第28話 【言いたいことも言えずに -1-】

 ***


 俺は亜結樹や允桧の産まれた施設まで全力疾走した。

 電車を乗り継いだ先の辺鄙な所に施設はあるが、病院からはそれほど遠くはない距離だった。

 亜結樹と允桧の身体の本当の秘密を知り戦慄が走った。

 だが、事実だ。事実を俺はまだ信じられずにいる。

 もし司秋さんが言っていた陵莞爾のしたことが本当だとしたら、恐怖を受け入れる以前に哀しみで心は押し潰されているだろう。確かめなければならない。

 彼の本性を知った時、俺は平常心でいられるだろうか……。

 夜が明けて、氷峰は施設の入り口のインターホンを押した。


「はい」

「柊司秋の息子だ……陵という人に話があります。お願いします」

「本当に会長の息子さんでいらっしゃいますか? 名前をお願いします。」

「氷峰弓弦です……(めんどくせぇ……)」

「少々お待ちください」

「……」

「どうぞお入りください」


 しばらくして、受付の人に案内された一室には会わなければならない男がいた。

 彼は氷峰の姿を見ると、すぐさま椅子から立ち上がる。


「初めましてかな。君が直接ここに来るのって初めてじゃない?」


 陵は微笑んだ。この男は目の下の隈が目立つ、海鳴と同じ髪型をしていた。


「……そうですね」


 ――


 氷峰に笑顔はない。ただ睨んでもいなかった。頭の中で伝えたいことを整理していて、浮かない顔をしていた。


「ごめんねぇ、こんな狭い部屋で。他の場所は関係者以外立ち入り禁止なんだ」

「陵さん……」

「何かな?」

「クローンを創造するのを、もう止めてくれませんか?」

「唐突だね。君さ……俺に言ってもダメだって」


 陵はそう言うと、ペンを手に取り指で弄り回した。


「俺は亜結樹と一緒に居続けて……頭がおかしくなりそうなんだ」

「君は允桧といる頃からすでにおかしいんじゃないかい?」

「……どうして俺なんですか? ……俺だったんですか?」


 亜結樹と共に過ごしているのが、と心の声は陵に伝わっていた。


「ふふ……どうしてかな? 考えてみろ。君は何処かで、まだ彼を思っている。彼女と同じで」

「――っ!? 同じじゃねぇっ!」

「一緒だよ!!」


 氷峰よりも大きな声で、陵は言い返した。そして不適な笑みを浮かべた。


「亜結樹は允桧が生きた時間を知らない。……それなのにその肉体は允桧を知りたがっている。允桧の上半身を本能的に追い求めている。ははっ……人間の神秘だね」

「あんた何言って……」


 亜結樹と同じ夢を見た日のことを、ふと思い出す。悲愴に浸るあの仄暗い海の夢を。

 氷峰は陵の言っていることが理解できずにいた。理解しようとしたが困惑している様子だった。


「司秋さんに言われて来たんだろ? 言いたいことは山程あるが、何から話すべきかな? そうだ、君の父親の話もしたいなぁ……どうしようかなぁ……」


 次から次へと刺々しく恨めしい顔をした陵の言葉は氷峰を突っつく。


「この施設やキュプラモニウムを潰しに来たなら、まずクローンの存在について持論を話しておこうか?」

「まだそんなこと言って……ないだろ……?」


 目の前にいる狂気に満ちた表情を浮かべる相手を見て、たじろいてしまった。息を潜める様に、吸って吐いた息の呼吸が整わなかった。


「話は簡潔にまとめよう。結論から言おう。クローン人間は何のために存在するのか」


 ペンを机に刺し、音をたてながら、話し出す。


「第一に快楽のために存在する」


 ペンの音が鳴り止む。


「第二に死後の世界を体現する為に。後者はゾンビの理念とほぼ同じかな。でも、脳もちゃんと働いてるから、僕達や世間はクローンと呼んでいる。ちゃんと再生したヒトの姿をした生き物が、ゾンビて言われたら可哀想だと思わないかい?」

「……」

「で、遺体から記憶まで蘇生できたらいいのにと思う時がある。生きた亡霊と言ってもいい……」

「悪ぃがあんたの論理を聞くほど頭よくねぇんだわ」

「まだ続きがある。司秋さんから聞いたかもしれないけど、允桧は君の父さんの身体を受け継いでいた。上半身は父親の若い頃の姿……下半身は――」


 陵が言いかけた時、氷峰は傍に置いてあった空っぽだったゴミ箱を思い切り蹴飛ばす。


「言葉にすんな! 止めろ!!」


 絶叫した。陵の次に来る言葉が、自分の母親であるとわかってていたから、それを遮るように叫んだ。やはり恐怖が先だった。


「允桧の存在は、今一緒にいる亜結樹の身体より不吉に思っただろ? 局部が女性の体だったんだからね……」

「……まだ何か話す気か?」

「あの子は子供を産もうとしたんだ……俺は止めなかった。知ってただろ? 允桧の学校での態度くらい」


 陵は允桧の私生活を知っているかの様に嘆いた。


「やめろ……。やめてくれ……」


 言葉にしたら、高校時代の醜かった自分が思い起こされてしまう。氷峰は顏を両手で覆い隠す。そのまま頭を掻きむしりながら、陵の毒々しい言葉に耐えていた。


「上半身男の癖に考えてることが可笑しくてね……。それで教えてやったんだ。寝ている彼にしてあげたんだ……ある男がね」

「――!?」

 ――ある男?


 氷峰の目には恐怖よりも、憤りが映えていた。まさか自分が……とふと思ったが、怒りを抑え黙って目の前の男の話を聞いた。


「そこで、持論の快楽の話に戻るんだけども……」


 陵はペンをまた机に叩きながら話す。


「おい……今、允桧とある男がしたって……言ったよな……。避妊しなかったのか?」

「やだなぁ……露骨な会話をこの場で平気でするのかい? 君らの青春は汚れてるね」

「答えろ! ある男って誰なんだよ!? まさかあんたじゃないよな?」

「まさか。俺が原因で允桧が堕胎したと思うのかい? 違うかもしれないだろ? よく考えてみろ」

「……」

「君も、そのクラスメートの奴等もみんな揃いも揃って、性行為を允桧にしてきたじゃないか。馬鹿だろ。激しくやったならもしかしたらソレが破けて妊娠してしまう場合だって有りうるんだよ」

「違う……! 俺じゃねぇ……俺じゃない……」


 ――……ある男って一体誰なんだ。


「允桧の死後も堕胎した原因に食らいつくのかい? それはやめるべきだ。さて……持論の続きを話そうか……」

「聞きたくねぇ……。そういう話は蔀にしてやれよ……」

「人の話は最後まで聞くもんだ。そこの椅子に座りなさい……」


 陵はペンで椅子を指した。机をペンで叩き、早く座れといった態度を示した。

 氷峰は威圧的な陵の姿勢にびくびくしながら、静かに座った。


「允桧が誰かと付き合っていたことは知っていたよ。でも、まさか君だったんだねぇ……」


 ――本当は、君だと知ってる。けど、知らないフリでもしてないと


「嘘だろ? 允桧は生みの親のあんたに話さなかったっていうのかよ……」

「うん。允桧の交友関係は君の方が詳しいんじゃないかな? 俺は允桧の観察者でしかないさ」

「……許せないとか、思ってるのか?」


 予想通りの言葉が返って来て、彼は思わず顔が綻んでしまった。


「別に……。あの子の出会いは君達で良かったんじゃないかなぁ……ハハっ……」


 陵は握っているペンを見つめながら嘲笑った。


「俺に会わせたのも、あんたの策略だったのか?」

「そう思うのかい? なら、君にこの世の愛について教えておこうか……」

「…………」


 向かい合わせに座っているのに、陵の表情を直視できずにいた。


 ――愛について……?


 知り得たくもない、実の父親の感情なんて……。


 ――允桧がもし今も生きていたとしたら――。


「俺には、あの子を生み出すことは必然だったのかもしれないと思ってね……」

 その言葉の真意は、氷峰の実の親の話にまで遡ると彼は言い放った。

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