第26話 【思い残すことは】


 ―――六年前。


 雨が降り頻る。

 氷峰は学校の入り口付近の壁に花が手向けられていたのを見て、目を見開いた。

 階段を駆け上がり教室に入ると、ホワイトボードに大きく『I'm DEAD - STAR』と書かれていた。


 窓の外に目を遣ると――、

「蔀?」

 ――電話を片手にした彼の姿があった。


 急いで階段を駆け下りる。外に出ると雨の滴る音が鳴り響いていた。


「蔀!」


 遠い距離で彼の名を呼んだが彼は振り向かない。虚しくも声は雨によってかき消されていた。

 氷峰は傘もささずに彼に向かって走り出す。

 細い針の様な雨が体と心を突き刺してゆく。


 そして、もう一度――、

「蔀!!」

 ――彼の名を呼んだ。


 彼は氷峰の声に気づき、振り向いた。

 振り向くと、突如胸ぐらを氷峰に掴まれた。


「……」


 氷峰は口を開けて何かを言おうとしていたが、中々言葉を発しなかった。

 彼の目からは涙が滲んでいた。


「……離してくれないか?」

「……なにがアイツを追い詰めたんだよ……なにが……どうして」


 掴む手に力が入る。


「お前が殺したわけじゃない……これは事故だ」

「そんなこと聞いてんじゃねぇよ!!」

「事件にしたら気が済むのか?」

「……」


 歯を食い縛る氷峰の姿に冷静に問いかける。


「救急車は昨日の深夜きて、施設に運ばれたらしい……だが、允桧はもう……」


 氷峰は下を向いた。蔀の胸ぐらを掴んでいた手は力が抜け落ち、そのまま真下に膝をついた。

 雨に濡れた服は、哀しみが背中に重く伸し掛る。

 今までの允桧への思いが、重く伸し掛かっていた。

 氷峰は再び、入り口付近に置いてあるガラス瓶に入った、一輪の白い菊の花に目を向けた。


「允桧……」


 誰が置いて行ったかは知らないけれど、確かに、彼は死んでしまったのだ。


『再生に、二度目はない。組織の規則だ』――と、クローンは生き返ってはならないのだと、メールで蔀から返信があったばかりだ。


 彼奴らは……華木は……八束は、允桧が死んだことを知っているのだろうか。

 允桧の遺体は偶然通りかかった一般人が発見し、その場で救急車を呼んだらしい。だが、偶然乗り合わせた救急隊員の一人が組織の役員と知り合いだったらしく、組織の人を通して施設へ運ばれた。俺は改めて思い至った。允桧が世間には知られてはならないクローンであったことを。



 ―――現在。



 病室に入ると、氷峰が両手を組んで頭を抱え込むようにして座っていた。

 司秋しじゅうは未だに目を覚まさない。氷峰は彼の様子を見て、昨夜から付きっきりで居座っていた。


「……ミネ……」


 蔀の声に顔を上げて病室の入り口に目を向ける。蔀ともう一人立っていた。


「八束もきたのか……」

「きちゃ悪ぃかよ……一応親戚だからな……」

「そうだな……」


 八束は氷峰の疲れ切った表情に苛立ちを隠せずにいた。


「亜結樹はどうしてんの? てか、お前亜結樹にまだ何もしてねェよな……」


 彼は今の状況に釘を刺すように言い寄ってきた。


「何の心配だ? お前まさか亜結樹のこと知って――」


 八束は氷峰が言葉を発したのを制するように胸倉を掴み――


「アイツの時みてェに精神的に追い詰めてねェか聞いてんだよ!」


 大声を上げた。氷峰は八束の腕を振り解きながら――


「俺が亜結樹を追い詰めてるだと? 允桧の時みたいにはしねぇよ……」


 冷静に返事をした。


「それ本気で言ってんの? ていうか追い詰めたってことは認めてんのか」

「本気かどうかなんて、お前に言うか」

「……んだと」


 蔀は二人の会話のやり取りを、距離を置きながら窺っていた。


 ――『みたいにはしない』か。でも似たような状況は一度くらいあっただろうな。


「おい、静かにしろ。病院内だぞ」

「わかってるっての……」


 三人の会話が交わされる中、司秋がゆっくり目を開いた。

 窓際に三人の人影がぼんやりと映えているのが肉眼でわかった。

 彼は意識を取り戻した。三人は同時に目を開いた彼の容態をうかがった。


義父とうさん!」


「…………」


「――――……!」


 八束は司秋と一瞬目が合ったので、驚いた。頭を掻きながら、目を逸らした。


「弓弦……。蔀、八束も来てくれたのか……」

「おう……。もう、目ぇ覚ましたんなら帰ろっかな……海鳴心配だしィ」

「待ってくれ。もう少しだけ顔を見せてくれ……」


 そう言って帰ろうとする八束の顔を暫し見つめる。


「……(何だよ……)」


「司秋さん……氷峰から話は聞いてます」

「昨晩……話そうとしたんだが、すまなかった。改めて言おう……――」


 司秋は目を瞑り、一息ついた。そして、亜結樹と允桧の身体について真実を語ろうとしたそのとき――廊下から足音が近づいてきた。

 個室にある男が入ってきたとき、室内の空気が一瞬固まった。


「……!」


 その男は四人のうちの一番背丈のある人物と目が合った。


 八束は、その男をの顔を見た途端に、血相を変えて病室を飛び出して行った。

 出て行く際、その男の体に当たった。


「おい! 八束――っ!」


 追いかけようとした蔀を氷峰が引き止めた。


「放せ!」

「駄目だ……一人にさせておけ」


 氷峰も男の容姿を見て、単なる男ではないと想像がついた。

 男は、走り去っていった自分の息子の姿に驚きながら一言呟いた。


「蔀……今の、八束だったのか?」

「……」


 蔀はただ父親の目を睨み続け、黙っていた。


枝燕しえん……見舞いのつもりか……」


 司秋は横目でちらりと彼の顔を伺いながら冷めた声で言う。


「それ以外の用もあるけどな……。あの男から話は聞いた」

「枝燕、来て早々悪いが帰ってくれ。まだ二人に話していない……」


 あの男という言葉に、氷峰と蔀は同じ人物を思い浮かべていた。


 ――陵莞爾……だな。


 二人は一旦引き下がろうとした。だが枝燕の存在に圧倒され、司秋の側を離れられずにいた。司秋と枝燕の仲が悪いことを知っているのは蔀だけだが――


「あんた、何の話があってここに来たんだ?」


 勘が働いて、枝燕に話しかけたのは氷峰の方だった。枝燕は氷峰の方に顔を向けると――


「お前も大きくなったな……据わった瞳があの人そっくりだな……」


 そう言って、また司秋の方を見遣る。あの人とは氷峰の実の父親のことを指していた。氷峰は枝燕の言葉に唖然となり何も言い返せなかった。


「……」


 ――この人は俺の子供の頃を知ってんのか。

 ――わりぃが、俺はあんたの顔を覚えてねぇんだ。


「枝燕……あとは若者たちに委ねる。お前はもう組織に関わらなくていい」

「そう言われて、納得する奴がいるか……。陵からあれだけのこと聞かされて、黙ってられるか」


「私の話したことが陵君に伝わらなくても、もう何も言うことはない」


 司秋のその言葉に反応した蔀が、話に割って入ろうとするが――


「司秋さん、陵さんに何を――……」


 司秋が手で合図し、言葉を遮られる。


「陵にも昔、が俺に語ってくれた事を全て話した。それなのにお前は、俺がそんなに信用できねぇのか。俺を信じちゃいねぇのか……」


 枝燕は眉間に皺を寄せながら嘆いた。司秋は枝燕を睨みながら――


「……そうだな。昔の事を思えば、そんなお前だから彼女に愛想尽かされたんだろう。それに――――」


 愚痴を吐く。次の一言を目を見開いて吐いた。


「――俺と同じで、男が好きだったんだろう?」


「――! ……それは認めてねぇぞ。俺はお前と違って結婚して子供を養ってきたんだ。一人は問題児化したが、今目の前にいる蔀はお前の望み通り医師にまで上り詰め、組織の一員になったじゃねぇか! 俺の何が不満なんだ!」


 枝燕はそう怒鳴りながら、蔀を指差した。

 蔀と氷峰は黙り込んだまま、二人の言い争いを聞いていた。


「この偽ホモフォビアが……。お前みたいなのがいるから、性に苦しむ若者が潜んでいるんだ……」

「何だと……」


 司秋のある言葉に、ピンと空気が張り詰めた。


「…………」


 睨み合いが続いていた。蔀は父親に対する司秋のきつい一言を耳にし、頭の中で中学生の頃を思い出した。彼は知っていた。彼の母親も司秋と同じ考えで、父親との関係に悩んでいた。


 ――……だから母さんは……。


「……蔀?」


 氷峰は、目を伏せて思い詰めた表情をしている蔀を見て一声掛けた。

 何かを思い出した様だった。蔀の身に起こった何かを――。


「親父……もう帰ってくれ……」

「…………」


 枝燕は尖っていた表情を和らげ、そう嘆いて俯いた蔀を見た。

 彼は無言で病室を立ち去っていった。その姿を見送った司秋は、改まった態度を示し――

「弓弦……蔀。亜結樹の事を……話しておかなくては……。蔀も聞いてくれ……」

 口を開き始めた。


「あぁ……」


 氷峰は円形の椅子に座り、司秋が亜結樹の身体について語るのを覚悟していた。

 蔀も知らない真実かもしれないと――。



 ***



 忘れもしない――彼のその歪んだ表情に怯えている自分がまだいたなんて。

 病院の入り口まで走り、外に出た目の前の階段に座り込んで頭を抱えていた。

「…………」


 八束は息を殺して、過去の自分にフラッシュバックしていた。


「……頼むから、どっか行ってくれ……」


 その独り言は枝燕に向けられた言葉だった。

 そんな彼の目の前を――陵は彼を見下ろしながら、院内の奥へと歩いて行った。


「……」


 ――枝燕さんもきたのか……。


 八束は誰かが近づいてきた気配を感じつつも、顔を上げることはなかった。


 ***


「それ……って、どういうことだよ。蔀、意味わかって――」


 氷峰は隣で沈黙を続けていた蔀の顔を窺う。


「それはつまり……遺体を――」


 ――半身を切断して、それだけではなく……。


「……そして、胴体だけでなく――DNAも同じように入れ替えた。お前の母親のDNAは亜結樹に、父親のDNAは允桧に使われた。つまり二人の身体は、お前の両親の遺体から再生されたクローンだ。上半身が入れ替わるならば二人で一つの人体と言ってもいい」


 司秋は自分の語っている言葉を怖れることなく、ただ冷静に吐露する。


「だったら何で蔀は今まで気がつかなかったんだ! 何で今まで黙ってたんだよ! 亜結樹と允桧は意図的に創造されたクローンだってことかよ!」


 氷峰は横になっている司秋の両肩を掴み、彼の目を凝視した。


 司秋は臆することなく氷峰の顔を見つめると、静かに目を閉じ――


「私はお前の両親を生き返らせたかっただけなんだ……。だがあの男がそれを許さなかった」


 そう呟いた。氷峰は司秋の「両親を生き返らせたかった」という真意を受け入れられずにいた。


「だとしても……俺が亜結樹や允桧の姿に……――」


 ――両親を思い起こすことは、不可能に近いだろ?


 蔀が氷峰の言いたいことが何なのか理解しようと、彼の哀しみを堪えた表情を見て言葉を掛ける。


「なにも考えずにここまで、允桧や亜結樹と共に過ごしてきたわけじゃないだろ……」

「……あぁ」


 氷峰は目の奥に滲んだ涙を垂らす前に服で拭い去る。


「司秋さん……貴方の意思を許さなかった人とは、陵さんですね――」


 蔀は視線を再び司秋に移し話し掛けた。司秋は改めて今までの話を整理し、言葉を紡ぐ。


「そうだ……。そして彼が意図的に允桧を生むきっかけを作ってしまった。言葉にしなくとも想像はつくだろう……」


 つまり、陵が氷峰の両親の遺体の半身を切断し、意図的にDNAさえも入れ替えたという話であった。


「……だから亜結樹は……」


 ――だから……こんな形になってしまったのか。


 蔀は両手で顔を覆い隠す。自らの失敗が、陵によって仕組まれた事だと今気づいた。


 ――亜結樹の存在に、罪はない。


「……蔀?」


 氷峰は顔を見せなかった彼が泣いているのかと思った。彼は黙って俯いた蔀の姿を見る事しかできなかった。施設で彼がどんな思いで亜結樹を生み出してしまったのか想像がつかなかった。蔀は自らの手で亜結樹を生み出してしまったことを悔やんだ。氷峰に見せる顔はなく、ただ深く息を潜めていた。それは泣きそうなくらいの息遣いだった。


「すまない……弓弦、蔀……」


 司秋の穏やかな声質とは裏腹に、凍てついた真実が二人に伸し掛かろうとしていた。


「………」

「………」


 氷峰は司秋のいる病室を静かに出て行った。蔀は覆っていた顔を上げ、彼の後を追うように病室を出て行く。


「君達にもう……話すことは何もない……」


 司秋はそう言うと、ゆっくり目を瞑った。瞼を閉じると同時に一粒の涙が滴り落ちた。



 ***


 病室の廊下で二人は目を赤くしながら、出口に向かって歩いていた。


「八束はどこに行ったんだろうな……」


 蔀は、氷峰に向かって一言呟く。


「そんな遠くに行ってないだろ……それより蔀……――」


 氷峰は蔀に陵に会わせてくれないかと深刻そうな顔をして言った。


「――…………」


 蔀は返事に困り黙ったまま、俯いて足元を見ながら歩みを進める。その時、氷峰は黒スーツの男とすれ違った。氷峰はの顔を、一瞬眺めたが、その場では気がつかなかった。どこかで会ったことがあったかもしれないが――思い出せなかった。なにも知らなかった。擦れ違ったその男が陵莞爾であることを。


 二人は歩みを止めることなく、八束の居そうな所へ進んで行った。


「俺は、その陵って人に会わなきゃ……。蔀、頼む、会わせてくれ……」

「…………――」


 蔀は顔を上げ、氷峰を暫し見つめながら閉ざしていた口を開いた。


「施設の場所を教える。会うならそこで話をつけてもらう……いいな」

「……あぁ」


 蔀はスマートフォンを片手にし、氷峰に施設の場所を教えた。


 彼は司秋の病室の目の前で一旦足を止めた。そして――


 ――今のは弓弦君だった、な……。


 思わず心の中で呟きながらドアをノックする。ドアの開く音がすると――


「最後は、君か……」


 司秋の溜め息混じりの声がした。


「なにか不満でもあるんですか?」

「今更だな……」

「枝燕さんも来てくれたそうですね」

「……すぐに帰した。あいつにはもう組織に関わってもらいたくなくてな」


 司秋は陵の目を見ずに、返事をした。


「そうですか。あぁそうだ、私も一つ話し忘れていたことがあって……」


 陵はそう言うと、円形の椅子に腰をかけた。


「…お前の話を聞く前に……――」


 司秋は陵の目を捉えると、離さなかった。


「…………」


 陵は見つめられた目を睨まずに、無言で不敵な笑みを浮かべた。


「――弓弦と、蔀には話した。亜結樹と允桧の本当の身体の秘密を……」

「そうですか……。あ、さっき弓弦君と廊下で擦れ違いましたよ。彼は今もういくつになるんでしたっけ?」


「二十三になる」

「そうなんですか。いやぁずいぶん逞しい姿になったもんですよ。一瞬目が合ったんですけど、目つきが駈瑠さんそっくりでしたよー……」


 飄々と語る陵に対し、司秋は無表情のまま――


「はぐらかさないでもらいたいんだが……」


 真摯に陵に話しかける。


「二人に話したって、私の考えは変わりませんよ」

「そうか……」


 司秋は目を伏せながら返事をし、続けて――


「枝燕は私に何か話したいことがあったみたいだが……。今のこの体では聞きたくなかった……」


 点滴に打たれている片腕を見ながら呟いた。


「君は、私が亜結樹を弓弦の元へ連れて行った訳を知らないだろう?」

「えぇ……存じ上げませんよ」


 肩肘を棚に付き、頭を支えながら司秋の顔を見て返事をする。


「亜結樹の話をした時、弓弦は怒鳴ったが、最後まで親身になって話を聞いてくれた」


 司秋はそう言うと、ベッドの上体を少し起こした。


「……允桧のことは?」


 そう糸を張り詰めて言った陵は、指先を弄りながらそわそわしていた。


「聞かなくとも理解はしているだろう……。君が話し相手になってあげればいいじゃないか」

「それは困りましたねぇ……。ま、じっくり話込んでいきましょうか。蔀君を利用して、ね」

「君らしいな……。憎いな……本当に」


 司秋は眉間に皺を寄せながら、返事をした。


「私の話、聞いてくれます?」

「あぁ……いいだろう」

「あの方の半身を利用し、允桧が生まれて僅か四年間の命だった。允桧の死後、允桧が誰から作られたのか、貴方に話した時に言った――貴方のあの言葉を聞いて、亜結樹を生み出そうと決意したんです。しかしながら――」


 陵は足を組み、司秋を睨んだ。


「タイミングが悪かった……。あの子は海鳴と同い年に育ってしまった」


 陵は目頭を抑えながら、嘆いた。


「私の計画……どこまで見えてるんですか?」


 司秋は薄笑いを陵に向けながら――


「さてね……。組織の事は、これから君に託すとしよう……」


 ふたたびベッドを倒した。陵は司秋の仰向けになっている姿を見つめたまま、沈黙を続けた。


「…………」

「君の話は終わったのかい?」


「…………」


 司秋は呆然と椅子に座り込む陵を見て、ふたたび声をかけた。


「亜結樹と弓弦を一緒にいさせる訳を君に話しておく。大事な話だ」

「いいでしょう……。なら私の計画はどこまで知っているんです? 教えていただけませんか?」


 陵は司秋の目を捉えて話しかけるが、彼は目を逸らし――


「君の企てている計画は叶わないよ。亜結樹が生きている限りは、絶対にな……」


 天井を見上げながら呟いた。


「何ですって?」


 陵は司秋の一言に怪訝そうな顔をした。


「そんなに驚いたか……。君はこの組織をどの方向へ導きたいのかわかっているのだろう…。だから敢えて伝えておく。亜結樹を弓弦の元へ連れて行かした理由は……――」


 今度は司秋が陵の目を捉えて見つめながら話すが、彼は司秋の目を見なかった。見ずに次の一言を耳にした。


「母性を忘れさせないためにだ」


 息を呑み込んで、司秋の言葉に自らの見解を付け加えた。


「つまり、弓弦君に家族をやり直しさせたい為にとった行動だと。貴方って人は……――」


 ――と同じだ。と……――さんと。

 ――とでも考えたのか。

 ――亜結樹を通じて、允桧のような失敗をさせないならば――……。


「誰か思い浮かべたのかい? 陵君」


「海鳴が厄介なはずだ。司秋さん、貴方にはどう見えているんです? 亜結樹と海鳴の――二人の関係を……」


「それは君の想像の余地に値する。私は、君が允桧を意図的に生み出した時に、亜結樹の様な存在も必要だったのではないかと既に考えが脳裏に浮かんでいてな……」

「……そうだったんですか」


 陵は椅子から立ち上がり、司秋を見下ろした。これからの組織の方向性を覚悟した様に告げた。


「氷峰駈瑠が引き起こしたあの事件の後も、私は彼に会っていたし、彼に私の頭脳を利用されていたと思うと、あの人は恐ろしい方だった。よくもまぁ、キュプラもニウムなんて組織を立ち上げたもんですよ」

「君には駈瑠がただの恐ろしい人物としか思えなかったのか……。残念だな……」

「えぇ……何が恐ろしいって、私の知識と技術を……――」


 ――人体の蘇生に利用した挙げ句に、他人の性愛感情におもむいたんだ。


 陵は司秋に向かって言葉の続きを紡ぐことができなかった。彼は過去の心情を吐けないまま、病室を出て行こうとしたが、司秋が一言告げて彼の足を止めた。


じきに弓弦が、君に会って話を聞きたがっているだろうな」

「……それなら私も、直接彼に会って話したいことがあるので」


 司秋は陵の後ろ姿に棘を突き刺す様に――


「せっかく塞がった傷を切り開こうとしないでくれよ……」


 その言葉は弓弦に対してではなく、陵自身にも向けられた言葉であった。


「どうでしょう……。それでは、お大事になさってください」


 病室のドアが、静かに閉まる音がした。


 ***


 正門に向かう長い廊下を歩いていると、出入り口付近の階段に踞る青年の姿が見えた。彼は、未だに頭を抱えていた。

 八束は何か独り言を、誰にも聞こえないようなか細い声で呟いていた。


「ハァ……あぁ俺は、まだ心のどっかで、会いたいとか思ってんだ。そんで、一発ぶん殴られてェとか思って――。どうしようもねぇマゾなのかもしれねェ……。はぁ……はぁ……」


 息を荒げながら、ブツブツ呟いていた。両手で髪の毛をくしゃりと掴んでは、頭を左右に振る。その様子を、後ろから来た誰かに見られてしまった。病院の出入り口から、黒いスーツを着た男が現れた。周囲に目を配り、隅の方でうずくまる八束を見かけたので、彼は一声掛けた。


「あ、ちょっと、君ー……。君だよ、金髪の――」

「――!」


 ふと声がしたので、八束ははっとなり我に帰る。顔を上げ、スーツの男に視線を向ける。


「もしかして、もしかすると……。いや、やっぱり今は聞かないでおこうか? 俺の声に聞き覚えあるかい?」

「は……? ちょ、今、全然思い出せない……す。すみません」

「そうかい。いずれまたどこかで会うかもしれないね……それじゃ」


 彼はそう告げると、門の前に停めてあった車に乗り込んだ。そして車窓を全開にし――

「司秋さんの今後の事は、お兄さんによろしく頼むよ。君もお兄さんの力になってあげな」


 顔と片腕を前のめりにしながら少し大声で告げた。車窓は上がり車は走り出した。


「あ、はい!」


 ――……え? ――っ!


 八束は少し離れた所にいる彼に大声で返事をした。暫く経ってから、たった今走り出した車に乗っていた男が、何者だったのか頭の中を過った。


 ――ミササギカンジ……!?



 ***


 氷峰と蔀は病院の入り口の階段に座り込んでいた八束に声を掛けた。


「こんな所にいたのか。てっきり裏門の方かと思った」


 二人は遠回りをして、八束の所に辿り着いた。

 氷峰は遠くから八束がさっきまで誰かに話しかけられているのを目撃していた。


「今さっき誰かに話しかけられてなかったか?」

「ん……あー……いや、さっきの人な……多分ミササギって人だよ」


 八束はそう言いながらその場で立ち上がる。


「――!?」


 氷峰が驚くと同時に彼の腕を掴み――


「何て言ってた。お前なんか言われたか?」


 緊迫した表情を見せつけながら話しかけた。


「なんかって……ただ、兄貴のことをよろしく頼むって……って痛ぇな放せ!」

「悪い……」


 氷峰は掴んでいた八束の腕を離す。


 蔀は怪訝そうな顔をした。弟に向かって『自分のことをよろしく頼む』とは、陵が言いそうも無いことだと思っていた。彼は心を切り替え――


「ミネ……八束もだが、今日はもう亜結樹と海鳴のところへ帰った方がいい……」


 病院から真っ直ぐ家路に着くように促した。


「わかった……」

「言われなくてもそうするっての、馬鹿」

「…………」


 蔀は溜息をつき、八束の余計な一言にいちいち腹をたてる事に構わずにいた。

 三人は病院の門を出た。外は陽の光が差し込んで、木陰が風で揺らめいていた。

 氷峰は歩くのを止め、立ち止まる。そして――


「蔀、やっぱり俺……今から施設に向かうわ……」


 彼は蔀と八束を置いて、その場から走り去って行った。

 その様子を見た蔀は――


「……早まるな。おい――っ!」


 彼に声を掛けるも手遅れだった。


 八束は蔀と氷峰が司秋から何の話を聞いたのか知らない。知らないまま、その場に佇んでいた。氷峰が走り去っていく姿を傍観ぼうかんすることしかできなかった。


「俺は海鳴のところへ帰るからな……」


 彼は蔀にそう言うと自分のペースで歩き始め、足早に兄の側から離れて行った。


「……海鳴のそばを、離れるなよ……」


 蔀は八束本人に聞こえないようにぼそりと呟いた。

 氷峰が走り去って行き、八束の姿も自分の視界からは見えなくなった。

 蔀は病院の外観を見上げ、司秋がいるであろう窓辺を見つめ――


「あなたはなにをどこまで考えて、ここまで登り詰めて来たんですか……?」


 物悲しい表情を浮かべて呟いた。


 俺は亜結樹や允桧の産まれた施設まで全力疾走した。

 亜結樹と允桧の身体の本当の秘密を知り戦慄が走った。

 だが、事実だ。事実を俺はまだ信じられずにいる。

 もし司秋さんが言っていた陵莞爾のしたことが本当だとしたら、恐怖を受け入れる以前に哀しみで心は押し潰されているだろう。確かめなければならない……。

 彼の本性を知ったとき、俺は平常心でいられるだろうか……。



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