第25話 【確かめたい気持ち -2-】

―――翌日・都内某所。


「おーい、こっち、こっちだって!」

「わかってるって、ちょっとはペース合わせてくんない?」


 貴志の声が聞こえる方へ歩みを進めて雑踏を掻き分けて辿り着く。

 貴志の居た所は小規模のライブハウスだった。


「おー、ここか。海鳴場所わかるかなァ……」


 八束はチケットの裏面の簡易すぎるマップを眺めながら呟いた。


「じゃ、俺はスタンバイに入っから、時間になったらまたなー」


 貴志はそう言って地下への階段を駆け下りていった。


「おう……」


 スマートフォンに表示された時計を見ながら、少しの間その場に立ち止まる。

 開演までまだ時間はあると思い――


「駅まで迎えに行く約束すっかな……」


 待ち合わせの時間を設定し、時間になるまで近くのコンビニに待機する事にした。



 ***



「ただいまー……って暗っ。あれ? もう出て行ったの?」


 海鳴の独り言が淡々とこだまする。


「早くね? えーとチケットどこだっけな……。あ、私服に着替えなきゃ――――」


 独り言を言っていると、海鳴の携帯電話が突如鳴り響いた。


 メールだと知り開くと――


《会場わかりにくいと思うから駅まで迎えに行く。◯◯時◯◯口にいろよな》


「いろよな…って何で命令口調なんだよ。そんなに上下関係あったっけ、俺ら」

 海鳴はそう愚痴をこぼしながら、返信する。


《了解》


 ――いや、上下関係あったわ……。


 目を瞑りながら、静かに携帯電話を閉じた。すぐさま着替えを済ませ、白いVネックの長袖にカーキ色のナイロン製のスキニーパンツを穿いた。

 手荷物は、財布とチケットと鍵のみ。無論、戸締りをする。


「行ってきます」


 玄関のドアを閉め、鍵を掛けた。


 ――俺のせいで、貴志さん具合悪くならなきゃいいけど……。

 ――てか、ボーカル? ギター? ベース? 何にも聞いてねぇな……。

 ――あははッ……わからないってのも楽しみだな。


 海鳴は心の中で経験したことのない楽しみをまた一つ抱える。涼しい風を浴びながら、夜の街に溶け込んでいった。



 ***



 待ち合わせの時間になる。八束は約束した通り、駅のホームに来ていた。


「…………」


 ――そろそろ来んじゃねぇかな。


 辺りを見渡して改札口に目を向けるとふたたびスマートフォンの時間を暫し見つめる。

 スマートフォンから目を離し顔を上げると――


「わっ! ビックリしたァ」


 海鳴が八束の目と鼻の先に姿を現していた。八束は、彼が近づいてくる気配を全く感じなかったようだ。


「驚かせるつもりはなかったんだけど……。開演時間に間に合うよね」

「あぁ余裕っしょ」


 八束と海鳴は貴志の待つライブハウスへ向かった。

 対等な立場だと思いたいが故に、肩を並べて歩いて行った。



 ***


 会場には人集りが出来ていた。八束と海鳴は並んで、後部座席の方に立っていた。照明が暗くなる。と、同時にドラムが鳴り響いた。次にギターのソロが始まり、ベースが鳴り出すと、会場にいた観客の声援がヒートアップしていく。観客の声援と共に、ステージがライトアップし、ボーカルにスポットライトが当たる。例の彼が声を張り上げた。心臓がばくばくと蠢いている。

 海鳴は煌びやかな照明に当たっている貴志を眺めながら――


 ――あ……ボーカルだったんだ。すげぇなぁ。


 ドリンクを片手に持ちながら彼の演奏する音楽に陶酔していく。ふと、周囲に目を配る。さっきまで隣にいたはずの八束の姿が見当たらない。


 ――あれ……八束、どこ行ったんだ?


 ステージに目を向けると、前方に八束の姿が見えた。前のめりになって前の観客を押しのけて貴志に向かってなにか叫んでいた。轟音にかき消されて、海鳴の所からは何も聞き取れなかったが、彼の行動は過去の彼自身と対峙しているかのようにも見えた。海鳴は八束のその姿を見て――


 ――昔の知り合いだもんな……。

 ――縛られているものがあるんなら、振りほどいてやらなきゃいけねぇもんな。


 自分は彼の精神安定剤に成れているのか思い返して見た。


 演奏が終わって、貴志が息を上げながらアンプの上に置いてあったペットボトルを一口飲む。八束と一瞬目が合った。貴志は彼と目が合うなり一言告げる。


「今日は来てくれてありがとう。俺は今日、昔から好きだった奴をこのライブに誘いました」


 貴志の表情が歪む。視線を足元に寄せてから、また八束の顔をちらりと見る。

 八束は手のひらで目を擦り、貴志の言葉に耳を傾けていた。


「……」

「久しぶりに会ったら……そいつは今、もうすでにパートナーがいて……けど俺は、ずっと……」


 貴志の声は微かに吃り始め、裏返る。泣きそうなんだとすぐわかった。

 一部の観客から頑張れと声が上がっている最中――


「ありがとー!」


 一人大声を上げた。会場が響めいたが、すぐ貴志は八束の声だとわかり声を発した。


「俺はずっと好きで居続けたいと思ってる。たとえ、それが叶わぬ恋だとしても――」


 その言葉と同時に、最後の曲が流れ始める。

 照明の色が変わり貴志が歌い始める。

 貴志は歌いながら、八束の表情を窺った。


 ――彼奴晄さんが何もかも……終わらせたって……訴えてるんだろ? 俺は知ってるっすよ……八束さん。


 間奏中に目を閉じなにかを考え始めた。


 ――もう会わないならそれで終わりにしとけば良かったんすよ……なのに。


 頭の中で脳裏に浮かんだ男は、八束と一緒にいて――八束を利用し、彼を野良猫の様に捨てた。

 貴志は彼の冷たさに引いた。引いたが、信頼した付き合いの上で、彼の重大な秘密を聞かされた後、一生会わないと彼と約束し別れた。


 ――八束さんは傷つくことに慣れてしまったんすよ……わかってるんすか?


 ライブが終了し、人々が会場を出て行く。

 そんな中、八束は後ろに振り返り、海鳴の顔をぼんやりと見つめてぎこちない笑みを浮かべた。


「なに? その顔」

「ちょっと貴志のいる所に行ってくる」

「あぁ、うん。外で待ってるから」


 海鳴はそう言うと、人混みに紛れて会場を後にした。閑散とした会場で、貴志は八束が待っていることに気づき、他のメンバーに別れを告げる。

 八束は貴志に何か申し訳なさそうな顔をして、何から話していいのかわからないといった風に口をつぐんでいた。


「…………」

「八束さん、来てくれてありがとうっす! 海鳴君も一緒だったっすよね?」

「あぁ……。お前さ……」

「いいんすよー。あの『ありがとう』の一言で吹っ切れたっすよ」

「……それならいいんだけどよ……。あのさ――」


 思わず苦笑いした。八束は海で華木を知る連中と会った時のことを話した。


「何を悲しんでんだって思ってさ……俺何か関係あんの?」

「そりゃ……こうさんと付き合ってたからっすよ」

「そっか……。華木、今どうしてっかな……」


 八束の淡々とした軽い返事に、貴志は表情を曇らせ、目を伏せながら静かに口を開いた。


「晄さんとはもう会わないって決めてるんすけど……。最後にアイツに会った時……アイツ……何かに怯えてたんすよ」

「怯えてた?」

「アイツも見えない傷抱えてるみたいっす。何とは言わないっすけど」

「知ってんの?」

「知りたいっすか?」


 貴志は八束が聞き返すと即座に鋭い返事をした。目を潤めながら八束を数秒見つめる。八束は貴志の目が辛そうに今は話せないという様な目をしていたので――


「いや……気になるけど聞かないでおくわ……」


 ――見えねぇ傷抱えてるって? そりゃお互い様だろ……。


「海鳴君待ってるんじゃないすか?」


 貴志が空気を切り替え、そろそろ帰る素振りを見せた。


「そうだな」

「じゃあ、またライブがあれば誘いますね。それじゃ」


 そう言って貴志は八束に手を振るなり、会場から姿を消した。

 最後の一人になったところでスタッフに声をかけられた八束も、海鳴の待つ外へと出向いた。


 ――ミネは華木が怯えてる中身……知ってんのかな。聞かねぇけど。


 海鳴と合流する。八束は終始無言で、歩き続けた。海鳴が顔を上げて――


「貴志さんと何かあった?」


 と聞いてきたので、


「……いや……おめぇには関係ねェよ……」


 彼は面倒くさそうに返事をした。


「あっそ……」


 自宅に着くと、もう時刻は日付が変わる頃だった。


「やっぱり直接会って話さなきゃ気が済まねぇな……」


 八束はそう言って、スマートフォンを手に取り電話を掛けようとした。


「蔀さんに? ……もう遅いからもう出ないんじゃないの?」

「無理やり出させる」


 握りしめたスマートフォンの通知音が数秒間鳴り止まない。


「俺、風呂入ってこよ……」


 海鳴がリビングを去ると、通知音の途切れる音がした。


 ――『…………こんな遅くに何だ』


「ちょっと聞きてェことがあんだよ。会ってくんねぇかな、俺と」


 ――『何時ならいい? 俺がお前の家に向かえばいいか? 施設に来られても困るしな……」


 蔀は八束の少々興奮気味だった声を沈めるようにして言葉を返す。


「明日でも明後日でもいい。すぐに会いに来いよ」


 ――『いつでも会えるということだな。わかった』


 蔀はそう言って、八束との電話を切った。八束は、切られた電話の通知音を聞いた後、ゆっくりスマートフォンを耳から離して下ろす。彼にとって蔀の言葉はとてつもなく鋭利な刃物であった。


「いつでも会えるって言っておきながら今まで会わないようにしてたのは、てめぇの方だろが……」


 八束は落胆した声でそう言いながら、軽いショックを受けつつソファに深く座り込んだ。身体を丸めていた八束の後ろ姿を見た海鳴が一言呟いた。


「何年ぶりの再会?」


 海鳴の言葉に八束は振り向きもせずに、気の抜けた声で――


「三年」


 と呟いた。海鳴は彼のその一言にはっとなる。


「もしかして俺と初めて会ったとき以来……ってこと?」


「……だな。長ぇようで、短ぇな……」


 八束はソファから立ち上がり、海鳴の方を見る。そのまま彼に近づいて頭を撫でた。


「わっ……な、なんだよ急に……」

「お前との付き合いももう三年経つんだな。もう先に寝てろよ」


 そう言うと八束は洗面所へ向かった。

 海鳴はあくびが不意に出てしまったので、八束に言われた通りに素直にベットへ向かった。


「貴志さんのライブすごかったなぁ……。おやすみ……」



 ―――翌朝。


「おはよう、海鳴。何だか眠そうだね」

「……はよ……。昨日、八束の昔の知り合いのライブで――……」


 そう言いかけてまた眠気に襲われる。


「あ……また寝た。おーい……起きてー……」


 亜結樹は机に伏せている海鳴の耳元で小さい声で囁いた。

 海鳴は1限も2限も微動だにせず、いびきもかかずに静かに居眠りを続けてしまった。

 お昼休みになり、二人は屋上で昼食を摂っていた。前日に同じ様な状況になり二人で会話した時に、亜結樹は海鳴に自分の体の事を八束に伝えても良いと話していた。話していたばかりにずっと気になっていたので、その話題を振った。


「それで……八束さんに話したの? あたしのこと……」

「あぁ……伝えた。けど、俺まだお前のこと……そんな風には思ってねぇから」

「そんな風に? ……あ……」


 亜結樹は海鳴の飛躍した返答に、一瞬ついていけなくなりそうになる。暫く経ってから、頭の中で整理がつき、思わず声を漏らした。


「気づいたって、何も……言わなくて……いいんだし」


 どういうわけだが海鳴は亜結樹を女として見ていたため、男だと気付いた途端に好きになったきっかけの感情が、己の中で錯乱していた。

 亜結樹は彼の口籠もった態度にどうしようと不安になりつつ、言葉を探り出した。


「海鳴が最初に言ったんだからね。『恋人同士にはなれないって』」

「その言葉、やっぱり信じてんのか……」

「疑わない方がおかしいかな。ミネも八束さんも、あたしと海鳴が一緒にいることを否定してはいないけど……受け入れてもいないと思う……」

「そう思うなら…俺、もうちょっとお前のパートナーのこと詳しく知りたいかも」

「ミネのことを?」


 亜結樹の澄んだ瞳に吸い込まれそうになった海鳴は、目を逸らし――


「だから悪かったって。ミネさんのことを知った上で、付き合い方……決めるし」


 俯いて自分の足元を見ながら返事をした。


「…………」


 ――付き合い方……か。


 亜結樹は海鳴の横顔を見ながら、彼が何について謝ったのか直ぐに理解した。彼は允桧の墓前で亜結樹の生き辛さを身体でもって示そうとしたことを改まって謝っていた。

 時折、彼の言葉には毒を持っていることを亜結樹は知っている。亜結樹は海鳴の上から物を見下ろす様な物言いを、拒まずに受け入れている。その態度が海鳴の燻る感情を抑え込んでいた。彼にとって、氷峰が亜結樹とどう向き合っているのかを知ることは、彼が亜結樹を好きでいる感情を深める為であった。



 ―――同時刻・八束宅。


 アパートの階段を上がる足音が聞こえた。八束は足音で蔀が来たのだとわかった。蔀は彼の家の鍵を持っていた。インターホンを押す様な仕草は見せず、鍵を開けようとしたその時――


「開いてんだよ、バカ」

「バカは余計だ」


 部屋に入る。手を洗おうと思い、洗面所に向かう。廊下には、おそらく昨日着たであろうTシャツが脱ぎ捨てられていた。その光景に溜め息をついた。


「……」


 何も言わずに黙ってリビングへ戻ると、八束が睨みながら話し掛けてきた。


「お前またミネとイフを一緒にいさせてたんだな」

「いきなり何だ……? 何でお前が亜結樹のことをイフだと知ってる」

「あいつから聞いた。あいつ気づいちまったんだってなァ……」

「……お前には関係ない」


 ――海鳴から聞いたのか。


「おおありだね。亜結樹の傍にはミネがいるからな」


 声を徐々に張り上げ、威嚇してくるように喋り出す。


「俺あの子の事全然知らねぇんだよねー……それに――」


 続けて、片手を首に宛てがいながら――


「何で今まで畏怖クローンだって気がつかなかったんかなぁ……」


 ――海行った時水着にならなかった理由がやっとわかったぜ……。


「何考えてんだ……どうせろくなこと考えてないだろ」


 嫌な予感がした。弟が昔の頃に戻ってしまう様な気がして。


「俺があの子を、允桧と同じ様に陥れるわけねェだろ? 今の俺は昔の俺じゃないしィ」


 ふざけた言い回しをするのは昔と然程、変わらない。だが――


「そうか…………」


 ――そういえば同じ台詞をミネからも聞いたことがある。

 ――愛を知らない似た者同士か…。


「海鳴と一緒にいっから、俺も亜結樹に会う機会がまだあるって事だし」

「お前が亜結樹と二人きりになるのは俺が許さない。多分ミネも許さないと思うな」


 蔀は八束を睨み返しながら警告する。


「はいはい、わかったって。亜結樹には手出さねぇって。あとさァ……亜結樹のこと允桧と同じ畏怖クローンだから二人きりにさせねぇってんなら、その考えは間違ってるぜ?」


「……何が言いたい」

「俺だって真面目に人を好きになったっていいじゃねぇかよ。今、俺は海鳴と愛し合ってるしさ」


 八束の言い方に、だんだん呆れてくる。


「はぁ……お前の頭は腐ってるな。本気で人を好きになるなら、そんな軽い気持ちで性行為なんてしない」

「ッ! 何で知ってんだよ!」

「この前、海鳴が施設で嘆いてた」

「あ、愛情表現だろが! 人に愛されたことねぇ奴が何偉そうに言ってんだよ!」

「何だと?」


 煽ったのは自分の方かもしれないが、八束の本音が響いて頭に血が上る。


「お前が中学生ん時、俺が親父に殴られてんの見て、愛されてるとかほざいてたよな? だったら親父に“しかと”されてたてめぇは俺よか不幸な人間だな!」


 八束は腕を振り払って、蔀に向かって怒鳴った。蔀は彼の叫び声に覆いかぶさるように――


「勝手に言ってろ! 自分が不幸かどうかは自分で判断する!」


 重なるように、彼に負けないほどの声量で言い返した。八束は兄の冷酷な眼差しに、若干怯む。


「ああもういいや……亜結樹のこと兄貴に聞いた俺が馬鹿だった。もう帰れよ」


 そう言って八束はリビングを後にする。部屋に取り残された蔀は、息を少し上げながら彼の後ろ姿を睨んでいた。


「言われなくても、そうするさ……」


 玄関のドアがバタンと閉まる音がした。蔀はさよならの一言もなく出て行った。

 八束は自分の部屋の中で、昔の自分が氷峰に吐いた言葉を思い出していた。 


 ――『ミネ……インターセックスの奴は付き合うと色々面倒だと俺は思うぜ?』


 昔はそんなことを言い放った自分が、いざまた当事者を目の当たりにする事になるとは。どうしてミネは――アイツはそういう人と付き合わされなきゃなんねぇんだ。アイツだってクローンと一緒なのは絶対に兄貴に言われてだ。勘が働く。それは俺があの醜い兄貴の弟だからだ。


 ――今は昔のことは思い出したくねぇ……。それなのに――。


「――ああ!! ……んのバカ野郎!」


 部屋の壁を叩く音が響いた。壁を叩いた片腕にもたれる様に顔をうずめる。


 ――恥ずかしいとか人前では言っておきながら、アイツはそういう奴なんだ。

 ――ミネは偏見を持たない代わりに知らねぇうちに傷口を広げていく奴なんだって……。


 八束は蔀のせいで「氷峰の性的な感情を蜂起させている」と、今になってやっと気づいた。



 ―――夜・氷峰宅。


 二人は静かに食事を済ませた。今日も何事もなかったかのようにお互い平穏に過ごせているのだと思いながら――。


「ごちそうさま」

「ごちそうさまでした……」


 氷峰は亜結樹の表情を窺った。

 学校で海鳴と一緒に過ごしているのだろうと考え――自分は亜結樹の期待に応えてあげているのだろうか――もしくは支えられているのかもしれないと思いつつ。


「ちょっと、電話するから席外してくれないか?」

「うん……」


 それならと、亜結樹は明日も学校が早いからと言って寝床に着いた。

 氷峰は、亜結樹の身体の事で、どうしても頭に引っかかることがあった。

 夏に蔀から聞かされた事実に付け加えて、疑問に感じていたこと――それは――。



 ***



 施設の一部が消灯時間に追われ、辺りが徐々に暗くなる。

 月明かりに照らされながら渡り廊下を歩いていると、胸ポケットに入っていた携帯電話が鳴った。


「どうした。こんな時間に……」


 電話の相手は柊司秋だった。


 ――『あのさ……夏に蔀からある事を聞いたんだ。それで一つ聞きたいことがあってさ……』

「あることというのは?」


 司秋の中では大体予想がついていた。だが彼はわからないふりをして返事をした。


 ――『亜結樹の半身が……允桧だったっていう事を聞いたんだ。でも一つ気になる事があんだ』

「…………」


 電話越しに聞こえる氷峰の声は深刻そうだった。彼は静かに、口を開く。


 ――『どうして允桧が、俺と亜結樹が出会う前よりも早く生きてたんだ? 入れ替わっているだけの話なのか?』

「……弓弦……それは蔀も知らない事実だ……」

 ――『どういう事なんだよ。本当の事、教えてくれよ……』

「……いずれわかる時が来る。亜結樹と允桧の肉体の秘密は――――ッ!」

 ――『秘密は? ――!?』


 カタンと携帯の落ちる音と共に、司秋は胸を押さえながら倒れ込んだ。

 意識が徐々に遠のいていくところを、偶然通りすがりの施設の職員が見つけた。

 携帯電話は話し中の状態で、異変に気づいた氷峰の声が漏れていた。

 もう一人の職員が司秋の携帯電話を拾った。彼は氷峰に司秋が向かう病院の場所を教えてくれた。


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