2―11放たれた狗。

 ざりっ、ざりっと砂を蹴る音が、乱雑に響く。物陰で監視しながら、ジンさんが苛々と地面を苛めているのだ。

 気付かれるのでは、という不安が無駄だとは、直ぐ理解した。盗賊団は見張りすら立てておらず、穴から四角く固められた土塊を運び出しては放り投げるばかりで、警戒のけの字も無い。


 見張られている、という意識自体が、彼らの脳に存在していないのだろう。そしてその認識は、現在のところひどく正しい状況分析力だと言える。


 目の前で行われる卑劣な犯罪行為を、私たちは邪魔できない。そういう決まりだから、というだけで。

 いっそ、ジンさんは見付かりたいのかもしれないと、私は思い至った。


 愚かな選択だ。確かに敵が私たちを見付け、攻撃してきたなら、私たちには防衛する権利がある。襲いかかる何人かを私たちは苦もなく切り裂き、ある程度の精神的充足を得ることだろう。

 それだけだ。

 本当の敵、盗賊団の首領【土竜】は逃げ延び、そしてより慎重になる。あの魔法道具マジカルアイテムが有る限り、地下は彼の王国だ。


「じゃあ、どうする。このまま、指咥えて見てんのかよ?!」

「動けば、ロータスさんが処罰されます。そう教えたのは貴方ですよジンさん」

「動かなきゃどうなる? 盗賊は宝を奪い、あの貴族らしい隊長様の面目は丸潰れだ。面子を汚された貴族が次に何をするか、大体想像はつくだろ」


 吐き捨てるようなジンさんの言葉は、痛烈に正しい。

 あの無駄に誇り高そうな貴族は失敗の責任を他人に求めるだろう、それも恐らくは、身近な他人に。

 ロータスさんの家柄は、どうやら隊長より上らしい。そして、彼はその家からは少々疎まれている。色々な意味で、願ったり叶ったりの獲物となり得るだろう。


「……『進めば地獄、退けども地獄』、ですか……」


 故郷での大戦おおいくさの前に、弱腰の部下へと母が叫んだ言葉だ。

 母はその後に、『では地獄の鬼を斬りに参ろうか』と笑いながら続け、先陣を切って攻め込んだ。その結果色々あって、敵将の首を片手に母は生還した。


 私はどうだ。

 私は、


「……土の量を見るに、奴等、殆どゴールに辿り着いたな」

 ジンさんが、ポツリと呟いた。「時間は、もう無い。決めなくちゃ、ならない」


 決断の時。

 私たちは、自分の剣に何を――誰を載せる?


 ――慣れ親しんだ気配は、まさにその瞬間に現れた。

 想像も、期待すらしていなかった人物の気配に、私は驚きながら振り返ると、その名前を呼んだ。


「……ラットさん?」


 年上の、頼り無い仲間が、夜を背に立っていた。










「うおぅ」

 奇妙な声が、ラットさんの第一声だった。「結構気ぃ使ったつもりなんだけどなぁ。え、何でバレた?」

「ラット、あんた、確かロータスの方に着いてったんじゃなかったか? 前線はヤバそうだからって」

「あぁ、それはねぇ。まぁ、そうなんだけどなぁ」


 予想外の人物の登場に驚きながら、ジンさんが不審げに眉を寄せる。

 無理もない、怠け癖のある彼は、危険な前線での任務を言葉巧みに回避した筈である。それは誉められた態度ではないが、前線に向いている私やジンさんにとっては、機会を譲ってくれる有り難い相手だ。

 その彼が、何故こんな任務真っ最中の前線に来るのか。


「……本隊の方で、何かあったか?」

 ジンさんは、私と同じ疑問に突き当たったようだ。「ロータスたちに何かあって、俺たちに伝令を?」

「あぁー、まぁ、当たらずとも遠からずだねぇ。多分、お前さんらの予想より悪い事態だけどな……」


 簡潔なラットさんの説明を聞き、私とジンさんは絶句した。

 帰る? こんな、絶好の場面で? 敵を放置したままで?


「阿呆なのか、あいつは」

「想像を絶するほどにね、残念ながら。はは、班長のロータス坊やも苦労してたぜぇ?」

「俺ならぶっ飛ばしてるぜ、そいつ」

 ジンさんの顔には、苛立ちを通り過ぎた呆れが浮かんでいる。「怒る気にもなれねぇかもしれないけどな」

「……それよりも、ラットさん。詰まり、貴方がここに来た理由は」

「あぁ、そうさ」


 にやり、とラットさんは悪どい笑みを浮かべた。お宝のたっぷり詰まった革袋を隠した時のような、何か企んでいる時の顔だ。


「お預け喰らってヨダレ垂らしてる狗たちに、?」










「…………」


 予想以上の順調さに、【土竜】は覆面の下で顔をしかめた。


 物事が上手く行ってるときは用心しなければならない。予想以上にスムーズに車輪が回り、スピードが出ているとき、そこは詰まり下り坂ということなのだから。


 妨害が一切無い。

 確かに地下からの侵入は貴族の想像力の埒外ではあるだろうが、魔術師の警戒の中ではある。防衛用の魔法道具を備えた貴族の倉だ、鍵以外の壁も想定するべきだろう。

 それが、何一つ見当たらない。

 掘り進む内にも、魔術的にも物質的にも壁はなかった。ドワーフの鉱山に抜け穴を掘るよりも、遥かに楽な作業となっている。


「…………」


 罠かもしれない、とは、最初から【土竜】の脳の片隅にちらついていた。

 妨害があると思っていた。それが例えば待ち伏せだとしても粉砕するか、地下から避けるか、或いは逃げ出したっていいと無視していたが、まさか何の妨害もないとは思わなかった。


 順調さこそが、警戒を促す警告だ。

 今や【土竜】は、罠だと確信さえしていた。こんなトントン拍子で進む話は、小説か劇の中にしかない。


 間違い無く罠。そこまで解っていながら、【土竜】はしかし退こうとは思わなかった。

 折しも小悪党ラットの読み通り。

 目の前に吊るされた貴族の宝というリターンは、歴戦の【土竜】をしてみすみす引き下がらせないだけの魅惑的な香りを放っていたのだ。


 危険だ、けれども、魅力的だ。


 未だ見ぬ宝の気配だけで、順調過ぎる足取りも軽くなる。

 危ないと知りながら、【土竜】の足は坂を下り続ける――そして。


「そろそろだな」


 前もって計っておいた目標との距離。

 それが、ほとんどゼロになったことに、【土竜】は気が付いた。もう数掻き。あと何度か土を掘るだけでゴールに辿り着けるというときになって。

 甲高い悲鳴が、後方から上がった。


「……なんだ?」


 そう、彼らは。

 

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