1―3
「はじめ!」
教官の声に合わせて、俺は木剣を構えた。
カノンも、同じように構える――いや、構えているつもりなのだろう。
俺はため息を吐いた。
「………握り、違うぞそれ」
「えっ!?」
カノンは慌てて自分の手元と俺の手元とを見比べる。
「えっと………こう、ですかね………?」
「………」
「うわわっ?!」
俺は答えず、剣を横に振るった。
体重も乗せていない、腕の力で軽く振るっただけの一閃を、カノンは慌てながらも剣を立てて防ごうとした。
その剣は、容易く弾き跳ばされる。
「あのなぁ、握りが違うからそうなるんだよ、下手くそ」
「う、ううう………」
泣きそうな顔で剣を取りに走るカノン。その背中を見ながら、泣きたいのはこっちだと俺は舌打ちする。
剣の稽古が始まって、既に三日目。試験前日だというのに、カノンの腕前はまるで上達していなかった。
何しろ、剣の握り方も足の動かし方も、何もかもが間違っている。間違っている事を指摘したら直そうとするのだが、直そうと意識するあまり余計に動きがぎこちなくなる。
一挙手一動足全てを、正しい型に無理に押し込めようとしているため、今のように握りが甘くなるのだ。
俺は、生まれついての剣士ではない。
グラス草原の側にある田舎の村で、じゃが芋を育てていた百姓の生まれだ。
三男坊の気軽さと、未来への不安とを天秤に掛け、両親の思惑が重なった末に口減らし同然に家を出されたのである。
それに関して思うところが無いでもないが、それ以上に俺としては、実力で出世を目指す事への期待が勝った。
なけなしの金でこの大都市カムラヴィに出て、巡視隊に志願したのも、喧嘩にはそれなりに自信があったからだ。
だから、剣の稽古なんか三日前には受けたことも無かった。俺が握った刃物は、鍬か鎌くらいである。
その俺をして、解る。
目の前の少女は、本当に才能が無い。
「おいおい、お嬢ちゃん大丈夫かよ!」
「ははは、手加減してやれよジン!!」
野太い野次があちこちから上がり、俺は再びため息を吐いた。
ここにいるのは、大体が俺と同じだ。農家か商家かの違いこそあれ、基本的に剣を握るのは初めてという奴が殆ど。レベルとしてはドングリの背比べである。
詰まり。全員カノンよりも上手い。
運動でボコボコに任されていた分、彼女に対する風当たりは強い。木剣を拾い戻ってくるまで、何度も少女に振りかかる。
それでもカノンは涙も見せず、言い返しもせず、固く口を閉ざしたままで再び俺の前に立った。
「………お願いします」
本当に――泣きたいのはこっちの方だ。
確かに、俺はこいつに勝ちたかった。
走っても、腕力でさえも負けた以上、残ったのは剣だけ。それさえも
それでも、逃げるよりは打ち負かされる方がマシだろうと腹を括り、俺はカノンとペアを組んだ。
まさか――初日にして追い抜けるとは誰が思う。
目標は遠いほど良いのだと、俺は痛感していた。三日前までの俺の
あまりの単調さに、苦痛すら伴う。
それでもカノンは訓練から逃げないし、涙も流さない。なら、俺の方から逃げるわけにも行かない。
それに、どうやらようやく、握り方を覚えたらしい。
「やあっ!!」
気合いのこもった踏み込みで、カノンが剣を振るう。
身体能力は高いから、その速度は下手くそな割りには随分と早い。防ぎ、跳ね返った切っ先が2度3度と踊るように俺に降り注ぐ。
――ここまでは良い。ここまでは。
突っ掛かるカノンの力も利用して、俺は跳ぶように距離をとった。
「っ!」
勿論カノンも追おうとして、その足がもつれる。踏み出す足に迷うように、少女は出来損ないのステップを踊った。
カノンの駄目なところは、詰まりこういうところだ。
基本的な動きがぎこちないから、咄嗟の動きに対応出来ない。距離を詰めようとして、その正しい足運びが解らなくなり、戸惑うのだ。
その辺の奴ならそのまま転ぶだろうが、あいにくカノンの運動神経は伊達ではない。無理な動きでも無理なりに動き、どうにかこうにか走ってしまう。
素人の操り人形みたいだ。よろけたまま少女は前に進み、
「………はあ」
待ち構えていた俺の剣に、良いように転がされた。
通算、何度目の勝利だろうか。
待ち望んでいた筈のその味は、何故だか苦かった。
「………すみません」
「謝んなよ………」
昼の休憩時間。
訓練場の床に胡座をかいて、各々が適当な円を作る。それなりに仲良くなった者同士や、或いは元からの友人同士だろう。数少ない女性志願者の下には、鼻の下を伸ばした男どもが集まっていた。
黒パンに野菜のスープという簡素な料理を呑み込みながら、俺はカノンと向かい合って座っていた。
前を走るカノンの後ばかり追っていたから、仲良くなど成れる筈もなかったし、それに――人を馬鹿にするような奴と、飯なんて食いたくなかった。
「へへ、子供同士仲良いなー!」
「ひゅーひゅー!!」
聞こえよがしの罵声を無視する。と、カノンがますます恐縮して呟いた。
「………すみません、私のせいで、貴方まで………」
「気にすんな。初日とか散々びびってやがった癖に、勝てると解った途端に強気になるような奴の言葉なんかよ!」
「っ、なんだと!」
中年の男が血相を変えて立ち上がった。俺も剣を手に立ち上がる。
「もういっぺん言ってみろよ、ガキ………」
「何度でも言ってやる。良い歳こいた負け犬の遠吠えなんか、聞く価値ねえってんだよ!!」
男は剣を握っている、俺も同じだ。
消化不良なのは否めないし、ここで発散するのも悪くない。
「や、やめて下さい!」
カノンも立ち上がり、俺たちの間に入ろうとして、剣を取り落とした。
締まらない奴。
俺も男もそっちを気にもせず、互いに睨みながら機会を窺っていた。
その、瞬間。思わぬ方向から水は差された。
「………騒々しい。馬鹿どもめ」
低い、静かな声だった。それでも俺たちは、思わず息を呑んだ。
いや、俺たちだけではない。
広い訓練場にいる全員が、一斉にその口をつぐんでいたのだ。
………その声には、およそ感情らしいものが一切含まれておらず、ひたすらに冷徹で冷酷で冷静な、氷のような響きだった。
俺は、似たような声を1度だけ聞いたことがある。故郷で、俺が家族と育てて収穫した芋を、その旨そうな物だけを袋に入れて差し出した時のことだ。
俺のことなどまるで何とも思っていない。そう雄弁に語るあの瞳と、短く御苦労とだけ告げた、あの声。
それは、支配者の声だった。
生まれついての、人の上に立つ者の声だ。
「沈黙する知恵を持っていたことだけは褒めてやるが。だったら最初から騒ぐな」
「なんだと!」
思わず噛み付けたのは、その声が未だ若かったからだ。記憶の中の声よりも、二十年分は重みが足りなかったからだ。
首を巡らして、声の主を探す。
隠れるつもりも無かったのだろう。声の主である少年は、いつの間にか悠然と立ち上がっていた。
訓練のあとだというのに整った金髪に、澄んだ青い瞳。
着ているシャツもズボンも靴も、目玉が飛び出るほどの上等な仕立て。
「………貴族の、坊っちゃんかよ」
的を射たのだろう、少年は憎々しげに舌打ちした。
「だったら、何だというんだ。大人しくへりくだるか?」
「冗談だろ。引っ込んでろってことさ、服を汚してパパに怒られたくないだろ?」
「………ふん、分を知らないから愚者は愚者なのだ。私が君ごときに、服を汚すとでも思っているのか?」
「………おもしれぇじゃん」
挑発に挑発を返されて、俺はニヤリと笑った。貴族にしては骨があるようだ。
俺は剣を握り、少年に近付く。少年も、剣を手に俺を迎える。
「おらあっ!!」
踏み込むと同時に、木剣を振り上げる。
「………ふん」
足元から迫る俺の剣を、少年は鼻で笑い、その軌道に自らの剣を合わせた。
次の瞬間には、俺の剣は手元から弾き飛ばされていた。
「んな………っ!」
「
思わず行方を目で追ってしまった俺の喉元に、少年は木剣を突き付けていた。
こいつ………強え。
「じ、ジンさん!」
「くっ………」
何が起きたかも解らない。意識を逸らした一瞬で、俺の剣は消えていたのだ。
少年は、鼻を鳴らす。
「その程度か。やはり、私が本気を出すまでも無かったか」
「くそ………」
「そこまでだ、馬鹿ども!!」
今度の声は、力強く部屋を揺らした。振り向くまでもない、教官だ。
ドスドスと床を踏み鳴らしつつ、ラデリン教官は俺たちへと向かってくる。少年は肩をすくめて剣を下ろした。
「何をしてるんだ全く!」
「………少し稽古をつけてやっただけです、教官」
「つけられてやっただけです、教官」
俺たちは無言で睨み合い、その頭に同時に拳骨が落ちた。
「ってぇ………」
「ぐむっ………」
「馬鹿なことしてるんじゃあない! そんなに血の気が多い奴が、街を守る巡視官に成れると思うのか!! 全く………」
「し、しかし!」
「しかしも何もない! 喧嘩ならここを出てからやれ、試合なら、午後にやらせてやる! ジン、ロータス、お前たちからだ!」
願ったり叶ったりだ。
「いいっすよ、教官! ボコボコにしてやるぜ、お坊っちゃん!」
「返り討ちだ、愚かめ」
「勘違いするな、馬鹿ども」
ラデリン教官はニヤリと笑うと、睨み合う俺たちの肩を掴んだ。
「試合は俺とだ。………ボコボコにしてやるぜ、馬鹿ども?」
え、と思わず呆けた俺たちを、ラデリン教官は外へと引きずり出す。
志願者たちが哀しそうな顔で十字を切り、カノンは両手を組み合わせて祈った。俺たちの無事をか、或いはそのあとの自分達の番を想像したのか。
勿論、ボコボコにされた。
遠すぎる目標も、良くはなかったらしい。そんな思いを最後に、俺たちは仲良く気を失った。
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