骨が砕けようとも
三雲優雨
贅沢は言わない、貰っていくよ
今日の午後、祖父が息を引き取った。私のたった一人の家族がこの世からいなくなった。私は廊下で一人、祖父が大切にしていた首飾りを握りただ泣いていた。病室から出てきた看護婦が私に近づいてきた。彼女は私に何も言わず私に一通の手紙を差し出した。どうやら遺書のようだ。私はますます悲しくなった。祖父の死が夢であって欲しかった。私は初めて人目を気にせずに号泣した。それから数日は心がない人形のように時間が過ぎるのをまっていた。
祖父の死から数日後、私は祖父の遺品を整理していた。祖父の遺書には書斎の引き出しに渡したかったものがあるらしい。祖父は昔からこの書斎で本を読んでいた。その面影を思い出すと涙が溢れ出した。頭では分かっているのに心が追い付いてこない。私はとても泣き虫だ。涙を流しながら引き出しを開けた。
中には古びた小箱が一つだけあった。なんの装飾もされていない箱だった。祖父はこのなものを私に渡したかったものなのだろうか。小箱を持ち上げてみるが、とても軽い。私はこの箱の中身が気になり開けて見ることにした。中には小さな瓶が一つだけあった。瓶は黒く塗りつぶされており中身を確認することができない。瓶を振ると中身が液体だということが分かった。私の興味はこの小さな瓶に注がれた。同時に私の涙は止まっていた。
私は瓶の蓋を開けた。瓶の中から独特な匂いがした。まるで、大量の生き物を鍋に入れて煮詰めたような匂いだ。私はあまりの悪臭に思わず瓶を床に落としてしまた。運悪く祖父が大切にしていた首飾りも落としてしまった。黄色く濁った液体が床に広がる。今日はなんてついていないのだろうか。早く掃除しなくては。私は部屋から出ようとした。「今度、私を起こしてくれる時はやさしくしてくれ」やさしい声が私の背後から聞こえた。この部屋には私しかいないはずだ。私は恐る恐る振り返った。
そこには男が立っていた。平均男性より身長が少し高い。年は30歳前後だろうか。あまり肉付きがよくないようだ。髪の毛は長いがあまり手入れされておらず、毛先が痛んでいる。服装は質素で町中を出歩けるような格好ではなかった。男と目があった。彼の瞳は今まで見たことがない程濁っていた。その目は私を見ているというより遠くを見ているように思えた。しばらく見つめあっていると男は両膝を床につけた。「今日より私は、あなたの部下になります。よろしく
「警察では私を殺せない。それより腹が減った。食事をさせてもらうよ」いつの間にか彼は私の背後にいた。先ほどまで私の目の前で両膝をついていたのに。私は夢でも見ているのだろうか。男を追わなくては。私は彼を追ってキッチンに向かった。男は冷蔵庫の中身を物色していた。「この肉は一度冷凍したものだな、質が悪いな」
男は楽しそうに品定めをしている。この男、かなり危険だ、何を考えているか分からない。私は声を荒げた「あなたは誰なの。答えないなら警察を呼びますよ」男は私を気にせずに冷蔵庫の中身を漁り続ける。「おぉ、これは食えるな。久しぶりの食事だ」男は素手で味噌の入った容器に手を入れて口に運んでいる。その風景は獣の食事を見ているようだ。床は味噌まみれになっている。「いい加減にして」私は勇気を振り絞り男の腕を掴んだ。掴んでいるのだが感触がおかしい。まるで水風船を掴んでいるようだ。
「私は不完全な生き物だ。私は人の形をした化物だ。一匹の獣だ。大量殺戮兵器だ。私は染谷と呼ばれていた。理解してもらえたかな、
染谷は目を大きく見開き、そして大口を開けて笑った。その声は家中に響き渡った。
「脅威の無いものを殺してどうなるというのかね。
期待はしてなかったが彼はまともな回答が返ってこなかった。とりあえず私を殺害する意思は無いようだ。もし、あったならとっくに殺されていただろう。今はこの男を家から追い出すことを優先するべきだ。
「ん。客人が来たようだ。
扉を開けると2人組の男が立っていた。知らない男だ。男2人は私と目を合わせようとしない。彼らの目は焦点が合っていないようだった。私は身の危険を感じドアを閉めようとした。しかし、大きな手がドアを掴んで妨害してきた。なんて力だ。私は力負けしてその場で尻もちをついた。家に侵入した男たちの手が私の喉めがけて伸びてくる。こ、殺されてしまう。私は目を閉じて震えていた。
「貴様ら、
「教育してやろう。これが本物の拳だ」染谷の手の甲が男めがけて振り出された。男は避けられず直撃する。染谷の腕から骨が砕ける音を上げながら男の顔を粉砕した。赤色と黄色の液体が飛び散り部屋の中を染めた。男は大きな音を立てながら倒れた。ビクビクと痙攣をおこしている。絶命している。「やはり安物は消耗品だな」染谷は夢中で遊んでいる子供のような笑みを浮かべながら自分の手を見つめていた。私が気が付いた時には、破壊されていた顎は当たり前のように再生している。もう1人の男が飛び掛かってくる。「褒美だ、存分に楽しめ」染谷は砕けた腕を前に伸ばす。男はその腕を食いちぎろうと嚙みついた。しかし、様子がおかしい。男は噛みついたまま微動だにしない。
時が止まったのかと錯覚していると、男は急に体を激しく動かし始めた。男は先ほどより強く腕に噛みついている。悶え苦しんでいるようだ。「踊れ、踊れ、今踊らなければ、もう動けなくなるぞ」染谷は今まで見た中で一番の笑顔を浮かべて語りかけた。しばらくすると男は動かなくなった。私が死んだと理解したとき、男の体から鮮血が流れ出していた。
私はなぜ、こんなにも落ち着いているのだろうか。目の前で人が死んでいるのに悲鳴の1つも上げていなかった。自分自身が恐ろしくなった。私に気を配ることなく染谷は遺体を漁っていた。彼の方から不快な音が聞こえてきた。染谷は遺体を解体していた。ただ解体しているのではなく骨を抜き残った部位を手を使ってミンチにしていた。黒魔術の儀式を見ているような気がした。私はあまりにも悲惨な光景に耐えられなくなり耳を塞ぎ、目を背けた。
「あの男たち、どうやら私に用があったらしいな、この体質も悪くはないな」染谷は私の隣に座ってきた。彼の手の中には人の歯が握られていた。彼はそれを手の中で弄んでいた。もう、限界だ「お願いだから私から離れて」私は我慢が出来ず大声で怒鳴った。
「それは出来ない。なぜならば、
「気付いたようだな。ようこそ、自分が中心の世界へ。部外者に無関心な世界へ。部外者の死が最も近い世界へ」染谷の瞳は輝いていた。彼の目は私に語りかけている。『君はもう、他人のために涙を流すことはないだろう』と。
骨が砕けようとも 三雲優雨 @mikymoyu
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