第2話【広げた風呂敷はシワを伸ばして使う【剣と盾】】


 緩慢な動作で光が目の前を横切る。


 それは閉じられた空間を両断する青白いレーザー光線のような平たくどこまでも切れ目のない形状で、通り過ぎる刹那に波形になったり筒状になったりと変化する。


 暫くそれを眺めていて、わたし自身も光に合わせて変化していると気付いた。


 透き通る。無色無形の指先を見詰めて実感する。


 変化と言うより消滅。消滅というより融合。


 とにかく、わたしは光に並んで移動していて、それが前なのか後ろなのか上なのか下なのか全く判断出来ないけれど間違いなくどこかに進みながら完全な光の一部になっていた。


 青白く淡い光。


 全くの無形無音の世界を光が重なり合いながら進む。それは手鏡に写した太陽のように眩しくて、実体のない永遠とさえ思える感覚。


 どのくらいの間、それを感じていたのかはハッキリしない。けれど、これは光ではなくて時間だと唐突に気付いた。


 そして、その瞬間。


「バカヤロー!!」


 奥永の怒鳴り声が少しだけ後側から聞こえたような気がして、全てがいきなり現実に動き出した。


 強い重力。


 装置のシートに強烈に押し付けられる身体。骨が軋むような痛みと空気に押し潰されそうな圧迫感。わたしは呼吸さえ出来ずに目を閉じて喘ぐように二人の手を握り締めていた。


「止めろーー!」


 依田くんが叫ぶ。装置がそれに応えるかのように低く唸って、全身に掛かっていた強い圧迫感が突然消滅した。


「止まっ……た?」


 わたしが呟くのと同時に、依田くんが装置の中から外へ飛び出す。


「依田! 危ないぞ!」


 奥永も依田くんを追って外に。


 わたしは、何が起こったのか考えたくなくてシートに踞ったまま頭を抱え込んだ。


「桐原……出て来いよ……」


 暫くして奥永が装置の外から声を掛けるのが聞こえる。


 でも、わたしは今、正に、現実逃避の真っ最中で視界に入れているのは黒い座席シートの上に置いた自分の指先だけ。


 オシャレなどしない自分に、せめてもの慰めにと薄く塗った透明なマニキュアの光沢だけ。可愛いネイルの話なんて奥永がする筈もないし現実に確かめたくない事が多過ぎて、とりあえずは聞こえないフリをした。


「出て来ないと置いてくぞ」


 依田くんの声が続く。


 依田くんだから答える訳ではないけれど、置いていかれるのはイヤだ。わたしは声を張り上げた。


「無理!」

  



 乾いた茶色い大地がどこまでも続いている。


 装置から飛び出したわたしの視界に広がる生命感のない世界。ここが現実の世界なのか、わたしの妄想なのか分からない。


 いや、どちらかと言えば妄想の方が良い。


 妄想ならいつか必ず現実世界に引き戻される。正しいとまでは言えないが、過ごしなれた日常に戻ることが出来る。


「漫画の世界みたいだな……」


 隣で奥永が呟いたので、わたしは思い切り奥永の肩口を拳で殴ってやった。


 妄想の世界を「妄想みたい」と言ってしまえば急激に現実が近付いて来てしまう。それは、つまり魔法の基本原理で現実世界をマジックに変える種だ。


 わたしは自分の家を出てからの事を全て妄想にしたいのに。


「痛ってーな」


 奥永が殴られた肩に手を当てて、こちらを見ている気配がしたが、わたしはどこまでも続いている枯れた大地から視線を逸らせなかった。


「ここって、過去の世界……?」 


 自然に声が溢れていた。


「いや、違うな……」


 依田くんが遠くを見詰めて答える。


「じゃぁ……どこよ……」


 私は無意識に近い感覚で聞き返した。


「俺は神様じゃない……分からないよ……ただ、過去ではないのは確かだな」


 そう答えた依田くんの指差す方向を見詰める。果てしなく続くと感じていた平野の先に見える僅かな突起物。


 砂漠のド真ん中に突如飛び出したそれは、良く見ると高校の正門横に聳えていたモニュメント。


「アレって……」


「「あぁ、アレだよな……」」


 わたしの呟きに奥永と依田くんが同時に答える。その視線の先には球体と立方体が奇妙に連なるモニュメント。


 酷く抽象的でそれでいて人肌に触れるようなリアリティがあのモニュメントには存在していて、見ているだけで気分が悪くなる。


 それなのに、そこから視線を逸らすことが出来ない。一体どんな魔法が掛けられているのか? 入学してから数ヵ月は新入生の間で必ず持ち上がるモニュメントが表現する真意の論争。


「アレを見間違える筈がないよ」


 言ってその方角に足を向ける。


 人は理解不可能な場所よりも少しでも認識出来る場所を目指すのかも知れない。


 それから、三人ともモニュメントに着くまで一言も交わさずに乾いた大地の上を歩いた。目の前で起きた殺人や時間遊泳(タイムパス)。現実にしか思えないそれらを現実だとは認識したくない。


 多分、誰もが同じように感じているのかも知れない。だからこそ無言で歩いて、だからこその自分達が認識出来るものへの執着なのかも知れない。わたしだって、今なら母親の小言が懐かしく思える。


 モニュメントに着いてからも暫くの間。皆、声も出さずに懐かしく奇妙な球体と立方体の連なりを呆然と眺めていた。


「ここは、どこなんだよ……」


 奥永が喉の奥で響くような声で訊いた。


「現実なら、俺達がいた現在から随分時間が過ぎた世界だ」


 依田くんが、それに答えながらペタペタとモニュメントに触れている。わたしは何故そんなことが分かるのか不思議で依田くんの横顔を食い入るように見詰めた。


「どうしてだよ」


 奥永も同じことを考えてたようで、わたしの疑問そのままを依田くんに向けた。


「このモニュメントは間違いなく学校にあったものだ。触れるのも魔法を掛けるのも不快な代物だ。だからコレだけは無傷で放置された」


「ますます意味がわかんねーよ。分かるように説明しろよ」


 奥永がモニュメントに触れている依田くんの肩を掴んで自分の方に向ける。わたしから見ていても強引とは言えないくらいの優しい動作だったにも関わらず、依田くんは崩れるように地面に膝を着いた。


「なんで?」


 奥永が咄嗟に依田くんの身体を引き上げる。


「分かったよ……」


「何が分かったの?」


 奥永の腕の中で力なく言った依田くんにわたしは駆け寄った。


「あのモニュメントの意味だよ。アレが伝えたかったのは記憶だ。いやモニュメント自体が記憶なんだ」


「依田! なに言ってんだ?」


 奥永が依田くんを支えながら聞き返す。意味が分からないのは私も同じでモニュメントが記憶だと言い切った依田くんの真意が分からなかった。


「触れれば分かる」


 依田くんが言って、私と奥永は導かれるようにそれに触れた。


 瞬間。


 時間と空間がネジ曲がる。


 時空が共に歪んで伸びて……



 

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