1―4

 午後の訓練は、死屍累々の有り様だった。


 ラデリン教官に一人ずつ挑み、撃破され、また挑む。それを体力の続く限り繰り返させられたのだ。

 ほとんどの志願者たちは倒れたまま起き上がらず、木剣を支えにしているとは言え、辛うじて立っている俺や貴族の坊やロータスはまだまだマシな方だった。


 因みに、カノンは祈るように膝をついていた。体力云々ではなく、彼女の剣はへし折れていて杖にはならなかったのである。


「今日で訓練は終わりだ。明日はいよいよ、入隊試験となる!」


 その言葉に、俺の精神には活力が戻る。肉体的には限界だったが、余力さえあればガッツポーズくらいはしていただろう。


 いよいよだ。いよいよ、俺の夢を叶える時がやって来た。


 隣では、ロータスも身体を起こしている。奴の涼しげな青眼にも、隠しきれない情熱の炎が見てとれた。全く、貴族らしくない奴だ。


 瞳をぎらつかせる俺たちをぐるりと見回して、教官はニヤリと笑った。


「良い眼をしてるな、お前ら。その輝きのままなら、いい巡視官ガーダーに成れるだろう………そのための最後の壁は、

「教官、たち?」


 誰かが呆然と呟く。


「そうだ。俺たち巡視官と試合をしてもらい、力を見せてもらう」


 絶望の呻き声は、訓練場全員の総意だっただろう。ロータスさえも眼を見開き、カノンは青い顔。俺自身も、多分ろくな顔色はしていなかっただろう。


 有り体に言って、無理だ。


 形式的には一対一タイマンとはいえ、これだけの人数が立て続けに挑んで、教官からは結局一本も取れなかった。

 それどころか、息ひとつ乱していないような相手。それに、試合をするなんて。


 生ける屍と化した俺たちを見て、教官は面白そうに肩をすくめた。


「安心しろ、手は抜いてやる――

「他の、奴? 教官でなくとも良いんですか?!」


 教官が頷き、生ける屍志願者たちの顔に多少の血の気が戻った。

 現金な話だが、俺も正直安堵した。他の巡視官の実力は解らないが、少なくとも可能性は出てくる。教官が相手では、勝ち目は完全にゼロだ。


 教官は笑顔のまま、ゆったりと訓練場を出ていく。

 その途中で、ふと思い出したというように、教官は立ち止まった。


 そして、


「あぁ、そうだ。実戦形式だからな、。各自、相棒パートナーを見付けておくように。以上だ!」

「………二対二ペアで?」


 出ていく教官の後ろ姿を見送って、ポツリとカノンが呟いた。

 ハッと、全員が息を呑み。

 ………そして、そっと眼を逸らした。








「う、うぅぅ………」


 広間の隅で、カノンは膝を抱えていた。

 全身全霊から、得体の知れないどんよりとした空気を放ちながら俯く少女から、部屋中の誰もが顔を背けている。


 気持ちは、解る。


 訓練中のカノンの様を見ていれば、彼女とペアを組もうという奇特な人物は先ず居ないだろう。

 ここには、本気の人間しか居ない。

 初日の地獄のような筋トレを終えて、安定しているとか給料が良いとか、浮わついた軽い気持ちの輩はあっさりと姿を消した。


 最終日まで残った16人は、動機は違えど、巡視官になりたいという思いだけは同じ。

 どんな手を使ってでも、とまでは言わないにしろ、少なくとも落ちる可能性は減らしたい筈だ。


 足手まといを好き好んで構ってやる奴なんて、ここには一人も居ない。

 ………あぁ、全く。居るわけ無いのだ、そんなお人好しは。


 俺はため息を吐いて、カノンに歩み寄った。


「………ったく。ジメジメすんなよ」

「ジンさん………!」


 パアッと効果音がするほど明るい笑顔を浮かべ、しかし直ぐに俯いた。


「い、いえ………私と組んだら、ジンさんまで………」

「………」

「剣術、私全然出来ないですし………足手纏いに、なるだけですし………フブッ!?」


 言葉尻と共に落ち込んでいく少女の頭を、俺は軽く押さえつけた。

 そのままぐるぐると頭を揺らして、大きくため息。


「解ってるよ、んなこと。誰が相手してたと思ってんだ。………


 俺は、巡視官になりたい。

 不当に税をかけていた貴族を弾劾した、あの地方巡視官のように、公平で公正で、立派な巡視官になりたいのだ。

 足手まといを切り捨てて置いていくような奴に、なりたいわけじゃない。


 これが、全くの他人だったなら、きっと俺は手を差し伸べることは無かっただろう。

 だが、俺はカノンを知っている。

 走るその姿を知っている。握りも解らないくせに、何度も何度も挑んできた、その瞳を知っているのだ。


 もう、背中は追えないけれど。

 その分、背中を追わせてやるさ。


「………ありがとう、ございます」


 礼を言うカノンの顔は、何故だか酷く苦しそうだった。








「………思い切ったな」

「うるせえ」


 歯を磨きに外に出たジンに、ロータスが低い声を掛けた。

 暗い庭を友のように並んで歩きながら、二人は鋭い口調で斬り合い始める。


「お前は、巡視官になりたいのだろう?」

「当たり前だろ」

「そのために試験がある。実力を見せろという話だったからな、勝てなくとも善戦すれば良いのだろう。………

「そんな後ろ向きでどうするよ。俺は勝つぜ、教官は無理でも、他ならなんとかなる。なんとかするさ」

「………ハンデを背負ってもか?」

「………」

「解ってるだろう。あの子は剣術の才能が無い、多分、善戦さえ出来ないぞ? 試験を受けたって、合格の可能性は限り無く低い。放っておいたって、結果は同じだ」

「………………」

「ふん。気障な奴だな、お前は」

「うるせえ」


 ………二人は、庭の奥へと消えていった。

 その背を見送って、はギュッと唇を噛み締めた。


「………私は、それでも………」


 呟いて、私は踵を返す。

 身体を動かさないと、全く、眠れそうになかった――。









「つうか、お前はどうなんだよ、ロータス」

「………ん?」

「貴族だろ、なんで試験を受けるんだ?」


 俺の言葉に、ロータスは答えず水を含んだ。

 たっぷり時間を掛けて口をすすぐと、吐き出し、顔を上げた。


「………俺は、実力を見られたい」


 内心を整理するように、ゆっくりと、ロータスは続ける。


「貴族の、まあ次男坊だからな。家を継ぐ必要は無いから自由には出来る。しかしそれでも、完全な自由にはならない………誰もが俺を、貴族の息子として扱うからな」

「………だから、試験を?」

「試験がある仕事というのは、少ないからな。巡視官は貴族が多いが、生意気な平民も同じくらい多く居る――お前みたいにな」

「悪かったな、礼儀知らずでよ」

「いいや。………だから、。お前たちが」


 何がだ、と言うよりも、早く。


 


「坊ちゃん、ここまでです」

「………あぁ、そうか」


 突然の出現。

 気配さえ感じさせずに現れたその男は、手袋を填めた手で繊細そうに眼鏡を押し上げると、ロータスに頷く。


「………誰だよ、あんた」

ですよ、坊ちゃんの御学友。仮にも貴族に名を連ねる者が、?」

「っ!? やめさせる気か?」

「やれやれ、言葉足らずの下品な質問ですね。君が聞きたいのは、巡視官への任命を、ということですか? 馬鹿な。この歳での巡視官への任命は御立派そのもの。我々も感嘆しておりますし、


 スッと、流れるような動きで、男はロータスと俺との間に立った。


「試験など必要ない。。手筈は整っておりますので」

「っおい!!」

「よせ!」


 思わず手を伸ばし掛けた俺を、ロータスの鋭い声が止めた。


「なんだよ、お前、実力で合格したいんじゃねぇのか!」

「………こうなることは、わかってた」


 絞り出すように呟いて、ロータスは踵を返す。


「俺は、貴族だ。平民の催す試験で、試される訳はない。………訓練自体、無理を言って受けていたのだからな。試験までさせてもらえるとは、思ってなかったんだ」

「ロータス………」

「なあ、お前たちが羨ましいよ。………俺は、力を見せることさえ、許されてないんだからな」


 行こう、と呟いて、ロータスは歩き出した。その行く先は、訓練場とは真逆だ。


「………なんだよ」


 いつの間にか、男も消えている。

 誰も居ない夜の闇の中で、俺はちからなく俯いた。


「何なんだよ………貴族って」


 答えは何処からも帰ってこず。

 俺は、やるせない気持ちのまま、訓練場へと戻る。

 足がもつれる。他人の権利を踏み躙る、強者の筈の貴族。その背中は、幼子のように弱々しく萎んでいて、苦しそうで哀しそうで。


 まるで、あの日の俺たちみたいで――。


「………くそっ」


 そのまま、眠れそうにはない。

 少し身体でも動かそうか。俺はそんなことを考えながら、月明かりを頼りに広い庭へと向かい、


「………え?」


 本当の、カノンを知った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る