1―10 Flash

「………」


 倒れた巡視官を見ながら、私は眉を寄せる。

 解ってはいたけれど、この木剣の形では私のやり方は少し難しい。鞘もないし、形がに適していないのだ。それなりの早さは出せるが、教官には多分見切られるだろう。


 1つ目の武器は封じられた。

 だったら、仕方がない――私は、使い手が気絶した木剣を拾い上げる。


 を、見てもらおう。


 両手に握った二刀流。大きく、翼を広げた鳥のように腕を広げると、私は前に体重を掛けた。













「………あいつ」


 ポツリと呟き声が漏れて、俺は呆然とした。その声が、まるで自分のものでないような弱々しい響きだったからだ。

 だが、それは間違いなく俺の喉を通った声で。

 つまり、俺は今弱っているということだった。


 自覚してしまうと、急に全身が痛みだした。現金な事だ、気持ちが弱音を吐いた途端、我先にと身体も悲鳴を上げる。

 心が、折れたのか。立ち上がる力は既に無く、そもそもその気力も見当たらない。


 それなのに――心に在るのは、奇妙なだった。


 立ち上がれないのではない。と、心の中の俺が手綱を放したのだ。


 何をやってるんだと、己自身を叱りつける。

 さっき、俺は何を言ったのだ。やれる事があると、こんな状態で終わってたまるかと叫んだのではなかったのか。

 負けてたまるかと、吠えたのではなかったか。それは、嘘だったのか? 根拠は無かったが、それでも真剣に俺は言ったんじゃあ無かったか?


 その真剣さにこそ感化されて、カノンは立ったのではないのか?


 ………

 俺は、もう一人の俺の真意を悟った。

 もう、大丈夫だと。アイツが本気を出すのなら、後を託して大丈夫なのだと、俺は思ったのか。


 俺が焚き付けたのに、俺の言葉で、捨てようとしていた剣を取らせたのに。

 あとは頼むと、俺の心は安堵したのか?


「………っ!」


 そんなのは、ごめんだ。


 歯を食い縛って、俺は身体を引きずる。

 遠目に、カノンが構えるのが見えた。奇妙な型だが、その威圧感は彼女の本気を周囲に見せ付けている。

 ラットを追っていた巡視官も足を止め、カノンの様子を窺っているし、一番近い教官に至っては完全に彼女の方へ向き直っている。

 今なら、一矢報いれるかもしれない。


 せめて足の一本でも押さえれば、それで良い。

 俺は最後の力を振り絞って教官に飛び掛かり――


「ガッ?!」

「悪いな、ジン。お前を舐めたりはしないさ、取り敢えず、一足先にゴールしておけ」


 くそ、という声は、果たして聞こえたか。

 カノンが前傾姿勢をとり、させじとラデリンが間合いを詰めにかかる。

 激突の予兆を見ながら、俺は這いつくばる。もう起き上がれない、俺は、俺の言葉で立ったアイツに、何も出来なかった。


 睨むしか出来ない俺の眼が、カノンのそれと出会う。

 夜みたいに黒い瞳は、俺を確りと見て、そして微笑んだ。

 ありがとう、と言っているように見えたとは、美化しすぎだろうか。


 瞬き1つ。瞳は一瞬で切り替わる。

 優しい穏やかな月夜から、冷たい、何もかもが死に絶えるような漆黒の闇夜に。


 形の良い唇が、ゾッとする程無感情な声を紡ぐ。


「………剣舞、【龍と牡丹】」


 そして。

 













 前へ前へ、私の身体が倒れていく。

 走る前の前傾姿勢を越えて、重力に引かれるままに倒れていく。力を抜いた肉体は、世界に刃向かう事なく地表へ墜ちる。


 このまま大地に抱かれたら、心地よく眠れるのだろうか。

 魅力的だ、だが、それは今じゃあない。


 脱力した身体は、下向きに充分加速した。あとは、

 地面を蹴るのではない、余計な力を使う必要はない。必要な力は、常に世界から受けているのだから。


 慣れ親しんだ感覚に身を任せ、私は前方に


「っ!?」


 一歩で5メートルの距離を翔んだ身体は、既に教官の間合いに踏み込んでいる。

 突如目の前に出現した私に対して、彼は正しく反応した。下げていた剣が、逆袈裟に迫ってくる。


 考えるより先に左腕が動き、剣の軌道に沿える。

 木剣同士の接触と同時に、回転。駆け寄る勢いと教官の剣の勢いを合わせて、一気に最高速へ到達、右手の剣で首を狙う。


 必殺の一閃を、教官は仰け反るようにかわす。

 流石、。そんな暇はないのだ。


 回転は止まらない、勢いはけして死なない。

 踏み出した右足を軸に更に回転、左の剣が襲う。


「くっ………」


 呻きながらもかわす教官に、もう意識は向いていない。


 そもそも剣舞とは、だ。

 傍目には優雅な舞でしかないが、その実は戦において、大軍を相手取った剣士の伝説を示したもの。

 或いは山奥で妖魔の類いと打ち合う巫女、或いは神を、或いは龍を、戦い打ち負かし鎮めた歴史を語り継ぐ為のもの。

 詰まり――それは、

 強大無双の相手を殺した技術を、この身に宿す行為。故に、必勝。故に必殺。


 相手がどう動こうと関係がない。いや、巻き込まれた以上、相手は私に対応して動くなくなるのだ。その結果、待っているのは敗北だけ。


 これが、私。

 燃え盛る炎の叫び、火音カノン。祭りの踊りさえ殺戮の種、髪の1本から爪先まで、身体の全てはただひたすらに敵を葬る為にある。


 それが嫌だった。

 だか――負けたら好き嫌いを言うことも出来なくなる。


 踊りながら剣を振るう。

 かわされたなら速度を上げて、防がれたなら逆回転。両手の剣に時折蹴りも混ぜて、縦横無尽に襲い掛かる。


 龍のような川の流れに、回りながら流される牡丹のように。

 回る、回る、回って――斬る。


 嵐のような連打の末に、遂に教官の限界が訪れた――剣が、手から弾けとんだのだ。

 すかさず足払いをかけ、転んだ教官の上にのし掛かり、喉元に剣を突き付ける。

 これで、詰みだ。


「………参った」


 苦笑交じりの教官の言葉で、決着が付いた。

 大きく息を吐いて、私は剣を放り捨てる。勝ったのだ。私は、私たちは、無事に試験を終わらせた。


 ゴン、という鈍い音が響いたのは、その瞬間だった。


 私は弾かれたように顔を上げた。しまった、しくじったという思いでいっぱいだった――そうだ、相手はもう一人いたじゃあないか。

 戦いの最中に、勝利を確信するなんて、とんだ失態である。私は慌てて視線を巡らして、そして。


「………はは、ラッキー。戦ってるのに、カノンの方見すぎでしょ」


 背後から巡視官を殴り、気絶させたラットと目が合い、私も教官も、大きくため息を吐いた。













 実施試験、終了。

 失格者無し。志願者16名、全員合格。

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