1―8

 そしてとうとう、俺たちの番が来た。

 悠々と、教官は二人の部下と共に舞台に上がる。周囲の歓声も、見下ろす貴族の視線も、何もかも意に介した様子がない。場馴れしている、という風体に、俺は舌打ちした。


 勝負の場で何よりも大事なのは、普段通りの動きが出来るかどうかだ。それに必要なのは適度な緊張感であり、緊張感が無さすぎれば筋肉は弛緩してしまうし、過度のそれは身体を縛る鎖となる。

 流石は巡視隊の教官を任されるだけの事はある、その身には程好い緊張感と、それに縛られない経験とがみなぎっていた。


 向こうの凡ミスは期待できそうにない。そもそも、ここに至るまでに数回は出番があった筈なのに、彼らの肌には汗の一滴も浮かんでいないのだ。


 それに対して――俺は暗澹たる思いで仲間を振り返った。


 一人は、まだ良い――カノンは静かな瞳で相手と、それから誂えられた戦場である石舞台の様子を確認している。少々緊張しているようだが、動きが鈍るという程ではない。

 もう一人は、目も当てられない。

 顔面蒼白、過呼吸気味。全身は強張り、怯えからか緊張からかガタガタと激しく震えている。大きく見開かれた眼球は、果たして目の前の光景を正しく映しているものか。少なくとも、焦点はあっていない。


 何とも、絶望的な状況だ。

 だが、しかし。諦めるわけには行かない。


「………良い目付きだ、ジン」


 俺の瞳から何かを読み取ったのか、ラデリン教官は頷いた。


「その決意だけで、お前を合格にしても良いくらいだ。強敵を前に立ち向かうというのは、中々得難い素質だからな」

「そりゃあどうも、教官。けどそれじゃあまるで、他に見るところはないって言ってるみたいだぜ?」

「そうだと言ったら?」


 意識して、獰猛に笑う。教官の言うことは尤もだ、少なくとも、気持ちで負けるわけにはいかない。

 目にものを見せてやる。身構える俺の耳に、開幕の鐘が鳴り響いた。


「予定通り行くぞお前ら!」

「はいっ!」

「ちくしょう、ちくしょう!!」


 それぞれの異なる反応を見せながら、しかし二人は予定通りに俺から距離をとっていく。

 ほう、と教官は感心したように笑う。


「中途半端な連携は諦めたか。思い切りが良いな。あまり誉められたものではないが、折角だ、付き合ってやる」


 教官の合図に従って、二人の巡視官はそれぞれの相手へと向かっていった。

 ………詰まり、俺の相手は、例の【狼殺しウルフキラー】というわけだ。

 これだって、作戦通りだ――中でも最悪の可能性ではあったが。


「来い、稽古をつけてやる」

「そんな気分で良いのかよ、教官。油断してると、すぐに終わるぜ!」













 ゆっくりと迫ってくる巡視官を眺めながら、私は小さく息をこぼした。

 着ているのは私やジンと同じ、簡素な革鎧だ。胸元と、腰回りを守るだけの訓練用の鎧。防御力は殆ど無いが、軽く、訓練ならば十分命を守ってくれる。

 右手には木剣。これも、私のものと同じだ。


 足の運びや体つきから、実力を推し量る。

 はっきり言って、それほどでもない。多分、ジンさんやラットさんでも何とかなる相手だろう。

 そこまで考えて、私は苦笑した。当たり前だ、これは訓練なのだから。せめて勝てるようにしておかないと意味がない。


 勝てる相手なのだ、


 私はそっと、自らの右手を見下ろした。

 簡単な筈の試験に制限を設けているのは、自分の方だ。これは、全く不必要な困難なのだ。


 それでも。

 何かを得たいのならば、過去の自分を捨て去ることが大切だ。


「………大丈夫、大丈夫。訓練の通りに………」


 呟く私を怪訝そうに見たあと、巡視官は踏み込んできた。

 平凡な、思った通りの速度と角度だ。冷静に、軌道上に木剣を割り込ませ防いだ。

 ――確か、このあとは、下段からの斬り上げ。

 習った通りの、基本的な型に沿った連撃だ。余裕をもって受け、捌きながら、しかし私は悔しさに歯噛みをする。


 反撃の切っ掛けが、掴めない。


 いや、巡視官の動きは基本セオリー通りで、動きには隙もある。私にも解る程度にまで誇張された糸口だ。

 そこに反撃すれば、それで済む。気絶させられるし、そうでなくとも恐らく試験自体は合格できる。


 だというのに――

 動かす為の命令オーダーを、脳が下せていない。『その隙を突け』という単純な命令だが、何より肝心な『どうやって』の部分が不足しているのだ。

 私にとってこの大陸の剣術は、読み方の解らない本と同じだ。自分の知る文字と照らし合わせながら、ゆっくりと読み解かなければならない難問である。そんな悠長な時間は、戦場ではけして与えられない。


 けして難しくない課題。

 だが――解き方に拘る私には、それは何より大きな壁となって立ちはだかっていた。













「ひいぃぃ、くそ、くそっ!!」


 ラットは祈っていた。

 腕は懸命に剣を振り、足は必死に距離をとる。そうしながら、早くどうにかなってくれと祈っていたのだ。


 幸運の鼠ラッキー・ラットの名前の通りのやり方で、彼はここまで来たのだ。降り注ぐ困難や災厄を受け流し、外部の要因が解決してくれるのを待つ。

 それが不可能なことはままあるが、しかし全てではない。

 世の多くの出来事は外的な原因で生まれる。ならば、その解決を外部に求めるのもまた、愚考とは言えないだろう。


 ………己の実力を問われている場ですら、それを期待するのが賢いと言えるかどうかは解らないが。


 腕や足は、健気に主人を守って奮闘する。主の方がそれを期待していなくとも。













 そして、事態の天秤は動く――最悪の形で。


「っ!! くそっ………」

!?」


 3人の作戦の、要。

 ジンが、教官に吹っ飛ばされていた。

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