2―10愚者と戦士。
盗賊の爪が、大地を削る。
土も砂も石さえも関係無く。その爪が触れた部分は四角い塊に変わり、そのまま運ばれていく。
これが、魔法道具。力ある魔術師の造り出す、具現化された神秘。
――凄いですね。
目の当たりにしたその能力に、遠くから様子を窺いながら私は思う。
これがもし、城攻めの時にあれば。
「不味いな」
瞬く間に地面に消えていく盗賊【土竜】の背を見ながら、ジンは舌打ちする。「不味い、これは、不味い」
「何がですか?」
私は首を傾げる。「確かに有用な道具ですが、戦闘向きとは言えません。立ち合いであれば、問題なく切り裂けます」
「そうじゃないんだよ馬鹿。良いか、今回の作戦の肝は、連中が包囲の中に現れてくれることだ。ノコノコと獲物に群がった盗賊を、現行犯で問答無用に壊滅させる事なんだ」
「それが、何か。このまま彼らは穴を掘るでしょう、私たちの用意した宝に向かって。顔を出したら、叩かれるだけでしょう?」
私の疑問に、ジンさんはしかし首を振った。
「……俺たちは、敵の装備を舐めていた。良いか、魔法道具は俺たちの常識を簡単に飛び越える代物だ。それが『穴を掘る』と設定されているんなら、何がなんでも穴は掘られる。防ぐには、同じかそれ以上の概念が必要なんだ」
「貴族の宝物庫です。そのくらいの対策はしてあるのでは?」
「それが壊れたって話だろうが」
あ、と私は思わず呟いた。
そうか、だとしたら。
「連中は、宝物庫に直接穴を繋げる気だ。包囲網を潜り抜けて、な」
「……来ないな」
腹立たしげに、キルシュが呟いた。
機嫌の良いときも悪いときも、どちらにしてもとにかく良く喋るタイプのキルシュがたった一言という時点で、その内心の苛立ちは推し量れるというものだ。
そして当然、ロータスの内心はそれどころではない。
予想された時間になっても敵が現れない。
その一文から考えられる可能性は、どれだけ楽観的に想像したとしても、好ましい状況ではない。
――気付かれたか?
敵が準備に手間取っている、という可能性は低い。宝への最大の障害である錠前が開いているのだから、それで手間取る程度の盗賊ならここまで事態は長引かない。
とすると、やはり考えられるのは。
「……まさか」
ポツリと呟くキルシュに、ロータスは呆れを多分に含む視線を向けた。貴族の跡取りというやつは、本当に鈍い。
そんな自嘲めいた呆れを、キルシュは当然のように上回った――或いは下回った。
「この私が来ていることを察知して、怯えて逃げたか!!」
「……はぁ?」
ぶっちぎりで不敬罪間違いなしといった風体のロータスの反応に、キルシュは優雅な笑みを返した。「これが貴族の悲哀だよ、ロータス。相手が勝手に逃げていくのだからね」
「そんな馬鹿な……」
「君は未だ幼いから、理解できないかもしれないがね。真の尊き血は、ただ在るだけで相手を打ちのめすものなんだよ」
キルシュは訳知り顔でロータスを宥めると、大きく頷いた。「さて、では、帰るか」
「帰る?!」
「敵は来ない。となれば、こんな夜更けにこんなところでだらだらとしている暇はないさ」
事態はロータスの想像を遥かに下回っていた。貴族の愚かさは、それを憎む貴族の子の認識をもってしても、なおヒドイものだったのだ。
馬鹿な、と叫ばないだけの冷静さは、ロータスの中にどうにか残っていた。或いは上官の度を越した愚かさが、彼に思慮深さの美徳を思い起こさせたのかもしれない。
説得は、あくまでも論理的に。感情で話をしては、恐らく無意味だ。
「……未だ、来ないと決まったわけではないのでは。近くまで来て、様子を窺っているのかも。本当に、噂通り安全な獲物なのか探っているのではないですか?」
「そうして、彼らは私に気が付いた。羊の群れの周りには、牧羊犬を伴った英雄が居たわけだ。ははは、奴等め、尻尾を巻いて逃げ出したというわけさ」
「…………そうだとしても。何故我々の事がバレたのか。彼らの索敵手段を調べる必要があるかと思いますが」
「それこそ私の、いや、私と君の役目ではないよ。庭の管理は庭師の仕事。私たちは、花を愛でれば良いのだよ。……そうだ、今度私の庭を見せて上げよう。君の貴族としての感性を磨く良い機会だと思うが?」
……駄目だ。
ロータスは早々に匙を投げた。目の前のこの男は、愚かで無価値と散々罵ってきた父や兄よりも遥かに愚かであった。
彼らは、確かにロータスの基準で言えば愚者ではあったが、それは【貴族として】愚かだというだけだ。平民の事を顧みないのは、全世界的には愚かだが貴族としては正解なのである。例えば少なくとも、父の領地で反乱や騒動は起きたことがない。
だが、こいつは、この男は。本当に、本当の意味で、駄目だ。
貴族どころか、人間として駄目だ。指揮官としては、全くもっての他としか言いようがない。もしも貴族以外で生まれたのなら、真っ先に死んでいる。
「……あのー、ちょっと良いっすか?」
最早本隊の離脱は避けられない、自分達の班でやるしかあるまいと覚悟を決め始めたロータスの背から、呑気さの塊みたいな声が上がった。
貴族相手の論議で、珍しい援護射撃かと思いきや。そこに居たのは、珍しさどころか奇跡みたいな人物であった。
ラット。ロータスの班員唯一の大人であり、随一の駄目人間である。因みに、ついさっきまで隅の方で蝶々に話しかけていた。
「どうしますか、ジンさん」
敵は既に、穴の中に入っていった。「斬り込みますか?」
「……いや、駄目だ」
「何故です? このままでは、誰にも気付かれない内に敵は倉へと達してしまいます。そして、気軽に宝を奪って帰るでしょう。それを見逃せと?」
そんなことは、駄目だ。
貴族の宝に守る価値があるかどうかはさておき、権力者の宝に手を出した結果世界が良くなったためしはない。
増税、略奪。姿無き犯人を炙り出すために、虐殺が始まる例もある。
況してや今回は、貴族の指揮のもと作戦が行われている。出し抜かれたとなれば、彼らは面子にかけて犯人を探し出すだろう。
「戦力として不足はありません。あの程度のごろつき、私とジンさんなら用意に蹴散らせます」
「命令がない」
ジンさんは、音がするほど強く奥歯を噛み締める。「命令無しで斬り込んだら、処罰されるのは俺らじゃない、班長であるロータスだ」
くそ、とジンさんが吐き捨てる。
気持ちは良く解る。たかが命令の有無だけで、同じ行為も戦果から戦禍に変わるのだ。
それは無用な殺戮を防ぐためであり、権力者の地位を磐石にするためのものだ。
紙一枚。人の命を左右するには、あまりにも薄っぺらいそれが、今、私たちの前に大きく立ち塞がっていた。
……苛々と敵の進行を見過ごす私たちの頭上で、真っ黒い羽の蝶が、不自然に踊っていた。
まさに想定外の人物の登場に、ロータスもキルシュも眉を寄せた。
圧倒的な歓迎ぶりに、ラットは苦笑しながらも、露骨に胡麻をすりながら話を続ける。
「いやあ、どうもどうも。ロータス班のラットです。貴族様同士のお話に、オレみたいな平民が割り込んですいやせんね?」
「解っているじゃあないか」
素早く立ち直ったキルシュが、鼻を鳴らす。「であれば、さっさと引っ込んでいたまえ」
「いやあ、どうもどうも。しかしお話を聞く限り、どうやら隊長様、獲物が怯えきっているんで難儀してらっしゃるご様子で。いやさ、連中存外賢明だ、キルシュ様の御高名を前にして直ぐに現れないってのはね?」
「……ふむ」
「しかし、奴等は何しろ下賎なもの。詰まりは、意地汚い。けして手に入らないと解っていても、獲物を前にして大人しく帰れるわけがねぇんでさ」
「成る程、確かに。盗賊どもの考えそうなことだ」
全く、とロータスは呆れ返って言葉もない。ラットのこんな見え透いたおだて文句に機嫌を良くして、良いように乗せられるとは。
しかしまぁ、状況は悪くない。
「とすれば、手は一つ。狐狩りの要領でさあ、獲物を追い立て、穴から出させる。そのためには、狗を使わないと」
ニヤリと、珍しい笑みを浮かべてラットが言う。その肩から一羽、見たことの無い真っ黒な蝶が飛び立っていく。
「……オレが、狗を走らせに行きましょうか?」
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