覚えてないの?

  絹みたいに綺麗な長い黒髪。癖っ毛の私はそれがちょっと羨ましい。


「ふわぁ……いい匂い」


  朝起きると、なんだか家中がいい匂いに包まれていた。

  私はふわふわと軽いステップでダイニングに下りる。


「おはようございます、式神さん」

「佐和様。おはようございます」


  キッチンで式神さんがフライパン片手に振り返った。その長い髪を静かに揺らして。

  髪が長くて肌も白くて、とっても整った顔立ちの式神さん。昔、絵本で見た森の聖霊みたい。最初は女の人かなって思ってた。でも「僕」って言ってたから男の人……? よくわからない。


「ねえねえ式神さん! それ! もしかして、タコさんにするんですか?」


  フライパンでパチパチと音を立てながら踊る赤いウインナー。片方の端がいくつかに分かれていて、火を通すとどんどん面白いぐらいに広がっていく。


「佐和様、あまり顔を近づけると危ないですよ。可愛いらしいお顔に油が飛んでは大変です」


  式神さんは微笑みながら、フライパンに蓋をした。


「朝食は準備してあります。今、ご飯をよそいますね」

「ふわぁ……」


  これが! これが一般的なお母さんの姿なの!?

  私は式神さんのその眩しい言葉に感動してしまった。

  だって私、ママにご飯よそってもらったことなんてない。まず家にある炊飯器ってたぶん、買ってから片手で数えられるぐらいしか使われてないし……。


  テーブルには、和食のおかずが並べられている。なめこと豆腐のお味噌汁、のりの佃煮、鮭の塩焼き、小鉢に入ったオクラ、きんぴらごぼう。そこに式神さんが白いご飯をお茶碗によそって置いてくれた。

  ふわあ……美味しそう。昨日は寝坊して食べられなかったからな……。


「あれ」


  ふと私は気づく。並べられている料理はひとり分だけだっていうことに。


「式神さんは? 食べないんですか?」

「僕は食べなくても大丈夫な体質なので」

「……ふわ?」


  朝ご飯は食べないタイプってことかな?

  ときどきいるよね、1日2食しか食べない人。

  そんなことを考えていると、式神さんは微笑みながら椅子を引いてくれた。


「どうぞ僕には遠慮なさらず、お召し上がりください」


  それじゃあお言葉に甘えて。私はちょこんて椅子に座った。


「いただきます!」


  きちんと手を合わせてから箸をつかむ。最初に箸をつけたのはお味噌汁。味噌の香りに引き寄せられて……。昨日も思ったんだけど、味噌ってこんなにいい匂いがするんだなぁ。知らなかった。


「ふわあぁ」


  とってもとっても美味しいです。温かいお味噌汁が臓器の隅々まで満ちて染み渡っていく。


  ふわあぁ……。

 

  式神さんは嬉しそうに微笑み、キッチンへ戻っていく。私のお弁当を作るために。あんな美味しいお弁当が毎日食べられるなんて、幸せだなぁ。

  お味噌汁の湯気のせいか、ちょっと目が潤んでしまう。


  私は感謝でいっぱいです。ありがとうございます、式神さん。





 ☆★☆★☆★☆★





「佐和ー! おはよぉー!」


  朝の教室。今日も希ちゃんに抱き締められた。


「今日は三つ編みに戻したんだね、うんうん、いつも通り可愛いよ。佐和は私の宝物だよ」

「はいはい離れましょうね。佐和、おはよ」


  いつも通りの光景。咲良ちゃんがクールな表情で希ちゃんを引き剥がす。


「うん。希ちゃん、咲良ちゃん、おはよう」


  私はこのふたりの友達が大好きだ。

  にこにこしながらふたりと話していると。


「ふわあ! 阿隈くん!」


  阿隈くんが教室に入ってくるのを発見! 私は駆け寄る。


「おはよう!」

「種村さん……おはよう」


  静かに顔を上げて、阿隈くんは私を見た。目はいつもと同じ透明な色。


「ねえ阿隈くん。どうして昨日はあんなところにいたの?」

「昨日……?」


  阿隈くんは不思議そうに首を傾げた。


「昨日って?」

「ふわ……。覚えてないの?」

「昨日は体調が悪くて。頭がぼーっとしてたからよく覚えてないんだけど」


  そういえば阿隈くんは昨日、早退してた。

  ふわ? でも、あのときの阿隈くんは……。

  私はふるっと首を振った。


「ううん! なんでもない。それよりね、あの、トマト味のロールキャベツって美味しいんだね!」


  昨日の夕飯を思い出しながら言う。式神さんはとってもお料理上手だ。

  ふわあ……。式神さんが作ってくれたお弁当、今日も楽しみだな。


「トマト?」

「うん。真っ赤だったから、最初見たときはすごく驚いたんだけどね、食べてみたら、ふわあって。ふわあってなったの」


  精一杯美味しさを表現したつもりだったんだけど、わかってくれたかな。

  阿隈くんはクスッと笑った。袖口を当てて、笑っている顔を隠そうとしてる。ふわ! だ、駄目! 阿隈くんの笑ってる顔、見たい!


「も、もっと笑って! 阿隈くん!」

「……笑ってって……言われても」


  困ったように言う彼の肩が震えてる。

  阿隈くんの笑ってる顔って、大好き。いつまでも見ていたいんだけど、阿隈くんはそれを恥ずかしそうにする。あんまり私が見つめるせいかもしれない。


「種村さんって、面白いよね」


  笑っている口元を隠しながら、阿隈くんはふと思い出したように言う。


「あ、俺、学級日誌取りに行かなきゃ」

「阿隈くん、学級委員だもんね」

「じゃあまた」


  彼は小さく手を振った。そのときに彼の口元があらわになって、きらっと白い歯が見えた。普通の犬歯より尖っていて、鋭い。

  ふわ……牙だ。


  阿隈くんは扉に手をかけ、ちらっと振り返った。私は大きく手を振る。阿隈くんがまた口元を隠して肩を震わせた。もっともっと手を振る。


「ご主人様に尻尾振ってる犬みたい」


  いつからいたのか咲良ちゃんが私の背後でつぶやいた。見るとその手で、暴れる希ちゃんを押さえている。


「もー! なんでーぇ!?」

「希、うるさい」

「なんで阿隈くんがご主人様? なんでなのーぉ!?」


  そっちに気を取られてるうちに、阿隈くんは教室を出ていってしまっていた。

  咲良ちゃんが苦笑する。


「佐和は本当に阿隈くんが好きだよね」

「うん!」


  私は大きくうなずく。とたんに希ちゃんが咲良ちゃんの腕の中でじたばたする。


「羨ましいー! 羨ましいー!!」

「え?」


  ふわ?


「羨ましいってどうして?」

「だって! 私も佐和に愛されたい!」

「希ちゃんも咲良ちゃんも大好きだよ?」

「……佐和ー!!」


  ぎゅっ。咲良ちゃんのガードをくぐり抜けた希ちゃんがまた抱きついてくる。

  ふわ。苦しい。

  それをさめた目で見る咲良ちゃん。


「でもいちばんは阿隈くんなんでしょ」

「うん! 阿隈くんも大好き」

「咲良ちゃん、なんでそんな余計なことを!」


  やっぱり私、ふたりのこと大好きだな。

  ふたりと過ごす、この時間が好き。


「佐和」


  寂しくなんかないよ。


「佐和?」


  ……ママ。

  私のこと、嫌いになっちゃったの? だからいなくなったの?


  急にママの顔を思い出して、泣きそうになった。






 ☆★☆★☆★☆★






「ふわああ!」


  お昼休み。私は感嘆の声をあげる。目の前で阿隈くんが持っているお菓子に目を奪われて。


「種村さん、チョコと抹茶どっちが好き?」

「チョコ!」

「はい、どうぞ」


  お弁当を食べ終わって、ちょっと(いやかなり?)早めのおやつタイム。


「阿隈くん、ありがとう!」


  阿隈くんからもらったクッキーを、私はにこにこしながらほおばる。サクサク。甘いもの大好き。


「種村さんが食べてるとこって小動物みたいでなんか面白い」


  そう言いながら、阿隈くんは残った抹茶のクッキーを食べる。


「ん、美味しい」

「……とっても美味しかったです、ごちそうさまでした」


  パチン。阿隈くんがつぶやいたのと同時に私は手を合わせる。


  しばらくして。


「種村さん、あの、昨日のことなんだけど」


  透き通った瞳を私に向け、阿隈くんが口を開いた。


「昨日?」

「うん。やっぱり種村さん……不思議な香りがする」

「……ふわ?」


  昨日のことって、その話かぁ。私は首をひねる。


「どんな匂い?」

「なんだか危険な感じがする、匂い」


  私を見つめる阿隈くんの瞳が、少しずつ色味を帯びていくように見える。果実が色づくように。熟して、赤く。

  阿隈くんは独り言のようにつぶやく。


「どうしてだろう」


  阿隈くんもよくはわかってないみたいだった。私には到底解けないような難しい数学の問題をすらすら解いちゃう阿隈くんにわからないんだったら、きって私にもわからない。わからないことは長く考えない方がいいんだってママが言ってた。頭がこんがらがって、本当に大事なことを見落としてしまうから。


「ねえ阿隈くん。私って甘い?」


  唇の端についたクッキーの小さな粉をペロッとなめて、尋ねてみた。

  ……ふわ、甘い。


「希ちゃんに、佐和は甘い匂いがするって言われたの」

「……俺も、種村さんは甘いと思うよ。たぶんケーキみたいにふわふわしてて」

「ふわふわ」

「うん。ふわふわ」


  ふわふわ、と言うときの阿隈くんの唇の動きに目を奪われた。あれ、やっぱり阿隈くんの唇ってすごく綺麗だ。つやつやしてて、鮮やかな赤色。


「イチゴ食べたいな……」


  ふとつぶやいてしまった。


「イチゴ?」


  阿隈くんの唇を見て連想したんだけど、なんだか恥ずかしいから黙っていることにする。


「ううん、なんでもない」

「……じゃあ明日はイチゴ味のキャラメル」

「ほんとっ?」


  思わず顔が輝いてしまう。

  これじゃ本当に餌でつられるペットみたいだ。


「種村さんって面白い」


  阿隈くんが口元を隠す。すっかり透き通った目が淡く光っている。

 

  いつかは。

  その笑顔が真っ直ぐこっちを向いてくれたらいいのにな。


  私はそう思って阿隈くんに笑いかけた。阿隈くんは私と目が合ったあと、顔を赤くして横を向いてしまった。


  ふわあ……。残念。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シニガミ少女はアクマくんに恋をする!! 水谷りさ @mizutanirisa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ