第二章Training Day
2―1憧れへの距離間
光は常に上から照らす。
故に、闇は足元に潜む。
「…………」
薄暗い部屋で、数人の人影が蠢く。
姿形の殆どが、判別できない。何しろ窓一つ無いその部屋の光源は、たった一つの
机がわりに部屋の中央に置かれた木箱の上で頼り無く揺れる神秘の明かりは、劣悪な労働環境に愛想を尽かしつつあるらしい。風も無いのに、いや、風があっても揺れることの無い筈の光はチロチロと不安定に揺らいでいる。
窓の一つでもあれば、とも思うだろうが、生憎ここで窓を作っても、得られるものは思わず鼻を摘まみたくなるような臭いだけだ。
何せここは、下水道だ。
蔓延るのは鼻摘みの臭いと汚水と、それらに慣れてしまった鼻摘み者だけ。
光輝く都の地下で、そちらから弾かれてしまったはみ出し者。
身に纏うものは薄汚れていて、それ以上に、彼らの纏う空気が穢れている。汚れも臭いも、周囲の下水に劣らないほどだ。
そんなボロ布の袖から、彼らの一人が皮袋を放り出す。
木箱の上で乱雑に転がり、開いた口から溢れたのは――大小入り雑じった、幾つもの宝石。
その一袋だけで、一家族養うことが出来るくらいの価値がある。
真っ当な職に就いているようには見えないが、彼らは更に続々と皮袋を取り出して、無造作に投げ置いていく。
口のほどけなかった袋も何個かあったが、膨れ上がった外見を見るとそれらも空ではあるまい。
あっという間に山と積み上がった皮袋。
たとえ彼らでなくとも、これだけの宝石を稼ぎ出す仕事などあるわけがない。
いや――一つだけある。
「いやあ、今回も大漁でしたね、ボス!」
「貴族連中の間抜け面、はは、傑作でしたね!!」
「温い警備だったしな、盗みやすかったぜ」
そう。彼らは盗賊だった。
夜の闇に紛れて人の家屋に侵入し、財産を奪う不逞の輩。
ここはそのアジトなのだろう。彼らは自分たちの成果を互いに見せびらかしながら、上機嫌にジョッキを傾け合っている。
薄い壁越しにその、粗野で粗暴な笑い声を聞きながら。
「…………突撃」
静かな声に私たちは頷き、そして刀を抜いた。
左手の刀を左腰に。
右手の刀は、手の甲滑らしクルリと回し、血振りを済ませて右の鞘に滑らせる。
「へっ、今回もチョロかったな」
ジンさんの言葉に、私は振り返って微笑んだ。
「そうですね、簡単に五人斬れました」
「……五人?」
ジンさんは、何故だか顔をひきつらせた。「数え間違いじゃなくてか?」
「当たり前です」
私の故郷では、戦の手柄は自己申告制だ。
名のある指揮官なら
例えば。
「ジンさんは、確か三人ですね」
「っぐ!!」
奇妙な声を上げるジンさん。どうしたのだろうか、このくらい、大したことではないのに。
……大したことでは、あるのか?
急に、不安になる。ジンさんたちは確かに私の剣舞を認めてはくれたが、殺しながらその数を数えている、というのは少し狂気じみていたのかもしれない。
「いや、違うぞカノン」
おろおろと意味もなく辺りを見回す私に、静かな声が掛けられる。
音量とは違う意味で、常に熱を帯びているようなジンさんの声とは真逆、冷静沈着な声だ。
「ロータスさん……違うとは?」
「君がいちいち考えている、そんな大袈裟な話ではないということさ」
ロータスさんは服に付いた埃を叩きながら、悪戯っぽく碧眼を瞬かせる。「こいつは、単なる負けず嫌いだ」
「うるせぇぞロータス!」
ジンさんは、真っ赤になっている。「別にそんな、その、負けてねぇし!」
ふっ、とロータスさんは鼻で笑い、ジンさんは肩を怒らせる。
また始まったなと、私はため息を吐いた。
「数の大小も解らないのか、お前は? 五対三なら、完璧にお前の敗けだ」
「今回だけはな、ここで終わるんならそうだろ。だが、成果ってのは一回で終わるもんじゃねぇ」
「前回も前々回も、というよりも今回で通算4回目の任務だが、全てにおいて数で負けているだろう。わざわざ自分から借金を増やしてどうしたいのだお前は?」
「遡るなよ! 俺が言いてぇのはこれからってことだ! 農作業の成果は収穫の時にしか解らない。俺とカノンの戦いの日々は、まだ始まったばかりなんだぜ!」
「見込みが薄い、と言っているのだ。差は開くばかりだ、お前の努力の日々を、彼女や私が無為に過ごすと思うか?」
「何でお前まで数に入ってるんだよ! 『私』なんて、気取りやがって! 試験前の夜なんか、俺って言ってたじゃねぇか!」
「う、煩い! 言葉遣いというのならお前、俺は班長だぞ! 威厳を感じ取れ威厳を!」
「馬鹿じゃねぇの?」
「馬鹿とはなんだ馬鹿!」
「……元気だねぇ、若者たちは」
離れたところで壁に寄りかかっていた私に、苦笑混じりの声が掛けられる。
ロータス班の最年長、ラットさんだ。
「ラットさんも、そこまで年が離れている訳ではないでしょう?」
「いやいや、25過ぎと10代ってのは、超えられない差があるもんなのよ。おにーさんは体力無いんだよ」
そう言うラットさんの体つきは、正に中肉中背だ。運動が苦手とは思えないから、体力がないのは詰まり筋肉が足りないのだろう、多分。
まあ、実際は体どころか、顔も平均的だけれど。
悪い意味ではない。目付きの悪いジンさんと、貴族らしく端整な顔立ちのロータスさんに挟まれると、大概の人は特徴がなくなる。
私の内心を知ってか知らずか、ラットさんは自分の得物の槍を肩に掛けて、わざとらしく腰を叩く。
「さあてと、それじゃあおにーさんは、一足早く上がって風呂にでも行きましょうかねぇ」
「それはまあ、構わないとは思いますが」
ヘラヘラと木箱の横を通り過ぎてドアに向かうラットさんの背に、私は声を掛ける。「それは戻しておいてくださいね」
ラットさんは足を止め、ガックリと肩を落としながら木箱の上に皮袋を置いた。
「これで良いかな、全く目敏い……」
「あと三つです。戦闘の最中にこっそり隠したやつを」
げえ、と蛙の潰れたような声を上げるラットさん。
とうとう互いの頬をつねり合い始めた、ジンさんとロータスさん。
――これで、あの人に追い付けるのだろうか。
あっさりと私のことを助け、颯爽と立ち去った憧れのあの人。それと比べて自分の所属する班の体たらくには目を背けたくなる程。
私は大きく肩を落とした。憧れは未だ、ちっぽけな背中しか見せてくれなかった。
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