風呂敷は広げる為にある

@carifa

第1話【 風呂敷は広げる為にある【ロボと魔法】】

 奥永が二丁目に新しく出来たパーツ屋に、どうしても行きたいと駄々をこねるので、私は書き掛けの魔法陣に最近流行りのマーフ(停止切手)を舐めて貼っておいた。基本的には私の家系はマーフを使わないのだが、最近はコンビニでも安価な物が手に入るようになってツイツイ楽をしてしまう。


 母から言われるように魔法消化の魔法を掛けると、復元する際に魔法消化の魔法を消化する魔法を掛けなければならないので、なんだかワケわからない事になるのだ。 


 魔術Dクラスの女子高生に複雑な事は分からないし、そんな時間はない。県立藤中中央高等学校ロボノ部が浪費出来るのは、Hardware Abstraction Layer選抜高校ロボット格闘技総合全国大会(通称H∧L選)に向けて費やされる時間だけと私の中では決まっている。


 H∧L選の発祥は定かではないが新中世の時代からある由緒正しき大会で、テクノロジーが魔法に偏って以降も決して廃れることなく現代に受け継がれている。


 そして、私たちがその大会に全力を傾けている最大の理由は言うまでもないが、お金。優勝チームには、なんと5万ドルル(米)が賞金として授与される。大日本円満円の今この瞬間のレートで換算すれば2兆円満円にもなる。それを三等分したとしても恐ろしい金額だ。そのお金で私たちは自分の会社を設立して世の中に貢献する。


 そう、明確なビジョンが私たちの中には既にあるのだ。



「美憂。玄関前の魔法陣にマーフを貼ったのはアナタ?」


 パートを終えて帰宅した母が、玄関で靴を脱ぎながら呼ぶ声が聞こえて、私は慌てて服を着替えた。いくら急いでいたからと言って女子高生が黒地に白抜きで『ロボ!』と書かれた部Tとジャージで外は歩けない。


「なにー? 知らないよー」


 とりあえずの言葉を返して私は机と椅子に呪文を唱える。能天気な母は暫くの間、私が掛けた擬態転移の魔法で机と椅子にありがたい説教をすることになる。知らないとは幸せな事なのだ。


 私は、そのまま二階の窓を開けると外に飛び降りた。


 ガクンッと一瞬、身体が地面に吸い寄せられて、その後フワリと宙に浮く。そのまま空気を蹴るようにして脚を動かすと私の身体は抵抗のない世界をスルスルと進んだ。


 魔術Dクラスでも空遊泳くらいは出来るのだ。


 スマホを取り出し、奥永を呼び出す。二度目のベルが鳴り終わる直前に電話に奥永が出る。


「遅いよ! 魔法陣に、どんだけ時間掛けてんだよ?」


「なによ? 奥永が無理矢理呼んだんでしょ? 私は魔法の単位が足りないの! 復習しないとイケないの!」


 いきなりの売り言葉に、買い言葉。どんなに志が同じでも、先ずは敬意というか女の子には優しく接するべき。私はムカムカとする気持ちを宙に蹴り出す脚に乗せた。


 加速する身体がトン、トン、トーンと、登李我商店街上空を滑るように飛んでいく。自宅の青い屋根が周辺の色と混ざり合い曖昧な色に変わっていく。


「それで? 依田くんは? もう、着いてるの?」


 私は、怒りに委せてスピードが増していく身体を前屈みに倒しながら訊いた。


「あいつも……まだ、だよ」


「ほらね。大体ね、奥永が強引過ぎるんだよ。いくらなんでも突然思い付いて行動したことに、私達を巻き込んだら。そりゃ、遅くなって当然なのよ。それに、一人者の奥永と違って依田くんは彼女持ちなのよ? 彼女と一緒に居るときに連絡が来て直ぐには来れないんだよ? 分かる?」


 一気に捲し立ててからスマホをしまうと、見えてきた濱田松月堂の特徴的な白地に小豆色のうずまき模様の屋根を目指して下降した。


 商店街唯一の和菓子屋の前に降りて、その路地向かいに立つ奥永に手を振る。


「おくながーー」


 奥永は私の声に反応して右手を上げたが、その身体はショーウインドを向いたまま振り返りもしない。


 奥永翔太は、学年でも飛び抜けてロボ学に精通した男子で、その学力は先日行われた中央区模試で断トツの成績をおさめる程だ。


 ルックスも女子の間では決して低い評価ではないのだけれど、奥永の性格の悪さは手当たり次第に将来有望な男子生徒を食い漁る女子でさえ躊躇う最悪のものだ。


 そんな奥永を部に引き入れたのは、私こと桐原美憂で、私には特別な才能? みたいなものはないけれど、プロのマサーグリーグ(魔術外拳闘競技団体)で活躍する父親譲りのド根性だけは誰にも負けない。そう、ど突き合いなら男子にも負けないのだ。だから、奥永も私の誘いを断り切れずにメカニックとして部に貢献している。


「部品を観てるアイツに声を掛けてもな……」


「わっ!」


 静かに呟く声に大袈裟に驚いて、いつの間にか隣に立っていた依田くんに私は握り拳を作ってみせた。


「黙って近付かないでよ。ビックリ死にしたらどうすんのよ!」


「お前は、そんな簡単には死なないよ」


 言って、依田くんは私の握り拳を大きな掌で包み込んだ。この依田文弥と言う男は、意識的にか無意識的にか女の子がドキリとする行動を軽々しくやってしまう。それがまた、魔術学と戦術古文が得意な、美形を更に磨きあげた甘いマスクにスタイル抜群の男子がやると嫌みなく……


 いや、嫌みはある。でも、それを一回りして普通の女の子なら簡単に「参った!」と言ってしまう程に魅力的なのも事実。


 だけど、私はマサーグリーグ優勝候補と毎年騒がれる桐原剛瑛の一人娘だ。ド根性で出来た女の子なのだ。彼女持ちの羽毛のような軽さの男に、なにかしらの感情なんて持たない。


持つ筈もない。


絶対に持たない。


持ってはイケない。


「それに、お前が死んだら賞金がもらえない」


「そっち?」


 私は握り拳を依田くんの肩に叩き付けて、微動だにせずにショーウインドに貼り付いている奥永の方へ走り出した。


 濱田松月堂の甘くて優しいバターを混ぜた和菓子の薫りが漂っていて、私は無性にそれが食べたくなった。




* ** ** *


「依田と桐原は、どう思うよ?」


 部品を買い漁った私たちは、依田くんの義父さんが所有している倉庫の中で買ってきたばかりのそれらを作業台の上に広げて腕組をしていた。


 私たちの活動の拠点。いや、部室は怪しい魔法薬の問屋『五嶌興業』の第四倉庫の片隅にある。単に、部屋を借りるお金が部費として認められないってこともあるが、怪しげな人間が出入りする五嶌興業の倉庫なら一々漏洩防止の魔法陣を書かなくても他校の偵察も交わしやすい。


「メカニックは奥永なんだから、アンタが自分で考えなよ」


「バカか? お前が、いつも何も考えずにロボノイドをブッ壊すから訊いてるの。単純に」


 私の言葉に唾を飛ばして喰ってかかる奥永に同調して依田くんも静かに呟く。


「バカは死ななきゃ治らない。でも、桐原が死んだら優勝出来ない」


「あんたら……」


 私は真顔で悩む二人に右手の中指を立てた。それに二人が両手を広げて呆れたとジェスチャーで返す。


「問題は右手のエモーションをどこまで自由にしてやるか? ってことだろ。美憂ちゃんの個性は父親譲りの『ド根性』なんだろ? 精神論でロボノイドを語るのは難しいが、お前たちが美憂ちゃんのセンスを信じているなら。バランスよりもワンチャンスに敵のロボノイドを一撃で倒す。スピードとパワーに集中するべきだろ?」


 低くひび割れた声がして、私たちは倉庫入口を振り返った。高級スーツに長髪が奇妙に紳士然とした見るからに出来るオジサマ。やっぱり、血は繋がっていなくても美形の家族。この父親にして、あの息子と呟きたくなる。


「おじさん。いつも倉庫を貸して下さって、ありがとうございます」


 私は依田くんの義父に頭を下げた。


「良いんだよ。文弥が真面目に何かに取り組んでるのを見れるのは、なかなか無いしね。それにほら、学生が使ってるとなると保警安からの目を誤魔化せるしな」


 サラリと言って、豪快に笑う依田くんの義父に悪意なんて微塵も感じられないが、五嶌興業と言えば登李我商店街を含めたこの辺りの顔。


 つまり、ヤクザだ。『ヤクザはいつの時代もヤクザだ』父のいつもの台詞だが、この美形のヤクザになら理不尽なことを求められても従うかも知れない。


「あのさ、五嶌さんは首を突っ込まないでよ。これは俺たちの問題だし、高校生の俺たち自身で考えることがH∧L選のルールなの」


 義父に背を向けたまま言う依田くんは、いつも義父のことを五嶌さんと呼ぶ。確かに母親の姓を名乗っている依田くんには、「五嶌さん」でも間違いないないとは思うのだが一文字違うだけなら「おとうさん」でも良い気もするが、そこはなんだろ……多分、難しいのかも知れない。


「いや、確かに依田の義父さんの言う通りかもな。桐原のバカが、いや、俺たちがH∧L選の最終大会まで残れたのも桐原の一つ抜き出た格闘センスがあるからだ。それを活かし切れないチューンアップでは勝てない気がする」


 奥永が円柱状の部品を見詰めて言った。


「それでも。都合よく美憂ちゃんの個性に合わせて動けるように出来る部品は無い。かといって魔法でそれを補うことも出来ない。違うか?」


 依田くんの義父さんがニヤリと笑った。紳士然としていた整った顔が、ベッタリとまとわり着く脂のように歪む。


 確かに前回の大会も危ないところで勝っていた。頭脳戦に拘る対戦相手は殴っては離れるアウトボクサースタイルだった。完全インファイタースタイルの私は焦って体力だけ消耗して、最後のカウンターが入らなければ判定で負けていたかも知れない。だが、私たちも自分の感覚を細かく拾うプログラムやセンサーを試行錯誤繰り返して造ってみたりしたがなかなか私の感性にピッタリとハマるものがない。


 それにしても、こっそり義理の息子の試合を観に来ているとしか思えない発言。依田くんは表情には出さないだろうけど嬉しいに違いない。


「どうしたら良いんですか?」


 私と奥永が身を乗り出して依田くんの義父さんに訊ねる。依田くんは作業台の上の部品を眺めている。それを見ながら依田くんの義父さんはニヤニヤしている。


「五嶌さんは、俺たちを過去に飛ばしたいんだよ」


「過去? 未来じゃなくて?」


 部品を見詰めたまま呟く依田くんに私は訊ねた。そう、未来にならあるかも知れない。完璧なパーツがあるかも知れない。それに、数日程度の未来遊泳(タイムパス)は、ある程度の術者なら出来ると訊いたことがある。それでも過去に戻れるってのは初めてだ。時空パトロールも厳しいだろうし、何より難しい本や、難しい番組、偉い人達が口を揃えて言うのは過去には行けない。ってことばかりで、これだけ魔術が発展してきたにも関わらず時間を遡れるのは映画の中の世界だけと決まっている。


「過去は無理だろ?」


 奥永も私に同調したのか依田くんを見詰めて腕組みしている。


「確かにね。それでも魔術古文に出てくるアインシュタインの特殊及び一般相対性理論では時空の歪みは全方向に及ぶことを否定しない。それはつまり、光速以上の速さを使えば未来にも過去にも行けるってことだ」


「アインシュタインって、あのアインシュタイン?」


 私は淡々と語る依田くんに一歩詰め寄るような格好で訊いた。アインシュタインは偉大な人物だ。現存していた時代から、進化したもの退化したもの。無くなったもの。全く変わらないもの。色々あるがその全てに置いて、あの人の功績は大きい。例えば携帯やテレビ。魔法があれば必要ないとさえ思えるものもアインシュタインが残した言葉によって現在も当たり前に使用されていて、とにかく凄い人。

 

 あの、世界一有名な活動写真の舌を出したり泣いたりを繰り返す様子でさえ、私からみれば神掛かったものに感じられる。そんな凄い人が出来ると言っていたなら絶対に出来るに違いない。


「でも、本当に過去に戻れるにしても。そこに何があるのさ」


 奥永が真剣な表情を依田くんと義父さんに向ける。依田くんは、睨み付けた部品から目を離さない。依田くんのそんな反応を見てから、依田くんの義父さんは満足そうに奥永と私の視線を受け止めて質問に答える。


「過去には戻れる。でも、魔法じゃ駄目だ。どんなに強力な魔法でも過去には戻れない。そもそも、時間て概念は人間が勝手に作り出した基準に過ぎない。そんな、存在しないものを魔法ではどうにも出来ない。未来遊泳(タイムパス)を考えれば分かるが、アレは術者本人が光速で動くことで周りとの誤差を造っているに過ぎない。本人には未来へ辿り着いた感覚があるが、実は当人の時間感覚が早送りされているに過ぎない。茶番だよ」


「じゃあ……本当の未来や過去へはどうやって……」


「時間歪伸縮装置、所謂タイムマシンさ」


 私の問いに依田くんの義父さんが当然のように答える。


「タイムマシン……」


 私と奥永の声が綺麗にシンクロする。


「基本的にはタイムパスと同じ考え方だが、時間を歪め続けるには人間にはない持続力が必要だ。進むにしても戻るにしても、その時間分の光速移動(エネルギー)が必要になる。エネルギーの目安として、光速での1秒間に100億分の2.55秒だけ通常の時間が歪む。その歪みを利用するならパスするのに必要な時間を100億分の2.55秒のズレで求めれば良い」


「1時間当り1秒にも充たないってことか……歪みを使って大きく移動するなら、その為に何十年も光速で移動し続ける必要があるってことか……」


 指折りしながら問う奥永の肩を依田くんの義父さんがポンッと叩く。


「だからだ、光速で動く装置ごと。光速で動かしてやれば歪みの規模は飛躍的に大きくなる。そして、それを更に歪める装置があるなら時間は思いのままに操れる」


「そんなの……理屈ではどうこう言えても、現実には無理だよ。五嶌さんは俺を都合良く消したいだけだろ? 母さんにも理由が説明できるしな。それに、奥永も言ったけどそこに何があるって訳じゃないでしょ?」


 二時間ドラマのような依田くんの尋常ではない言葉に私の心臓は驚いてドクリッと一瞬大量の血液を送り出したが依田くんの義父さんには全く響いていないのか平然と答える。


「あるさ……現在の全てを作るサイエンスとマジックが初めて分離したしたのは、2020年の第一回H∧L選の決勝戦だ。その闘いで、何かしらの力が働いて魔力(思念)が初めて具現化された。共存していたサイエンスとマジックが互いに反発し、そこに生まれた反物質こそマジックの基礎となるものだ。文弥には以前話したが、ロボノイドとライダー(乗り手)の同化を飛躍的に伸ばす秘密が、そこにはある。だが、それが何かまでは俺は知らん」


「それなら、行ってみる価値があるかも知れない」


 奥永が鼻息を荒げて身を乗り出す。


「簡単に言うなよ。そんな事が実際にあるかも分からないし、あったとしても過去には戻れない。戻れる装置なんて無い。国でさえ持っていないものを五嶌さんが持っている筈がない」


「文弥……オトウサンを甘くみるなよ」


 依田くんの義父さんは倉庫の目立たない場所にシートで被われていた軽自動車くらいの箱形の機械を手で叩いた。


「去年、国が秘かに製造してたのを譲り受けた。そうさ、こいつがあればなんでも出来る。だが、俺はこいつを良いことに使いたいのさ。オトウサンは悪さばかりしてきたから一つくらい良いこともしてみたいのさ。慈善事業さ」


 装置は普段誰も寄り付かない倉庫の静けさの中に取り残されている自動車のように、何事もない雰囲気で当たり前に置かれている。だけど、良くみると国の紋章が車で言えばフロントガラスのような場所にデカデカと刻印されていて、造り的にも三流の造型技師なんかじゃ絶対に出来ない細やかな曲線とか細工も至るところに見えたりして、とにかく凄い値段がするに違いないと一見して確信出来る。そんな高価なものを一体何故に国が一般人に譲るのか酷く疑問にも思うが……


「でも、五嶌さんになんのメリットが……」


 依田くんが義父さんに向き直り不安気に訊ねる。私もその気持ちが良く分かった。父さんの言葉を借りれば依田くんの義父さんは、どんな時でもヤクザだ。気を赦せば突け込まれるに違いない。見た目が良いから騙されても良いなんてのは冗談に決まっていて、本当にそうなるのは困る。絶対に嫌だ。でも、その疑問を打ち消す餌を目の前に突き出された私たちには、例えそれが嘘であっても、絶対に嫌だと思っても。拒否できそうにない。


「言ったろ? 慈善事業さ。ボランティア。慈善事業なんて、所詮は誰かの自慰行為でしかないのさ。金を出す奴。つまり、俺が満足出来れば。そこに利益や理想がなくても良い。俺は地獄に行くときに、一つくらい良い話を持って行きたいだけさ」


 三人がお互いに顔を見回す。誰かの決断を待つ。私が手をあげれば、奥永が、依田くんが手をあげればその決断に従うと誰もが譲り合っているように感じる。


 この空間の時間だけが緩慢に動いているような気がする。




********


「このスイッチのレベルで行きたい時間を選べる。過去でも、未来でも、同じだ。例えば第一回H∧L選の1週間前ならこのゲージを、こうやって……」


 私たちは誘惑に負けて、装置に乗り込み。熱心に依田くんの義父さんから装置の事を教わっていた。それは見れば見る程に完璧で超絶頭の良い人達が時間とお金を惜し気もなく注ぎ込んで創られているに違いない。これは誘惑に勝てる筈もない。そう、これは皆同じ気持ちの筈。


 その証拠に、装置に頬擦りしそうな距離でベタベタと美しい機器類を撫で回す奥永のキラキラとした瞳。対照的に普段はクールな依田くんが子供のように義父さんの一言一言に深く頷いて、時には奇声を発したりしている。勿論、私の握りしめた掌にも、滴る程に汗が噴き出している。


「それで、僕たちはいつ頃これに乗れるんですか?」


 奥永がキラキラとし続けている瞳を依田くんの義父さんに向ける。私と依田くんも身を乗り出して何度も頷き、奥永に同意する。


「そうだな……完璧なチューンアップをしてから乗せてやりたいから……四、五日は掛かるかもな。お前たちも準備が必要だろ? それに……」


 依田くんの義父さんが言い掛けた時に倉庫の非常ベルがけたたましく鳴り響いた。


「何事だ?」


 依田くんの義父さんが右手の数珠のような通信機器に話し掛ける。


「組長。鰐頭の連中です。そちらに向かってます。危険です。逃げて下さい」


 通信機器の向こう側から、声だけで特殊な職業だと分かる男の声が返す。


「大中国のワニは執念深いな。直ぐに着くのか? 何人だ?」


「水晶から見えるのは八人ですが、大中国の奴等の手口は毎回数十人単位でやって来ます。今、そちらに向かっているのが五分後には確実に……そいつらが先発隊なら良いのですが既にそこにいる可能性もあります。自分達も向かってますが。組長! とにかくそこから逃げて下さい!」


 突然の出来事にいきなり現実に引き戻された私たちはオタオタと自分が座る座席から降りようとしたが依田くんの義父さんが手をあげてそれを制した。


「俺をつけてたのか……奴等の狙いはクレパスか?」


 依田くんの義父さんが静かに聞き返す。全く動揺していない様子から考えて、こんな危機は新聞のように毎日届くのかも知れない。でも、私には刺激的過ぎて後頭部がピリピリと痺れている。


「あ、あの、私たちは直ぐに帰った方が良いですよね? ね! 奥永も、依田くんも、今すぐ装置から降りて帰ろ?」


 私の懇願を視線で拒絶する二人。依田くんの義父さんまでもが人差し指を唇の前に立てて黙れと示す。私は直前までの興奮が急激に恐怖に変わるのを感じる。格闘家はリングの上では闘うが、ルールブックなんて絶対に読まないであろうヤクザとの戦いは遠慮したい。


「自分も、クレパスだろうと思います。最悪の場合はクレパスは渡してやって下さい。組長の命の方が大切です。クレパスはいつでも……」


 依田くんの義父さんは通信を途中で切断すると私たち三人を真っ直ぐに見詰めた。


「説明する時間が無い。俺は装置から出て奴等と交渉するが、お前たちはこの中で待て。今逃げ出しても、既に囲まれてるとしたら皆殺しだ。奴等は女子供にも容赦しない」


「でも、五嶌さんが……」


 堪らず口を開いた依田くんを視線で制す義父さん。


「良いか? 良く聞け。多勢に無勢では万が一にも勝ち目はない。助かるには奴等が欲しいものをくれてやる以外にない」


「それで、素直に帰ってくれるんですか?」


 奥永の問いに首を振る依田くんの義父さんの表情が硬い。冗談やドッキリではないのだ。


「確証はない。ただ、他に方法も無い。だから、もしも俺が失敗したらお前らはこの装置を使って逃げろ」


「それなら五嶌さんも一緒に……」


 依田くんの懇願に首を振る義父さん。


「こんなことになるならエネルギーチャージをしとけば良かったな。チャージ完了までは後……八分だ。往復分のチャージしか出来ないのがコイツの欠点だな」


 装置のゲージを指先で叩く義父さんに依田くんが静かに訊く。


「死ぬ気ですか」


「悪いな。死ぬのは怖くないんだ。ただ、お前たちを巻き込む訳にはいかない。奴等が欲しいものを奪って素直に帰れば、今日の事は全て忘れてここにも二度と来るな。もしも、違う結末を迎えた時は躊躇わずその赤いスイッチを押せ。良いか、躊躇わずに押せよ。奴等が不動系の魔法を使ったらお前らごときは指一本動かせずに殺されちまうからな」


 言って大声で笑うと依田くんの義父さんは人差し指を唇の前に立てたまま装置から降りた。そして何事も無かったように装置をシートで覆う。初めからそうであったように、ゆったりと平然に。


「どうしよう……」


 薄暗い闇の中で、私が漏らして奥永が私の肩を揺らした。依田くんは気配さえ消えていて。私は押し黙る以外に無かった。


「居るんだろ?」


 依田くんの義父さんが、誰にともなく呼び掛けているのが聞こえる。その声に、暫く物音さえしなかった倉庫内に数人の足音が近付いてくる。


「ゴトウサン。ワタシタチ、ホシイ。ドウシテモ『クレパス』ホシイ。デモ、ゴトウサン。ウソツキネ。タイムマシント、コウカンイッタ。デモ、ソレウソダッタ。ワタシノブカコロシテ『タイムマシン』ダケウバッタ。ヨクナイ。ヨクナイヒト、コロス。カナラズコロス。オヤ、キョウダイ、オクサン、コドモ、ミナコロス。ソレハ、バツネ。ワカルカ?」


 突然の片言の日本語。声の調子からは感情は読み取れないが話している内容は身の毛もよだつようなもの。私たちは息を殺した。


「あぁ? 勝手なことばかり言うよな、近頃の外人さんは全くよ。俺はよ、お前らがクレパスのパワーで慈善事業したいって言うなら無料でくれてやっても良かったんだ。だが、お前らときたらクレパスでこの国を脅かそうと考えている。そんな奴等にはクレパスもタイムマシンもやれねえ。俺は見た目と違って愛国主義者なんでね」


「クレパス、ダサナイ。オマエシヌ」


「死ぬとは限らないさ。俺の部下もここに向かってる。お前らの倍の人間だ。ドンパチやるのか?」


 二人の声が消えて、その代わりにヒリヒリとした緊張感が倉庫内に沈殿していく。


「そろそろ、満タンか?」


 突然、依田くんの義父さんが言った。私たち三人は教えられたゲージを同時に見詰めた。確かに満タンになっている。これで往復分のエネルギーチャージは終った。依田くんの義父さんは私たちの為に時間稼ぎをしている。それが理解出来ても、私たちに一体なにが出来る。


「マンタン? キガオカシクナッタノカ? ハヤク『クレパス』ヲダセ。オマエダケジャナク、タクサン、シヌゾ!」


 片言の男が怒声をあげる奇妙なイントネーションの言葉でもその苛立ちが伝わった。


「だからよ、クソ大中国人。お前を獲って俺も死ぬ。ってのなら丁度良いんじゃねーかなっ!」


 依田くんの義父さんの声がして直後に轟音が響いた。タイミングからして依田くんの義父さんが拳銃か魔法か分からないが、とにかく何かしらの行動を起こした気がした。


「他妈的,杀死你!」


「去死ロ巴 小日本!!」


 切れ目なく響く轟音と、魔法が飛び交う炸裂音。それに重なる罵声に怒声。私は自分のことで手一杯で頭を抱えてシートに埋もれていたが、ぼんやりとした視界の中で気が付いたら横で奥永が外に飛び出そうとしている依田くんを必死に押さえ付けていた。


「止めろ。桐原まで巻き込むぞ」


 奥永が声を圧し殺して依田くんを牽制する。それでも諦めきれない依田くんがもがく。


「大丈夫だ! 飛べ! 躊躇うな!」


 依田くんの義父さんが叫んだのが聞こえる。


「狗东西! 有人! 有人!」


 大中国語らしい声が響いて足音が集まる。シートの直ぐ裏側で怒声が木霊する。私はパニックになって絶叫していた。


「文弥! 躊躇うな!」


 依田くんの義父さんの声と同時に、装置を覆っていたシートが引き剥がされていきなり視界が開けた。眩しい照明が正面の透明な部分から射し込んで瞼が開けられない。


「赤いスイッチだ!」


 もう一度叫び声が聞こえた。そして、目の前でその叫びを発した依田くんの義父さんの綺麗な顔が吹き飛んだ。


「バカヤロー!!」


 奥永が叫んで赤いスイッチを殴り付ける。一瞬、ブルッと装置全体が震えて。直後に全身の穴と言う穴全てに高圧のガスが瞬間的に充填されたような膨張感を覚えた。激しい頭痛と耳鳴りが全ての感覚を奪っていく。


 私は遠くなる意識の中で奥永と依田くんの手を握り締めた。





【二章 風呂敷の中身【剣と盾】】 

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