1―9

 合図と共に、俺は一歩踏み込んだ。

 とにかく先手を取ることだ。こちらは挑戦者、長引いて有利になる事なんか、何一つ無い。

 先手必勝、一撃必殺。自分の全力を叩き込む事だけを考えろ。


 守るな、攻めろ。

 大人の間合いは俺より広い。勝つには殴るしかなく、殴るには踏み込むしかない。

 相手の一撃くらい、覚悟の上だ。


 ………結論から言えば。俺の覚悟は


「っ、くそっ!!」


 応じるように振り抜かれた剣の重みは、俺の予想を遥かに越えていた。身体が浮き、間合いの外へと叩き出される。


 一撃が、重い。

 剣を握る手がびりびりと痺れている。もし防ぐことに失敗したら、恐らく骨くらいは折れるだろう。


 着地し体勢を立て直す間に、教官は直ぐ様詰め寄ってくる。

 詰まり、重いだけでなく早いのだ。

 当たり前だ、あらゆる性能が俺より一回りも二回りも上で、それを活かす経験値も有り余っている。


「はあっ!!」


 気合一閃、上段からの振り下ろしをどうにか受け流したところで、蹴り飛ばされる。

 訓練用の革鎧では、殆ど衝撃は殺せない。息が止まるほどの激痛が、蹴られた胸と転がった背中に走った。


「っ、がはっ、はあっ、はあっ………」

「………」


 蹴られて転がった俺に追撃を仕掛けることもなく、教官は悠然と俺に歩み寄ってくる。

 その顔には、涼しげな笑みさえ浮かんでいる。余裕綽々、といった風体だ。


 ………強い。

 解りきっていた事実が、今更のようにのし掛かってくる。何しろ勝っている所が1つもない。若さと情熱だけで乗り越えるには、目の前の壁は明らかに高過ぎた。


 ちらり、と視界の端に、こちらを心配そうに見詰めるカノンの顔が映る。

 ――腹立たしい。

 率直に、そう思う。何故なら、それは余裕の現れだからだ。


 カノンの方にも、巡視官は向かっていた。ラットよりも幾らか年上の彼は、勿論ふざけることなく木剣を振るっている。

 試験に過ぎないのだから、加減くらいはしているだろう。型通りの斬撃は、訓練をしっかりやっていれば何とか防ぐことは出来る程度の勢いでしかない。

 それでも、だとしても。カノンは詰まり、。良く聞こえなかったが、俺の名前を叫んでいたような気さえする。


 余裕があるのだ。

 余力があるのだ、あいつには。


 いくら肌に合わなくとも、訓練が身に付かなくとも、あいつはどうにか誤魔化して受けられている。

 培った経験と、持って生まれた才能とが、努力を凌駕しているのだ。だから、こうして他人の心配も出来るのだ。


「っ!」


 解っている、解っているとも。

 こんなのは程度の低い負け惜しみで八つ当たりだ。人にはそれぞれ事情があり、信念がある。

 カノンは恐らく、全力を出さずに慣れない剣術だけで試験に挑み、その結果としてなら失格となっても構わないのだろう。彼女は人を守る剣術に憧れて、人を殺す剣術を捨てようとしているのだから、本望ですらあるかもしれない。


 あいつは、本気だ。。本気の人間に、文句を言うことは出来ない。


「………だとしても………」


 俺は農家で、剣の腕なんか無いし、あるのは豚の一頭と根性だけだった。

 兄貴みたいに農園を手にすることも、それを経営することも出来ない。耕す事だって、きっと俺より上手い奴はいくらでもいる。

 何の特技もない俺が巡視隊だなんて、身の程知らずにも程があると、聞いた誰もが笑った。


 それでも、俺は憧れた。

 時に貴族すら圧倒する正義に、それを振るう者の優しさに、俺は憧れたのだ。


「それでも、俺は………」


 あと一歩だ。

 この試験を越えれば、迫るこの壁を越えたなら、俺の分不相応は直ぐ手が届くところにまでやって来る。

 伸ばせ、駆け寄れ。這ってでもそこに辿り着け。


!!」


 叫び、身構えた俺に。

 ラデリン教官ウルフキラーの一撃が、無遠慮に打ち込まれた。













「俺たちは、負けねぇ!!」


 叫んだと同時、教官の剣がジンを襲った。

 その手から木剣が吹き飛び、がら空きになった胴へ容赦のない一撃。

 うずくまり嘔吐しながら、それでも少年は屈しない。武器は既に手元になく、あとはラデリンが武器を振り下ろせばそれだけで意識を失うだろうに、まるで諦めようとしない。


 見上げながら、睨み付けながら、少年の唇が、動いている。


「まだだ………、まだ、まだ………、まだ俺は、………!

 やれることがあるのに、力も残ってるのに、それなのに諦めるわけに行くかよ!!」


 その言葉は、鋭いその眼差しは、敵に向かっている。少年の立ち向かう敵に。

 だが何故か。

 それらが全て、私自身に向かってきているような気がした。


 、と問い掛けている。お前はどうするのだと、その眼差しは雄弁に語る。


 このままここで終わるのか。やれることをやらないまま、力を残したままで終わるのか。

 それで、いいのか。

 それで、残念だったなと笑うのか――

 ここが瀬戸際だ。一歩でも下がったらみんな死ぬのだとしたら、そんなことを言っていられるのか。


「やれることを、やるしかねぇんだ!! それしか、俺にはねぇんだ………!!」


 ジンは、決意している。

 ラットも、勇気を出して舞台に上がった。

 さあ――


 自分へ向かう攻撃を捌きながら、私は手を見る。布でガチガチに固めた右手。


「………………………」


 私は。













「ん?」


 少女の動きが停まったことを、巡視官は不審に思う。

 ここまでの防御技術は悪くない。だが、反撃を一度もしないのはあまり良くはない。

 ろくに剣も握れないという話だったが、だから防御で手一杯なのか。だとしたら、及第点は少し下回るといったところか。


 それが、足を止めた。


 どうやら教官の方を見ていたようだが、だとすると、仲間が倒れたことで心が折れたのだろうか。

 まぁ、もう少し訓練を積んでもらうか。巡視官は鋭く木剣を振るって、カノンの身体を吹き飛ばした。


「………?」


 その手応えのに、眉を寄せる。

 剣で防いだ筈だが、固いものにぶつかったような感覚もなく、そもそも人の身体を吹き飛ばした重ささえ感じなかった。

 抵抗なく振り抜いた軌道に合わせて、飛んでいった羽毛のような軽やかさ。


「………まさか、?」


 剣の勢いに合わせて跳ぶことで、距離を稼いだのだろうか。

 何のために。

 普通の戦闘ならばともかく、今は試験中だ。逃げ場なんて何処にもない。距離をとっても、結局は追い詰められてやられるだけだ。精々、少し時間を稼げるくらいだが。


 彼は、最後までに気が付かなかった。

 カノンが欲しかったのは、そんな些細な――時間だったということに。













 はらり、はらりと落ちる布を、私は苦笑しながら眺める。自由を掴もうとしていたこの手の、なんと頑なだったことか。


 ジンが、そしてラデリンが、驚いた様子で見詰めてきた。私の思いを、知っている人たち。

 今なら解る。それは思いでも、覚悟でもなく――単なる執着だった。


 争いの無い世界で育まれた、人を守るための武器に憧れた。

 暖かくて、優しくて、美しく雄大な世界に憧れていた。血で染まったこの手を捨てて、穏やかな人たちの中に入りたかった。


 あぁ――


 憧れは確かに美しい。憧れた先も、きっと正しい世界だった。

 


 どれだけ美しくても、どれだけ正しくとも。

 


 落ちた布を拾い上げ、流したままの髪を束ねる――故郷でそうしていたように。


 若い巡視官が迫ってくる。木剣を握りながら、私は唇を歪める。

 さぁ、見せてやる。

 観光気分あそびは終わり、ここが私の独壇場だ。













 間合いに入った。

 それが、彼の最後の記憶となった。


 次の瞬間にはカノンが目の前に出現しており。

 その右腕が振り抜かれていて。


 

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