1―6
試験開始の朝は、特別騒がしくは無かった。早朝の体力作りが無い分、のんびりと起きられたくらいである。
上半身を起こしてぐるりと見回す。
既にポツポツと空席が目立つ寝床の群れを眺め、密集したその一角に一人分の
「………ロータス、戻って来なかったか………」
残念、と言うのは少し自分勝手だ。
諦めとはいえ、ロータスは納得して出ていった。何の悩みもなく試験を受けられる俺が、どうこう言う問題じゃあないだろう。
それに、ここから消えたということは詰まり、ロータスは合格するということだ。ここから先、彼が望むような実力を証明する機会は与えられるだろう。
………それが不本意であれ。
とにかく今は、試験に合格することだ。
ロータスは先に行った。だったら、直ぐに追い付いてやる。
どんな手を使ってでも。
「………」
ペアの相手を想像して、俺は再びため息を吐いた。カノンとロータス、果たしてどちらが不幸なのだろうか。
「………あ、ジンさん………」
「………よう」
井戸に向かうと、顔を洗っているカノンと出会ってしまった。
長いまつげの下で、黒瞳が悲しげに揺れる。
申し訳なさそうに俯く彼女の様子に、苛立ちが募る。悪いと思っているのなら、直せば良いだろうに。
「昨日は………その………」
言い淀み、言葉を探すような間のあとで、カノンは肩を落とした。
「………クレイン流で、やるつもりか?」
俺の問いかけに、カノンは驚いたように目を見開いた。
口をパクパクと動かして、それから大きくため息を吐くと、頷いた。
そうか、と俺も頷いた。
これはこれで、俺が口出しをする問題じゃあないだろう。
自分で言うのも何だが、昨日の俺は不機嫌な顔をしていただろう。文句を言いたい気持ちは間違いなく伝わっただろうし、口どころか手を出したいくらいだということも解った筈だ。
それでも、自分を隠すことを選ぶのならば――例え死んでも、隠しきることを選ぶのならば、その覚悟をなじるわけにはいかないだろう。
「………ありがとうございます、ジンさん」
泣きそうに笑うカノンに、俺は舌打ちする。そんな顔で言われる礼なんて、欲しくない。
「っ、あぁ!! いたいた!!」
文句を言おうとしたその瞬間に、背後で叫び声が上がった。
振り返ると、どたどたという足音が駆け寄ってくる。見覚えのある顔だ――志願者の、一人だろうか。
俺やカノンよりだいぶ歳上の男は、ヒィヒィと荒い息を吐いてうずくまった。どこから走ってきたのか知らないが、体力無さすぎるだろう。
「………何か用かよ」
カノンに対する無神経さを思い出して、俺は固い声を出した。この青年が何か言っていたかはともかく、少なくとも擁護してはいなかった筈だ。
青年は虚を突かれたように目をしばたかせて、それから、卑屈な笑みを浮かべて見上げてきた。
「い、いやあ、はは、ちょっとその、君たちにお願いがあってさ」
「お願い? 私たちにですか?」
「おう! 二人居てくれて良かったぜー」
「試験のことか?」
俺たち二人同時に用事と言えば、それしかないだろう。
果たして、青年は我が意を得たりとばかりに頷いた。
「そーなんだよ! なあ、お前ら………オレもペアに入れてくれねぇ?」
「………はぁ?」
ペアにもう一人入れたら、それはもうペアとは言わないだろう。
「そうなんだけどさー、そこを何とかさー」
「そもそもアンタ、誰と組んでたんだよ?」
「ロータスだよ、あの、貴族の坊や」
「そういうことか………」
ロータスがいきなり居なくなったから、余ったのか。
志願者は、確か16名。1人居なくなったら、二人ずつのペアでは成り立たなくなってしまう。
「だから、俺たちと? そんなの、何で俺たちなんだよ」
「皆に断られたんだよー。ほら、試験は二対二でやるだろ? で、こっちが1人増えるってことはさー………」
「向こうも1人増えるのか………」
それは、確かに断るだろうな。
どう考えても、味方が増えた分のメリットよりも敵が増えるデメリットの方が大きい。コンビネーションを練習したわけでもない俺たちでは2人も3人も大して変わらないだろう。
だが、巡視官たちはそうではない。
彼等は、複数人で敵を叩くのが
これは、各自の人生を賭けた一世一代の大勝負なのだ。負ける可能性は、出来る限り減らしたいのが人情というもの。
「せっかく貴族様と組んでラッキー、とか思ってたのにさー。いきなり飛び級とかひどくねぇ? ペアなんだし、オレも連れていってくれたらなー」
………こいつのこういうところを皆、嫌がってるんじゃないか、もしかして。
内心が顔に出てしまったのか、青年は涙を浮かべると、滑り込むように俺の足にすがり付いてきた。
「なああああ、頼むよおおお、他もう誰も居ないんだようううう」
「ああもう止めろ! うざいんだよアンタ! 歳上だろ?!」
「このままじゃ、試験受けずに終了だよおおお! お前らで我慢するからさ!」
「ふざけんな!」
間違いない、こいつの性格が嫌われてるんだ。
というか、ロータスはよくペアになったな。
メソメソと泣く青年を蹴り飛ばすかどうするか、本気で悩む俺の後ろから、音もなくカノンがするりと青年の脇にしゃがみこんだ。
「構いませんよ。ねぇ、ジンさん?」
「はあっ!?」
「マジで?!」
ガバッと激しく青年が身を起こした。つうか、泣き真似かよ。
「ありがとう、お嬢ちゃん!」
すがり付こうとする青年をひらりとかわして、カノンはにこりと微笑んだ。
「人数が多い方が、盾が増えるでしょうからね」
「あれ、何かメチャクチャさせられる予感? つうか、結構ひどいこと言われてねぇオレ?!」
「安心してください。………私も、盾役ですから」
自嘲気味に笑うカノンに、俺も青年も言葉を無くした。
力を見せたくない、けれども、合格はしたい。ならば、手は1つしかない。
「私たちは、何とかやられないことだけ考えます」
「なるほどね。3対3じゃなくて、1対1を3ヶ所って考えるわけかぁ」
「はい。そうすれば、連携も連係も連繋も、何もかも一切合切無視できます。………ジンさんが1人でも倒せばあとは2対1、3対1とどんどん有利に出来ますからね」
「すげえ! これはいけるぜ!」
両手を挙げる青年を一瞥し、俺はカノンを睨みつける。
本気で、こいつは力を見せないつもりだ。そのために策を弄し、他人をも使い潰すつもりなのだ。
不愉快な考え方だ。そして、何より――それを申し訳なさそうに目を伏せながら言うことが、何よりも卑怯じゃないか。
俺は睨み、カノンは俯き。
すれ違いもしない視線は、互いを理解することなく、虚空へと消えていった。
「おお、お前ら。ラットから話は聞いたか?」
現れた教官の言葉に、俺は首を傾げた。
ラット………こいつのことか。
言われても聞き覚えが無かった。きっと、目立つところの無い男なのだろう。
「はい! いやあ、快くオッケーもらいましたよ!!」
「ほう、そうか」
調子良く敬礼するラットをじろりと睨むが、視線を逸らされてしまった。下手くそな口笛まで吹いている。
まったく。ため息を吐きながら、俺は大人しく諦めた。教官まで事情を知っているなら、今さら断ってももう遅い。
それに、カノンの言うことも一理ある。
俺がとにかく1人倒してしまえば、あとは数の利を生かしてやれば、負けることは無い筈だ。少なくとも足手まとい1人を抱えるよりは、勝率は上がるだろう。
気に食わないというだけで、効果のほどは期待出来る。なら、やらないわけにはいかない。
沈黙を了解と取ったのだろう、教官は満足げに頷くと、豪快に笑った。
「そうか、良かった良かった。お前たちには期待してるぞ。遠慮せずに向かってこいよ?」
「………向かってこい?」
「なんだ、この前言っただろう? 俺に挑戦するんだろう?」
「………………………あ」
カノンが、ポカンと口を開けた。
俺も、そしてラットも、呆然と口を開けたが、そこからは何の言葉も出てこない。
そうか………そういえば、言ってたな、こいつ。
「胸を貸してやる、存分に来いよ!」
豪快に笑いながら立ち去っていくラデリン教官。その背を見送り、それから、カノンと目を合わせた。
その泣きそうな瞳を見て、俺は無言でその場に崩れ落ちた。
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