2―13そして。

「……何故、このような愚行に及んだ?」


 フードの奥から発せられた声に怒りの感情が何一つ籠っていないという事実そのものに、【土竜】はその瞳を憎悪に燃やした。


 こいつは、何者だ。


 真っ黒い外套で顔どころか全身を隠した、その男。巡視隊に制服はなく、緑の腕章さえ着けていれば良いのは知っているが、それにしたって限度があるだろう。確証はないが、街を守る正義の騎士としては不適格な服装だ。

 にも拘らずそんな服装をして、ここ、巡視隊詰所の奥深く、取調室にまで来られるのは詰まりどういうことか。


「……か」


 彼らならワガママは利くし、下賤の者の視線そのものが汚らわしいと思うだろう。彼らは自分たちが特別清らかで、容易く汚されるのだと信じているのだ。

 吐き捨てるような【土竜】の言葉に、フード男がくつくつと笑う。古ぼけたテーブルの上で、手甲ガントレットに包まれた手を上品に組み合わせる男の、見えない瞳に嘲りの気配を感じ取って、【土竜】は再び舌打ちした。


「やんごとなき御方、ってわけか? ふざけた格好しやがって……」

「そういう君は、

 フード男が面白そうに言った。カチャリ、と手甲が音を立てる。「鎖で繋がれ、も剥がされた。最早打つ手はあるまい?」

「だまれ!」


 怒鳴り声にしかし、フード男はびくともしなかった。ただのんびりと、手甲の先に止まった蝶を眺めているだけだ。

 舐められている――詰まりは、そういうことだった。


 貴族の面子を潰してやろうと、彼らの家のみを狙って盗みを重ねた。

 徐々に仲間も増え、傘下の組織まで出来て。こうして捕まるまでに【土竜】に盗まれた貴族の宝は、間接的なものも含めれば相当な数だ。貴族の治世を転覆させるまではいかなくとも、彼らにとっては憤怒と憎悪を滾らせるに足る、そんな相手になったと【土竜】は思っていた。

 自身の感じる憤りに相応しいくらい憤りを感じていると、思っていた。


 それが、どうだ。


 目の前、フードと手甲とで完璧に外界を拒絶する男は、【土竜】のことを憎んでいない。怒っていない。嫌悪さえ、していない。

 取るに足らないと、フード男の態度が物語る。【土竜】の憎しみの炎など、焦げ付きさえしないと思っている。

 腹立たしい――何よりも、こうして囚われた今、【土竜】は最早その通り、取るに足らない存在にまで落ちている。落ちぶれている。


「実際、惜しいところまで君は辿り着いていたと私は思う。惜しい、本当に惜しかった」

「……馬鹿にしてるのか」

 狙っていた相手からの称賛など、嘲笑と同じだ。「所詮辿り着けはしなかった、そう言いたいのか?」

「目の付け所は良かった、と言っているのだよ。この街の、目に見える全てを支配していると思っている連中にとって、地下からの奇襲は正に妙手だ」

「…………?」


 他人事のようなその口振りに、【土竜】の心に初めて疑問が浮かんだ。

 そして改めて振り返ってみると、この男は貴族のことを何ら弁護もせず、彼らに噛みついた自分に憎みもしていない。そもそも――フード男は

 【土竜】はそこまで考えて、息を呑んだ。


 


 目の前の男が貴族だと、巡視隊に連なるものだと決め付け、本人に確認するのを怠った。何の根拠もなく徒に、自分はフード男のことを貴族と信じていた。

 こいつは、何者だ。

 人付き合いにおいて最も初期に気にしなければならない筈の疑問が、改めて【土竜】の前に浮かび上がる。

 自分が、目の前にある壁に気付かないまま歩いていたことに、【土竜】は漸く気が付いた。そして気が付いてしまえば、その壁はひどく威圧的だった。恐怖を、感じるほどに。


「お前は、誰だ……?」

「到達しなかった努力を無価値だと切り捨てる者もあるだろう。しかしながら、私はそうではない」

「なんだよ、何者だ、誰なんだ! おい、看守!! 見張りはどうした?!」

「君の魔法道具を操る技術と経験、そして何より君の熱意。捨て去るのは、実に惜しい。惜しいのだとも」


 フード男の指先から、蝶が飛び立つ。

 漆黒の羽に浮かんだ真っ赤な円は、獣の瞳のように【土竜】の心を貫いた。


。全ての敗北者を我が手のもとで研ぎ澄まし、革命の火種としよう」

「たす、けてくれ……」

 最早、【土竜】の心には戦意がなかった。恥も外聞もなく、彼は命を乞うた。「頼む……助けてくれ、俺は、まだ死にたくない……!」


 蝶が空中で二頭に別れた瞬間、【土竜】は悲鳴をあげた。

 闇色の羽が、浮かぶ赤が、彼の心に亀裂を走らせていく。


「安心したまえ」

 応じるフード男の声は、いっそ慈愛に満ちていた。「君は、死なない。生き延びるとも。逆に言えば、


 【土竜】は絶叫した。

 それを呑み込むように、取調室を羽ばたきが埋め尽くしていく――。









「怖いっすねぇ」


 間延びした声に、フード男はくすりと笑う。

 漆黒の蝶を収めた彼に声をかけたのは、ラット。幸運のラッキーラット。

 十文字槍を杖のようにつく彼の横には、緑の腕章を填めた騎士が倒れている。


「殺したのか?」

「まさか」

 如何にも心外とばかりに、ラットが眉を寄せる。「寝てるだけっすよ。

「金、か」


 ラットの言葉に、フード男は再び笑みをこぼした。先程までのとは違う、極めて人間的な暖かみを感じる笑みだった。


「……政権が変われば、金の価値も変わる。君は、革命を金で手伝うのか?」

「あんたのためですよ、旦那。あんたは、

「確かに」

 フード男は苦笑する。「金は、判りやすい。比べやすいしな」

「そういうこと。オレは、額の大きさにしか興味ないですからねぇ」

「低俗な男だ」


 言いながら、男の顔には笑みが絶えない。

 動物は、餌で飼える。物で買う心ではあるが、ペットは可愛らしいものだ。


「そして、あんたは高尚だ」

 ヘラヘラと、薄っぺらい友情をラットは謳う。「その高尚さの前じゃあ、


 ちらり、とラットが眺めたのは、立ち上がった【土竜】だ。

 


「彼の熱意も経験も、私は買うとも」

 フード男は呟く。「だが、

「怖いっすねぇ」

「低俗な嘘だな」


 二人は、笑った。

 ……餌で飼われる獅子であれ、その牙はいつでも飼い主を殺せる。

 ひ弱な飼い主であれ、彼の鞭は獅子を打ち据える。


 互いに互いをいつでも殺せる。

 それこそが平等だとでも言うように。

 二人は、笑っていた。

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