、やっぱりエアコンつける?」

「やっぱりってなんだよ。お前寒くねぇの?」

「うん。俺体温低くても生きていけっから」


 そう言った海鳴の平坦な口振りに、八束はむっとした。

 何でそんなに冷たくあしらうのか、何か言い返そうと思って彼をソファの上から見下ろしてやる。

 すると海鳴は八束を見上げる形になってしまった。


「な、……んだよ。何? 言いたいことあるなら言えば?」

「いや、そういやお前って誰のクローンだったっけかなぁ……って思ってさァ」

「あれ、今まで一度も言っていなかったっけ?」

「ああ、多分。でも俺お前にそっくりなおっさん見かけたんだよ」

「あー……そう。何か思うことでもあったの?」

「……すげー顔色悪そうだった。そんだけかなァ」


 八束の一言に、海鳴はやっぱりと思いつつ気が抜けてしまった。単純な奴で良かったとその場で安堵する。ただ彼は時々核心をついたことを訊いてくるので、自分の考え以上のことを言われると無性に腹が立ったりする。二人はそんな関係でできている。


「あっそ。そりゃそー思うわなぁ……」


 人を見た目から判断することは誰にでもあることだ。特に八束みたいな外見の人が海鳴とそっくりな人に出会したと聞かれれば、海鳴は八束にそれ以上のことは求めない。八束が単なる顔色の悪い人だと判断すれば、それまでの人間だということだ。それ以上のことは彼に語る必要はないと思っていた。

 彼が自宅に帰って来た頃、海鳴は「陵莞爾みささぎかんじに会ったの?」と問い掛けようか迷っていた。そうたずねる間も無く彼は、「氷峰が陵って人に会いに行くらしい」の一言だけぼやくと、後先自分には無関係な素振りを見せたのだった。


 ――陵莞爾がどんな男かなんて、分身であるこの俺を介して興味を持つことなんか、到底あり得ないんだろうね。八束にとっちゃ。




 ―――六年前。


 雨が降りしきる。窓の外を眺めていると、一本の電話が鳴り出した。

 受話器を取った彼は、面倒臭そうに相槌を打った。

 柊司秋から今すぐ尋ねたい事があるとの連絡だった。


 こんな雨の日に人気の無い夜道を、ライトを点けて走らせなければならないなんて……。


「人の睡眠時間を奪わないでくれよ……全く」


 ――允桧まさひが自殺した。しとむからそう聞いている。


 彼はそう一言陵に告げると、施設の自室に陵を呼び出した。


「あいつ、本当に死んだんだ」

 車を運転しながら、ワイパーの動く音に溶け込む様に嘆いた。


 敷地内の駐車場に車を止め、黒い傘を差して施設に入る。

 夜間帯も施設内には人は常駐しており、廊下で何人かとすれ違った。

 最上階の渡り廊下を通り抜けて角を曲がって、柊司秋の居る会長室へと辿り着いた。

 ドアを開けると、彼は悩ましげな顔を浮かべながら手を組んでソファに座っていた。


「……よく来てくれた。急な呼び出しで、申し訳ない」

「いえいえ、構いませんよ。大事な話があるから来るんでしょう。俺は人を待たせるのが大嫌いなんですよ。知ってましたよね?」

「……君にきたいことがある」


 にこやかだった彼の表情が曇り始める。


「……」


 真面目な顔をして話を切り出したのは陵の方だった。


「自殺したんですってね……」

「あの子が自殺に至るまでに、何か余計なこと言わなかったのか?」

「余計なことですって? まさかこの僕が自殺を幇助ほうじょしたとでも言いたいんですか?」

「そこまで言うつもりはない。ただ私は……あの子の私生活を知らない……」


 司秋は続けて陵を問い詰めた。


「学校外であの子の一番近くにいたのは、君だ。だから何か心当たりがあるなら教えて欲しい……」

「貴方が今頃知ってどうするんですか? 何も話すことはありません」

「そうか……。彼は自分が生まれてきた事を拒絶しながらも、人間と共に生きようとしていた。だが性に混乱していた。何故なら――」

「畏怖クローンだから……でしょう。前置きはいいですから、簡潔に聞きたいことを言ってくださいよ」


 陵は司秋の回りくどい言い方に少しだけ苛ついていた。司秋にも考えがあってここに呼び出していることは十分承知の上だった。


「あの子の身体には……何か私に言えない秘密があったんじゃないのか?」

「……」


 気づいてしまったならもう全てを話すしかないと思った。


「……もう隠さなくていい。話してくれないか?」


 陵が語り出す言葉を言わずとも理解していた。司秋は眉間に皺を寄せ、目を閉じたまま続けて話した。


「氷峰夫妻の遺体を切断したのか? ……半身を分けたのは意図的だったのだろう?」


 司秋は瞼をそっと開いて向かい合わせに座る陵の表情をしっかりと捉える。


「ええ……」


 相槌を交わした彼は哀しい目をしていなかった。一人のクローンが死んだ事実など目にもくれない様子だった。


「……」


 どうして允桧は産まれてきたのだろうか。司秋は蔀に問い詰められた事を思い返す。息の詰まる思いを押し殺し、陵の顔を捉える。彼は続けて、

愛弓子あゆこさんの遺体と駈瑠かけるさんの遺体からDNAを採取し、半身に利用しました。母親の下半身と、父親のDNAを利用し允桧を産み出した……という訳です」


 淡々と実験の結果を述べる様に話した。


「……そうか」

「俺が開発した水溶液は、人骨も臓器も浸すと植物みたいに成長するんですよ。半身から育った上半身の肉体は男性型だった。予想はしていましたけど……」

「想像以上に美しく――」


 そう語り、最後に不敵な笑みを浮かべ――

「醜かった」

 と言い放った。

「…………」


 黙って司秋の顔を睨みつける。


「黙っててすみません」


 そう言うと、いつもの穏やかな表情で返事をした。

 その直後、司秋は頭を抱えながら――


「謝る気が無いなら、もう帰ってくれ……」


 陵を追い払うように言葉を吐き捨てた。


「では、お言葉に甘えて帰らせて頂きます」


 陵はそう言ってソファから立ち上がり、司秋の前から姿を消した。

 誰も彼の行いを裁く者がいない。そう言う世の中だ。元を辿れば、駈瑠が編み出したこの組織に携わる者の一人として、彼の行動を見張ることが出来れば良かった。

 陵が部屋から出て行くのを窺った後、司秋はひとり嘆いた。


「……すまない……弓弦……」


 彼は氷峰の両親をクローン技術に利用し、肉体を蘇生させようと考えていた。

 だが、陵に先を越されてしまった。子供に夢を見させるようなことをするなと、『親の蘇生』に強く反対された。その昔、氷峰弓弦がまだ幼い頃、氷峰夫妻の死亡届は出されておらず、尚且つ不特定多数のクローンとして身体が利用されても良いという書類を、彼らはキュプラモニウムに提出していた。その氷峰夫妻の様子を知っていた司秋は、彼らが不慮の事故に巻き込まれたとしているあの事件を隠し通し、十年以上もの間氷峰夫妻の遺体を引き取り管理をしていた。陵は今でもあの事件のことを引き摺っていた。が巻き込まれたあの事件が忘れられず、司秋が氷峰夫妻と考えていた事に協力できるはずが無かった。

 司秋は陵と意見が対立し、遺体を蘇生させるのをはばまれ、彼に黙って氷峰夫妻の遺体を切断し、自分の研究材料に使用した。



 ―――現在・キュプラモニウム施設内。


 今、何時ぐらいだろうか。亜結樹はひとりで今何をしているだろうか。氷峰は目の前位にいる狂気に満ちた男の話を心底辛そうに、聞き流していた。耳を塞ぎたくなる様な、想像するだけでも嫌気がさす様な話を聞かされていた。その中でも、亜結樹と允桧のことになると、一緒にいたことがあるものだから、口を挟みたくなってしまう。

 生き返りたい者だけが、生き返ることができる。それを合法的に認めている。そういう世の中にしたのは、目の前にいる青年の実の父親だった。


「君の両親は、クローンになる意思表示をしていたんだ。それで柊司秋――あの男は、遺体を施設に預けている間、俺にこう言ったのさ。『君の力で弓弦君の両親を生き返らせて欲しい』ってね」


 握っているペンを胸ポケットにしまうと、続けて氷峰を睨みながら――


「正論を語ろう……。俺は彼の意見に反対した。君がまだ幼いのに、君の存在を忘れてしまった両親が生き返ってしまうのは、家族を崩壊させると思ったんだ。そもそもクローンには親子という概念が存在しない――」


「――じゃあ何で允桧や亜結樹を生み出したんだよ! 俺の両親を生き返らせないのはあんたの勝手な私情だろ!」


 氷峰は陵の言葉に被さる様な声で、叫んだ。冷静になれない感情を何処かへ置いて去りたいが、今のこの空気ではそうにもできなかった。


「私情? ……ククッ……あはははっ! 今の言葉をあの男にも聞かせてやりたいね、全く。俺は、あの男の私情に巻き込まれたんだろうねぇ……。あぁ、そういうことだろう……」


 陵は呆れるくらいに、目の前の青年の言葉を聞いた途端に馬鹿笑いする。話し方には何か悔しめいた思いも混ざっていた。


「何がおかしいんだよ」


「ふふ……まだ話してないことが沢山あるね。俺は君の母親が言ったことが未だに忘れられないでいる……。君は允桧が意図的に作り出されたことを恨むかい? ――愛していたのに、ね」


 手を組み額に宛てがうと、組んだ手の隙間から細くなった目が、氷峰の俯いた顔を捉えて離さなかった。


「……やめろ……。あんたにそんな言葉言われたくねぇ……」


 両膝に添えられていた握り拳が微かに震えていた。


「君はあの葬式で、もう一度両親に会いたいと心の中で思ったかい?」

「葬式? ……允桧や亜結樹を生み出したことと、何の関係がある……」


 氷峰は、陵と目を合わさずに呟いた。


「大ありだよ。君は両親の死を受け入れ、クローンにならなかった彼らを尊ぶべきだって事だ」

「……だったら允桧の死は? あんたは何も思わなかったのか?」

「何も思わなかった……と言ったら嘘になるね。でもこれについては君には言わないさ……」


 そう言いながら組んでいた手を解放する。今度は頬杖をついて、片手は胸ポケットから再びペンを取り出す。まだ何か氷峰弓弦に対して話し足りない様子だった。


「君の両親の話をしたらキュプラモニウムが何がきっかけで誕生したのか、わかりそうでしょ?」

「あんたが允桧や亜結樹を生み出したのは肯定できねぇよ。何で男女バラバラに……。それに……」


 ――亜結樹は何で俺と一緒に……。

 嘆いた言葉の続きは目の前の男には言えなかった。言えなかった言葉を彼は理解していた。


「允桧と亜結樹の身体は対になっていると、病院で司秋さんに聞かされたんだろ? さっきも話したじゃないか。そう……二人の肉体は崇高な存在だと……」


 陵は立ち上がり、椅子に怯えながら座っている氷峰の目の前まで歩みを進める。彼はペンを氷峰の下顎に突き立てると、頤使する。


「俺の目的は、君への死だ。そう、クローンに死の持つ意味を教えたいのさ」

「……!?」


「彼女の前で、死んでくれないかな?」


 そのまま氷峰の顎からペン先を滑らせる様に下ろしながら話す。ペン先は心臓の部位で止まった。そのまま軽くトンと突いた。陵の目つきに、氷峰は額に汗をかきながら怯えていた。

 胸を突かれた時、陵の本当の怖さを知った。彼は氷峰の実の父親を本当に憎んでいた。

 話してきた。


「死んでくれないか……だと?」

「今までの話を聞いて、理由がはっきりしただろ。これで君が彼女の前で命を断てばいい、それだけだ」


 そう言うと、陵は予め持っていた携帯用のサバイバルナイフを取り出し、氷峰の座るテーブル前に差し出した。これで命を断てと後押ししてきた。冗談じゃない。


「……っ」


 ――俺の母親の死についてまだ言ってないことがあるんだろう。あと何を話していないんだ。

 ――けど、亜結樹のことを思えば……。


「時に愛について思うことは、生死と繋がりがあると俺は思っている……。君が亜結樹の前で死ぬということは、つまりは彼女に敬意を払うということになるんだよ」


 氷峰の耳元で囁くように、彼は告げた。

 彼の持論には聞き飽きた。今、頭の中にあるのは、亜結樹への思いとそれを意味する自殺する行為についてだけだった。俺はそこまで頭は良くないんだ。だから今は――。


「亜結樹への敬意は、允桧にも伝わるのか……?」


 ふと何かに気づいたかの様に氷峰はそう呟くと、虚ろげな瞳を陵に向けた。陵の言葉にあったことを繰り返し頭の中で言い聞かせている。何かに諭される様に、氷峰はテーブルの上に差し出されたサバイバルナイフを手に握った。それをポケットに静かに入れた。


「どうだろうね。君がそれを願うなら、伝わるだろうね。……試して見たらいい。あと……――」


 陵は流暢に返事を交わす。ついでに言葉を付け加えた。


「君が死んだら、亜結樹は施設へ来てもらうことになるから、そこは心配いらないよ」

「……んなこと心配してねぇ……よ」


 ――本気なのか冗談なのか、この科学者はいかれている。

 氷峰は椅子から立ち上がってこの閉鎖された空間を出ようとドアノブに手を掛けた。


「もうあんたの顔を見ることもねぇな……。言いてぇこと、少しはわかった気がする……」

「ああ、そう。それは良かった。死にに行くのを楽しみにしているよ」


 陵は最後まで聞きづてならない言動をしていた。背後に身軽そうな声を聞いて、氷峰はドアを閉めた。

 施設の外へ出ると日が沈みがかっていた。そんなにあの科学者は長話をしていたんだろうか。

 電車を乗り継いでも、一時間以上はかかる場所にこの施設は存在する。


 ――亜結樹の前で『死』を選ぶこと……。

 ――俺の父さんと母さんはクローンにならずに、死を選んだのか?

 ――何を理由に……?


「……ごめんな。……允桧。俺はやっぱりあんな愛し方しかできなかったから……」


 天を仰いで、溢れそうになる涙を堪えた。外はもうすっかり澄んだ冷たい空気に包まれたいた。

 深く息をすると冬の匂いがした。



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